代理契約
「確かに悪魔たるこの私にその力はある」
ルシエルのその言葉にキョウヤはだったらと縋ろうとするが、ルシエルは落ち着けと目で制してきた。
「残念ながら条件を満たしてはおらん」
「……条件ですか」
声の主はメローネ。
その声は先ほどに比べて弱々しくなっている。
「そもそも悪魔と契約した者が、その恩恵として死に際に魂を別世界に移すことで死を先延ばしにすること。それを、貴様ら風に言うところの異世界転移という。つまり、契約していない者を別世界へ移すことは不可能、と言うことになる」
「何とかならないのかよ」
声に覇気がないキョウヤ。
何度も期待を裏切られ。
希望を打ち砕かれたキョウヤには、もう声を絞り出すだけで精一杯だった。
「こればっかりはどうにもならん。契約しようにもあの状態ではな」
ルシエルが天井を見上げる。
そこにはただ光る糸に繋がれて浮遊している白い珠がある。
動くことも、喋ることも叶わない魂と呼ぶ存在が。
「そんな……」
キョウヤは絶望に打ちひしがれた。
しかしそんなキョウヤの耳に聞きなれない言葉が飛び込んでくる。
そしてそれは今のキョウヤにとって、希望を見出すきっかけにもなるものでもあった。
「“代理契約”」
メローネが小さく呟いた。
そして同時にルシエルの表情に小さな不快感が宿った。
「……それなら、今の彼らにも、契約は可能なはずです」
「そうなのか?」
キョウヤは確認せずにはいられない。
もしそれが本当なら、あの子達を助けられるかもしれないのだから。
「天使信仰者の分際でやけに契約について詳しいな」
「この歳にもなると、色々と耳にすることも多いもので……」
キョウヤはすかさずルシエルを問い詰める。
「おい、それならあの子達を異世界転移させることができるのか?」
瞳に光が宿ったキョウヤ。
しかしせっかく宿ったその光さえ、ルシエルは簡単に奪おうとしてくる。
「悪いが代理契約には血の繋がりが必要だ。この女とあの子達ではその繋がりはないであろう、即ち……」
ルシエルは一拍おいてからメローネではなく、キョウヤに向かって宣告する。
「不可能だ」
キョウヤの瞳が暗くなり、一筋の涙が頬を伝った。
「魂の、繋がりなら……あります」
息も絶え絶えに聞こえて来たのはメローネの声。
「この糸は、大天使様の加護により……、私の魂と、彼らの魂を、繋いでくれています……。私が、彼らの代わりに、契約は可能なはずです」
メローネの提案にすぐさまルシエルが食ってかかる。
その声には純粋な怒りが込められていた。
「調子にのるなよ人間。詐欺天使の加護が使われた繋がりを用いて悪魔と契約だと? 不快極まりないな」
「ルシエル!!」
叫んだのはもちろんキョウヤだった。
「本当にできるのか?」
「はぁ、悪いが契約者の頼みと言えど、こればっかりは聞けぬ相談だ。諦めてもらうぞ」
「あの子達を助けられるんだろ!?」
キョウヤは叫ぶ。
その方法が今、まさに、目の前にあるのだ。
「天使の力を借りてだ。それは悪魔たる私の誇りが許さん。たかだか数人の人間の命のために大悪魔たる私の誇りを穢せと言うか?」
「お前だってあの子達を見殺しにしたくはないだろ!?」
「現世での命は尽きた。あとは私自らが丁重に地獄へと連れて行く。悪いようにはせん」
「違うだろ!」
キョウヤはまたしても声を大にして叫んだ。
「俺には地獄がどんなところなのか知らない。けどそれがあの子達の幸せになるのか? 生きてこその幸せだろ! なあ! 頼むよルシエル!!」
キョウヤの心からの言葉を、しかしルシエルは鼻で笑った。
「は、自死を選んだ契約者が生の喜びを語るとは片腹痛いな」
確かにそれを言われるとキョウヤには辛い。
しかしあの子達と自分とでは違う。
彼らは望まぬ形で命を奪われた。
自ら望んでのものではない。
何とかできるならしてあげたい。
それがキョウヤの想いだった。
言葉に詰まるキョウヤに、ルシエルは小さくため息を吐いた。
そして、駄々をこねる子供に投げかけるように優しく言葉を続けた。
「だがしかし、契約者の頼みであるなら私が断ることはできん。なにせ、契約者は私の契約者なのだからな。契約者の願いを叶えるのは契約した悪魔の務め。ならば、契約者の願いを叶えるのが私の務めとも言える」
「……ルシエル」
「とは言っても、彼らを救うために必要な儀式は貴様が執り行わなくてはならんがな」
そこでルシエルはメローネを見た。
「代理契約で貴様が私と契約するならば、必要なものがある」
「……生贄、ですか?」
「理解が早くて助かる」
「私の命なら、好きしていただいて……構いません」
「自惚れるなよ」
ルシエルはメローネの言葉を切って捨てた。
「貴様程度の命を差し出したところで割りには合わん」
「なら、どうすれば……」
「天使を呼べ」
「天使、ですか……?」
「祈りに応えるのは天使の役目。貴様が願えば守護天使が必ずや現世に降りてくる。その天使の命を持ってして、契約成立としよう」
ルシエルの提案に対して、メローネが申し訳なさそうに口を開く。
