ボールはどこへ?
謎について考える場として、あたしは部室を選んだ。人がこないからどんな話もできるし、今日はまだ部活に出席していないからである。
放課後になって結構経つというのに部室に顧問の佐渡原の姿はなかった。あいつ、いつもどこで何やってるのかしら。まあいいわ。
「アスマ。加賀谷の話聞いて、どう思った?」
「別に何も思わなかったけど。体育館の件、本当のこと言ってるならこの人がボール取ったんだろうなあ、とは思ったけど。自分で私以外いないって言ってたし」
アスマは興味なさげに答えた。あたしは脚を組み、
「やっぱそうなるわよね。後々調べられたらわかることだから、正直に答えたんだと思うけど……。その場合、どうやってボールを天井から取ったのかって問題が生まれるのよねぇ」
「勝手に落ちてきてたのを拾ったんじゃないの? それを隠してる、と。さっきも言ったけど」
「そんなことする意味がないでしょ。さっきも言ったけど」
「何か隠す理由があったんじゃないの?」
と、アスマは自分の意見を述べるが、口調的にその理由については考える気がなさそうだ。あたしは軽く椅子にもたれかかる。
「あんたの言ってること、都合がよすぎるのよね。天井のボールを隠さなきゃならない人が体育館にいくと、またま天井からそのボールが落ちてたなんて。自分でボールを取って隠した方が納得できるわ」
「そういう偶然もあるでしょ」
「元も子もないこと言うな。そもそも七年間も落ちなかったボールよ? 勝手に落ちてきたと断じるには何かきっかけがないと納得しかねるわ」
「納得納得うるさいなあミノは。この世は九十九パーセントの必然と一パーセントの偶然で成り立っている、という名言もあるんだから、その一パーセントが起こっただけだよ」
「誰の言葉よそれ」
「いや、まあ、私が今テキトーに作った言葉なんだけど」
どうりで聞いたことないはずだ、そんな意味不明な言葉。九十九パーセントの偶然と一パーセントの必然ならまだ信じられた。
あたしはため息を吐き、
「ボールが偶然落ちたってだけならまあ納得してやってもいいけど、そこにボールを必要としてる人間がそれを一番に発見したとなると、納得できなくなるのよね。作為しか感じない」
そう言うと、アスマが指を一本立てた。
「じゃあこういうのはどう? ボールを隠した人――とりあえず容疑者筆頭の加賀谷先生としておくよ――はもともと天井のボールに関心なんてなかった。けど、ボールが天井から落ちてきて以降にボールを隠す必要に迫られたんだよ」
「順序が逆なのね。で、その理由は?」
「ぱっと思いついたことを言うと、ボールに返り血が付いたからとか」
あたしは顔をしかめた。
「加賀谷が体育館で人を殺した、と?」
「そうなるね。これならボールが天井から落ちた後にそれを隠す理由ができるでしょ?」
「まあ……。けどそれはボールの処理より死体の処理をどうしたのかって問題になるわよね。確か加賀谷って電車通勤だから死体を運ぶのは一苦労よ。一度電車で家に帰って、車で学校に戻ってきて死体を駐車場に運ぶ。面倒この上ない」
「暗ければできるんじゃない? 家に帰って車で戻ってくるまで死体は体育館に放置しておけばいいし。暗いなら駐車場まで死体を運ぶとき人目につくリスクが減る」
あたしはしかめっ面のまま考える。普通の人なら「そんなことありえない」と一笑に付すだろうが、割と頻繁に殺人事件や人死に現場に遭遇している身として笑い飛ばす、呆れ飛ばすといったことができない。一応の可能性を考えなければならない。
あたしは脚を組み替えた。
「もし仮にボールに血が付いたって理由で加賀谷が持ち帰ったとしたら、『ボールはどこか?』と聞かれたとき『床に落ちてたから処分しておいた』と言えばよかったのよ。これなら余計な追及を避けることができる。それでも知らないと言ったのは本当に知らないから。もしくは、ボールに対して後ろ暗いことがあって、つい知らないと言ってしまったか、だと思う。流石に殺人はないわよ。人を殺したんなら意識はボールより死体に向くだろうから、ボールに関しては冷静な受け答えができたはず」
あたしの答えにアスマは一瞬だけ顔を硬直させると、はあとため息を吐いた。
「まあ、流石に殺人事件が起こったとは思ってないよ。そんなに血が飛ぶ殺し方なんて刺殺くらいだろうし、刺殺できるような凶器が体育館にあるはずないもんね。計画殺人なら体育館なんて現場に選ばない」
「そこまでわかってるなら何でとんでも仮説を提唱したのよ」
「いやあ、ノリというか何というか。考えるのが面倒くさかったというか何というか」
わかりきってたことだけど、やっぱりアスマはテキトーすぎる。あたしは肩をすくめた。
「とりあえず前提として、ボールが偶然落ちたんじゃないとしましょう。その場合、どうなる?」
「加賀谷先生が犯人ってことになるね。どうやって取ったのかも、何のためにそんなことしたのかもわからないけど」
