掟とルール
「おい、さっきのは一体どういうつもりだよ?」
荷物が雑多に置かれた部屋の中にあるベッド。
キョウヤはその上でシーツを被った小山に向かって若干の苛立ちを込めながら問い質した。
「明日の朝には出るって言ってたのはお前だろ?」
シーツはじっとしたまま動かない。
「あの黒い槍と十字架に何か意味でもあんのか?」
しかし槍と十字架という言葉にシーツがピクリと反応した。
「命を使って無理やり喋らされたいのか?」
キョウヤの脅しにシーツの中から黒い髪と赤い瞳を宿したルシエルが、もぞりと顔だけを覗かせた。
その瞳はどこか悲しそうに揺らいでいるようにも見える。
あれから2人はイルミナのお願いに対して結局応じる形となって今に至っている。
イルミナのお願いは主に2つ。
もうしばらくこの孤児院にいてほしいこと、そして子供たちには極力近づかないこと。
理由は子供たちを良くない目で見る信仰者から守ってほしいから。
もう1つは悪魔が傍にいるとその匂いが染みついて信仰者から狙われやすくなるから、というもの。
どちらもイルミナの時間稼ぎによる適当な嘘だということはルシエルによって見抜かれていた。
しかし、にも関わらず、そのお願いを聞き入れることを了承したのも、またルシエルだった。
まともな説明もないままにキョウヤはイルミナにルシエルの意思を伝えさせられ、そして肝心のルシエルはそのままベッドの中へと潜り込んでしまった。
流石にどういうことなのかを、言葉を交わさずとも察することができる程ルシエルのことを知らないキョウヤは、多少強引にでも今の状況を説明させようとしていた。
ルシエルは隣に立つキョウヤを見もせずに天井に視線をやったままポツリと呟く。
「あの十字架は、かつて私が直々に刻んだ『韻影印』と呼ばれるものだ」
ルシエルの言葉を受けてキョウヤが首を捻った。
「ん? てことはお前、あの女と会ったことがあるのか?」
「いや、会ったのはあの女ではない。正確には100年前にあの女と血の繋がりのある者だ」
要領を得ないルシエルの説明にキョウヤは不満気にルシエルを見下した。
「何がどういうことなのか、説明はしてもらえるんだろうな?」
ルシエルはしょうがないといった感じで、シーツから出てくると元気のない様子でベッドの端に腰かけた。
そして暗い表情のまま語り始めた。
「今から100年前になる。悪魔崇拝もまだ盛んだった頃の話だが、まぁその時に色々あってだな、詐欺天使供とは現世を舞台に争いの真っ只中にあった。そして暫く膠着状態が続く時期があり、私はそれを打破するためにもある決断を下したのだ」
ルシエルはうなだれたまま言葉を続ける。
「私に忠誠を誓う数人の悪魔崇拝者を天使信仰者側に内通者として送り込むことにしたのだ。選んだのは悪魔と契約したこともなく、呪詛も持たない忠誠心の高い悪魔崇拝者たち。当然ばれれば簡単に死ぬことも許されんだろう。それでも単身乗り込む決意をしてくれた者に、私はあるモノを送った」
「それがさっきの韻影印とやらか」
「そうだ」
「呪詛を使わずに魂へ刻んでいるため、天使やその信仰者にばれる心配もない。加えてある条件を満たせば悪魔崇拝者であることも分かる仕組みだ」
それを聞いたキョウヤは満月に照らされて浮かび上がった2本の槍を思い出していた。
「あれは謂わばマーキングのようなものだ。私に忠誠を誓い、危険を承知で天使と戦おうとした者への贈り物。もしもこの先、其方に何があろうとも一族の面倒は私が見ると約束したその証。そして……」
ルシエルは窓の外へと目を向ける。
暗くてよくは見えないが、きっと見るも無残となった街の風景を思い浮かべているのだろう。
「争いの結末は見ての通り、我々悪魔は天使に敗れ、追われる身となった。その時あちら側に残された悪魔崇拝者がその後どうなったのかはわからん。迎えに行くことができる人間もおらず、帰る場所もない。もしかすると、仲間の後を追って死を選んだ者もいるかもしれん。もしくは天使により籠絡された者もおるかもしれん」
ルシエルの申し訳ないといった気持ちが刻印を通してキョウヤにも流れ込んで来る。
「ともあれ、あの十字架と槍の韻影印を持つということは、かつては私に忠誠を誓った者の血族であることは明白だ。なら私は“掟”に従い、あの者の願いを叶えなければならぬ義務がある」
「掟?」
「契約者にこの辺りのことを話してはいなかったな」
ルシエルは自分の胸の上にそっと手を添えた。
するとキョウヤと自身の刻印がぼんやりと輝き始める。
「現世に器を持たない我々悪魔、そして天使にはこの世界において逆らうことのできない、とある決まり事がある。それがどういった力によるものなのかは私にもわからん。ただ、絶対的な何かによって我々は縛られているといってもいい」
ルシエルは明滅する自身の刻印を大切そうに愛でながら話しを続ける。
「この力のことを天使は“ルール”と呼び、我々悪魔は“掟”と呼んでいる」
ルールという言葉にキョウヤはボロボロの教会で2人の天使が不満そうにぼやいていた姿を思い出した。
“ルールだから途中で帰れない”、と言っていた姿を。
「大小様々な縛り事がある中で、我々は現世にいるわけだ。例えば天使側で言えば、加護を与えた人間には、その者の祈りに対する行いが終わるまで還ることは出来ぬし、悪魔側では韻影印を授けた相手の願いは実際に契約した者と同様に願いを叶えなければならない、といったものがある」
「てことは、あの女にも俺と同じで、命が使えたりするのか?」
