消失の謎を追え
あたしと山中、それからアスマは体育館にやってきた(アスマはあたしがいつものごとく無理やり連れてきた)。
体育館では女子バスケ部が練習に取り組んでいた。男子バスケ部は数年前に潰れているので存在していない。
バスケ部の何人かがあたしたちにきょとんとした視線を向けていたが、山中は別段気にする風もなく体育館の天井を指差した。
「ほら、一昨日まではあそこにバレーボールが挟まってたはずなのに、今日の朝にはなくなっていたのよ」
あたしとアスマは天井を見上げた。太い鉄骨と細い鉄骨の間……確かに先週の金曜日にはあったバレーボールがそこにはなかった。そういえばこの前、野球の硬球が密室から消えたことがあったわね。よくボールが消える学校だこと。
「どうして土曜日にはあって今朝なくなってたってわかるの?」
あたしが山中に尋ねた。
「土曜日の夕方と、今朝、体育館でバレー部の練習があったからだよ。ああいうのって妙に気になるじゃない?」
「土曜日の夕方にはまだボールがあって、今朝にはなくなってたなら、バレー部の人が帰ってから昨日のうちにボールが天井から落ちたんじゃないかな? それを誰かが片づけたと」
アスマはあんぐりと口を開けながら天井を見上げつつ言った。
山中は首を振り、
「私もそう思って色んな先生に聞いたんだけど、昨日体育館に入ったのはバレー部顧問の加賀谷先生だけらしいの。で、その加賀谷先生はそんなもの拾ってないって」
「その事実を隠してるんだよ」
「そんな意味のないことする? というか何年も挟まったままだったボールがある日突然落ちてくるなんて思えない」
アスマのなにも考えていないのが透けて見える言葉に山中は反論した。しかしアスマは尚もなにも考えず、
「ある日突然落ちてきてもいいじゃない。そういうこともあるよ。暑さで鉄骨と鉄筋が上手い具合に曲がっちゃったとかさ。で、その加賀谷先生? が拾ったと。拾った事実を隠したのはきっと、山中さんが嫌いだから意地悪したくなったんだよ」
「む、むちゃくちゃでしょ、そんなの……」
当然というかなんというか、山中は顔をしかめて困惑した。
「まあ、こいつはこういう人間だから、発言の殆どを無視してもいいわよ」
あたしはアスマと初対面の人物にするお決まりの忠告をしつつ、バレーボールについて考える。アスマの言うように勝手にバレーボールが落ちてきたということはあるのか。可能性はなくはないけど、あまりそうは思えない。何年前から挟まってたのか知らないけど、いまのいままで落ちてこなかったのは、完全にきっちり挟まっていたからだろう。それにボールが消えたタイミングも気になるところだ。ろくに人がこない時間帯になくなった、という事実に何者かの作意を感じる。そりゃ体育館は人がいない時間の方が多いけど、気になってしまうのだ。
それに、落ちたバレーボールがどこにいったのかという疑問もある。アスマの言う通り加賀谷が嘘をついているのならば単純な話だが、山中の言う通りそんなことをするとは思えない。……しかし、加賀谷が意図的に挟まっていたボールを取り出したのなら話は別だ。勝手に落ちていたボールの行方を嘘をついて誤魔化すのは意味がわからないが、目的があって、それが誰かに知られたくないことならば、嘘をついても不自然ではない。けど……。
あたしは天井を見上げた。当たり前だが体育館の天井は高い。体育館の天井に挟まったボールは業者に依頼して取ると聞いたことがある。一個人じゃ、到底取り出すことなんてできないだろう。かといって業者を呼べば他の教師にも知られるだろうから、山中に嘘をつく理由がない。すぐにバレる。……なかなか面白そうな謎じゃない。
「いいわ。この謎、あたしたちが解決してあげる」
「え、ほんと?」
あたしが言うと山中が嬉しそうな表情になった。
「だからさあ、何度も言ってるけど、たちって付けないでよ」
アスマが不満を述べるけれど、あたしはそれを無視する。
「山中。あんたに一つ訊いときたいんだけど、どうしてこんなことあたしたちに頼みにきたわけ? ボールが体育館の天井からなくなると不都合でもあるの?」
山中は肩をすくめた。
「別に不都合はないよ。ただ、入学したときからあったものが突然なくなって、無性に気になってるってだけ。今朝も練習に身が入らなくってさ」