「そこなのよねぇ……。何のためにっていうのは、ボールがどうしても必要になった、とか?」
言ってみるも、釈然としない。七年間天井に放置されていたバレーボールを必要とするシチュエーションなんて思い浮かばない。あのボールでいいなら体育館の倉庫に普通のボールがいくらでもあったはずだ。
「色々と謎めいてるねえ。どういうことなのか私にはさっぱり見当がつかないや」
「あんた何も考えてないでしょ」
「だからさあ、考えないとわからないことは考えないんだって、私は」
「使えるときは使えるのに、使えないときはほんと使えないわねあんた」
「酷い言いよう」
と、言いつつもアスマはまったく気にしてない様子だ。呆れていると部室の扉が開き、佐渡原がやってきた。
「おーす。遅くなって悪かったな」
こいつもこいつで、まったく謝る気がない声音である。放課後になって一時間以上経過してるっていうのに。
流石のアスマも不平を漏らす。
「先生一体何やってたんですか? 遅すぎですよ」
「なあに、ちょっと眠りこけてただけだ」
「退職しなさい」
きっぱりと忠告しておいた。まあ佐渡原がそんなことをいちいち気にするはずもなく、部活出席日数を記す紙とシャーペンを取り出す。
「部員A、部員B共に出席と」
佐渡原はあたしたちの名前を憶えておらず、今のように呼称している。どっちがAでどっちがBかはその日によって異なる。
「にしてもお前ら、よく辛抱強く待ってたな」
佐渡原がペン回しをしつつ尋ねてきた。あたしは軽く睨みつけながら答える。
「そんな質問するくらいなら次はもっと早くきなさい」
「へいへい。で、俺がくるまで何してたんだ?」
まだ訊くか。
「ミノが首を突っ込んだ謎について嫌々話してました」
アスマが正直に答えると、佐渡原は呆れるような顔になり、
「またかよ。頼むから殺人事件だけは起こさないでくれよ。面倒だから」
「殺人事件を起こしたことなんて一回もないっての。体育館の天井からバレーボールが消えたことが殺人に発展するわけないから安心しなさい」
あたしが忌々しげに吐き捨てると、佐渡原は呆気に取られたような表情になった。
「え、あのボールなくなっちまったのか? それじゃあ業者を呼んだ意味なくなるな。断るように事務の人に連絡しとかねえと」
佐渡原のこの呟きにあたしとアスマは目を合わせた。あたしは佐渡原に尋ねる。
「ボールって、天井から取り出す予定だったの?」
「ああ。今週の水曜日にな。ほら、最近この学校死人が多いだろ? 世間からの風当たりも強くなってるから、事故が起こりそうな原因を極力減らしたいんだと」
「落ちてきたボールが誰かの頭に当たったら危ないですもんね」
アスマが納得したように頷いた。あたしは更に質問する。
「それを学校が業者に頼んだのっていつ?」
「確か……先週の金曜日くらいだったか」
その答えを脳内で噛み砕き、腕を組んで考える。動機……のようなものが見えてきたかもしれない。おそらくあのボールには何らかの秘密があったのだ。ボールが第三者により取り出されたらその秘密が明るみになってしまう。だから加賀谷はこれまた何らかの手段を用いて、業者より先に天井のボールを取り出した。
一応は納得できる状況ができあがった。ただ、そこまでして隠したい秘密とは? そして何故そんなものがボールに潜んでいるのか。そこのところはわからない。ボールを取り出した方法を解き明かして加賀谷に直接訊くしかないわね。まあ犯人が加賀谷かどうかは知らないんだけど。
「ねぇ佐渡原。日曜日、加賀谷って体育館の掃除をしてたのよね?」
「何でここで加賀谷先生が出てくるのかわからんが、清掃業者がこの学校にびびって契約切ってきたからな。本当は富野先生が掃除当番だったんだが、今日は仕事がないからって加賀谷先生自らが立候補したんだ」
他人の代わりになってまで自分から掃除をするために体育館にいった、と……。いよいよもって怪しくなってきたわね。
「掃除する前とか、加賀谷に怪しいところはなかった?」
佐渡原は首を傾げ、
「さあ。俺に人間観察の趣味はないからな。なんも知らん」
「使えないわね」
「どうして貶されてるんだ俺は」
あたしは立ち上がると、座っていたアスマの腕を掴む。
「聞き込みにいくわよ」
「何で私まで……。私一切関係ないよね?」
「何言ってんの。あたしとあんたの仲じゃない。ベストフレンズでしょ」
貴重な戦力としてこいつを引き込むために吐き気を堪えて言う。するとアスマはどん引きするような顔で、
「おえぇ……。気持ち悪いこと言わないでよミノ。吐きそうになっちゃった」
「うっさい。吐きたいのはこっちよ」
「じゃあ言わなきゃよかったのに」
「このあたしが吐き気を催しても頼んでやってんだから、付き合いなさい」
「理不尽すぎるよそんなの。そもそもミノは人に対するものの頼み方がなってないよね」
「普通に頼んでもあんたは首を縦に振らないでしょ」
「まあそうなんだけど」
「じゃあ、いくわよ」
あたしはアスマを無理やり立ち上がらせると再び職員室へ向かった。