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少女たちは青春を刻まない  作者: 赤羽 翼
ダブル・ショック
10/27

明日馬薫子の夏休み

 夏休みですよ。あの長ったらしくて面倒で将来役に立たなさそうな一学期が終わって、やっとこさで夏休みだよ。夏休みになって数日経ってるのにどうして私は今日から夏休みみたいな体で語っているのだろうか? まいっか。なんてたって夏休みなんだもの! 頭もバグるよね。


 夏休みの何がいいかって、それはもちろん昼の十二時まで寝ていられるところだよね。やっぱ人間、睡眠取らなきゃ生きてけないよ、ほんと。寝なきゃ生きてけないのに死ぬと永眠するっていう矛盾。あははっ! 面白い。……どうやら夏休みで少々テンションが高まってしまっているらしい。深呼吸、深呼吸。


 夏休みに入ってからというもの、私の生活は非常に怠惰で優雅で高貴なものへと変貌した。まず夜の十二時に寝て昼の十二時に起きる。その後ブランチ――朝食と昼食を同時に取るお洒落な行為だ――を取り、それから夜までダビングしたイッテQの録画を見続ける。そして夜にちょっとだけ夏休みの宿題を進める。素晴らしい。やることがない日って、本当に楽しいよね。


 そんなこんなで、今日もお昼を食べた後イッテQを見ていた。一番好きなのはやっぱりオーシャンズ金子だ。一年に一、二回しかやらないのが残念だけど海のネタは多くはないだろうから仕方ない。


 録画を一本見終わり、さてもう一本……というところで、ソファで寝転がって新聞を読んでいたママが声をかけてきた。


「ねえ、薫子かおるこ

「ん、なあに?」


 首を傾げつつ返事をする。


「あたしこれから友達とお茶してくるから、今日の夜しゃぶしゃぶになるけど、いいわよね?」


 第三者にはお茶としゃぶしゃぶの因果関係がわからないかもしれないが、ママとそのお友達は非常にお喋りなので帰りが遅くなるのだ。だから夜ご飯を作る暇がなく、手間のかからないしゃぶしゃぶになるというわけだ。私的には誰かと喋るだけでよくそこまで時間を潰せるのか不思議でしょうがない。まあそもそも私が会話する相手なんて基本的に家族、それから放課後にミノと佐渡原先生と少し話すくらいで、夏休みの今は一日中家にいるから家族としか話さないのだが。


