第1話
私立花園学園。県下でも美形ぞろいで有名な完全寮制の男子高校である。
どんなバカでも、容姿さえよければ……というか、理事長に気に入られれば簡単に入学できてしまうというウワサがたってしまうほどだった。
* * * * *
「提案します」
生徒会役員会終了間際の声に、室内にいた生徒たちの視線が声の主に集中した。
徳平慎。一年生でありながら、その類いまれなる美しい容姿によって生徒会副会長という地位にあった。
少し丸みのある輪郭の中には、碧い瞳と筋の通った鼻と引き締まった形の良い唇がバランスよく収まっている。やわらかな栗色の髪とその碧い瞳は祖父からの遺伝らしい。
男子の中ではどちらかというと小柄な彼は守ってあげたくなるタイプのように見られがちだが、その外見とは裏腹に彼はありとあらゆる武道に秀でていた。なめてかかると、こちらが痛い目に合ってしまう。
「何かな、副会長」
生徒会長である爽風嵐丸は、その切れ長の双眸を細めて慎を見つめた。漆黒の瞳と髪の美貌の持ち主は一年の時から三期連続で生徒会長の地位を独占していた。
慎を天使に例えるのなら、嵐丸はまさに神のような存在といえよう。
垂下がった前髪をかきあげるさりげない仕草ひとつしただけで、失神する者もいるぐらいだった。
「会長、ボクは学園内での恋愛禁止を提案します!」
立ち上がった慎は、キッパリと凛とした声で言った。と同時に、他の生徒たちが騒めき始め、室内には重苦しい空気が漂う。
「それはどうしてかな?」
椅子にもたれかかり、あくまで嵐丸は冷静に問う。
「どういうこと、って……?」
慎の頬がぴくぴくしているのがわかった。
「会長がとぼけるつもりなら、ボクも先にひとつだけ言わせてもらいますけど。ここは生徒会室なんですよっ! ファンタジー映画とかに出てくる王様の謁見の間とかじゃないんですっ! どうして、会長が玉座に座っててボクたちは机も椅子も与えられず、あなたにひれふしていなければならないんですかっ?」
ぜぇぜぇと肩をいからせてまくしたてる慎。
「ずいぶんと説明くさいセリフだな。ま、それはともかくとして。だって、この方が楽しいだろう。三年目にもなるとやっぱり変わったことやりたいからな」
「だからって、もっと他に何かあるでしょう? そんなことにばっかり生徒会のお金使って」
「いいんじゃない。みんな満足してるみたいなんだから。それに、ファンタジーは今年のマイブームだし」
しれっと悪びれず答える嵐丸。慎は両拳をきつく握りしめて、必死に怒りを押さえているといった様子だった。
「会長がそんなだから他の生徒たちが調子に乗るんですっ!」
「うちの学園は基本的に自由奔放なんだから」
「それにも限度があります!」
慎が嵐丸の言葉をさえぎる。かなり興奮してきているようである。
「手をつなぐ程度ならボクだって我慢できます。しかし、所構わずキスはする。寮ではよばいが頻繁に行なわれている。この状況に会長は何も感じないんですかっ?」
「別に。恋愛は当人同士の自由だ。それを他人が……いや、校則などで縛るものではない」
もっともらしい正論を返すと、慎はうつむいて体を震わせた。
「何が当人同士の自由ですかっ!」
慎は顔を上げると、嵐丸に歩み寄る。
「男と男で恋愛して何がいいんですかっ?」
怒りに顔を紅潮させ、ガミガミとまくしたててくる慎。他の生徒たちはただ呆然とその光景を見つめていた。
嵐丸にここまでキッパリと反論を述べたのは、慎が初めてだった。しかし、嵐丸にはそれがかえって楽しくて楽しくてたまらなかった。
(この顔見せられると、余計にいじめたくなるんだよな)
嵐丸の悪い癖がまた出始めていた。
「しょうがないだろう。ここは男子校なんだから」
「そんな当たり前みたいに言わないで下さいっ! と、とにかく、ボクの提案受け入れてもらいます」
「まぁ、次の役員会までには検討しておくよ」
にーっこりと微笑むと、さすがの慎もそれ以上は何も言ってはこなかった。
「それでは、本日の役員会は終わり」
嵐丸の声に一同が立ち上がり恭しく一礼する。
生徒会室から真っ先に出ていったのは、やはり慎だった。
「会長、どうするおつもりですか?」
慎がいなくなったのを見計らって、書記である篠崎雅祐が少し距離をおいて、不安げな表情を浮かべて嵐丸を見つめている。彼は去年までは副会長だったが、慎の登場によって今は書記の地位に甘んじている。
「副会長の提案が決まってしまったら、僕はもう……」
と、涙ぐむ。他の生徒たちも同じ心境なのだろう。口には出さないが、みんな悲しげな瞳で嵐丸を見つめている。
「安心しろ。俺だってそんなことになっちまったら人生終わりだからな」
「本当ですか?」
パッと一同の顔が明るさを取り戻す。うれしさのあまり抱き合ってキスをしている者もいた。
「要するにだ。あいつにわからせちまえばいいんだ。アレの気持ち良さを」
嵐丸が魔性の笑みを浮かべた。
「お前たちどんなテを使ってもいいから、慎を落とせ。俺が許可する」
「許可するって言われましても、副会長はガードが硬いんですよ。今まで何人かよばいに挑戦した者もいるんですが、全員返り討ちに合ってますし」
