運命共同体
「桂川……お前とうとう、あの学校の外でも事件を起こすようになったか」
「あたしを犯人みたいに言うな!」
日影にて、ハンカチで額の汗を拭きながら悪態をついてくる中年刑事、明月弾次郎に心からのつっこみを入れた。
明月は呆れるような表情になる。
「ったく……。どんだけ事件を引き寄せたら気が済むんだよ」
「通り魔の現場を見てしまったいたいけなJKにかける言葉とは思えないわね」
「どこにいるんだ、そのいたいけなJKは」
きょろきょろと周囲を見回す明月を前にあたしは「ケッ」と吐き捨てた。
この刑事とは腐れ縁とでも言うべき関係にある。あたしとアスマが殺人事件に巻き込まれる度に顔を合わせている。最近は不幸な事故の情報を得るために電話で話したっきりだったが、まさか夏休みに顔を合わすことになるとは。
「それじゃあ、何があったのか詳しく教えてくれ」
ペンとメモ帳を構えた明月が尋ねてくる。急に仕事を始めないでもらいたい。
あたしは先ほどの情景を思い浮かべながら話す。
「歩いてたらトイレいきたくなったのよ。そしたらちょうど公園のトイレがあったから、利用しようと入ったんだけど、あまりにも暑かったからすぐに出たわ。そしたら公園の出入り口付近で不審者があの女子高生(?)を刺してた。時刻は十四時二十二、三分。とっ捕まえようかとも思ったけど、ナイフ持ってたし距離も離れてたからやめたわ」
「賢明だな。不審者の格好は?」
「黒いフルフェイスヘルメット。黒い上着。黒いダボついたズボン。黒い手袋」
「ザ・不審者だな。性別はわかったか?」
「遠目だったし、体型が隠れる服装だからわからないわ。けど、背はそれほど高くなかった」
「なるほど。不審者はどっちの方向に逃走した?」
あたしは指をさし、
「植木の影に隠してあったバイクに乗って向こうに逃げてったわ。バイクに詳しくないから車種は知らないけど、配色は赤と黒で結構イカしてた」
「バイクで逃げたのか」
明月は腕を組んで唸った。私は指を一本立てた。
「そこからわかることが一つあるわ。犯人は刺す相手を探し回ってたんじゃなくて、待ち伏せをしていたのよ」
「ああ、そうか。お前は事件を目撃する直前でもバイクのエンジン音を聞いてないんだな?」
「ご明察、と言っておいてやるわ。あたしはエンジン音を聞いてない。つまりあたしが公園にきたときには既にバイクは隠してあったのよ。それなら本人も隠れてたと考えるのが妥当よね」
「そうだな。犯人が初めから被害者……木暮花音を狙っていたのなら、彼女がここを通ることを知っていた人物の犯行ということになるな」
「被害者の名前わかってたならさっさと教えなさいよ」
「悪かったな。どうせ訊いてくるだろうから黙ってたんだ」
気が遣えるのか遣えないのか。遣えないか。遣おうとも思ってないんだろうが。
「どうして身元がわかったの?」
「彼女の持ってた学生証から名前がわかったんだ。盟鈴学園の二年生。見ず知らずだろ?」
「ええ。顔を見たことも名前を聞いたこともないわ」
苦悶に歪む表情しか見てないけれど、たぶん会ったことはない。この市に女子高生の知り合いはいない。
「明月さん」
見知らぬ若い刑事と思しき男が明月に声をかけた。彼は明月に何事か囁く。それを聞いた明月はため息を吐き、若い刑事を下がらせた。
「木暮が死んだのね?」
先読みして尋ねると、明月は頷いた。
「ああ。出血死だと。若い命が消えるのはお前の学校だけで間に合ってるってのに」
「嘆くのは後にして、とっとと事件の考察に戻るわよ」
明月が顔をしかめた。
「また事件の深くまで首を突っ込む気か、お前は?」
「当然よ。あたし向きの事件じゃないけど、できるところまでやってやるわ。あたしを目撃者にしたことを絶対に後悔させる」
明月は何か言いたげだったが言ってもあたしが聞き入れないことを理解しているらしく、何も言ってはこなかった。
あたしは腕を組み、話題を事件へと戻す。
「さっき、犯人が最初から木暮を狙っていたんなら、犯人は彼女がここを通ることを知っていた人物……要は知り合いの可能性が高いって言ったわよね?」
「言ったな」
「あたしはその説を推すわ。犯人は木暮の知り合いだと思う。無差別的な通り魔とは思えないから」
「何でだ?」
「犯人が無差別に人を襲う奴なら、先に公園を通ったあたしが襲われてなきゃおかしいでしょう?」
「まあ、そうだな。けど無差別犯でも多少は襲う人間くらい選ぶんじゃないか?」
