その1
「はぁ〜かわいいなぁ〜」
熱い吐息を漏らす僕。
見つめる先にはクラスのマドンナ鷺ノ宮涼子さんの姿がある。
だれにでも優しく勉強、運動共に成績優秀な彼女は今日も人一倍輝いて見える。
サラサラの亜麻色の髪に真っ白なうなじ。高い鼻にぱっちりとした可愛らしい目。
薄い唇はほのかに桜色でついキスした時の感触を想像してしまう。
情報屋から聞いた話によるとロシアのクウォーターらしく、おまけに家は結構なお屋敷らしい。
超かわいい、キスしたい、付き合いたい。
僕は帰りのホームルームの前、いつものように友人と談笑する鷺ノ宮さんをこっそり見つめている。
それだけが僕の楽しみと言っても過言じゃない。
高校生男子の僕は今一番、そういうことを考えるし中学生の時よりも童貞ながら知識も増えた。
かわいい女の子を見てその子と付き合う想像をする。
なんら不思議なことじゃない。
「よぉ、平助。帰り駅前に新しくできたラーメン食いに行こうぜ」
「遠慮しとく。今月ピンチだし」
後ろの席から背中をツンツンと突っつく友人、木暮慶太はそれを聞いて不満そうに口を尖らせる。
「えぇ〜行こうぜ行こうぜ」
「嫌だ、行かないよ。奢ってくれるなら別だけど」
ちぇっと舌を鳴らせて拗ねる慶太を僕は幼馴染でありながらも妬ましく思っている。
サッカー部のエースで目鼻立ちのしっかりとした男前。肌は健康的に日焼けしていてちょっと天然っぽいところが親しみやすく女子にも人気。
童顔でチビな僕とは正反対の男らしさをもった幼馴染。
どうせならかわいい女の子の幼馴染がほしかった。
そしたら甲子園にも連れてくし、難解な殺人事件もズバッと解決する高校生探偵にもなれる気がする。
「旦那、新しい情報が……」
僕の席の目の前でわざとらしくハンカチを落としたクラスメイト服部伝太郎は膝立ちで止まったまま細い目で僕をじっと見つめる。
「………聞こうか」
そっと伝太郎の胸ポケットに五百円玉を忍ばす。
「へっへっ、まいどあり」
「…それで情報は?」
「鷺ノ宮涼子は今日、友人と駅前のカフェに行くそうです。期末テストの勉強会かと」
ということはそこに偶然を装って行けば、なにか会話ができるかもしれないということか。
「ありがとう、また頼むよ」
何事もなかったように立ち去っていく伝太郎こそ、学校屈指の情報屋である。
彼に聞けば好きな子の好みのタイプから下着の色までなんでもわかる。
僕の金欠の理由はここにあるが、仕方がない有益な情報のためだ。
気付かぬうちに始まった帰りのホームルームを聞き流し、僕は鷺ノ宮さんの妄想に耽った。
寒空の下、地面に広がる落ち葉を踏みながら歩く帰路。
入学した時に鷺ノ宮さんを一目見てかわいい人だと思った。
それからはや、数ヶ月。
あんなに咲き乱れていた桜の木は桃色の衣を脱がされて寒そうに風に吹かれている。
道中に自販機で暖かい缶コーヒーを購入し、いつもの神社の境内に座り込み、一口すすった。
年末は人でごった返す神社も今はまだ人影もなく閑散としている。
あの木は何年前からあるんだろう、すごく大きいなぁとかそんなつまらないことを考えながらもう一口暖かいコーヒーを口に含む。
本当は鷺ノ宮さんのいるカフェに行きたかったけど財布を開き、ため息をつく。
季節は冬に近づいているが、それなら僕の財布は氷河期だ。
財布に入った小銭数枚が僕の身体を芯まで冷えさせる。
確かここは白蛇神社だっけ。
白蛇は富をもたらす神の使いって話だけど本当かな?