「だから、どんなテを使っても、だ! あいつにだって弱点のひとつやふたつはあるだろうからな」
「とにかく、がんばってみます」
雅祐たちはその瞳に闘志を燃やし、ぞろぞろと退室していく。
(ま、期待はしてないけどな。俺の見込んだ男がそんなにあっさりと落とされるとつまんないしな)
嵐丸は胸中で毒つきながら、ほくそ笑んだ。
慎は意味のない生徒会役員会を終えると、すぐに寮へ帰った。
男子寮は学園から徒歩三分の位置にあった。二十階建ての高級マンションを思わせるエントランスを抜けると、慎はエレベーターに乗る。
慎は自分の部屋がある五階のボタンを押す。
「どうしてボクは会長の前だと素直になれないんだろう」
エレベーターの中で、慎はひとりごちた。
花園学園を受験したあの日。慎は初めて嵐丸に出会った。あんなに綺麗な男の人は見たことがなかった。
心がときめいていた。自分でも信じられないくらいに。そして、まるで吸い寄せられるように慎の唇に嵐丸の唇が触れてきた。
初めてのキス。
慎の心は唇と同時に嵐丸に奪われたのだった。
(なのに、会長ときたらボクの気持ちを知ってか知らぬか、手当たり次第つまみ食いばっかりして……)
今日の生徒会役員会での提案は、嵐丸に対するやきもちだった。
(でも、あんなのであの人を縛れるわけないんだよなぁ)
慎は胸中でぼやくと、長いため息をもらした。
エレベーターが五階に到着すると、ドアがゆっくりと開く。
ロウカに敷かれた赤い絨毯の上を歩きながら、慎は自分の部屋に向かう。
慎の部屋のドアの前に誰かが立っていた。
「あ、徳平くん」
気付いて、慎の方を見る。隣室の加我山岬だった。慎と同じく一年生だ。クラスは違うが、おとなしい性格の岬は慎が気を許せる数少ない人間だった。
説明するまでもなく、容姿はかわいいに属するタイプだ。
「実家からクッキー送ってきたから、いっしょに食べないかなって思って」
人懐っこい笑顔を浮かべてくる。
「わざわざ待っててくれたんだ。ありがとう」
笑顔で答えると、慎は部屋のカギを開けた。
ワンルームマンションを思わせる室内には、電化製品や家具といった生活に必要なものは
すべてそろえられていた。
「お邪魔しまーす」
岬は部屋に入ってくると、テーブルの上にクッキーの入った缶を置いた。
「飲み物が缶しかないんだけど、いいかな?」
「うん。ありがとう」
慎は冷蔵庫を開けると、ミルクティーとコーヒーを取る。ミルクティーの方を岬の前に置くと、慎も腰を降ろした。
「いただきまーす」
岬はミルクティーを取る。
慎はコーヒーを一口飲むと、岬が開けてくれたクッキーを手に取った。
「あ、あの徳平くん。さっき聞いたんだけど、今日の役員会で何かすごい提案をしたんだっ
て?」
ミルクティーの缶に口をつけながら、もぞもぞとしゃべる岬。
「早いね。もう知ってるんだ」
「それで……あの、徳平くんはその……本気でそう思ってるの?」
「うん……まぁね」
慎は曖昧に答える。今更後悔しているなどとは言えなかった。
「僕は今のままでいいと思うんだけど」
岬が小声で呟く。
(そういえば、加我山くんはどうやって今日の役員会でのボクの提案を知ってるんだろう? ボクは役員会が終わってすぐに寮に帰ってきたっていうのに)
「っ?」
慎は口の中に入れたクッキーに違和感を感じてすぐに吐き出した。
「何を入れた?」
慎は岬をにらみつけた。岬は引きつった顔でこちらを凝視していた。
「ぼ、僕は嫌だって言ったんだよ。だけど、篠崎センパイが言うこときいたら、僕の願いを叶えてくれるって言ってくれたから」
「願い?」
岬はポッと頬を赤らめる。何の願いだったのかはだいたいの想像はつくので突っ込まないでおく。
慎は両手をわななかせて、すくっと立ち上がる。
「ごめんなさい、徳平くんっ!」
涙目になって、慎の足にすがりついてくる岬。
「でも、徳平くんもいつかはわかるよ。あの気持ち良さが……」
熱い吐息をもらす岬。
岬の気持ちもわからないでもないが、もう後戻りはできない状況に追い込まれていることを慎は再確信した。
慎は岬の首根っこをつかむと、そのまま部屋の扉を開けてロウカを放り出す。
「あーん、徳平くーん! 僕の話を聞いてよーっ!」
扉の向こうで岬が訴えかけてくる。
「んなの聞けるかーっ!」
慎は罪悪感を感じながらも、岬が持ってきたクッキーも放り出す。
岬はしばらくの間何かわめいていたが、慎は徹底的に無視した。
(ごめん、岬くん)
慎は心の中で岬に謝った。
「それにしても、反対派がこんなに早く仕掛けてくるなんて」
考えていなかったわけではない。あんな提案をすれば全校生徒、いや教師たちさえも敵に回すことになってしまうのは必然だった。
慎は身の危機を感じ、夕食さえも他の生徒たちとは別に取ることにした。
「あの人がおとなしくしているはずがなかったか」
慎は毒づいた。
自分を亡き者にしてまで、今の性欲を守り続けたいのだろうか。
(会長はそこまで……)
落ち込んだ後に、やり場のない怒りがふつふつとこみあげてくる。
「こうなったらボクにだって意地があるっ! 絶対にボクの提案を成立させてみせるからな」 慎は日課の筋力トレーニングを終えると、これからの戦いに備えてさっさと寝ることにした。




