体育館あるある
蒸し風呂のようにうざったいくらい暑い体育館にダムダムというバスケットボールが弾む音が何度も響き渡る。
バスケ部の女子部員がクソ暑いにも関わらず、水を得た魚のようにドリブルで他の女子生徒を抜き去りシュートを決めた。当人は嬉しそうだがバスケ部を敵に回している他の生徒はこの暑さもあいまってか全く楽しそうじゃない。
なんとなく察せられるだろうけれど、現在、体育の授業中だ。この暑い七月に体育館でバスケとは……これだから学校という組織は信用できないのよねぇ。普通三十度を超す気温の日にほぼ密室と言っても過言ではない体育館で激しい運動なんてさせる? 通常の脳みそがあればさせないわよ。夏の間は体育禁止くらいにしてほしいわ。クーラーのある教室で勉学に励んでた方がよっぽど建設的でしょうに。
……なんて、心中でぼやきまくってるけど、壁際に座って授業に参加してないあたしにとやかく言う資格はないか。
そして、あたしと同様に日本の教育システムに文句を言う資格がない生徒がもう一人、隣にいる。
「暑いなあ。体育なんて夏場は当然として、永久的に科目から消滅してほしいよ。疲れるだけじゃん」
アスマがぼうっとした表情で口にした。
「あんたって、『どうして日本人が英語を学ばなきゃいけないの?』とかいう馬鹿丸出しのことを思ってそうよね」
「え、思ってるよ。だって英語なんて日常生活で使わないもん」
「世はグローバル社会なのよ? 英語喋れた方が絶対得よ」
「どうせ日本人の発音じゃ外国人に通じないって」
「だからそれを改善するためにリスニングとかスピーキングとかよくさせられるでしょ」
「まあそうなんだけどさあ……でも英語なんて出川イングリッシュさえ使えればなんとかなるっぽいし」
「あれは相当な胆力がないと無理よ。普通の人間は物怖じするのと恥ずかしさであんなことできやしないわ」
「そうかなあ。私はできると思うけど」
「まああんたはそうでしょうね」
こいつは他人にどう思われようが知ったこっちゃない人間だ。あたしもその部類だけど、ネイティブ相手にとんちんかんな英語を使って話すなんて、自分のプライドが許さない。
あたしはため息を吐く。
「でもまあ確かに、部活でもないのにあんたと話すことになってるわけだから、体育がいらないっていうのには納得できるわね」
「またそうやってすぐ暴言を吐く。人を疫病神みたいに扱わないでよ」
「疫病神みたいなもんでしょう。何度も死体と遭遇してるんだし」
「それはミノもじゃん」
あたしとアスマは別のクラスだ。だが、今回の体育が男女に別れて別のクラスと一緒に行う方式になった結果、こうしてアスマと顔を合わせることになってしまった。
「ってか、なんであんたナチュラルにサボってんのよ」
あたしがつっこむとアスマは顔をしかめ、
「それもミノもじゃん」
「あたしは昨日足挫いたからよ。あんたは?」
「さあ、どうな理由だろうね。持ち前の推理力で当ててみなよ」
「体調が悪い……と教師に嘘をついて普通にサボってる。どう?」
「うん。正解」
当たってた。最近、こいつの考えることが読めるようになってきたのだ。
アスマはこつんと後頭部を壁にもたれかけて遠い目になる。
「ほんと、参っちゃうよね。体育って」
「なにがよ。サボってる分際でよく言うわ。そういう台詞はちゃんと授業に参加してから言いなさい」
「あ、ボールだ」
アスマはあたしの言葉を完全無視して天井の一点に目を固定させた。彼女の視線の先にはバレーボールがあった。それもただのバレーボールではなく、体育館の天井付近にある太い鉄骨とその上にある細い鉄筋の間に挟まっているバレーボールだ。
「いま気づいたの? 入学したときからあったわよ」
「そうだったんだ。だけどまあ、あるあるだよね、体育館の天井に挟まってるボールって。初めて生で見たけど」
「あたしの小学校、中学校の体育館には普通に挟まってたわよ」
「へぇ……」
しばらくの間、あたしたちはそのバレーボールを眺めていた。
ぽつりとアスマを呟く。
「この体育館に限らずさ、どうして体育館の天井にボールが挟まったりするのかな。あんな高いところにボールが飛んでくなんて尋常じゃないよね」
「あれは、建設会社が体育館を耐久性を高めるためにわざと挟ませてんのよ」
「へぇ、そうなんだあ……って、絶対嘘だよね」
「ええ。都市伝説っぽいなにかを言ってみただけよ。……別におかしなことないでしょ。バレーのスパイクの速度って百キロ超えるし、それを両手で受けたらあれくらい高く飛ぶわよ」
「まあ、そっか」
こんな感じのしょうもない話をしていると、チャイムが鳴って授業が終わった。
◇◆◇
