ある意味一つの解決編
晴海さんを手にかけた翌日。殺人事件が起こったにも関わらず、学校は普通にあった。事件が起こりすぎて、うちの学校は色々と麻痺してしまっているのだろう。慣れたというべきか? いずれにせよ嘆かわしいことだ。僕にそんなことを言う資格なんてないけど。
いつものように家へやってきた彰人と無言で落ち合うと、お通夜のような空気をまといながら学校へいった。
殺人事件が起こり、犯人がまだ捕まっていないこともあってか、いつもと比べて学生たちのテンションが低いのが伝わってくる。学校はともかく生徒の方はまだ慣れていないようだ。
学校の周囲には報道関係者と思しき人たちが何人もいた。彼らからしたらこの学校は話題の尽きない恰好の餌だろう。晴海さんがこいつらの飯の種になると考えると、流石に後悔の念が湧いて出てくる。
昇降口の近くで雪村さんと遭うも、彼女とも言葉は交わさなかった。ただ、それでも今日は三人で固まっていようという意思疎通は取ることができた。
全校集会で晴海さんのことが話され、授業が何となく進んだ。隣の明日馬さんは昨日のことを気まずいと思うタマではないようで、僕のことなど気にもとめずにあくびをし、授業中に眠りこけていた。しかし、彼女が昼休み、桂川さんに連れていかれていったのにはどきりとした。
……大丈夫。凶器は既に処分済み。決定的な証拠に辿り着くことは、もう誰にもできないはずだ。
僕は昼休みが終わる少し前に彰人たちと別れて教室へ戻った。隣の明日馬さんに尋ねる。
「桂川さんと何を話していたの?」
明日馬さんに「いたの?」みたいな顔をされた。
「晴海さんの検案結果。凶器はミノの睨んだ通り殺傷力の低い……ようするにさほど重くないものだってさ。形状は丸みを帯びていて、円形のもの。あそこにしこたまあった本の類ではないみたい」
「ペットボトルって言いたいわけだ。底がそんな形してるもんね」
「どうだろう? あと、晴海さんの髪の毛から現場に落ちていた布の繊維が検出されたから、犯人はそれで凶器をくるんで殴ったみたい」
「どうして犯人はそんなことを?」
「自分の胸に手を当てればわかるんじゃない? ……って、ミノに言えって言われたから言っておくよ」
このシチュエーションは桂川さんの想定通りということか。
「あの布からわかることがいっぱいあったみたい。ミノ曰わく、いや、私も思っていることだけど、事件を紐解く鍵と証拠はあの布が握っていると見て間違いないよ」
「あんなものからそこまでわかるんだ」
どうせはったりだ。感心した風を装う。
明日馬さんがきょとんと首を傾げた。
「あんなものって、どんな布か知ってるの? 現場見てもないのに? 昨日は風間くんたちの前で誰もそんな話してないよ?」
「いや……」
馬鹿か僕は! 現場を見ないと知り得ない情報を言うなと、最初に心に誓ったはずだろうが。……いや、今のは僕が口走ってしまったのではなく、明日馬さんに引き出されたんだ。気の抜けたような独特の空気感とバレバレのはったりで油断させておいて、僕が情報を漏らすよう誘導していたんだ。桂川さん相手ならば警戒していたが、彼女が相手になるとどうにも気が緩んでしまう。
仕方がない。
「本棚にかかっていた布じゃないの? 部室にある布と言ったら、あれしかないし」
「犯人が外部から持ち込んだものとは思わなかったんだ?」
「うん。全然気が回らなかった。馬鹿だな僕は」
「本当にね」
しっかり煽ってくる。天然なのか意図的なのか。
「それで、あの布から何がわかるの?」
「私、まだ布が本棚にあったやつだとは言ってないよ? この期に及んであの布呼ばわりはこれ如何に」
なんかイライラしてきた。
「話の流れでそうじゃないかと思っただけだよ」
「そっか。まあ、あの布からわかったことなんて、何もないんだけどね」
知ってたよ。クソが。
「一応、ミノが犯人の目星をつけたのはあの布きっかけみたいだから、一番肝心なことを教えてもらってるんだけど」
どういう理屈かは訊かないでおく。これ以上、彼女のペースに持ち込まれるのはまずい。
僕が次の授業で使うノートと教科書を取り出していると、
「明月さんがヒステリックさんに確認を取ってくれたんだけどさ」
