局所麻酔1:植物毒(アルカロイド)
麻酔のない時代。
大量の強い酒を飲ませて患者を酩酊状態にした。
そして患部をノコギリで切り落とした。
そしてコカインが新大陸からもたらされた。
しかしそれは麻薬であり、依存性が高かった。
全身麻酔は筋弛緩を伴い、自発呼吸停止の恐れもある。
なんとか意識を保ったまま、除痛のみ行う薬はできないか?
麻酔についての人物の物語ではなく、麻酔そのものの物語です。
ここはドイツ商船の船医室。
船医室があるだけ、まだましな帆船だ。
キューバの海賊との乱戦のさなか、カールはひざに矢を受けてしまった。
カール「大丈夫、心配入らないよ」
だが、3日後、彼のひざはパンパンに膨れていた。
船医ヨハン「壊疽だ」
壊疽とは創から細菌が入り、毒素が筋肉組織を腐らす病気だ。
進行するとガス壊疽となり、毒素が体内を回り始める。
船医ヨハン「足を切り離さねばならない!」
カール「ひ、ひょええっ」
カールには、ラム酒を意識喪失するまで飲まされた。
当時の麻酔はこれしかなかったからだ。
船医ヨハン「おい、カール」
パンパンッ頬を強く叩いても反応がない。
ギィュ~ッ頬を強く抓っても反応がない。
船医ヨハン「よし、いいだろう……」
船大工のアドルフがノコギリ上手だったので、切断に選ばれた。
皆でカールを押さえつけ、アドルフが大腿部を切り離す。
助手が真っ赤に熱した火かき棒で血管を焼尽する。
アドルフ「5分で終わらせる!」
あっという間に鋭く研いだノコギリ刃が閃いた。
ギーコッギーコッボキッメリメリッ!
カール「お、ぎゃあああっ」
酩酊してる筈のカールがバーンと起き上がって暴れ始めた。
船医ヨハン「押さえつけろ!早く血止めを!」
ジュ~ウウッ、ジュジュ~ッ。
肉の焼ける臭いが船医室に充満していく。
「あひ、うひいいっ」「うらびゅえええっ」
カールの悲鳴がいつまでも皆の耳に残っていた。
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カールは翌日の朝がたに亡くなってしまった。
牧師役オットー「あなたは顔に汗してパンを食べ……(創世記、3-19)」
親友だったオットーが聖書から弔文を選び、詠唱した。
遺体は帆布にくるまれ、海に葬られた。
抗生物質(サルファ剤、ペニシリン等)が合成あるいは発見されるまでヒトは生体への侵襲に対して余りにも無力だった。
病原体に感染したらその定着、増殖を止める方法は無い。
ただ毒素を出し組織が破壊されるのを見守るだけだ。
また麻酔が無い為に手術は激痛で暴れ回る患者との戦いだった。
麻酔(全身麻酔)の三要素は無痛、健忘、不動だ。
ようやくこれらを得られたのは19世紀の半ばだ。
ジエチルエーテルによる全身麻酔手術が行われたのだった。
全身麻酔は中枢神経に作用し、意識が消失し、筋弛緩を伴う。
自律呼吸も停止の恐れがあり、人工呼吸器が必要だった。
人工呼吸器はまだなかった。
麻酔薬を局部に作用させ、末梢神経を遮断し、意識を保ったまま手術出来ないか?
どうしても局所麻酔薬が必要だ!
そこで目を付けられたのが植物毒だった。
植物の毒素が一部薬効がある事は古くから知られていた。
植物の葉、果実、根を生薬として絞り、または煎じて薬効を利用してきた。
ナス科の植物に含まれる植物毒。
1)植物の毒:アルカロイド
アルカロイドは微生物や真菌、植物や両生類によって産生され、多くの場合有毒だ。
植物の毒としてのアルカロイドのうち、ナス科の植物についてを以下に示す。
これらは総て「花が咲き結実し種を持つ」被子植物という分類になる。
1-a)ナス科のベラドンナ
主な毒の成分は「トロパンアルカロイド」とする有毒植物。
ベラ(美しい)+ドンナ(女性)=bella+donnaが語源だ(イタリア語)。
古くから女性の瞳孔を拡大させて美しく見せる散瞳剤として使われていた。
1-b)ナス科のチョウセンアサガオ
主な毒の成分は「トロパンアルカロイド」とする有毒植物だ。
毒性がとても強く薬草としては使われいない。
かつては鎮痙薬として使用された事がある。
1-c)ナス科のヒヨス
主な毒の成分は「トロパンアルカロイド」とする有毒植物だ。
向精神薬としての作用があり、過去に麻酔薬として使用されていた。
1-d)ナス科のハシリドコロ
主な毒の成分は「トロパンアルカロイド」とする有毒植物だ。
食べると錯乱して走り回るため、和名がハシリドコロになっている。
薬効はベラドンナと同じく瞳孔拡大が上げられる。
1-e)ナス科のコカイン
主な毒の成分は「トロパンアルカロイド」とする有毒植物だ。
コカノキから採れる麻薬で粘膜の麻酔に効力がある。
局所麻酔薬として使われるが、中毒症状がある。
現在は、麻薬に関する単一条約で所持使用が規制されている。
2)分子構造(トロパンアルカロイド)
これらの有毒なナス科の被子植物に共通のアルカロイドは分子構造が似ている。
2-a)Hyoscyamine(sometimes known as levo-atropine)
2-b)Scopolamine(known as Hyoscine)
2-c)Cokaine
この左側の骨格がトロパン骨格と呼ばれるもの(環状アミン)だ。
2-d)Tropane
これらナス科の被子植物の毒(トロパンアルカロイド)の内、コカインの麻酔作用が注目された。
しかしコカインには麻薬中毒症状があった。
なんとかして麻酔だけで中毒の少ない薬が出来ないものか?
医学者は性質と作用を知り、化学者は反応と実践を知っていた。
この2つの分野が協力し、知識を共有すればいい。
麻酔の部分と、毒の部分を切り離せる筈だ。
第2話は「分子構造」です。