ゴミ置き部屋
「ミノさんミノさん」
「何よ?」
アスマを無理やり引っ張りながら歩いていると、彼女が尋ねてきた。
「職員室にいくって言ったってさ、誰から何を訊くの?」
「職員室にいる教師から日曜日の加賀谷の行動を訊くのよ」
「職員室にいる教師って……もしかして手当たり次第に質問してくつもり?」
「そうなるわね」
アスマの表情が露骨に面倒くさそうになる。
「あたしの昼飯のためよ。我慢なさい」
「前も言った気がするけど、ミノのためなんて全然モチベーションにならないから」
「人情味がないわね、あんた」
「ミノに言われたくはないけど」
職員室前に辿り着くと運よく名も知らぬ男性教員が職員室から出てきた。あたしはアスマをその教員の前に突き出した。
「うわっ、とと」
いきなり押し出されたアスマは教員の前でつんのめりつつも何とかとまった。ふぅ、と一息ついたアスマがじと目でこちらを見てきたので、あたしは教員の方を顎でしゃくる。
教員は困惑の表情でアスマに視線を向け、
「えっと、何か?」
アスマはため息を吐いた
「あーっと……昨日のことなんですけど、加賀谷先生が体育館の掃除をしたんですよね? そのとき、何か変わったこととかありましたか? 加賀谷先生が誰かに何か尋ねてたとか、体育館にいく前に変な行動を取ってたとか」
「うーん……どうしてそんなことを訊くんだい?」
教員は怪訝な表情で聞き返した。アスマはあたしをちらりと見やると指を差してくる。
「あの子、加賀谷先生のストーカー擬きなんです。だから――」
あたしはアスマの尻を蹴っ飛ばした。アスマは「うぎゃあ」と呻き声を上げて廊下にのた打ち回る。
「バレー部の山中って生徒から頼まれて昨日の加賀谷の動向を探ってるの。嘘だと思うなら山中本人に訊いて見なさい」
「はあ……。加賀谷先生なら昨日、事務室にビニール紐を取りに来たよ」
事務室? そっか、こいつ事務員なのね。だから見覚えがなかったわけだ。まあそんなことはどうでもよく、
「ビニール紐っていうと、新聞紙まとめるあれよね? 何でそんなもの持っていったの?」
「倉庫にあったスポーツ誌を捨てるためと言ってたね」
「雑誌? そんなのどこにあったのかしら……」
体育館の全容を思い返すが雑誌などなかったはずだ。事務員が補足してくれる。
「色んな運動部が買ったものだよ。たまると体育館の倉庫へ運ぶんだ」
倉庫か。そこはあまり覗いたことがなかった。うちの体育館倉庫はゴミ箱代わりってわけね。……一応の情報は手に入った。加賀谷はビニール紐を体育館へ持っていっていた、と。役立つ情報かどうかは知らないけれど。
「助かったわ。じゃあ」
あたしは軽く礼を言って廊下の先に手を向けて事務員に去るよう促す。事務員は首を傾げながら怪しむようにあたしたちを一瞥して歩いていった。
「い、いきなり何するのさミノ。お尻が痛い……」
廊下で悶えていたアスマが尻をさすりつつ立ち上がり文句を言ってくる。
「あんたがいらんこと言うからよ」
「それが嫌なら今度からは自分で話しかけてよ? あー、お尻が……」
アスマは涙目で訴えた。割と本気で蹴り飛ばしたから相当痛むのだろう。
「で、次は誰に聞き込みするの?」
アスマが面倒くさそうな声音で尋ねてくる。
「そうね……そういえば、加賀谷は富野とかいう教師の代わりに掃除したって佐渡原が言ってたわね。じゃあその富野に話を訊きましょうか」
「その先生って誰?」
「確か今年度から配属された新任教師がそんな名前だった気がする。顔は憶えてないけど」
「駄目じゃん」
「誰かに訊きゃいいでしょ」
あたしは職員室の扉を少しだけ開けて中の様子を確認する。ちっ、まだ加賀谷がいるわね。流石に本人の目の前で聞き取り調査を行うのははばかられる。富野が職員室にいない可能性に賭けるしかないか。それとも廊下まで連れ出すか……。いずれにしても富野の顔を確認しなければならない。
職員室の前で誰か教員が通りかかるのを待っていると、左手からやってきた四十代くらいの女性教員が職員室へ入ろうとした。あたしは素早く呼び止める。
「ストップ!」
「……? 何か?」
教員がきょとんとした表情でこちらに首を向けてくる。
あたしは物事を円滑に進めるために敬語でいくか、自分を貫いてため口でいくかで悩んだ末、
