幽霊少女と猫
「んっ……ここ、どこ……?」
目を開けると、見覚えのない場所だった。
薄汚れているがどうやらここは木造の建物の中のようだ。
というか、私はなんでこんなところに来たんだろう。
必死に考えたけれど何も思い出せない。
「おっ、新入りさんかい?」
だ、誰……?
声のした方に目をやると、そこには1人の男が立っている。
その男は、右手にステッキを持ちシルクハットを被っていた。
「俺の名前はヴァン。君は?」
「わ、私の名前はアリス……です」
この人、さっき私のことを新入りって呼んでたけど、どういうことなんだろう。
「で、君はなんで死んだんだい?」
ん……?
んん!?
何言ってるのこの人。私が死んだ……?
「僕は交通事故でね……新しいステッキを買ってはしゃぎすぎてたら車に轢かれたんだよね」
そう言ってヴァンは右手に持ったステッキを自慢げに私に見せてくる。
私、もしかして今死人と喋ってるの?
いや、っていうよりさっきのこの人の言葉からすると、本当に私死んじゃったの?
でもそうだとしたらなぜだろう。この人と違って私、死んだ時の記憶が一切ない。
「おーい、聞こえてるかい?もう一回聞くけど、君は何が原因で死んだんだい?」
「えっと……それがわからないんです」
「わからないだって?記憶がないってことかい?」
「まあそんな感じです」
「それは大変だ!ネル爺のところへ行こう!」
ヴァンはその言葉とは裏腹に随分と楽しそうだ。
「ネル爺……?」
「ネル爺はすごいんだよ。僕たち幽霊が前世でやり残したこととかをやり直すチャンスを1回だけくれるのさ。さあ、行こ行こ」
そう言ってヴァンは私の手を取り、部屋のドアを開けた。
「ネル爺の部屋はこの部屋のすぐ近くだから」
なんて強引な……
しかも廊下の床が腐ってるのかミシミシいうし……
「着いたよ。ここにネル爺がいるのさ」
私がどうでもいいことを考えているうちにネル爺とやらの部屋についたようだ。
でも私、なんて言えばいいの?
死んだのかもしれないんですけど記憶がないんですなんて言ったらマヌケすぎるよね。
「ネル爺!入るよー」
ちょっと!まだ何言えばいいか考えてないのに!
ヴァンに手を引かれて部屋に入る。
その部屋はとても汚かった。本棚から溢れた本となんだかよくわからない書類があちらこちらの床に散らばっている。
えっと……足の踏み場なくない?
私がそんなことを考えていると、ヴァンは慣れた足取りでスタスタと進んでいる。
「ネル爺、この子記憶喪失みたいなんだけど」
ヴァンが声をかけた方に目をやると、古びた机に向かって椅子に座り何かを読んでいる男の姿があった。
爺っていうからもっとヨボヨボなのかと思ってたけど、見た目は30歳くらいに見える。
「記憶喪失?どういうことだ?」
ネル爺はこちらに振り向いて言う。
うわ、やっぱり爺っていう年齢じゃないわこの人。
「なんか、死んだ時の記憶がないみたいなんだよね」
「ほぉ。詳しく聞かせてもらえないか」
「いや、僕が知ってるのはそれくらいで……」
「お前じゃない。そっちの子に聞いてるんだ」
そう言ってネル爺は私を指差す。
そう言われても、私だってよくわかってないんだけど……
「あの、私、死んだ時の記憶だけがないんです。生きていたときの記憶はあるんですけど……」
「なるほど。じゃあ君が死んだとき、何かショックを受けるようなことがあって、そのせいで記憶を失ってしまったのかもしれないな」
ネル爺は目を閉じて、考え込んでいる様子だ。
数秒ほど経って、ネル爺は再び口を開いた。
「君はさっき、生きていたときの記憶はあると言ったな」
「……はい」
「ならば君がどんな風に生活してたのか、教えてくれないか?」
「……えっと、私の家は3人家族でお父さんとお母さんがいました。それと、1匹の猫を飼っていました。名前はニルヴァーナって言います。とっても可愛いんです。それで、私の家はあまり裕福ではなかったのですが、お父さんが勉強は大切だからと言って、学費の高い学校に通わせてくれていました。あとは……」
「そのくらいでいい」
私の言葉を遮るようにネル爺は言った。
「君は生きていたときにやり残したことはないか?」
ああ、さっきヴァンが言ってた1つだけ願いを叶えてくれるっていうあれね。
「やり残した、というのとは違うのかもしれないんですが、私、まだニルヴァーナにお別れを言えてないからニルヴァーナとちゃんとお別れがしたいです」
「わかった。では手を貸してくれ」
ネル爺の差し出した手に私の手を乗せる。
すると、辺りが青白く発光し始めた。
なにこれ!すごい幻想的なんだけど!
