天使信仰者の皮を被った悪魔
日が昇りきったにも関わらず、静かすぎる街。
そんな街の上空を黒い翼を揺らしながら流れるように風を切る黒い影があった。
白で埋め尽くされた街の中では一度でも目にしようものなら、騒動に発展しそうなほど、その存在はこの街では異質に見える。
幸い街の殆どの人間がある場所に集まっているせいか、誰も気付いた気配はない。
黒い影にもそのことがわかっているのか、隠れようとする素振りすらないままどこかを目指すようにして、一直線に飛び続けていた。
「契約者よ。あれで良かったのか? ただ力を奪うだけであの女の魂を狩らずにあのままにしておいて」
キョウヤは雲の下を飛び続けながらローブの中から聞こえて来たルシエルの声に不愛想に答えた。
慣れない翼の制御に集中しているからというよりかは、どちらかと言うとその話題に触れたくないといったキョウヤの表情。
「…………あそこで俺が魂まで奪ってたら、ただの人殺しだろ? あいつらと同類になるのはごめんだよ」
「しかし、連中のような人間は放っておけば同じことを繰り返すぞ。私からすれば、いっそのこと殺しておいた方が、世のためとは思うが?」
「確かにそうかもしれないけど、“世界のため”とか言って殺してたらそれこそ連中と同じじゃねぇか」
「なら、あの女のせいで無垢な子供の命が奪われた時、契約者が後悔することはないのか?」
「…………」
「すまん。意地の悪い質問だったな」
キョウヤは沈黙したまま何も答えようとはせず、ルシエルもそれ以上は何も言おうとはしなかった。
沈黙を貫いたまま先を急ぐ2人。
ただ、キョウヤは最後に誰に言うでもなく小声で呟いていた。
「何が正しいのかわかんないし、あれで良かったのかもわけんないけど、俺はあいつ等みたいにはなりたくなかったんだ。自分の都合で誰かが死ぬなんてことは……」
キョウヤは自分に言い聞かせながらも、その言葉に矛盾があることは誰よりも良く分かっていた。
殺してやりたい程、憎い。
けどその感情に従って殺すのは嫌だ。
相反する気持ちが心の中で渦巻く中、結局どちらに振れるかはその時の気持ち次第だ。
さっきは辛うじて理性を保つことができた。
けどあれ以上の負の感情に支配されたらその時は…………。
例えば妹を死に追いやった奴が目の前にいたら?
キョウヤは意識して考えないようにした。
そんなことを今考えたところでどうしようもないから。
感情が爆発しそうになっても理性で抑える事は可能だ。
何故なら今までがそうだったんだから。
けど、抑えたところで結果、それが望む結末につながるとは限らない。
抑え続けた結果が“今”なんだから。
アイリスと名乗っていた少女に対しても、自分の選択が正しかったかなんてわからない。
ただ、何もせず我慢をするのは嫌だ。
だからアダマスを振るった。
殺したいという欲求に気持ちが振り切れないように押さえつけて。
気持ちがあっても中々行動に移せなかった過去の弱い自分。
それに比べれば少しは強くなったかな。
キョウヤは前向きに考えつつ自嘲気味に笑ってみせる。
そして暫く飛び続けていると、目的の場所が眼下に見えてきた。
崩れ落ちた建物が数多くある中で、比較的マシな建物。
キョウヤが今朝出たばかりの孤児院だった。
みんなは無事か?
早る気持ちを抑えようともせずに、扉の前へと降り立ったキョウヤ。
ルシエルも黒いローブから、1人の少女の姿に戻ると、その横に並ぶ。
そしてドアノブに手をかけて扉を少し開けたところで、キョウヤはピタリと立ち止まってしまった。
濃密で生臭い鉄の匂い。
ここから先は決して開けてはいけない。
キョウヤの本能がそう告げていた。
しかし、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
何故ならこの先には守りたい存在がいるのだから。
キョウヤは意を決して中へと足を踏み入れた。
本能に抗うと言うことが自分の心にどういう影響を及ぼすのか、そんなこと、わかりきっていたのに。
その後、キョウヤは自分の弱さを思い知ることになる。
昔と比べてこれっぽっちも強くなんてなってない。
抑える事の出来ない圧倒的な負の感情。
理性を払いのけて欲求に振り切ってしまった自分の心。
人であること忘れて我を捨ててしまった、脆くて脆弱な自分。
“自分の都合で誰かが死ぬなんて嫌だ”。
どの面下げてそんな戯言を言っているのか。
理性と理想が吹けば飛んでしまう程、薄っぺらいものだったことをキョウヤは知る。
“殺してやりたい”。
これまで何度も芽生えたその感情を今までは必死に抑えつけて来た。
アイリスに対しても抑えつけながらも戦うことには成功していた。
しかし力を振るう、それも理性を保ちつつ自分の意のままに。
それがいかに大変な事か、立ち向かうことを覚えたばかりのキョウヤには、まだまだ難しかった。
生まれて初めて自分を支配する感情に、キョウヤは絶望し、同時に歓喜した。
もう、抑えなくてもいいんだと。
そして今の自分が悪魔と契約していることを心の底から感謝した。
昔の自分には無かった圧倒的な力。
それを躊躇なく振るうだけの決意と意思。
それだけあれば、自分の都合で人の幸せを奪う存在に存分に後悔させてやることも可能だったから。
例え自分の都合でそいつらを、殺すことになろうとも……。
街の最端に位置する崩落街。
そこで唯一穴の空いていない建物がある。
中にいるのは10人程の幼い子供と1人の少女。
子供達は誰にも迷惑をかけずにここで生活を送っている。
