*
東京に着いて、「じゃあまた」とそんな簡素な言葉で私たちは最寄り駅で別れた。私と美菜以外は、皆JRの方へ行った。
「なんだか楽しかったね」と美菜は言う。
「確かにまた行きたくはなったかも」
「私、一人で今度暇なとき行ってみようかと思って、住所とか電話番号とかもろもろ聞いてきちゃった」
「いやそれネットに載ってるでしょ。それに遊びに行くのに住所はいらなくないか? 遠距離恋愛してて文通するわけでもあるまいし」
それもそうか! と諭されたように美菜は頬に皺を寄せて笑うのだった。
振り返ってみると、とても有意義な夏休みの旅行だった。初対面になる組み合わせが多かったので、当初はどうなることかと思っていた私の想いはもう消えてなくなった。先ほどの駅での別れ、船上での会話の様子などを見ていれば、疑いようのないくらい仲睦まじかった。
友人と一緒に花火をしたのなんて私からしてみればもう何年振りかのことだったのだ。見方によっては、私が一番楽しめていなかったのかもしれないと思うほどだった。
その分、美菜への負担は減った。一緒に行こうと言ったあの春学期最後の講義。よくよく考えてみれば、もし二人で島に行っていたら千紘を探すのは難しかっただろう。美菜を一人宿に置いて私が「ちょっと散策してくる」なんて言えるはずがない。「じゃあ私も」と美菜も同行しようとしてくれるかもしれなかったし、「いってらっしゃい」と快く送り出してくれる可能性もあるが、それはそれで申し訳ない気もするのだ。
結果、探すことができた。確信に近づいた。首藤とも腹を割って話せたのかどうかはわからないが、いろいろ聞けた。その分、美菜への情は少なくなってしまったが、当初の目的が千紘を探すことである以上しょうがないことだとするしかない。
仮にも一応恋人だった。疑似彼女ではなく正真正銘、私の彼女。好きだから付き合う、恋人を作りたいから付き合う、そんな一般的な目的からは遠く離れてはいるのだが、それもまた私らしいと言えば私らしいのだろう。
今でも思うのだ。あの日美菜に「俺を買ってくれませんか?」なんて言わなければよかったのではないかと。でも同時にこうも思うのだ。あの日美菜に「俺を買ってくれませんか」と言ったことで今少し充実した暮らしを送れていると。恋人どうこうではなく、いや恋人がいたから、島に誘えるような間柄の美菜がいたから、今少し前の自分よりも充実しているのだ。