「富野先生に用があるんですけど、顔がわからないから呼んできてもらえる?」
敬語とため口が半々くらいになった。
教員は訝しげな表情になるが、「ちょっと待ってて」と言って職員室に入っていった。
「ミノ。今の喋り方なに?」
「教員如きに敬語なんて使ってやるもんかというプライドと、口調を注意されることなく早いとこ情報を得たいという相反する心境が生んだ喋り方よ」
「そんなしょうもないプライド捨てればいいのに」
「前総長以外に敬語使いたくないのよ」
あたしが鼻を鳴らして言うとアスマは一瞬だけ首を傾げ、
「前総長……? ああ、そういえばミノって元ヤンだったね。まあ今もヤンキーみたいなものだけど」
「うっさいわね」
あたしは地元にいた中学まで『王我』という不良グループの総長だった。しかしあたしなど前総長に比べたらしょうもない存在だ。どれくらい凄い人だったのか語ると夜になるので、このあたしが尊敬しているという事実で凄さを察してほしい。
職員室の扉が開き、若い男性教員が現れた。
「俺に用があるのって、君たちか?」
どうやらこいつが富野らしい。
「ええ。正確にはあんたじゃなくて加賀谷に用があるのだけど」
「加賀谷先生? じゃあ何で俺を呼んだんだ?」
「あんた、日曜日体育館の掃除を加賀谷に代わってもらったのよね? そのとき加賀谷におかしなところはなかった?」
「質問の意図がわからないけど、別に変なとこはなかったぞ。……いや、そういえば」
「何かあったの?」
若干前のめりになって尋ねると、あたしの圧に富野は半歩下がり、
「体育館から戻ってくるの、遅かったなあって……」
「具体的にはどのくらい?」
「九時に掃除を始めて……終わったのが昼の一時とかだった。広い体育館を一人で掃除してたとはいえ、いくら何でも時間かかりすぎかなって」
「なるほど……確かにそうね」
流石に時間は長すぎる。掃除なんて言っても、モップをかけたりするくらいだろうし、全部の部屋を掃除したとしても四時間も要さないだろう。掃除の他に何かをやっていたと考えるのが妥当か?
あたしたちは富野と別れると、とりあえず事件――というほど大層なものではないが――現場である体育館に向かうことにした。アスマはぶーたれていたが無視して強引に引っ張ってきた。
まだバスケ部が練習をしていたが、それに構わずあたしたちは天井を見上げた。高さはざっと十数メートル。ボールがはまっていたのは太い鉄鋼と細い鉄骨の間だった。漢字の『二』の真ん中に○がある図を想像してもらえるとわかりやすいだろう。ちなみに『二』の下の棒が太い鉄骨、上の棒が細い鉄骨である。
「アスマ。あんただったら、あそこに挟まってたボールをどうやって取る?」
「思いつかないよそんなこと。梯子はかけるところがないし、そもそもあそこまで届く長い梯子なんて学校にあるわけない。脚立ならかけるところは必要ないけど梯子と同じく学校にない。取りようがないって」
「けど取ったに違いないのよ。偶然の可能性を消せばね」
「消さずに偶然で済ませばいいのに」
「それじゃ加賀谷の思うつぼでしょうが。犯人が加賀谷かどうかは知らないけど」
あたしは再び天井を見上げる。最初挟まっていたところからボールの位置が変わっていた、というようなこともない。ボールは天井のどこにも存在していない。
「どうやって取ったのかしらね、ほんと」
「他のボールをぶつけたとかはどう?」
アスマが指を一本立てて言った。
「そんなの、七年のうちに数多の生徒が試したに決まってんでしょ。天井にボールが挟まってる学校の風物詩よ。その中の誰も成功しなかったことを、たった一人の人間が僅か四時間でできるわけない」
「じゃあ長い棒で突くとか」
「その棒はどこにあったのよ?」
「棒高跳びに使うあれだよ」
「ポールのこと? ポールって五メートルくらいよ。流石にあそこまでは届かないわ」
「ポールを二本使えばいいんじゃない? ガムテープか何かで端同士をくっつければ十メートルになるし」
「天井までは十メートルとちょいメートルはある。それでも届かない」
「そこに更に物干し竿を連結させるんですよ」
「届きはするけど、持ち上げられないでしょ。真ん中持つならともかく、長さを維持するためには端を持たなきゃいけないし」
「じゃあ知らない」