「真夏に食べるものじゃないとは思うけど、好きだからいいよ。それで、しゃぶしゃぶなのがどうかしたの? 」


 ママは新聞を閉じてテーブルに放った。


「シメに入れるものがないから、カレーうどん買ってきて。マルちゃんのね」


 我が家ではしゃぶしゃぶのシメにインスタント麺を入れるのだ。

 私はため息を吐き、


「ここらに売ってないよ、マルちゃんのカレーうどん」

「え、そうだっけ?」

「うん。前になくて別のカレーうどん買ってきて、不味くて最悪だったじゃん」


 ママは天井を仰いだ。


「そういえばそうだったわね。じゃあ隣までいってきて。確かあそこのスーパーには置いてあったから」


 隣、というのは我が家で言うところ、隣の市、という意味である。流石に私は顔をしかめた。


「面倒くさいよ。普通にラーメンでいいじゃん」

「あたしはカレーうどんが食べたいのよ」

「暑いし、遠いから嫌だ」

「電車でちょいといくだけでじゃない。それに車内とスーパーの中は涼しいわよ」

「いくまでが暑いよ。それに私、電車の切符の買い方知らないし。どの電車に乗ればいいのかもわからない」


 ママが驚愕の表情を浮かべて私を見てきた。が、すぐに真顔に戻り、


「まあ、薫子ならそうよねぇ。休日に自分の意志で外に出たことがないものね、あんた」

「それは流石に盛りすぎだよ。何回かはあるよ」

「あったかしら?」

「記憶にはないけどきっとあるよ」


 なかったら私、社会不適合者みたいじゃん? ミノや佐渡原先生じゃあるまいし。


「とにかく私はいかないからね。こうくんに頼んでよ。今日は部活もなくて暇みたいだし」


 とかなんとか言ってみたら、ちょうどいいタイミングで香くんがリビングに入ってきた。


「あ、香くん。ママが隣の市までマルちゃんのカレーうどん買ってきてってさ」

「は? やだよ」


 清々しいほどの即答だなあ。私は首を傾げた。


「どうして嫌なの? お姉ちゃん命令は絶対って、十年前に約束したのに」

「何でクラスメイトの顔も名前も憶えない癖にそんなこと憶えてんだよ。知らねえよそんなの。暑いし遠いし面倒だから嫌なんだよ」


 答えを聞いた途端、ママが吹き出した。


香太郎こうたろうも薫子に似てきたわね」


 すると香くんは眉根を寄せて顔を歪めた。


「母さん、それ無数にある言葉の中でもトップクラスな侮辱だからな。今すぐ取り消してよ」

「私も今まさに割とトップクラスの侮辱をされた気がするんだけど」


 つっこむけれど、無視された。

 ママは香くんに不敵な笑みを向ける。


「なら、おつかいを頼まれなさい。そうすれば香太郎は薫子化せずに済むわよ」


 薫子化とはなんぞや。香くんは不服そうに肩をすくめた。


「上手い具合にのせられてる気がするけど、わかったよ。買ってくる。姉貴と同類認定されるのは絶対にごめんだし」

「酷い言い草だなあ」


 それから、姉貴じゃなくてお姉ちゃんと呼んでほしい。そっちの方が可愛いから。後でじっくりと言い聞かせよう。しかし今はとりあえず、


「それじゃ、いってらっしゃーい」


 香くんに声をかけ、私はテレビに向き直る。しかしママはそれを許さなかった。


「薫子もついていきなさい」

「どうして?」


 きょとんと首を傾げる私。


「その歳で電車の乗り方も知らないなんて、日本人として終わってるからよ」

「いやいやそんなことはないでしょ」

「あるわよ。そんなだから薫子って言葉が侮辱として成立するのよ」

「成立しちゃってるの? 私にも全国の薫子さんにも失礼だよねそれ」

「あんたが全国の薫子さんに申し訳ないと思うなら香太郎についていきなさい。まああんたのことだから見ず知らずの薫子さんになんて、なんの情も抱いてないんでしょうけどね」


 そりゃあ同じ名前ってだけで情なんて抱けない。そもそも同じ名前の人に会ったことないし。

 けど自分の名前を最大級の侮辱として扱われるのは、流石の私でも癪に感じる。仮にうちで流行ったらミノじゃなくてもイライラしてしまうだろう。ため息を吐き、テレビのリモコンを切った。


 やれやれ……どうやら、人間いくつになってもママには勝てないみたいだ。



 ◇◆◇



「『大人』ボタンを押して」

「最初からなってるみたい」

「なら往復を押して」

「押したよ」

「二百四十円区間」

「押した。で、市の名前を押せばいいの?」

「そう」

「五百円入れる?」

「そう」


 お釣りと共に二枚の切符が出てきた。私は香くんにどや顔をかます。

 しかし冷たい目を返された。


「他人の指示で切符買えたくらいでよくそんな顔できるな」

「いやいや記念すべき日だよこれは。私が電車の切符を買うことなんて、今後二度とないからね」

「記念になるのか、それ?」


 香くんがさらっと切符を買いながらつっこんでくる。

 続いて、時刻表の見方を教えてもらった。


「掲示板を見るだろ」

「見てるよ」

「出発時刻と地名が書いてあるだろ。地名が終点の駅だ。自分が降りる駅が上りなのか下りなのか確認して、掲示板に出てる番号の地点で待つ。そんだけ」

「ほへぇ……。凄いね香くん」


 心の底から感嘆したんだけど、香くんは呆れたままだった。


「何が凄いんだよ。電車乗れて自慢できるのは小学校低学年までだ」

「そんなことはないでしょ。それだったらお姉ちゃんの立場ないじゃん?」

「姉貴の立場なんてとっくにねえよ」

「だからさあ、姉貴じゃなくてお姉ちゃんって――」

「あと三分しかないからいくぞ」


 香くんは私の訴えをガン無視して改札口へ入っていった。照れてるのかな?

