悪魔憑依
「我らが主よ。どうかこの罪深き者に、神のご加護を!!」
男が構えていた長剣を勢いよく振り下ろした。
纏っていた光は巨大な刃となってキョウヤへと襲い掛かる。
成す術がないキョウヤ。
そして光がキョウヤを貫こうとする寸前だった。
「やっと扉が開いたか」
呑気な声と共にキョウヤの体から出て来たのはルシエル。
「やれやれ、鬱陶しい加護だな」
ペシ、とルシエルが光の刃を軽くはたいた。
それだけで男の放った一撃は薄いガラスを割ったように粉々に砕け散ってしまった。
光の破片がキラキラと舞っている。
静寂で満たされる教会。
誰一人何が起きたかわからずに、ただ茫然とキョウヤを見つめていた。
ルシエルの姿が見えないのか、人々は何が起きたのか理解できないでいるようだ。
しかし天使には見えているのか驚いた様子でルシエルを見ていた。
キョウヤは目の前に現れた悪魔の少女の登場にハッと我に返る。
「ルシエル!? お前今までどこ行ってたんだよ!? こっちは色々と大変だったんだぞ!!」
「私のせいではない。契約者の魔力源となる刻印の扉がずっと閉じたままだったのだ。私がこちらに来たくとも扉が開かなければ出る事が出来ん」
「魔力源……? じゃあそれが今開いたのか?」
「ああ、まさかゼロからスタートとは思わなかったがな。今の感じを忘れるな。それが全てにおいての基礎となる」
「そう言われてもどんな感じかイマイチわかんないんだけど」
「何に憎しみを感じた?」
ルシエルの言葉にキョウヤは思い出した。
天使をどうしてやりたかったのかを。
「ルシエル、俺……!」
皆まで言うなとキョウヤの言葉を手で制するルシエル。
「刻印で契約者の気持ちは伝わっている」
「だったら、これをほどいてくれ! あいつらをぶっとばさなきゃ気が済まねぇんだよ!!」
「落ち着け。扉が開きたての契約者ではどうにもならん」
「なんだよそれ!? だったらどうするんだよ!?」
「私が契約者に代わって、あのふざけた天使に地獄を見せてやろう。本物のな」
天使に目を向けてニヤリと口元を吊り上げるルシエル。
そしてルシエルがキョウヤの刻印に手を触れた。
すると刻印が赤く輝き始める。
「え! ちょ!? 何するつもりなんだよ!?」
「契約者の体を少し貸してもらうぞ」
言うが早いか、刻印に触れていたルシエル手がキョウヤの中へと呑み込まれて行く。
契約した時に自分の体を使って現世に干渉するとは言っていたが、いきなり今この場でと言われるとさすがに及び腰になるキョウヤ。
「ま、待てって! いきなりはちょっと緊張するし、ほ、他に方法はないのか?」
「何を乙女みたいなことを言っている。男だろ。その時が来たなら腹を括れ。あいつらを一発殴りたいのだろ? 殺してやりたいほど憎いのだろ? であれば、それぐらい我慢してみせろ!」
キョウヤに活を入れるルシエル。
ルシエルの言葉にキョウヤがハッとなる。
「そうだ。俺はあの天使をぶっ飛ばしてやりたい。そのためにはルシエルの力が必要なんだ。女々しい事なんて言ってられない」
キョウヤは悪魔にその身を委ねる事を決心した。
「わかったよ、少しぐらいなら……」
「じゃあ借りるぞ」
言うが早いかルシエルはキョウヤの体に頭を突っ込んで無理矢理潜りこもうとする。
「ちょ!? そもそも悪魔に乗っ取られてオレの体は大丈夫なのか!?」
「その辺は問題ない……。ただ、少しだけ魂を侵食するだけだ」
何故か最後の方は小声のルシエル。
「おい、今すっごく大事なことを言わなかったか!?」
キョウヤの質問をサラッと流して体に入ろうとするルシエルに、さすがにキョウヤが噛みついた。
「いいからつべこべ言うな。後でちゃんと説明してやる!」