「例えば?」
尋ねると、明月は腕を組んだ。
「そうだなあ、女子高生を襲う、とか」
「あたしだって女子高生よ」
「制服きてないからわからなかったんだろ。お前は中学生にも見えるぞ」
「女子高生も女子中学生も似たようなもんでしょ。合法か違法かってだけで」
「両方とも違法だよ」
女子高生も違法らしい。何がとは言ってないけれど。まあ何にせよ殺人が違法であることに変わりはない。
「ま、犯人が一方的に木暮を調べてたストーカーの可能性もあるけど、あたしは犯人知り合い説を推す」
「わかったわかった。色んな可能性も含めて調べてくさ」
明月は手で顔を扇ぎながら言った。
現時点であたしが推理できるのはこのくらいだ。木暮の人間性も交友関係もわかっていない状態で事件の深部まで考えるのは愚行である。
思考をやめ、現実に戻ってくると自然とため息が漏れた。
「はあ……。まさか、こんなところでまで殺人事件と遭遇するとは。予想外だったわ」
「そういやお前、どうしてこの市にいたんだ?」
「バイクの免許取りにきてたのよ。この分じゃ、事件を解決するまでそっちに集中にできそうにないわ」
「事件に首突っ込む気マックスだな」
マックスだけど、何か問題が?
それはそれとして、あたしには一つ悔しいことがあった。
「あーあ。あたしが事件に巻き込まれたってことは、これまで事件を引き寄せてたのはアスマじゃなくてあたしだったってことよねぇ。アスマにいじられるのが目に浮かぶわ」
無性に腹が立ったが、次の明月の言葉にはっとした。
「それなんだがな、嬢ちゃんも通り魔事件の目撃者になったらしいぞ。ここのすぐ近くで」
「は? ほんと?」
「ああ。さっきこことは別の場所でサイレンが響いてたろ?」
「そういえば……」
「あれはどうやら嬢ちゃんが呼んだらしい。この事件とも関わりがあるかもしれないから、そっちには十束に向かってもらってる」
十束とは明月の部下の青年刑事だ。明月と同じくあたしやアスマとは腐れ縁がある。
「あいつの姿が見えないと思ったけど、そういうことだったのね」
「そういうこった。まあ、お前らは二人とも事件の誘蛾灯だったってわけだな」
なんだろう。それはそれで腹が立つ。
◇◆◇
「明日馬さん……とうとう学校の外でも事件を起こすようになったんだね」
「私が犯人みたいに言わないでくれますか?」
救急車で病院に搬送された茶髪さんを見送り、話を伺いにきた警察と顔を合わせたらその相手が十束さんで、第一声がこれですよ。酷いなあ。
「ごめんごめん。けど、どうして明日馬さんがここにいるんだい? 夏休みなんて、ずっと家に引きこもってそうなのに」
「私にどういうイメージを持ってるんですか」
「え、違った?」
「まあ、その通りなんですけど……。私はおつかいでここにきたんです。マルちゃんのカレーうどん、ここのスーパーにしか売ってなくて仕方なく」
「店に向かう途中で巻き込まれたってこと? 荷物持ってないし」
「いえ、帰る途中でした。弟と一緒だったので、先に帰したんです」
十束さんは苦々しい顔になった。
「事件の目撃者を帰さないでよ」
「事件を見たのは私だけなんです。最初から説明しますね」
私は事件の直前と直後の状況を説明した。路上で休んでたら茶髪さんがやってきて話しかけてきて、何やかんやあって別れたらすぐに不審者が走ってきて彼女を刺した。時刻は十四時三十分ごろだった。
話を聞いた十束さんは腕を組んで唸る。
「どうして被害者の名前を憶えててくれなかったんだ……」
「はあ、すいません」
名前はおろか顔すら憶えてなかったけど。
「茶髪さんの身元はわからないんですか?」
「うん。所持品がスマホしかなかったからね。悪いのを承知でちらっと見てみようと思ったんだけど、ロックがかかってた」
「そうなんですか。けど、私と同じ中学で盟鈴学園の二年生で派手な茶髪の学生なんて、調べれば簡単にわかりそうですけどね。身元不明の死体にならずに済むなら、茶髪さんも浮かばれますね」
「まだ死んでないよ」
あ、死んでないんだ。絶対死んだと思ってた。
十束さんが次に私にする質問か何かを考えていると、別の刑事さんがやってきて十束さんに耳打ちした。
「茶髪さん、死んだんですか?」
別の刑事さんが去るのを待って尋ねると、十束さんは首を振り、
「いや、近くで起こったもう一つの通り魔事件の被害者が亡くなった。サイレンの音、聞かなかった?」