 隣の市へは十五分ほどで到着した。電車から出た途端に包まれる熱気に二人で顔をしかめつつ、マルちゃんのカレーうどんが売っているスーパーを目指す。まあ私はスーパーがどこにあるかわからないから香くんについていくだけなんだけど。


 スーパーは予想よりもずっと遠かった。てっきり駅前の大通りをちょちょいと歩けば着くスーパーだと思ってたんだけど、どうやらそのスーパーにはマルちゃんのカレーうどんは売ってないらしく、その先の国道沿いにある別の店まで歩くことになった。普段から運動をしておらず、かつ真夏日ということもあって、それだけで私の体力は半ば限界を向かえていた。 


「香くーん……おぶってちょうだいな」

「嫌だ」

「おぶってくれないと泣きわめいちゃうよ?」

「置いてくからいいよ。恥をかくのは俺じゃないし。そもそも人通りが少ないから泣きわめいてもあんま意味ないけど」


 冷たいなあ。しかし、何やかんや言いつつ、そこは我が弟。しばらく経ってからこんなことを言い出した。


「ちょっとコンビニのトイレいってくる」


 香くんは踵を返してもときた道へと戻っていく。近道として大通りを離れて人通りのない住宅街を通っているため、近場にコンビニがないから国道沿いまで戻る必要があるのだ。

 さっすが香くん。私を休憩させるためにわざわざ遠いトイレにいってくれるなんて。お姉ちゃん思いの子に育ってくれて嬉しいよ。


 私は建物の影に入って縁石に腰掛けた。小学生みたいな行為だけど疲れちゃってるから仕方ない。

 ぼうっと空を仰いで香くんの帰りを待っていると、私たちが進みたい方向から同年代くらいの女の子が走ってくるのが見えた。それだけなら記憶にも残らないできごとなのだが、その女の子、真夏日にも関わらず毛糸のニット帽を被っている。流石にびっくりしてしまう。


 何なんだろう。最先端のオシャレか何かかな? 寒い日に露出するというオシャレはメジャーだけど、暑い日に着込むというオシャレは初めて見た。まあニット帽以外はショートパンツに半袖Tシャツと、夏らしい服装だけど。


 何となくその子を眺めていると、何故か私を見て目を見開き立ち止まった。


「明日馬……」

「え?」


 どうして私の名前を? あ、もしかして知り合いだったりした?

 謎の少女はばつの悪そうな顔で、


「久しぶりね」


 と呟いた。……どうやら本当に知り合いだったらしい。誰だろう。見覚えすらない。ニット帽から少しはみ出ている髪を見る。かなり明るい茶髪だ。そんな人なら割と印象に残りそうだけど……あ、もとは黒髪だったろうから印象に残らなくて当然か。


 私はこういうとき、話を早く終わらせるためにとりあえず相手に話を合わせるようにしている。どうして早く話を終わらせたいかって? 私は知らない人と長々話すほどお喋りじゃないからだ。


「うん、そうだね」


 にっこり笑顔も忘れない。

 話を早く終わらせるには自分からその場に相応しく、そして素早く終わる話題を提供するのも大事だ。


 この茶髪さんは久しぶりと言った。つまり最近は会ってないということになる。夏休みになってまだそれほど経ってないから、今のクラスメイトではないと思う。では一年のときのクラスメイトの可能性はどうかという話になるけれど、クラスでは会わなくても学校で見かけたりはするだろうから、久しぶりという感想が真っ先に出たりはしないだろう。つまり彼女は小学、もしくは中学時代の知り合いだ。私の今の容姿は小学時代と比べてそれなりに大人びているから、当時の知り合いは出会ってもたぶんわからないと思う。だから彼女は……、