自分達が近くにいれば、周りの人間が不快な思いをすることを知っていたから。
それでも自分達を支えてくれる人間がいることに、彼らは幼いながらも感謝していたし、今を存分に楽しもうと必死でもあった。
そんな彼らの元を訪ねるのは、同じ境遇の人間か、もしくは彼らを疎ましく思う者のどちらかだろう。
そして追いやられた人間の元に駆けつけるのは、いつだって後者が先であり、救いの手は必ずと言っていいほど遅れてやってくる。
後は間に合うか間に合わないかの違いだけ。
ガチャ。
部屋で大人しく遊ぶ子供達を微笑ましく見ていたイルミナの耳に届いたのは、突然の訪問者を知らせる扉の開く音だった。
「誰かしら?」
イルミナは子供達に悟られないようにこっそり部屋を出ると、急いで玄関へと向かった。
「シスター? それともミユが見つかって帰ってきたのかしら?」
相手がメローネならそれはそれで喜ばしいことだが、もしかしたら悪魔とその契約者の少年である可能性もある。
子供達が知ったらまた引き離すのは大変だ。
イルミナは子供達から離れた場所にどうやって誘導しようか、そんなことを考えながら扉の前まで来たが、しかし予想外の組み合わせにイルミナは驚きの声を上げた。
「メローネさん!? それにミユも!!」
息も絶え絶えなメローネの胸に抱きかかえられている幼い少女。
眠っているのか動く気配はない。
「イルミナ、今すぐあの子達を集めてちょうだい。すぐにここを出ます」
切羽詰まった様子のメローネ。
だが、イルミナはあまりに突然な話に全くついていけないでいた。
「え、出るって、今からですか?」
イルミナの疑問。
しかしメローネは答える気がないのか同じく疑問で返した。
「あの少年はどうしてますか?」
言われてイルミナは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あ、それなんですけど……、実はミユを探してもらうためにここを出てもらってまして、だから今は……」
「……そうですか」
「すいません! 引き留めるようお願いされてたのに、私……」
「いえ、今はそちらよりも、差し迫った問題があります、まずは一刻も早くここから出ましょう」
「え、でも、聖騎士の人はどうするんです? ここに呼ぶんじゃ」
「聖騎士は駄目でした。あれは……」
「やぁ、こんにちは」
突然背後から聞こえてきた気さくな男の声に、メローネは一瞬で顔を青くした。
逆にイルミナの表情は笑顔が咲いたように明るいものへと変わる。
腰に差された煌びやかな鞘。
それだけで男がどういった存在か気付いたんだろう。
「あ、来てくださったんですね!」
イルミナは安堵するようにホッと胸を撫で下ろした。
イルミナが笑顔を向けた先を、おそるおそると振り返るメローネ。
そこにいたのは、
「アロン! どうして貴方がここに!?」
メローネは抱えていたミユをイルミナに預けると、2人を隠すようにして一歩前へと出た。
ターバンを頭に巻いた天使信仰者、アロンは、メローネの後ろにいる2人を面白そうに見つめている。
そして、困惑した様子のイルミナに向かってアロンが声をかけた。
腰にぶら下げた剣の柄を握りながら。
「日に何度も自己紹介をするのは面倒なので省かせてもらうが、私はこういうものでね」
「!!!!!!!!」
アロンがまるで挨拶するかのような気軽さで、メローネの胸に剣を突き刺した。
「え?」
イルミナは重い水袋を突き破ったような鈍い音に呆然としながらも、崩れ落ちるメローネと、溢れ出す鮮血で赤く染まる十字架のネックレスを見てようやく何が起きているのかを理解した。
「メローネさん!!!!!」
ミユを抱いたまま慌てて駆け寄るイルミナ。
持っていた十字架のペンダントを取り出すと、すぐさま祈りを捧げ始める。
「我らが父なる主よ、どうか救いを求めし者に神のご加護を……」
アロンは懐から取り出した白い布を使って剣先から滴る赤い雫を刃先に添わせながら拭き取ると、血に埋もれるメローネと祈りに集中するイルミナの間にその剣を差し込んだ。
「……っ!」
イルミナが小さく息を呑む。
目の前に現れた刀身に映るのは絶望に顔を引きつらせる自分の顔。
血生臭い匂いが鼻腔の奥をつくと自然と奥歯が鳴った。
刃先がゆっくりと自分の胸へと向けられる。
正確には腕に抱いたミユに向かって。
「今は祈りを捧げる時間ではない。言ってることは、わかるかな?」
イルミナはアロンの脅迫に口を閉ざすしかなかった。
震える体はこれ以上ないほど恐怖に支配されている。
逆らえば殺される。
そして、逆らわずとも殺される。
イルミナは嫌でも聞こえるアロンの言葉を聞いてそれを確信した。
ゆっくりと、まるで一言一言を刻み込むような頭にこびりつく話し方。
「さて、君の血は穢れているのかな? それとも祈り子様のお言葉に背きし背信者かな?」
イルミナは心の中で必死に祈りを捧げ続けていた。
どうか悪魔から自分たちをお護り下さいと。
天使信仰者の皮を被った悪魔。
そう呼ぶに相応しい男がそこにはいた。
あれ、この先の展開ってヤバいんじゃ……。
そう思わせるフラグをビンビンに立てまくり、かつ以前にも張った物騒な伏線を回収しようとしている恐れ知らずな筆者。
あまり書くとアレなので、一言だけ。
自分はバッドエンドが嫌いです。
こんな重めの設定使っておいて今更ですが、どうかここで見切りはつけないで。
もう一山超えれば書きたいシーンにも届くんです。
あと、ブクマありがとうございます。
励みになります。
ではまた3日以内に……。