明日馬さんはまだ話を続ける気のようだった。ヒステリックさん? 雪村さんかな。嫌な汗が流れる。
「晴海さんは箱庭に使う砂を汲むためのスコップは、使い終わったら砂の上に寝かすんだってさ」
心臓の鼓動がとたんに早くなった。そこに触れてくるとは思わなかった。僕自身、悩んだことではあったのだが、誰も気にとめない、気づかないとタカをくくっていたことだった。
「知ってるよ。それがどうかしたの? もしかして、スコップが寝かされてなかった?」
「ううん。普通に寝かされていたよ。けど、掬う部分にさ、砂の山が残っていたんだよね」
やはりそこか。
「掬おうとして、箱に入らないことを察してやめたんじゃないかな?」
「それだったら、掬った砂は返してるはずだよ。晴海さんは身の回りのことを、自分の決めた通りにきっちりやる子だったんでしょ?」
「どうせ片付けるから、そのときは手を抜いたとか」
「雪村さん曰わく、晴海さんは後で片付けるつもりだろうと、スコップは砂を残さずに寝かしていたらしいよ。つまり最後に紙袋の砂を構ったのは晴海さんじゃない」
じりじりと迫られている。この事実から僕を逮捕するのは無理なはずだが、甘いところを責められるのは精神に悪い。
「晴海さんじゃないなら誰がやったのか? 犯人しかいないよね。どういう意図があって砂を構ったのかな?」
「箱庭を作るため……としか思えないけど」
「だよね。けど、犯人にはそんなことをする意味が一切ない。いつ晴海さんが箱庭を始めたかなんて誰にもわからないんだから、殺したのが箱庭を開始した直後だとしても、そんな小細工は必要ない。……ただ一人を除いてね」
「その小細工で得をするのは、部室を出た直後に戻った僕だけってことか」
苦々しい顔つきで呟く。やはり、小細工は不要だったか。
「その通り。すぐに文芸部へ戻った風間くんにとっては、箱庭がある程度完成している方が都合がよかった。それに――」
明日馬さんが何か言う前に口を開く。
「僕は晴海さんの癖を知っていたから、彼女がやらないことはしない。スコップの砂くらい落とすさ。だから犯人は晴海さんの癖を知らない奴だよ」
「あれ、私の印象に残るのに必死すぎて忘れちゃった? 聞いてもないのに、自分が金属アレルギーだってことをペラペラと教えてくれたじゃん」
そうだった。そんなことを話してしまっていたか。
「スコップに金属メッキが施されていたから、触りたくなかったんだね。金属に触れてないのに手が荒れちゃったらおかしいし。あの二人の目の前でテキトーな金属に触れておけばよかったのに」
そのくらいは頭にあった。僕は普段、金属に触らないようかなりを気を遣っている。彰人も雪村さんもそのことを知っていたから、不自然に思われたくなくてそうしなかった。……というのは建て前で、本当は万が一にも手に炎症が発生するのを嫌っただけだ。
「ハンカチや手袋で触れるとスコップに付いてる指紋が消えてしまう可能性があるから、それはできなかった。そんなことしたら小細工がバレるし、それで一番得をするのが誰かは考えるまでもなくわかっちゃうもんね」
全てを言い当てられている状態故に、押し黙るしかない。
明日馬さんの推理ショーはまだ終わらない。
「君が犯人だとすると、スコップに残っていた砂の意味が変わってくる。さっき言いかけたことなんだけど、わざわざこしらえた箱庭も、小細工のつもりじゃなくて凶器の処分のためだったんでしょ?」
「凶器って?」
「昨日、ミノが散々言っていた砂を入れたペットボトルだよ。箱庭の箱に犯行に用いた砂を入れたけど、量が多かったから袋に戻したんだね。そのとき袋内の砂の表面の大部分を覆っていたスコップに砂が盛られてしまった。……これも明月さんがヒステリックさんから得た情報なんだけど、晴海さんは大きな箱庭より小さな箱庭をいくつも作るのが好きだったんだって。だから小さな箱しか持ってなかった」
「知ってるよ」
「だろうね。もういっちょ知ってるだろうけど、晴海さんは箱庭を複数作るとき、一つ目を完成させてから二つ目の準備を、二つ目を終わらせてから三つ目……みたいな具合に一つずつしか用意しないんだってさ。君は晴海さんのそういう事情を知っていたから、砂を紙袋へ戻したわけだ。犯人が何も知らなかったら、複数の箱を取り出して凶器の砂を入れたはずだもん。知ってることが徒になってるね」