「ちょ、待てって! 何か、もの凄く不快な感じがするんだけど……!!」
「慣れだ慣れ……、おい! 力を抜け!! 体が入らん!!!」
上半身だけキョウヤの体に収まったルシエルは、足をジタバタさせながら無理矢理入ろうとする。
一方キョウヤは込み上げてくる吐き気と悪寒に力を抜くどころではなかったが。
それでもルシエルはどうにかキョウヤの中へと無事に収まることに成功した。
キョウヤの瞳に宿った赤い輝きが強さを増す。
頭に響くルシエルの声。
「気絶していろ。その方が楽だ」
言葉と同時にキョウヤの意識は途絶えてしまった。
女神像の前で縛られたままぐったりとするキョウヤ。
人々の目には、一人喚き散らす今のキョウヤはただ頭のおかしくなった痛い人に見えていた。しかし、天使二人にはしっかりと一部始終が見えていた。
「おい、悪魔が憑依したぞ。しかも知性のあるタイプだ」
「問題ないだろ。見たところ知性はあってもまぬけな感じだし」
キョウヤの頭が不意に持ち上がる。
瞳には炎のような赤い輝き。
ぎゅっと手を握る。
すると縛っていたロープに黒い炎が灯り、いとも簡単に焼き切ってしまった。
支えるものが無くなったキョウヤはそのまま落下してしまうかと思われたが、落ちるどころかその場に浮遊している。
教会にいる全員の視線が息を呑むようにしてキョウヤに注がれる中、突然キョウヤが黒い炎に包まれた。
何が起こっているのか理解できない人々。
下で立ち尽くしたままの男二人も呆然とそれを見ている。
しかし、天使の一人には何が起きているのか理解しているのか、額には一筋の汗が流れ落ちていた。
「おい、なんだよあれ? あんな憑依見たことも無いぞ!?」
「……完全憑依だ」
「何だよそれ?」
「契約者の肉体ではなく、魂に憑依することをそう言うらしい。私も見るのは初めてだ」
天使の声が僅かに震えている。
やがて炎の中からルシエルが姿を現した。
黒く長い艶やかな髪に漆黒の黒衣。
潤いを孕んだ唇と、炎を宿した鋭い瞳。
そして黒い炎が背中から溢れ出し、やがて大きな漆黒の翼を形作る。
天使とは対照的なその姿は正に悪魔そのものだった。
人々は目を見張るようにして悪魔を見ている。
しかしその目に恐怖や畏怖はなく、どこか女神の降臨を目にしているかのようなそんな表情だった。
ルシエルが大きく深呼吸をする。
「やはり生身の器で感じる空気は気持ちが良いな」
目を閉じて清々しい表情のルシエル。
そして下で自分を眺める人々を無視して、ルシエルは腕を組みながら二人の天使に目をやった。
「はてさて、会うのは百年振りと言ったところか。久しぶりだな、清き正しき天使諸君」
呼ばれた二人の天使はしかし、何も答えずただ黙ってルシエルを見ていることしかできないでいる。
「契約者の中から聞かせてもらっていたが、まさか事故を装って好みの信者を連れ帰ろうとは、さすがの悪魔もびっくりだぞ」
馬鹿にされている事に気付いたのか天使が声を荒げる。
「ふざけるな! 悪魔風情が我々天使を愚弄する気か!?」
しかしルシエルは無視して言葉を続ける。
「祈りを捧げる信者に私利私欲で加護を与えるなど、天使も成り下がったものだな」
ルシエルがふう、と溜め息を吐く。
「貴様! またしても侮辱するか!?」
「そんな成りでも天使としてのプライドはあるんだな」
天使の二人に怒りの表情が浮かぶ。
更にルシエルが続ける。
「祈りを捧げれば救われるというが、これでは詐欺もいいところだ、全く」
「おのれ!!」
今にも飛びかかりそうな二人の天使。
そんな二人にルシエルが不敵に笑う。
「では始めるとするか」
ルシエルの赤い瞳が強く輝き、黒い炎が体を渦巻く。
「仕置きの時間だ。詐欺天使共」
悪魔の少女の顔に悪魔の笑みが浮かび上がった。