「そんなことで集中力欠いてて生きていけるの?」
アスマが首を傾げながら言った。山中は苦笑し、
「あはは……。この通り生きていけてるよ。ま、私にとってはそれなりに重要ってことで納得して」
「はあ」
アスマはあまり納得してない風に曖昧に頷いた。こいつは些細なことなど気にしたことないだろうから、絶対山中に共感できないだろう。
あたしはため息を吐き、
「まあいいわ。早速本題に取りかかりましょうか。いくつか質問していくから答えてちょうだい」
「うん。わかった」
「私は帰ってもいい?」
「駄目よ。ここ数日の間、体育館で変わったことはなかった? どんなことでも構わないわ」
山中は腕を組んで宙を仰いだ。
「うーん……ほぼ毎日体育館にきてるけど、なにもなかったと思うよ」
「そう。それじゃあ、あのバレーボールがいつからあそこに挟まってたのかは知ってる?」
「それは……わからないわ。卒業した先輩が入学したときからあったみたい」
「ってことは、少なくとも四年前にはあったのね」
「それだけ経ってたら空気が抜けて落ちてきそうだけど」
アスマがぼんやりとした声音で言った。
「空気が抜けても落ちてこないほどきっちりしっかりはまってたってことでしょう」
とすると、ボールが落ちたのにはなんらかのきっかけがあったと考えられる。まあ落ちたのかどうかはわからないけれど。
山中がぱちんと思い出したかのように指を鳴らした。
「そうだ。加賀谷先生ならもしかしたら知ってるかも」
「どうして?」
「加賀谷先生は八年前にこの学校に在籍してたOGだからね。それもバレー部だったらしいから、なにか知ってるかも」
「なるほどねぇ」
あたしは腕を組んだ。加賀谷は犯人の可能性が高いため、知ってたとしても教えてくれるかはわからない。まあ嘘がバレたときのリスクを考えると本当のことを言うだろうが。
「もう一つ質問」
「なに?」
「日曜日は体育館に加賀谷しか入ってないっていうのはどうして? どこの部活も使ってなかったの?」
山中は頷いた。
「土曜日の昼間、練習中のバスケ部員が熱中症で倒れたみたいで、全運動部の練習が中止になったみたい。気温も暑かったし」
そういえば日曜日は最高気温が三十五度を超えてたわね。普通の学校ならそれくらいで運動部の練習は中止にならないだろうが、この学校は今年だけで死者が大量に出ているので大事をとったのだろう。また問題が起こったら世間からなにを言われるかわからない。
他に質問することは……特にないわね。あたしは山中に言う。
「あんたに訊きたいことはもうないわ。後はこっちで調べるから、どっかいきなさい」
「う、うん。ボールがどうなかったわかったら教えてね」
「ええ。いくわよ、アスマ」
「はいはい」
あたしが身を翻して体育館の出入り口に向かうと、面倒くさそうにアスマが後についてきた。
◇◆◇
あたしたちはとりあえず職員室へ向かった。加賀谷にボールが天井にはまったのはいつかを訊くためだ。正直言ってこの情報を得たとしても役に立つのかどうか疑問だが、まあ個人的な興味もある。
「ねぇミノ。職員室にきたわけだけど、そもそも加賀谷先生の顔知ってるの?」
「知ってるわよ。体育教諭だもの」
あたしが答えるとアスマはぽんと手を打った。
「あ、あの女の先生か。若くてポニーテールで美人の先生だよね」
「そうよ。……あんた、せめて教師の顔と名前は一致させときなさい」
「いやあ、担当してる教科と顔さえ憶えとけばいいじゃん。どうせ『先生』っていう二人称で呼ぶんだし」
「それはそうだけど……まあいいわ」
こいつに説教するだけ時間の無駄だ。そんなことよりも加賀谷から話を聞きたい。
「いまから職員室に突撃するわけだけど、加賀谷とはあんたが話してちょうだい」
当然のことながらアスマはぽかんとした表情になる。
「え、なんで?」
「あたし、教師受け悪いから話を訊きたいと言っても教えてくれるかわからないのよ」
「ミノって教師受け悪いの?」
「当たり前じゃない。敬語を一切使わないし態度も悪い。おまけに殺人事件に何度か巻き込まれてるのよ? 教師受けは最悪よ」
「胸を張って言うことじゃないよね、それ」
アスマは呆れたように言うと、それを面倒くさそうな声音に変えた。
「なんで私が全然興味のないバレーボールの行方を先生に訊かなきゃならないのさ」