「……今の私には、かつてほどの信仰心が……ありません。おそらく、来ていただくことは、不可能でしょう。何か他に……」
「ない。それ以上この契約に相応しい生贄を貴様は持ち合わせておらん。できぬのなら契約は不成立だ」
何も言えなくなってしまったメローネ。
そんなメローネに変わって口を開いたのはキョウヤだった。
「ルシエル、俺は契約のことについて詳しくは知らない。けど、おかしくないか?」
「何がだ?」
「天使は祈りをすれば助けてくれるんだろ? なのにどうして悪魔には生贄が必要なんだ?」
「儀式だからだ。力を得たければそれなりの見返りを差し出す。等価交換だ」
「けど俺の場合は何も差し出してないぞ」
「契約者には代わりに私の望みを叶えてもらっている。天使を地獄に落とすと言う願いをな」
「じゃあお前の願いが叶えばいいんだろ?」
「この人間には私の要求に応えられるだけのものを持ってはおらん」
「なら俺がメローネさんの代わりにお前の望みを叶えるよ」
「契約者よ、契約者はこの女だ。それは聞けぬ相談だ」
「望みが叶えばいいだろ!!」
キョウヤはルシエルを睨みつけながら叫んだ。
「メローネさんの代わりに俺が頑張るよ! それでいいじゃねぇか!?」
「だとしても契約者は……」
呆れるようにメローネを見るルシエルにキョウヤの叫びは止まらない。
「つべこべ言わずにやってくれよ!!! 天使を地獄に落としたいなら俺が全部叩き落としてやる!! メローネさんの分も!!! それならお前も満足だろ!! だから、頼むよ……」
キョウヤの頬に再び涙が伝う。
「言うは易し行うは難し。今の契約者にまず無理だ」
人間の涙に興味はないかの如く、悪魔の言葉は無慈悲だった。
「ならこれから強くなればいいだろ。お前の言葉が実現できるぐらい強くなってやる。お前の願いを全部叶えられるぐらいに。それならどうだよ!!」
力強くルシエルを見据えるキョウヤの瞳に赤い輝きが宿った。
同時に呪詛がキョウヤの身体を取り巻くように溢れ出す。
胸の刻印は溢れんばかりに輝き、そしてそれはルシエルの刻印も同じだった。
ルシエルがキョウヤを見ながら瞳を見開いた。
そして満足そうに頬を緩ませるとキョウヤに向かって優しく語りかける。
「契約者よ、今言ったことに偽りはないか?」
「天使を全部地獄に叩き落とすって話か?」
「ああ、そうだ」
「もちろんだ。俺がお前の望み全てを叶えてやるよ!」
そこまで聞いてルシエルは降参するように小さく息を吐いた。
「ふぅ、特例だ」
「え?」
「今回だけの特別措置だ。本来ならあり得ないのだぞ」
キョウヤはルシエルの言葉の意味を頭の中で反芻すると、遅れて言葉の意味を理解した。
「じゃ、じゃあ!」
「契約成立だ。彼らを助けよう」
「ルシエル!」
思わずルシエルに向かって駆け出そうとするキョウヤに対して、幼い悪魔は手で自制を促した。
「ああ、待て。幼女への熱い抱擁は後にしろ。肝心の契約者の命が尽きようとしている」
そこでキョウヤは気付いたが、メローネを中心に溢れている鮮血は自分の足元にまで達していた。
とても今生きているのが不思議なほどに。
「ルシエル!」
「わかっている、取り敢えず契約者はそこでじっとしていろ」
ルシエルはメローネの元まで歩み寄ると、もう目を開く力もない彼女を見下ろした。
「喜べ、あの子達を別世界に移してやる」
「ありがとう……、ございます」
小さく口を動かすのがやっとのメローネ。
ルシエルはその場で膝をつくと、人差し指をメローネの胸の上に置いた。
「かなり痛むが我慢してもらうぞ」
メローネは小さく頷いた。
「主よ、どうかお許し下さい…………」
赤黒い魔法陣がメローネの下に現れ、そして眩い光がその場を照らした。
「あの子達は?」
何もない天井を見つめながらキョウヤが呟いた。
そこにあった白い珠は消えて無くなり、光の糸も見えなくなっていた。
「別世界へと送った。私の使い魔と契約しているからサポートは問題ない。向こうの世界で、上手くやれるだろう」
「そうか……」
キョウヤは噛みしめるようにして小さく呟いた。
しかしこれで全てが終わったわけではない。
「ありがとう……、ございました」
聞こえてきたメローネ声。
キョウヤはルシエルに確認した。
「メローネさんは助けられないのか? 悪魔と契約したんだから呪詛で何とか……」
「無理だ。私と契約と言っても、実際には使い魔程度。この傷を治すには至らない」
何となくわかってはいたが、現実を突きつけられるのは辛かった。
「それと、最後に、頼みが……あります」
「まだあるのか」
ルシエルの声には不機嫌さが伴っていた。
「イルミナとミユを、どうか、助けてやって……」
しかしメローネの言葉はそこで終わってしまった。
同時にキョウヤの足に巻き付いていた光の糸も、輝く粒子となって、風に流され消えてしまった。
悲しみの感情がキョウヤの胸に流れる。
しかしキョウヤにはそのことで感傷に浸っている暇はない。
何故ならメローネが最後に残した言葉。
イルミナとミユ。
慌ててキョウヤは周囲を見渡した。
そして遅まきながらに気付いた。
その2人の姿がこの場にないということに。