「聞きました。近くで二件も通り魔が起こるなんて物騒ですね。こっちの事件と何か繋がりがありそうな気配がプンプンしますよ」
「僕もそう思ってるんだけど、如何せん両方とも目撃者が目撃者だからなあ」
空を仰ぐ十束さんに私は首を傾げた。
「目撃者が何なんですか?」
「……実は、もう一つの通り魔事件の目撃者が桂川さんらしいんだよね」
「え?」
桂川、って……ミノ? ミノ、事件に巻き込まれたの? 何やってるんだか……。あ、私もか。
十束さんは苦笑いを浮かべ、
「目撃者が普通の人なら繋がりがあるって自信を持って言えるんだけど、事件誘蛾灯の二人が目撃者となると、別々の通り魔事件がほぼ同時刻に起こったとも考えられるから」
あのー、十束さん。それは流石に失礼じゃなくて?
◇◆◇
しばしの時間が経ち、私と十束さんはもう一つの事件現場であるさっきの場所から徒歩七分ほどの公園にて、ミノ&明月さんと合流することとなった。
どうして私まで連れてこられたのかというと、二つの事件のうち一方の被害者である茶髪さんとは一応の接点があったので、もう一方の被害者とも何かしら縁があるかもしれない、という十束さんの計らいだった。……例え接点があったとしても私は憶えてないと思うんだけどこれ如何に。
野次馬が集まって騒然となっている公園の前までくると、バリケードテープの内側にいた明月さんが手を上げて呼ぶ動作をしてきた。十束さんに促されて、二人で中に入る。
明月さんの隣にいたミノがとても嫌そうな顔になった。
「ほんとにあんたも巻き込まれてたのね」
「それはこっちの台詞だよ。ミノが近くにいたから私まで事件に遭遇しちゃったじゃん」
「あたしじゃなくて、あんたが引き寄せたのよ」
「お前ら二人が呼び寄せたってことでいいだろ」
不毛とも言える言い争いに明月さんが話に割って入った。私もミノもむっとする。
「よくないですよ。私はなんにもしてないんですから」
「そうよそうよ。あたしをアスマと同類扱いしないでくれる?」
どうやらミノさんは私と同じ扱いをされるのが気にくわないらしい。私がミノに何したって言うのさ。ミノによく脛を蹴られてる私がミノを嫌うのはわかるけど、ミノになんにもしてない私が嫌われるいわれはないはず。世は理不尽である。
不満を漏らす私たちを刑事さん二人は無視して、事件の情報交換を開始した。まず十束さんが私の遭遇した事件の概要を説明する。
話を聞き終えた明月さんとミノは仲良く腕を組んだ。
「嬢ちゃんの同級生ってことは二年生か」
「盟鈴学園の二年生……木暮花音と同じね」
どうやらこっちで通り魔に襲われ、殺害された人は木暮花音さんと言うらしい。そして茶髪さん同様に盟鈴学園の二年生。……少しばかりきな臭くなってきましたねぇ。関連性があると考えるのが妥当だ。
続いて明月さん――というかミノがここで起こったことを私たちに説明した。
「不審者の格好も同じなんですね」
十束さんが神妙な面持ちで呟いた。ミノが見た不審者の格好はまるっきり私が見たそれだった。ただし、
「私が見た通り魔はバイクには乗ってませんでしたし、事件の前後にエンジン音も聞こえませんでした。バイクはどこかに置いてきたか、乗り捨てたってことですかね?」
私が思ったことを口にすると明月さんは頷いた。
「だな。一応、赤と黒を基調したバイクが近辺にないか、探すように手配はしてあるが――」
「明月警部」
明月さんの言葉を近くにやってきた別の警察の人が遮った。どうでもいいけど、明月さんって警部だったんだ。右京さんと同じじゃん。
見知らぬ警察官が明月さんに言う。
「赤と黒のバイクを見つけました」
「ほんとか!?」
「はい。ここから徒歩三分くらいのとこに乗り捨ててありました。できれば目撃者の方に確認を取りたいんですが……」
見知らぬ警察官がミノに視線を向けると、ミノはこくりと頷いた。
「いいわよ」
ということで、私たちはバイクを見にいくことになった。いや、私は嫌だったよ? けどミノに無理やり連れていかれたんだよ。
見知らぬ警察官を先頭に私たち四人は日照りの下を歩く。道中、気になっていたことをミノに聞いてみた。
「そういえば、ミノはなんでこんなところにいたの? 私はおつかいを頼まれたからなんだけど」
ミノは憮然とした表情で答えた
「シャコウにいってたのよ」
シャコウ……? シャコウって、社交ダンス?