面倒なことが起こったのは三日後の月曜日のことだった。いつものようにあたしとアスマは生物部の部室で顧問の佐渡原を待っていた。ちなみにこの前まで校長から生徒に強制的に部活をさせる、という命が下されていたが、それが一部とはいえ先日の『スケルトン事件』に利用されていた――あたしとアスマがウサギに餌をやっていたことで事件の証人にされるという形で利用された――ので、その命令は取り消されている。
まあ無駄話はこれくらいにして、あたしはいつものようにスマホゲームを、アスマもいつも通り文庫本を読んでいたときのことだ。これまでも何度かあったことだけれど、部室の扉がノックされた。あたしとアスマは一瞬だけそちらに視線を送ったが、すぐに視線を戻した。もうわざわざ無視しようと示し合わす必要もない。
しばらく沈黙が続いた。あたしは扉に目を向ける。帰ったか? と思ったところで「失礼しまーす」という声と共にがらりと扉が開き、長身でポニーテールの女子生徒が入ってきた。セーラー服のリボンから同学年だとわかる。
「あ、ほんとにいた」
女子生徒があたしたちを見て呟いた。……前にもあったわね、こんなこと。
謎の女が入ってきたにも関わらずアスマは文庫本に視線を落としたまま動かない。どうやら徹底的に無視する方針らしい。あたしもそうしたいけど、この謎の女に延々居座られるおそれもある。どうせほっといても、この間みたいにそのうち佐渡原がきてしまう。あたしが応対するしかない。
「なにあんた? 誰あんた? なんの用? 帰れ」
「い、いや、話くらいは聞いてよ」
「嫌よ。そんなに話したかったら勝手に一人で喋ってなさい。無視するから」
「うわあ。ほんとのほんとに話に聞いた通りの子だよ……」
謎の女は若干引きながら呟いた。
「あたしたちのこと、誰から聞いたのよ?」
「東山から」
「ああ、あいつね……」
『スケルトン事件』最大の被害者である哀れな男が、なぜあたしたちのことをこの女に話すのか……。まあなんとなく予想はできる。
「まあ、とりあえず帰りなさい。話はそれからよ」
「いや、帰ったら話できないよね……」
「あんたもどうせまた妙な頼みごとをしてくるんでしょ? ごめんよ。あたしらは探偵でもなんでも屋でもないの」
自分から首を突っ込むのならともかく、誰かに頼まれて行動するのは癪に触る。
「そ、そんなこと言わないでさ。解決してくれたらお昼ご飯奢るから」
「ぐっ……」
どいつもこいつも、それを言えばあたしが言うことを聞くと思いやがっているようだ。くっ……どうしよう、揺らぐ。
『スケルトン事件』を解決したから、本来なら東山に一ヶ月お昼を奢ってもらえる予定だった。しかし事件の全容が特殊過ぎたこともあって、あれを解決と言っていいのか微妙な状況になった。東山的には犯人逮捕が解決の定義だったらしく、奢らないとのたまってきたのだ。あのクソ男が……!
東山の次にあたしたちに頼み事をしてきた市石も、夕張が自殺したショックで不登校になってしまった。故にあいつからも昼食をおごってもらってない。
まあなにが言いたいのかというと、タダ飯を食いたい。
「仕方ないわね。話だけでも聞いてやるわ」
「はぁ……」
アスマからため息が聞こえてきた。
「なによ?」
「ミノってさ、本当にちょろいよね」
アスマが文庫本に目を固定したまま、うんざりしたような声で言った。あたしはうっと喉の奥で呻き、
「うっさいわね」
と目を逸らした。
◇◆◇
「それで、相談ってのはなに? 殺人事件に結びつきそうだったら殴るからね。流石に殺人はもう面倒だから」
謎の女は苦笑いを浮かべた。
「いや、流石に殺人事件とは関係ないと思うよ。実は――あ、自己紹介がまだだったね。私は山中美琴。二年D組」
「話を聞いてきたわけだから知ってると思うけど、あたしは桂川美濃。そこの変なのは明日馬薫子」
「変なのでーす」
文庫本から視線を離さずにアスマが呟いた。
「で、相談ってのは? あたしたちになにをしてほしいわけ?」
「え、私も巻き込まれてる?」
ようやくアスマが文庫本から視線を上げる。
「当たり前じゃない。お約束でしょ」
「うげぇ……」
アスマからなんとも言えない声が漏れた。
あたしが顎をしゃくっては山中に話をするように促す。
「ええっと、私が二人を訪ねたのは、ちょっとおかしなことがあったからなんだ」
「だから、それはわかってんのよ。さっさとそのおかしなことがなんなのか言いなさいよ」
「ご、ごめん。実は体育館の天井に挟まってたバレーボールがなくなっちゃったのよ」
あたしとアスマは顔を見合わせた。あの鉄骨と鉄筋に挟まっていたボールが、消えた?