試しに財布から5円玉を掴んで、賽銭箱に投げ入れてみた。
確か二礼二拍手一礼だっけ。
ガラン、と鐘を鳴らしうろ覚えの作法で神様にお祈りをする。
お金がほしいです。というか、彼女がほしいです。モテたいです。
心の中で念じ、神前を離れて再びコーヒーを一口。
困ったことは神頼み、自分の都合の良さに思わず苦笑する。
こんなことで金持ちになって彼女もできるなんて雑誌の裏の胡散臭いネックレスぐらいありえないじゃないか。
「その願い聞き入れた!」
通学鞄を抱えて今にも帰ろうとしたその時に御扉が勢いよく開き、真っ白な髪の少女が姿を現わす。
「お主の願い、聞き入れたぞ」
透き通るように真っ白な肌。
少女は真っ赤な瞳を光らせて妖艶な笑みを浮かべる。
「妾が力を貸そうじゃないか」
「へ? え? なにこれドッキリ? 君は誰?」
「妾は神じゃ」
辺りを見渡すがテレビカメラどころか人影一つない。
なにこの子、かわいいけど本殿に入って遊んじゃダメでしょ…。
真っ白な髪の少女はパニクる俺をほっぽって話を続ける。
「授けようじゃないか、お主に天下取りの力を」
「いや、天下取りの力はいらないや」
「え?」
「……え? いや、天下取りの力はいらない」
さらりと出た僕の言葉に白髪の少女は目をパチクリさせる。
いやだって天下取りの力は現代にはいらないでしょ。
「 あ〜〜ちょっと待って。もう一回聞くから」
少女は急に砕けた口調になり、こほんと咳払いした後、先ほどと同じように手を突き出して、
「お主に天下取りの力を授けよう!」
「あの…だから…天下取りの力は……いらないです」
「……いやいや、わざわざ神様である妾を呼び出しておいていらないはないでしょうよ、いらないわあぁぁぁぁぁ!!」
急にブチ切れた。
本殿の柱をぶん殴り、奇声をあげながら暴れまわる。
「いやだって、僕が頼んだのはお金がほしい、彼女がほしいだし天下取りの力なんてまったく必要としてないもん」
「あ〜あ、つまんない願いで呼び出されたもんじゃ。あっ、もう神様っぽい喋り方もやめるから〜」
どかりと床にだらしなく横になってふて寝をする少女。
時折、深いため息をつきながらお尻をボリボリと掻き毟る。
「あ、あの〜…あなたは本当に神様なんですか?」
「そうですよー白蛇の神様。この神社に祀られた土地神〜」
恐る恐る尋ねる僕にやる気なく答える神様。
確かにその出で立ちは神々しいが、なんかイメージと違う。
「それで…どうするのじゃ?」
いつの間にか取り出した煎餅をバリボリと頬張りながら、神様は面倒くさそうに聞く。
「どうするって…天下取りの力を? 今は戦国時代みたいに国取りがあるわけでもないし、さっきも言ったけど天下取りの力は必要ないや。ごめんなさい」
「はぁ〜〜つまらない世の中になったもんじゃの〜。信長とか言ったっけ…あやつが来た時はもっと活気があったのになぁ〜」
え? 信長ってあの信長。
驚く僕を見て、少し嬉しそうに神様は笑う。
「ほう、信長を知っておるか。あやつに天下取りの力を授けたのも妾じゃ。あれからすぐ眠りについたがさぞ立派に天下を取ったであろう」
懐かしそうに笑う神様。
知らないんだ…。
「あの…信長は天下取り目前で部下の明智光秀に殺されましたよ」
「な、な、なにをぉ〜!? 死んだのか天下取り目前で!?」
神様はガバリと起き上がり、僕の身体を揺する。
「一大事じゃ…このままでは天下取りの神としての沽券に関わる…あのハゲ侍がぁ、勝手に死におって…こうなればなにがどんな形であろうと天下取りじゃ!」
真っ赤な瞳を光らせて神様は僕の腕を強く握りしめ、天高く掲げる。
「よし、天下取りの始まりじゃ!」