「僕も行くよ!」
そう言いながらヴァンが私の手の上に手を乗せた瞬間、辺りは真っ白になり私の意識は途切れた。
「着いたようだな」
「こ、ここは……」
目を開くと、そこはかつて私が住んでいた家だった。
ってことは!
「ニルヴァーナ!どこにいるの?」
「ミャーオ」
「ニルヴァーナ!」
私がリビングのドアを開けると、そこには見紛うこともないニルヴァーナの姿があった。
「ニルヴァーナ!相変わらず可愛いわね!いい子にしてた?」
私はそう言いながらニルヴァーナを撫でる。
ニルヴァーナは喉をゴロゴロとならし嬉しそうだ。
キーン!!
突然、私の背後から金属がぶつかり合ったような音がする。
びっくりして私が振り返ると、そこには鉄パイプを振り下ろしたお母さんと、その鉄パイプをステッキで受け止めているヴァンの姿があった。
お母さん……?まさかヴァンのことを不審者だと思ったの?
「違うのお母さん!その人は……」
「なんでお前がここに!殺したはずだろう!」
「お母さん……?」
お母さんの姿は、私が生きていたときに見たものとはまるで違っていた。
髪は乱れ、目は充血している。
「死ね!」
「ウグッ!」
お母さんの鉄パイプに押し負けたヴァンが吹き飛ばされる。
お母さんはそんなヴァンには目もくれず、私の方に一直線で鉄パイプを振り上げて向かってくる。
あれ?この構図どこかで……
「この厄介者がぁ!死ねぇぇぇぇ!」
まさか……!
「愚か者が!止まれ!」
そうネル爺が声を上げると、お母さんの動きが止まる。
「なぜ体が動かない!」
そう叫ぶお母さんを横目で見ながら、ネル爺が私に向き直り言う。
「思い出したか?」
「……はい」
私は全て思い出した。あの日、何が起こったのかを。
「ただいまニルヴァーナ!あれ?お母さんは?」
いつもならニルヴァーナと一緒に出迎えてくれるはずのお母さんがいない。
でも足音が聞こえる。多分他の部屋にいて、今こっちに向かってきてるんだろう。
ドアを開ける音がした。
「ただいま、お母さん」
私がそう言いながら振り向くと、そこには鉄パイプを手に持ち、鬼の形相で私のことを睨むお母さんがいた。
「お母さん……?」
「この厄介者がぁ!死ねぇぇぇぇ!」
私は為すすべもなく鉄パイプで頭を殴られて、死んだ。
「で、君はこれからどうしたい?」
ネル爺が私に問いかける。
どうって……私はこれからどうすればいいの……?
私が黙りこくっているとネル爺が口を開く。
「君がこの女をどうするかは勝手だ。もし殺したいのであれば俺が殺してやろう」
「少し、お母さんと話をさせてくれませんか?」
「わかった」
私はお母さんの方に向き直る。
自分を殺した人と喋るなんて怖くて足が震えそうだ。
「お母さん……なんで私を殺したの?」
「なんでって、そんなの決まっているだろう。お前の学費のせいで私が苦しい生活を送らなければいけないなんておかしいじゃないか。お前を殺せば金銭的に余裕が生まれる。そう思ったから殺しただけのことだ」
「そんな……それにお父さんは?お父さんはそんなことさせないはず……」
「あのクソ野郎はお前より先に殺したよ」
……なんですって?
「元はと言えばあいつが余計なことを言わなければこんなことにはならなかったんだ。あんなクソ野郎は死んで当然さ」
私はもう言葉も出なかった。この人は狂っている。誰が何を言おうとこの人はもう治らないだろう。
そんな私の様子を見て、ヴァンが苦しそうにしながら喋り出した。
「アリス、もう帰ろう。ニルヴァーナを連れて。この家に居たっていいことなんて何1つないよ」
その言葉にネル爺も続く。
「そうだ。君はこんな狂人に付き合ってやる必要はない。あの屋敷で一緒に暮らそう。もちろんニルヴァーナも一緒にな」
私が頷くと、ネル爺は私の手を取る。その上にヴァンが手を乗せ、ニルヴァーナが飛び乗る。青白い光に包まれる。
ああこの光景、なんか家族みたいだなぁ。
そんなことを考えながら、私の意識はまた途切れた。