しばらくこちらでお待ちください。もふもふさんと一緒に。
ぱたりとドアが閉まる音を聞いてから、彼女はほう、と息を吐きだした。
案内をしてくれたのは、優しげなご婦人だった。
急な訪問にも関わらず、丁寧な言葉と柔らかい笑みをもらった。
それに、自分はうまく笑い返せていただろうか。
返した言葉は、会釈は、変に思われなかっただろうか。
いまは、悪意がないと分かっていても人の視線が怖い。他人がいると落ち着かない。
些細なことにもびくびくと肩が震えてしまう。
数日前の彼女からは、想像もつかない醜態であった。
自己嫌悪につい、俯きかけたときだ。
「ひゃあっ」
ふわりと手をかすめたものに、思わず声が出た。
ソファの端に置かれたクッションだと思い込んでいたそれは、生き物だったらしい。
いつの間にか黒くて大きな猫が、傍らにいた。
目が合うと、それは「なー」と低く鳴く。
唸っているのかと思ったが、どうやらもともと低い声音の持主のようだった。
あまりの柔らかい毛並みと温かな体温に、動物にあまり触れた経験のない彼女がぎこちなく触ったり撫でたりしても身動きもしない。
ときどきゴロゴロと喉の奥を鳴らすだけだ。
その内に手を、顎と前足でぽふっと挟まれた。
そこを撫でろと言わんばかりの仕草にその通りにもふもふと撫でてやると、黒猫の金色の目がきゅうっと細まる。
「ふふっ」
つい、顔がほころんだ。
すると黒猫は、今度は大胆にも彼女の膝によじ登って来た。
ソファのほうが絶対寝心地がいいはずなのに、手に顔を擦りつけたまま、膝の上で動かなくなってしまう。
「………あの」
地味に重い。
けれども、とても温かい。
「なー」
のんびりと鳴く猫は、まるで彼女に「ここに居なさいよ」と言っているようだ。
これでは身動きがとれない。
けれど。
先ほどまで感じていた不安は、不思議なほどに無くなっていた。
「お待たせして、申し訳な―――」
「ぅなーう」
入って来た青年に「おい静かにしろ」と猫が鳴く。
「え。あれ。寝てる?」
彼を訪ねて来た――訪ねさせられた客人は、大きな猫を膝に乗せたまま、すうすうと寝息を立てていた。
ここ数日、気が休まらなかったのだろう。寝顔はあどけないが、顔色はあまり良くない。
「こんな可愛い子に罪を被せて追い出すとか、あいつも馬鹿だね。どちらが悪者だって?」
「なー」
猫の声に、青年は「分かってるよ」と苦笑混じりに応じる。
「もうちょっとだけ、寝かせておいてあげようか」
時間は、あるんだから。
楽しげに呟いた青年に、猫が「なーぅ」と返事をした。
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