「それに関しては契約者にのみに与えられている“権限”だ。まあ、今回の相手はその血縁者であるだけで、直接私が贈ったものではない。それゆえ、そこまでの拘束力がおるわけではないが、それでも私はあの者の願いに対して応えなければならぬ義理がある」
そこまで言ってルシエルの瞳が哀しみで彩られると、同時に悔しそうに奥歯をギリリと噛みしめた。
「例え、先程あの女の言ったことが目に見えた嘘で、私を浄化するための時間稼ぎであろうともな」
「お前、それじゃあ黙って浄化されるつもりなのかよ!?」
「そんなつもりはない。勿論危うくなれば逃げることを第一とする。そこまでの義理は無いからな」
「じゃあ取り敢えずはここに残るのか?」
「ああ、とにかく後数日いたところで問題はないだろうからな」
ルシエルの一連の説明を聞いたキョウヤは、頭を掻きながらシーツの中へと潜り込んだ。
「事情はわかったよ。だったら今日はもう寝ようぜ。向こうに何かしらの思惑があるなら体調は万全にしといた方がいいだろ」
「……そうだな」
そう言うと、ルシエルもそのままキョウヤに寄り添うようにして再びシーツの中に入ってきた。
「おいくっつくなよ」
「いいではないか。今日は契約者にくっついて寝ていたい気分なのだ」
「寝ていたいって……。だいたい悪魔に寝る必要なんてないだろ?」
「睡眠欲求自体はないが、契約した者と行動を共にするというのは刻印の繋がりを強めるためには必要とされている」
「繋がりが強くなったらどうなるんだ?」
「契約者に憑依しやすくなる」
「てめえ!! だったらどっか適当な場所で寝てろよ!! これ以上お前が有利になるようなことは無しだ!!!」
「そんなこと言わずに、契約者にとっても悪い話ではないのぞ。例えば寝ている無防備な私を好き勝手に弄ることも……」
「よしルシエル、命だ。お前今日は外で寝てろ」
「あぁ、どうしてだ! 私は契約者が喜ぶと思ってだな……!」
「すぐにそういう方向に話を持って行こうとするお前が悪い」
「わ、わかった! 私が悪かった、だから今日だけは契約者の傍で寝かせてほしいのだ!!」
「……そこまで言うなら構わないけど、変な気は起こすなよ」
「それは私のセリフではないのか?」
「勝手に憑依はするなって意味だよ!……って、あ! おい! 抱きついてくんなよ!!」
「よいではないか。ただ、寝るまでの間こうしていたいのだ」
「……はぁ、わかったよ。好きにしろ」
子供たちが雑魚寝する大部屋。
イルミナは十字架が刻まれた小瓶を手に持ち、中に入った透明の液体を部屋の各所に少しずつ撒いていた。
撒いては祈りを捧げ、それを繰り返す。
やがて小瓶が空になるとイルミナは満足そうに寝ている子供たちを見渡した。
「おやすみなさい。いい夢見てね」
小声で優しい笑みを浮かべた後、部屋を出ようとするイルミナだが、しかし背後から聞こえて来た声にイルミナは立ち止まった。
「お姉ちゃん」
「あ、起こしちゃった」
振り返るとそこにいたのはミユだった。
寝起きなのか目をしばしばさせながらこちらを見ている。
「ママはまだ帰ってこないの?」
不安そうなその声にイルミナはミユの元までゆっくりと歩み寄ると、視線を合わせるようにして身を屈めた。
「メローネさんは大切な用事があってまだ帰ってこれないみたい。今日はお姉ちゃんが一緒に寝てあげるから」
「うん」
イルミナに手を引かれて自分が寝ていた場所へと戻るミユ。
一枚の布団に数人の子供たちが隠れるように身を納めている。
イルミナはミユを寝かしつけた後、そっと部屋から出ると扉に背中を預ける。
そして子供たちの前では見せなかった不安な表情をその顔に浮かべた。
「……メローネさん」
十字架の韻影印がある場所にそっと触れながら震える声で今はここにいないシスターの名前を呟いた。
子供たちの前では我慢することができた。
自分が不安になれば、子供たちにもそれ伝わることがわかっていたから。
気丈に振る舞うことには慣れている。
けど、我慢する必要が無くなると、どうしても震えが止まらなくなる。
今、一つ屋根の下に悪魔とその契約者がいる。
しかも一度この世界を滅ぼそうとした悪魔が。
もしかしたら今は見えないだけで、自分のすぐ目の前にいるのかもしれない。
そう考えるだけで今にも泣きたい気持ちで一杯だった。
けど、今の自分にはそんな弱音を吐いている余裕はない。
聖騎士が来るまでの間、自分が彼らをここに引き留め、同時に子供たちを守らなければならないのだから。
子供たちを間違った道に進ませるわけにはいかない。
悪魔は許される存在ではない。
イルミナは月明かりに照らされる韻影印を指が食い込むほど強く握ると、満月に向かって鋭い眼差しを向けた。
そして自分に言い聞かせるように、祈りを捧げた。
「大丈夫。私ならできる。だからどうかこんな私に力をお貸しください。……天使様」
そして次の日の朝。
キョウヤたちのいる街にとある一団が到着した。
白いローブを身に纏い十字架をぶら下げた集団。
小柄な少女を中心に、その周りを取り囲む屈強な男達。
全員が腰に剣を携えている。
煌びやかな装飾の施された鞘はそれだけで彼らが特別な存在であることを窺わせる。
まだ起きる気配のない静かな街。
一団の先頭を歩いていた男が、不意に立ち止まると振り返りながら軽く頭を下げた。
その先にいる小柄な少女に向かって。
「こちらが次なる巡礼地でございます。“祈り子様”」
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