「中学以来だね」

「……そうね


 予想的中。まあ数多の事件の――不本意だったけど――解決してきた私にかかればこんなものですよ。


「高校はどこ通ってるんだっけ?」

盟鈴めいりんだけど」


 盟鈴学園、というとこの市にある私立校か。


「じゃあ電車通学だ。朝起きるの大変じゃない?」

「まあ、そうね」


 さて、これで一通りの会話は終わったかな。私は別れ挨拶でもしようと思ったのだけど、それより先に茶髪さんが怪訝な表情で口を開いた。


「あんた、ほんとにあたしのこと憶えてる?」


 予想外の言葉だった。ここまで君のことを読んだにも関わらず、それを訊かれるとは。

 会話をいち早く終わらせるのには、正直に「ごめん。全然憶えてない」と答えるべきだったのだが、柄にもなくテンパってしまった。


「え、も、もちろん憶えてるよ。私が君のことを忘れるはずがないじゃん。うん」


 茶髪さんは眉をひそめる。……ま、まずい。声がうわずったから逆に怪しまれてしまったかもしれない。

 やはりというかなんというか、茶髪さんが質問してきた。


「じゃあ、あたしの名前は?」

「え、あー、名前ね。茶髪ちゃがみ髪子ぱつことか、そんなような感じの名前だよね」

「そんな名前の人間がいるわけないでしょ! 髪の毛の色でテキトーに言ったわよね!」

「そ、そんなことないよ! ジョークジョーク。旧友からのちょっとした再会祝いジョークだよ」


 キョドって変な言葉が口からぽんぽん出てしまう。そんな私に大して茶髪さんは呆れたようなため息を吐いた。


「もういいわ。二年前から何も変わってないわね、あんた。じゃあね」


 茶髪さんは私から視線を外すとそのまま歩いていく。

 テキトーなことを言いまくってしまったが、それが功を奏したようだ。ラッキー。ほっと胸をなで下ろす。危機は去った。

 あーあ香くんまだかなあ。もときた道を振り返る。しかし見えるのは茶髪さんの後ろ姿だけ……と思ったのも束の間、フルフェイスヘルメットを被り、夏に似つかわしくない黒い上着とダボダボのズボンを身にまとった不審者が私のすぐ隣を走り抜けていった。あのままじゃ茶髪さんにぶつかるんじゃない?


 茶髪さんも茶髪さんで不審者の接近に気づいたらしく、勢いよく振り返った。しかし回避には間に合わず、二人は真正面からぶつかった。あちゃー。


 ……あれ? 様子がおかしいな。二人、もしくは片方くらい転んでもよさそうなのに、二人は至近距離で立ち止まったまま動かない。

 疑問に思っていると、インパクトの瞬間から数秒遅れて茶髪さんが膝から崩れ落ちた。どう考えても普通にぶつかったときの倒れ方じゃない。


 縁石から立ち上がって様子を詳しく見ようとすると、不審者が私の視線に気づいて真っ直ぐ走り去っていった。

 経験的にわかった。面倒なことになったな、と。私が倒れている茶髪さんに近寄ってみると、案の定、彼女の腹部にナイフが刺さっていた。刺さったままだから出血は多くないけど凄く痛そうだ。


 とりあえず、救急車を呼ぶべきだろう。しかしあいにくと私はスマホを携帯しない主義なので持っていない。近くに公衆電話もない。困ったものだ。

 そういえば、さっきどこからか救急車だかパトカーだかのサイレントが鳴っていた。割と近くにいるかもしれない。だからといって探しにいくわけにもいかないけれど。


 どうしたものかと思考を巡らせていると、香くんが戻ってきた。


「姉貴、待たせてごめん。今さ、凄い露骨な不審者とすれ違っ――」


 私の足元で横たわる茶髪さんを見て香くんは絶句した。それから怯えるような表情になり、


「な、な、何があったんだよこれ!? そ、その人、ナ、ナイフがさ、刺さって――!」

「さっき香くんがすれ違った不審者が刺してったんだよ。あ、そうだ。香くん、スマホ貸して。救急車と警察呼ぶから」


 香くんが震える手でスマホを差し出してきたので、まず最初に救急車を呼ぶことにした。番号は確か……なんだっけ?


「救急車って何番で呼ぶっけ?」

「119だよ!」

「それ消防じゃなかった?」

「一緒なんだよ! こんなときにふざけてる場合かよ!」


 いやふざけてはないんだけど……。そういえば前もこんなやり取りをミノとした気がする。

 私は近くにあった郵便ポストを目印に救急車を呼び、ついでに警察も呼んでおいてもらった。


 ふぅ、と一息ついて、頭を抱えて現実を受け入れられてなさげな香くんに向き直る。


「香くんは先に帰ってて。私は第一発見者だから、たぶん帰り遅くなるからよろしく。あ、それと連絡する用にこのスマホ借りるね」

「な、何でそんな平然としてられるんだよ……。ひ、人が、目の前で刺されてんのに」


 香くんが憔悴したような声で訊いてきた。何々、最近生意気になってきた我が弟にも可愛いところがあるじゃない。

 私は「んー」と空を仰ぎ、お姉ちゃん風を吹かせた。


「慣れてるから、かな」

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