僕は肩を落として苦笑する。
「ただの推理を、よくそこまで自信ありげに言えるよね」
「私だって言いたくないけど、ミノに言えって命じられて仕方なく。恥は全てミノに送られるから、別にいいのです」
「あそう。砂入りのペットボトルが凶器って言うけど、昨日それはあり得ないって証言をしてくれたのは明日馬さんじゃないか」
明日馬さんは一切動じない。
「ここから先はミノの推理になるわけだけど、私の証言なんて何の役にも立たないよ。ペットボトルが二本あったと考えればいいだけだから」
二人がその考えに至っていることは、昨日帰り際に机を漁られていたことから予想がついていた。あれで諦めて考えを捨ててくれることを期待していたのだが、そんなに甘くはないようだ。
「私の前ではお茶が入ったボトルを飲んで、最初から砂が入っていたボトルはずっとリュックの中にしまっておいた。砂は先週のいつかにあの二人にバレないタイミングで入れておけばいい。私の目の前で飲み干したお茶入りボトルを机の中に置いて、部室へいく。そしてリュックに入れてあった砂入りボトルで晴海さんを撲殺した。砂で汚れたペットボトルはコンビニの水で洗う。どう?」
「それだと、昨日君たちが僕の机からお茶入りボトルを見つけられなかったのはおかしいじゃないか」
「明月さんたちが来るまでの間に連絡して、柳葉くんに回収させたんでしょ? さっきミノが聞き出してたよ」
やはりバレていたか。明日馬さんはギバちゃんに目を向けた。
「もちろん彼は事件については何も知らなかったんだけど、人が良いから君の言うことを聞いちゃったんだね。『机の中にペットボトルを忘れてしまった。事件に巻き込まれて回収できるかわからないから家に届けておいてほしい』だってさ」
明日馬さんは一息つき、
「昨日、君が帰り際ここへ寄ったのは、参考書の一冊を忘れちゃったからだったんだね。明月さんたちの持ち物チェックで忘れ物に気づいた君は、わざわざ教室まで取りにきたけど、柳葉くんが気を利かせて参考書も家へ届けたみたいだよ。だから机に何もなかった」
僕はどう言い繕うべきか思案する。
「確かに、僕は昨日ペットボトルを二本持っていた。お茶と水入りのね。言う必要がないから黙っていたんだ。けど、それは僕にも晴海さんを殺すことが可能だったということが証明されただけだ。彼女を殺す動機なんてないし、何より証拠もない。明日馬さんと桂川さんの言っていることはただの妄想にすぎないよ。犯人扱いするなら決定的な証拠を出してほしい」
犯行に使ったペットボトルとホルダーは昨日帰るとき川へ捨てた。流れるところもちゃんと見た。尾行はなかった。決定的な証拠など、彼女たちや警察にだって入手できるはずがない。
明日馬さんは面倒くさそうにため息を吐いた。
「こうなるから言いたくなかったのに、ミノってばさ……。話し損だよ、ほんと」
どうやら続きはないようだった。ほっと胸を撫で下ろす。追いつめられていることに変わりはないが、証拠がなければ何とかなる。僕と晴海さんの親しさは雪村さんや彰人、僕の友達や晴海さんのカウンセラーの先生が証言してくれるはずだ。
余裕が出てきた。こちらも気になっていたことを尋ねることにする。
「スコップの件、どうして刑事さんに調べてもらうよう頼んだの? 普段の晴海さんがスコップをどうしているかを知らなければ、疑問には思わないはずだよね?」
明日馬さんは机に突っ伏して疲れたような口調で答える。
「砂が後から注がれたと思ったから調べてもらっただけだよ。砂を注ぐ理由があるのなんて、犯人が君のときだけだからさ」
「砂が後から注がれた? そう考えた理由を知りたいんだけど……」
「あのスコップに残ってた砂の山、結構な量があったでしょ?」
「見てないからわからないけど……」
「そういうのいいって」
明日馬さんは大きなあくびをすると、
「スコップで箱――箱庭に使われていた木枠ね――に砂を入れるとき、最初はスコップを深く差し込んで多めに砂を取ると思うんだ。そして、徐々に掬う砂の量を減らしていく」
はっとした。それは盲点というか、そんな細かいことに気づく人間、彼女しかいないのではないか?