「似合わないなあ」
思わず感想を口にしてしまう。ミノは眉をひそめた。
「似合うも似合わないもないでしょう」
「いやあるよ。全然ミノのイメージに合わないもん。絶対パートナーの足踏み砕くじゃん」
「パートナーって、何の話をしてんのよあんたは」
呆れたように言うミノに、私は首を傾げた。
「え、社交ダンスの話じゃないの?」
「どうしてそうなるのよ!」
「ミノが社交って言ったからじゃん」
「社交じゃなくて、車の学校と書いて車校よ!」
私はぽかんと口を開け、
「何それ?」
と呟いた。するとミノは信じられないものを見る目を向けてきた。
「どうしてそんなことも知らないわけ!? 馬鹿なの? それとも世間知らず? もしくは世間知らずな馬鹿!?」
「今まで散々ミノに罵られてきたけど、これまでで一番酷い言いようだよ。そこまで言うこと?」
「当たり前じゃない! 車校も知らないような異常者にかける情けなんてないわ! ったく、車校と社交ダンスを間違えるとかアホの極みね」
このミノの言いように、流石の私もむっとして香くんから借りたスマホで『車校』と検索してみた。テキトーなページに入って記事を読む。……私はにんまりと笑った。
「ねぇミノさん」
「あ、なによ? 世間知らずの馬鹿」
「車校ってさ、基本的に東海圏とかでしか呼ばないんだって」
私はスマホの画面をミノに見せつつ言った。
「はあ? 何しょうもない嘘を……」
スマホの画面を確認したミノが絶句する。
「え? ……いやいや、え? いや、こんなの嘘よ。嘘に決まってるわ! 車校じゃないならなんて言うのよ!」
「教習所でしょ」
「何それキモ! 教習所? ふざけてんじゃないわよ。車校よ! 絶対車校なのよ! あんたたちもそう思うわよね!?」
ミノは前を歩く明月さんと十束さんに尋ねた。
私たちの話を一切聞いていなかったらしい明月さんが面倒くさそうに顔をしかめる。
「何がだよ?」
「車の勉強をするところって普通何て言う?」
「教習所だろ」
「はあ!? ふざけんじゃないわよ! 十束、この常識知らず共に世間の常識を教えてやりなさい!」
「いや、教習所じゃないの?」
「はあ!? どいつもこいつも何アスマに洗脳されてんのよ! ちょっと、そこのあんた!」
ミノは私たちをバイクへと案内している見知らぬ警察官に声をかけて。その人は困惑したように自身を指差し、
「自分、ですか?」
「そうよ! 車の勉強をするところ、何て言うか知ってるわよね!?」
「車校ですか?」
途端、ミノの表情がぱあっと明るくなった。
「そうよね! 普通はそう言うわよね!」
「自分はそう言ってしまいますけど、あれって方言なんですよね。自分は岐阜出身ですから」
「くはっ!」
ミノが吐血せんばかりの奇声を発し、熱いアスファルトに片膝を着いた。
「そんな馬鹿な……。なんか田舎者みたいじゃない、あたし……」
「そんな心配しなくても、そもそも私たちが住んでる町は田舎だよ。だけど、これだけは言わせてもらうよ? 真に世間知らずはミノだったみたいだね」
渾身のドヤ顔をかましたけれど、蕭然とうなだれるミノには私の言葉も顔も届かなかった。