凶報は突然に
昔は家族三人、凄く仲がよかったのを憶えている。夜ご飯は父さんが帰ってくるのを待って三人揃ってから食べていたし、休日に晴れていればピクニックや近くの山に登山をしにいったりもした。
しかし今はどうだろう。父さんが帰ってくるのを待って夜ご飯を食べたら、何時になるかわからないから待つわけないし。朝に顔を合わせてもお互いに「おはよう」の一つも言いやしない。ただ無言で朝ご飯を食べるだけだ。
どうしてこんなことになったのか。私が反抗期に入ってから関係が修復しなかったからだろうか? まあおそらくそれもあるんだろうけど、一番の原因は考えるまでもなくわかっている。三年前……私が中学二年のときに母さんが事故で他界したからだろう。
よりにもよって思春期真っ盛りのときに父さんと二人暮らしになってしまい、母さんがいなくなったことの悲しさやストレスから父さんにキツく当たるようになってしまった。そして当たり前の話、母さんが死んで悲しみとストレスを感じていたのは父さんも同じで、父さんも私に過干渉するようになった。それが更に私の気を苛立たせ、仲がより険悪になっていった。
まあ父子家庭によくある……かは知らないけど、よくありそうな家庭環境だ。今日もきっと、父さんとはろくに話をせずに一日を終えるだろう。……どうしていつもは考えもしない父さんのことを考えてるんだ、私は?
もしかしたら私は、無意識のうちに予感していたのかもしれない。
◇◆◇
朝。デジタル時計が七時を表示している。まどろみの中で、なんか随分とらしくないことを考えていた気がするけど、完全に覚醒した今となっては何を考えていたのか憶えていない。なんだったっけ? ……いや、どうでもいいか。
今重要なのは、夏休みだというのにこんな朝早く起きてしまったということだ。この時間に運動部でもないのに起きてる高校二年生なんて、おそらく存在しない。二度寝しよう。
私は目を瞑った。しかし日本に住む人間ならご存知の通り、夏は暑い。朝でも暑い。カーテンを突き抜けて部屋に射し込む陽が暑い。冷房を点けようかとも思ったが、もうそれほど眠くないことに気づいてしまった。
眠くなったら昼寝すればいいか。そんな結論に至った私は上体を起こして、窓から道端の様子を見る。ジョギングに興じたり犬の散歩をしたりしてる人の姿が、特にあったりしなかった。そりゃそうか。朝早いし。
ベッドから出た私は手早く着替えると、二階からやや蒸し暑い階段を降りて一階にあるリビングに入った。
父さんがニュースを見ながら朝ご飯のお茶漬けと漬け物を食べていた。一瞬だけ目が合ったけど、お互いに「おはよう」の四文字すら言わなかった。
父さんの座る机を素通りしてキッチンへ入ると、戸棚を開けて昨日コンビニで買っておいたパンを取り出した。それから冷蔵庫を開けて牛乳を手に取り、適当なコップに注ぐ。
何となく同じ机に座るのが嫌だったので奥にあるソファに腰掛けてパンをかじった。部屋にはニュースキャスターの淡々とした声音とお茶漬けがすすられる音が響き渡っているのみだ。
何か暗いなと思ったら、我が家の小さな庭へと繋がるガラス戸のカーテンが閉まっていた。ソファから立ち上がって開けておく。
父さんが机から立ち上がり食器をシンクに置いた。それから手提げカバンを手にとって、リビングの扉のノブに手をかける。そのまま何も言わずに出ていくのかと思ったが、父さんが口を開いた。
「早矢香。今日、少し帰りが遅くなるかもしれない」
「いつも遅いでしょ」
「そうだったな」
父さんはリビングを……というか家をあとにした。
……まさか今のが、私の見た生きている父さんの最後の姿になるなんて、このときは思いもしなかった。
◇◆◇
夜の十一時過ぎ。夏休みの宿題を先ほど粗方済ませて、枷が外れて軽くなった心になっていた私は、自分の部屋でテレビのチャンネルを意気揚々と切り替えていた。その最中、ニュース番組のテロップに隣の市の名前が表示されていたため自然と手がとまった。なんだろう? と思ったら、どうやら隣の市の大学で殺人事件があったようだ。犯人は既に逮捕されているらしい。