「箱は砂で満たされて容積が減っていくわけだから、必要になる砂の量も当然減っていく。スコップで掬う砂の量を調節して汲むわけだね。だから、砂を入れようとしたけどもうこんなに必要ないことに気づいた、にしてはスコップに残ってる砂の量が多いと思ったの」
「スコップに多めに砂を掬って、料理に調味料でも入れるみたいにパラパラ振りまこうとした、とは考えないんだ」
「箱が砂で溢れそうなほどギリギリならともかく、数ミリの猶予があったからね。というかそこまでして砂を入れる量を調節しないよ」
明日馬さんは寝る気満々といった調子で机に乗せた両腕に顔を埋めた。
「外に出ていた砂を袋に戻したときだけああなる。けど君以外の人が犯人ならそんなことをする必要はないわけで、砂を凶器に使う必要性がある君だけが怪しいってこと。スコップに触れないように溜まった砂を払おうにも、全部は無理。どの道、おかしいと言っても文芸部員のようなわかる人にはわかるけど、わからない人にはわからない些細なことだから、時間の無駄と思ってスコップの砂自体を無視したんでしょ?」
な、何なんだ彼女は? やる気のなさから、てっきり桂川さんのおまけみたいなものだと思っていた。とんでもない。彼女は名探偵……いや、怪物じゃないか!
戦慄する僕をよそに明日馬さんは寝息を立て始めた。チャイムが鳴って、先生が現れても、起きることはなかった。
◇◆◇
「とまあこういう感じで、疑うなら証拠出せ、っていう犯人お決まりにして敗北宣言と同義のことを言われました」
五時間目終了後の休み時間。人気のない四階の廊下にて昼休みのことをミノに報告した。
「敗北宣言と同義なのは間違いないでしょうけど、あたしたちが勝利するのに必要なものであることは確かよ」
ミノは背中を壁に預け腕を組んだ。天井を見上げため息を吐いている。
私は廊下の窓を開けて縁に両腕をだらりと乗せた。風が気持ちいい。
「奴がペットボトルを洗うところは扉のせいで監視カメラに映っていなかったらしいし……。凶器は昨日のうちに処分されたはず。もっとも、何の痕跡も残っていなかったでしょうけれど」
「じゃあ、もう明月さんたちに任せて自供を引き出すしかなさそうだね。彼が認めるとは思えないけど」
おそらくこれはミノが最も屈辱と感じることだろう。普段馬鹿にし腐っている明月さんたちに後を託すというのは。
ミノは何も答えず、自分の両手を眺めていた。
「風間の金属アレルギーって、どんな感じなのかしら」
「さあ? 少し触れることも避けるくらいだから、かなり酷いんだと思うけど」
「……」
ミノはしばらく何事か思案するように黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「アスマ。あんた、あたしのことをどう思ってる?」
「え、何さ突然。そりゃもちろん――」
つい本当のことを言おうとしてしまい、刹那で堪える。絶対蹴られちゃうよ。
「トテモスバラシイヒトダトオモイマス」
「そういうのいいから。素直に答えなさい」
「暴力振るわない?」
怯えながら尋ねた。
「ええ。何もしないわ」
「クズ。性格悪い。口悪い。目つき悪い。暴力的。野蛮。現金。偉そう。傲慢。傍若無人。生意気。うるさい。うざい。鬱陶しい。腹立つ。理不尽。最低。冷血人間。人でなし。ろくでなし。元ヤン。自意識過剰。自己中。自分勝手。ちんちくりん。むっつりスケベ。強気なこと言って私に事件解決を譲りがち」
まだまだ出せます。が、ミノが右腕を上げて寄ってきたので思わず後ずさる。
「ちょっとたんま! 暴力はなしって話じゃん!」
「ちんちくりん以降がムカついた」
「全部本当のことでしょ!」
必死の形相で訴えるとミノはつまらなさそうに腕を下ろし、私が開けた窓の縁にもたれかかった。……助かった。嘘つきも言っておくべきだったかな。
ミノは難しい表情のままスマホを取り出す。
「明月に連絡するわ。放課後、風間をとっ捕まえる。あんたも付き合いなさい」
「証拠はどうするのさ?」
「実はそんなのも、いつでも入手可能だったのよ」
「え、じゃあ何で手に入れてないの?」
ミノは一瞬だけ口を閉じ、
「あんたがボロクソに言うあたしにもね、人間として許容できないことがあるってこと」
ため息混じりに謎の台詞を吐き捨てるのだった。……よくわからない。かっこつけ、とも言っておくべきだったろうか。




