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少女たちは青春を刻まない  作者: 赤羽 翼
ダブル・ショック
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桂川美濃の夏休み

 夏休みだ。長い長い一学期が終了し、ようやっと素敵で嬉しい夏休みが訪れた。あたしの学校は八月一日から夏休みなので、その感動もひとしおである。中学は七月二十日くらいからもう夏休みだったから。事件に巻き込まれることも多かったため一日の密度が濃い日もあった。体感では半年くらい経った気分である。


 とはいえ、である。夏休みになったからといってやりたいこともなければ、できることも何もなかった。一緒に遊ぶ友達なんていう甘っちょろい関係の人物はおらず、うちの学校はバイト禁止のため小遣い稼ぎもできやしない。そんな校則は破ろうと思えばできるけれど、よく考えたら口も愛想も悪く、敬語も一切使わないあたしを雇う店なんてないだろうと判断してやめた。敬語も使おうと思えば使えるが、ストレスがたまるのでやらない。他人に気を遣って自分の身を削るなんてのはごめんだ。


 そんなこんなで、長い夏休みをどう過ごそうか悩んだ末に、あたしはバイクの免許を取ることにした。もちろんバイクなんて持ってなければ乗る気もない。けど暇だったのだ。


 免許を取ると決めたはいいけど、一つ問題があった。田舎というかなんというか、市内に車校しゃこうがなかったのだ。それほど田舎田舎している田舎というわけではないのだが、何故かないのだ。ふざけているとしか思えない。


 このことを知ったとき萎えて免許取るのやめようかと思ったけど、無料で隣の市の車校まで送迎してくれるバスがあると知って溜飲を下げた。


 と、いうわけであたしは現在、車校にて自販機で買ったコーラを飲んでいた。


「もうちょい背がほしい……」


 思わず心の声が漏れてしまう。身長が足りなくて運転に苦戦しているわけではない。けれど背があった方が格好がつく。今後乗る予定はないけれど、でもどうせなら格好いい方がいいだろう。一六〇とまではいかなくとも、一五七センチくらいはほしかった。あと五センチくらい気合いで伸びそうなものだけど……。


 身長の話はともかくとして、あたしは物覚えも要領もいいからこの分だと免許取得も時間の問題っぽい。なんか別の資格とかも取ろうかしら。けど別に欲しい資格もやりたいこともない。はーあ、目の前で殺人事件とか起きないかしらね。巻き込まれるのは面倒っちゃあ面倒だけど、結構楽しいし。というか普通に楽しい。あたしは頼まれると断りたくなるけど、変なことに自分から首を突っ込むのは割と好きだ。


 だけど実際問題そう簡単に殺人事件なんて起こりはしない。たぶんあれはアスマが引き寄せているのだろう。


 スマホで時間を確認する。送迎バスの時間まで結構ある。そういえば、とふと思い出す。地元から越してきて一年以上経つけど隣の市――今あたしがいる市――を散策したことがなかった。いい機会だし、ちょっと探検してみようかしらね。


 ……みたいな感じで町へ繰り出したわけだけど、三分で後悔した。暑い。八月なんだから当然である。

 建物から出た途端に汗が吹き出てきて、あっという間に服の内側がベトベトになった。自分の汗がかなり不快だ。


 服の襟を摘まんでパタパタと服の内側の空気を循環しながら歩く。暑さに加え、見知らぬ土地で迷わないように少し神経を使っているので、更にストレスもたまる。太陽の野郎、地球温暖化だからって調子に乗っているようだ。あたしが中学の頃だったらシメてるわね。


 馬鹿なことを考えつつどこか涼めそうな場所を探す。スーパーでもいいし図書館でもいい。しかし車校が丘の上にあった関係上、町中に降りるまで目立った建物がそもそもなかった。


 歩きながら町の様子を見回す。田舎度合いで言ったらあたしの住んでるとことどっこいどっこい。要は普通の田舎町だ。町の部分は文句なしに町ってるけど、その地域から出ると畑や田んぼがちょくちょくある。そんなところだ。


 とりあえず丘の上から見て遠くにあった大型スーパーを目指そう。ついでに食材の値段が安かったら買って帰ろう。あたしはなるべく日影を歩きつつ、暑さから解放されたい一心で足早にそこへ向かっていく。


 夏休みだというのに人っ子一人いない寂れた公園の前を通りすがったとき、ちょっとした尿意に襲われた。ちょうどいい、と思って公園のトイレに立ち寄るけれど、ちょっと待てと個室の前で立ち尽くす。この暑さ……間違いなく密室の個室の中は地獄だ。暑いプラス臭いというのは、人間が生きていく上で割と最悪の状況だと思う。


 あたしはスーパーまで我慢しようと判断してさっさとトイレから出た。すると、フルフェイスヘルメットを被って全身を厚手の黒い上着と手袋、ダボついたズボンで覆った不審人物が、制服を着た女子の脇腹にナイフを刺している場面が目に飛び込んできた。……は?


 公園にあまり似つかわしくない光景に一瞬思考が停止した。これまで死体はいくつか見てきたけど、流石に目の前で人が人を刺した瞬間を見たのは初めてだ。


「あんた! 何やってんの!」


 とりあえず見過ごすわけにもいかないので不審者に向かって大きな声を張り上げた。不審者はびくりと肩を震わせ、こちらに顔を向けてくる。そいつは素早く女子学生からナイフを引き抜き、こちらに赤い液体に染まった得物の切っ先をかざしてきた。


 相手がいるのは公園の入り口付近。あたしは不審者に殺気を放ちつつ状況を分析する。距離は十メートルと少しか……。一気に詰めるには距離が離れすぎている。五メートルくらいなら不意を突けるのだけど、流石に武器を持つ相手にこの距離から飛びかかるのは危険だ。相手から仕掛けてくれれば別だが、奴はジリジリとゆっくり後退していっている。逃げに徹するつもりだろう。


 しかし、おそらく、制圧するのは可能だ。無理やり襲いかかれば掠り傷と引き換えに奴をぶっ倒せる。けど傷を負うのはしゃくだし、不審者の足元で大量の血を流しながら寝転がってる女子学生……あれは相当やばい状態だろう。人通りもないから、不審者を取り押さえたまま救急車を呼ぶことはできそうにない。とっとと不審者に逃げてもらって救急車を呼ぶのが懸命、か。


 あたしは殺気を消して身構えていた身体から力を抜き、敢えて不審者が逃亡する隙を作った。

 奴はそれを見逃さず、踵を返して公園から出ると、近くになった植木の影に隠していたバイクに乗って一本道の道路を突き抜けていった。


 あたしは女子学生のもとに駆け寄り、彼女の状態を確認する。ぐったりしているが、まだ少し息があるようだった。辛うじて生きている状態、といったところか。ポケットからスマホを取り出して119番をプッシュした。


 電話に出た男に場所――トイレに公園名が書いてあった――と何が起こったのかを説明し、警察も呼ぶように指示しておいた。

 ハンカチを取り出し、これ以上血が溢れないように女子学生を傷口に押し当てておく。


「はあ……」


 ため息が漏れた。自分の知恵が試される事件なら大歓迎なんだけど、これはただの通り魔的な事件だ。知恵を要するタイプのものじゃない。これはあまり歓迎できないわね。


 ……これじゃあたし、ただの目撃者じゃない。この暑い中、長い事情聴取をする未来を思い浮かべ、再びため息を吐いた。

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