「いいじゃないの。普段なんもしてないんだから、こういうときくらい人の役に立ちなさい」
「私は誰かのために生きてるんじゃないもん。というか、私もミノと同じくらい殺人事件に巻き込まれてるからあんま変わらないでしょ」
「それでもあたしよかましよ。とにかく、あんたが加賀谷に質問しなさい。しないとぶっ殺すわよ」
「脅し文句が直接的すぎるでしょ。いまどきジャイアンでも言わないよそんなこと」
「なんでもいいから早くいくわよ!」
あたしはアスマのセーラー服の襟を掴んでノックなしで職員室に突入した。周囲の教師たちがぎょっとした顔であたしたちを見てくるが、それらを全て無視して加賀谷の机の前までやってきた。彼女の目の前にアスマを突き出す。
加賀谷は見た目は授業のときと同じようにクールな対応をしてくる。
「明日馬薫子さんと桂川美濃さん、よね? 職員室に入るときはノックしなさい」
「……」
あたしが黙っていると、アスマは若干うんざりしたかのような声音で謝った。
「はい。ごめんなさい。気をつけます」
「それで? 私になにか用なの?」
アスマが私に視線を向けてきたので、あたしは「話せ」の意を込めて顎をしゃくった。アスマは顔をしかめて加賀谷に向き直り、
「あの、体育館の天井に挟まってたバレーボールのことを訊きたいんですけど――」
「あなたも?」
加賀谷が肩をすくめる。
「今朝も同じことを訊かれ」
「山なんとかさんにですよね。その人から調べるように頼まれたんです。どこにいったか知ってますか?」
「山中さんにも話したけれど、知らないわ」
「じゃああのボールがいつから挟まってたか知ってますか? ここの卒業生でバレー部だったんですよね?」
アスマの感情のない問いに加賀谷は一瞬だけ逡巡する間を置き、
「七年前よ。私が高校三年生のとき。私のスパイクを他の部員がレシーブしたらあそこまで吹き飛んだの。そしたらものの見事に天井に挟まったってわけ」
「ほぇー……七年前ですか。意外と歴史があるんですね」
どうでもよさそうな声でアスマが呟く。対して、あたしは普通にびっくりしていた。七年も放置してたとか……どんだけやる気ないのよこの学校。
アスマは相変わらずやる気のなさそうな声で尋ねる。
「昨日先生は体育館に入ったんですよね? どうしてですか?」
「尋問されてるみたいね」
加賀谷は不快そうに吐き捨てた。するとアスマはあたしを指差し、
「彼女的には尋問みたいなものなんですよ」
と、余計なことを言った。小さく舌打ちをておく。
「で、何してたんですか?」
アスマはまったく物怖じせずに追及する。あたしが言うのもあれだけど、こいつのこういうところは素直に凄いと思う。単に他人からの評価を一切考えてないだけだろうけれど。それはそれで凄いか。
加賀谷は背もたれに体重を預け腕を組む。
「掃除よ。体育館は週二回清掃業者に掃除してもらってたんだけど、契約を切られたからその埋め合わせで私が掃除したの」
「なんで契約を切られたの?」
何となく気になったので訊いてみた。加賀谷はため息を吐く。
「あなたたちには心当たりがありすぎるんじゃない?」
それだけでわかった。要は、最近になって物騒なことが立て続けに起こっているこの学校が怖くなったってわけね。巻き込まれたらたまったものじゃないはずだ。
アスマはさっさと終わらせたいとばかりに質問していく。
「昨日体育館には先生しか入ってないというのは本当ですか?」
「みたいね。私が掃除してるときは誰もこなかったし、その後も体育館の鍵はどの先生方も持っていかなかったから」
「掃除してたとき天井にボールはありましたか?」
「憶えてないわ」
「じゃあ、土曜日のバレー部の練習が終わってから次の日先生が体育館に入るまでの間に、誰か入ったりしました?」
「誰もいないんじゃないかしらね。土曜日に最後に帰ったの私だったから。それまで誰も体育館の鍵は持っていかなかったわ」
「そうですか」
あたしが指示しなくても推理に必要なものを聞き出してくれる。やはりアスマは使えるわね。
「じゃあ私たちはこれで。ありがとうございましたー」
アスマは気の抜けた挨拶をすると踵を返し、職員室の扉へ向かっていった。あたしとしてもこれ以上知りたい情報はなかったので、アスマに続いて廊下へ出た。