またか……。この前も隣の市で殺人事件があったはずだ。私と同い年の女子高生二人が刺されて一人が死亡、もう一人が重傷を負ったみたいだけど、なんかその生き残った方が犯人だったらしい。大分込み入った全容らしく、別に普段ニュースを見てるわけじゃないので、詳しいことはよく知らないのだけど。
何故か最近、近場で妙に殺人事件や人死にが多い。もっともたる例が私の通っている高校で、今年になってから生徒が何人も死んでる。自殺や事故もあったけれど、殺人事件もなかなかに多い。この影響もあってか転校する生徒も増えてきている。私のクラスでは夏休み前に三人も転校していった。よっぽど心配性なんだろう。事件は多いけど、実際に事件に巻き込まれるわけないでしょうに。
……大学、か。ニュースで流れてる大学ではないけれど、父さんは大学の先生をしている。その大学は同じ県の割と都会チックなところに本校がある大学の学部の一部だから、こんな田舎の大学でもレベルはそこそこ高い。私の高校からは毎年進学者が出るか出ないかくらいである。
私はニュースへの関心を失い再びチャンネルをあっちこっち変え始めた。興味あるドラマとかもやってないし、ニュース番組は暗い話題ばかりを報道している。また勉強しよ……。
割と真面目な結論に至った私は学習机に座ってノートと参考書を広げた。そのときである。私のスマホから電話の着信音が鳴り響いた。
電話なんて、かかってきたのいつ振りだろうか。最近は大体LINEで連絡を済ませるからびっくりしてしまう。ディスプレイに表示されていた名前を見て更に驚いた。……父さん!?
一体何事なんだろうか。九時半くらいに一旦帰ってきて、しばらくしてまた外に出ていったみたいだけど……。なぜわざわざ電話をする? とりあえず出る。
「もしもし? どうかしたの?」
声音から不機嫌さを滲ませておく。しかし私の耳に届いたのは聞き慣れない男性の声だった。
『荒川丈さんのご家族の方ですか?』
スマホの向こう側からは知らない男の声だけでなく、サイレンの音や多くの人間のざわめきが聞こえてくる。なに、これ……?
「あの、誰ですか? それ父のスマホなんですけど、父はどこにいるんですか?」
『失礼しました。娘さんでしたか。私は県警の捜査一課の者です』
ケンケイの……そうさいっか?
ドラマの中でしか聞いたことのない単語を飲み込むのに数秒の時間を要した。それから急に心臓の鼓動が大きくなるのを感じた。焦りながら尋ねる。
「あ、あの、父が何かしたんですか?」
仲はあまりよくないけど、犯罪者になってもらっては困る。
しかし名も顔も知らぬ刑事さんから放たれた言葉は完全に私の意識外にあったものだった。
『落ち着いて聞いてください。あなたのお父さん、荒川丈さんが中幅公園にて遺体で発見されました』
中幅公園……というと、確か父さんの大学のすぐ近くにある公園だ。遊具とかはないけどランニングに丁度よさそうな歩道があったのを憶えている。……いや違う。そうじゃない。発見された? 遺体で? それはつまり、
「父が……死んだって、ことですか?」
『……はい。それも他殺です』
他殺……捜査一課は凶悪犯罪を取り締まる部署らしいから、それはそうだろう。他殺というとつまり、殺人事件。父さんは殺されたってこと?
ついさっき自分が殺人事件に巻き込まれるわけないと、学校を転校していった生徒たちのことを若干嘲笑っていた。それなのに、私自身が被害にあったわけじゃないにせよ、実際に巻き込まれてしまった。
頭の中がグルグルと回る。考えがまとまらない。悲しさとかショックとか、そういうものは感じなかった。現実が理解できない。意味がわからない。状況が飲み込めない。
遺体の確認をして欲しいから、住所を教えてくれ。迎えにいく。そんなようなことを刑事さんが言っていたので、住所を教えた。母親について聞かれたので事故で他界していると伝えた。
確認する場所は安置所になるため少し遅くなるとのことだったが、私はすぐにでも現実を知りたかったので、今すぐ事件現場で確認したいと無理を言った。刑事さんは神妙な声で了承してくれた。
死んだ……? 殺された? 父さんが? このときは、とてもじゃないけど信じられなかった。