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「どうだった? あの女」
ボスはサングラスを鼻の頭までずらした。
「別にどうもないですよ。ただ、優しい人ではありました。世の中みんなああいう人になればいいんだって思いましたね」
「おいおい、感情移入はよせよ。この仕事に就けなくなるぞ。他のお客さんだっているんだからな。あくまで疑似体験だってことを忘れるなよ」
私はいつも通り頷いたつもりだったが、ボスはそれが納得していないように見えたらしく、不満だったみたいだ。
「お前、自分の個人情報とか話してないだろうな? メールは専用のアドレスでやってくれよ。ここはそういうところなんだから」
「そんなことしませんよ。でも面白いですよね、ここ。もっと俺と同じことをしている人いっぱいいるはずなのに、もう何度もここに来てるはずなのに一度たりとも顔を合わせたことがない。どうやって口裏合わせてるんですか?」
「人聞きが悪いな。別にそんなことしてねーよ。ただ、個人情報は怒りの矛先になる。そして、火種にもなる。困るだろう?」
「まあ」
でも、何も知らないっていうのは罪でもある。だが、それ以上にここの待遇はそれを上回る。だからここで金を稼いでいるわけだし。でも、どのくらいお客さんからお金をとっているのかぐらいは教えてくれてもいいのではないかと思う。生活するには十分なお金が入ってきてはいるが、逆にそれが私の不安をつかさどって煽る。そこまで隠す必要があるかって。
「お前、今あの女だけだろ? もう一人ぐらい紹介してやろうか?」
「ボスの紹介でいい人と付き合ったの、ミナトさんが初めてですよ。遠慮しておきます」
「お前と付き合った女、思い出しただけで笑えてくるよな! 変な性癖持った奴ばっかだったからなー。ああおもしれえ」
「笑い事じゃないですよ。いい加減ちゃんと仕事してください」
「お前いつからそんなこと言える立場になったんだー? でもな、面白いことにお前と付き合った女たち、みんなちゃんと社会に馴染んでいくんだよな。どんな魔法使ってんだ?」
「たまたまですよ」と力なく言った。
細目でにやつくボス。
「まあいいや。金はちゃんと振り込んでおくから。お客さん自分で捕まえて来てもいいんだぜ? 大学生だろ?」
「金の匂いと下心丸見えです」
「あちゃーばれたか」
顔を上に逸らして広いおでこを手が覆う。やんわりとしたボスの口調は、黒のサングラスからは想像もできないような顔をイメージさせた。