アスマはもうどうでもよさそうに肩をすくめた。
あたしは顎に手を添え考える。十数メートルにあるものを梯子も使わずどうやって取るのか。自分で直接取るのか、それとも何かしらのアイテムを使って間接的に取るのか……わからない。
あたしはアスマを引き連れて体育館の出入り口の右側にある用具室を開けた。中にあるのは体育の授業や部活で使うようなスポーツ用具が収納されている。まず目についたのは跳び箱だった。これを積み重ねればいずれ天井付近まで届く……が、もちろんそんなに跳び箱の段はない。段があったとしても結局登る手段がない。
次に注目したのはマットだった。マットを積み重ねればやがて天井付近まで届くようになる……が、やはりそんなに大量のマットはない。
用具室の中を散策していると、隅っこに扉を発見した。何の扉だろうか、とドアノブを捻ってみるとガチャリと開いた。どうやら鍵はかかっていなかったらしい。
扉の部屋は狭く埃っぽい部屋だった。左右に鉄製の棚が配置されており、そこには破損したと思しきスポーツ用具が並んでいた。
「この部屋、何だろうね」
アスマがぼけーっと口を開けながら室内を見回した。
「見たところ、経年劣化やら何やらで使えなくなったスポーツ用具をしまう部屋でしょうね」
「捨てればいいのに」
「まったくね」
あたしは何かないかと室内の用具を観察していく。
「アスマ。暗いから電気点けて」
スイッチの近くにいたアスマに命令すると、
「はいはい」
彼女は心底どうでもよさそうに返事をするも、パチッと電気を点けてくれた。
周囲が明るくなり道具の様子がより詳細に見れるようになる。部屋の奥までいったところでいくつかの野球ボールが入った籠を発見した。そのうちの一つを不審に思ったあたしはそれを拾い上げる。縫い目と縫い目の間にスパッと亀裂が入っていた。これがこのボールが使われなくなった理由か。捨てればいいのに。それはそれとして、
「そのボールがどうかしたの?」
「埃がかかってなかった」
「……?」
アスマは首を傾げながらこちらにくると、籠の中のボールとあたしの取ったボールを見比べた。他のボールは僅かに埃を被っているが、あたしが手にするボールにはそれがないのだ。
「確かに。けど、あれじゃない? 加賀谷先生が掃除したとき偶然その一球だけ埃を拭ったんじゃない?」
「周りを見なさい。埃だらけよ。加賀谷はたぶんこの部屋自体掃除してないのよ。普段使わない部屋だろうからさぼったんでしょうね。ならどうしてこのボールにだけ埃がかかってないのか? こんな部屋に用がある生徒なんていないだろうし……あたしの予想では加賀谷がトリックに使ったんだと思う」
「トリックっていうか、私がさっき言ったようにそのボールをバレーボールにぶつけたんじゃない?」
「だからそれはないって――ん?」
ボールに怪しげな箇所を発見してしまいつい声が漏れた。
「今度はなに?」
「ここ、見て」
あたしはボールの一点を指差す。アスマはボールに顔を近づけ、
「なんかついてるね。セロテープの剥がしそこねみたいなの」
「ええ」
ボールに透明な一筋の細いテープが貼られていたのだ。アスマの言う通り、まず間違いなくセロテープの剥がしそこねだろう。
この痕跡をまじまじと見つめていたアスマが口を開いた。
「これは……ミノの言うトリックの跡、かな?」
「でしょうね。加賀谷の奴、誰も調べないだろうと判断してトリックに使ったこのボールを処分せずにここへ戻したってわけ。甘いとしか言えないわね。これが殺人事件なら終わってたわよ」
「殺人事件なら処分してたと思うよ」
それもそうか。……何はともあれ。加賀谷が何らかのトリックを使ったという線は濃厚になってきた。じゃあどんなトリックを使ったのか? 野球のボール……セロテープ。何かをボールに貼りつけていたっていうのはわかるけど……あ、そうか。この方法なら……。
「くっくっくっく……」
「どうしたのミノ? 急に笑い出しちゃって。気持ち悪いよ」
「不敵に笑ってたのよ。なんてたって、トリックがわかったんですもの」
「え、凄い。じゃあ私帰っていい?」
「駄目。あたしの華麗な解決編を聞いていきなさい」
「えー……」
アスマは本気で面倒くさそうな声を発した。
後は加賀谷にこのことを問い詰めてゲームセットだ。