二.知らないところで変なフラグをおっ立ててたらしい。
前回より4倍ぐらい長いです…。基本の長さはこちら。
ヴーーーッ ヴーーーッ ヴーーーッ
シーツの上で震えるそれの振動と、独特の音が耳を刺して、私の意識はぐずりながら浮上した。反射的に苛立ちながら、手だけを伸ばして音源を探る。ああ、煩い。
翌日、私は枕もとで煩く唸るスマホに起こされた。鳴りやむ気配の無いそのバイブ音は、目覚ましのそれとはリズムが違う。
「―――……はい、もしもし…」
『なこさぁぁぁぁぁんっ!』
「……うっさ…」
その声量に唸って、私は寝返りを打った。
寝起きの耳許に、この声は実に優しくない。やめろ。煩い。
『お願いします助けてください奈楜さん!!』
どう贔屓目に考えても小さいとは言えない声で名前を連呼されて、自然と眉間に皺が寄る。結果的に応える声も低くなったけど、致し方無いよね。
「……うるさい。なーに、しょーた」
電話の主は、少し前に仲良くなった年下の男の子。……言っておくけど、別に怪しい関係じゃないから。
弟の繋がりで知り合った彼は、とても人懐っこい男子高校生だ。いい子だけど、時々ちょっとジェネレーションギャップを感じる。若者のノリについてくにはお姉さん限度があるのよ。
『あれっ、奈楜さんもしかして寝てました!?』
「完全に君に起こされたね………で、なーに」
昨晩お酒を飲んだ身だし、二日酔いということは無いけどゆっくりしようかなと思ってたんだけどなー。これは出来そうにないなと判断して諦めて身体を起こす。くあ、と欠伸が漏れた。
『あのー…すごく申し上げにくいんすけど……』
「大ボリュームで寝起きを叩き起こしたんだから今更でしょ」
『うぐっ』
自覚はあったのか、電話越しに翔太が呻いた。
「……それで? 翔太が私に電話寄越すなんて珍しいじゃん、どうしたの。他のメンツは?」
『一応連絡はしたんだけど、みんな、捕まらないか忙しいかのどっちかで……』
「…あらま」
『それで、最後の手段と思って奈楜さんに連絡したんですけど…』
「なるほどね」
そういうことか。なんでわざわざ私に、と思ってたけどだいたい把握した。
「……それで? 用件は?」
『それなんですが………』
ベッドから降りながらそう促すと、翔太は言いにくそうに口ごもった。
『…………あの、忘れ物したんで持って来て欲しいんですけど………』
「……………」
思わず溜め息を吐いても、私は怒られないと思う。
「おっかしいなー、私翔太は高校生だと思ってたんだけど。あっれー? ごめん、小学生だったっけ?」
『高校生です! 紛う事なき高校生モデルです!! ごめんなさい、今日の撮影で絶対必要なものだから!! 持って来て下さいお願いします!!!』
スマホ片手に土下座でもしてそうな勢いに、やれやれ、と溜め息を吐く。奈楜さぁぁぁんっと必死すぎる声を機械越しに受け取って、私は、あーはいはい、と返した。
どうせ今日は用事も無いし、特に予定も無かったし。暇と言えば暇だったから、まぁいいか。
「いいよ。どこに何持ってけばいいの?」
『本当!? やった、ありがとう奈楜さん! 助かります!』
今頃見えない尻尾がぶんぶん振られてそうだなーなんて思いながら、私はお届け物の中身と配達先を聞き出した。
翔太に言われた物を彼の住むシェアハウス――うちの叔母が管理してる小さなやつで私もちょくちょく出入りしている――で回収した私は、今現在某撮影スタジオに来ている。聞いたときも思ったけど、やっぱ生粋の一般人である私には少々ハードルが高いよ翔太くん。別にいいけどさ。
慣れない場所に内心でびくびくしながら受付で名前を告げると、話を通してあったらしくあっさり通された。ぶっちゃけその場で荷物を預けて帰りたかったなんて言わない。言わないヨ。ウン。
時折すれ違う人たちには取り敢えず会釈しておいて、言われた場所へ向かう。それほど掛からずに着いたそこは、ごくごく普通のオーソドックスなフォトスタジオだった。
ひとまず、失礼します、と小さく挨拶しておいて中へ足を踏み入れる。撮影中らしく、カメラマンさんの指示の声や、シャッター音が頻繁に聞こえた。撮影されているのは……あ、翔太だ。うわー、なんか新鮮。
「――見ない顔だと思ったら。しょーたくんの関係者?」
仕事の邪魔をしないよう隅の方で突っ立って翔太を眺めていたら、誰かにそう声を掛けられた。振り向いてまず目に飛び込んできたのは、色素の薄い髪。まぁ、こんな現場じゃそう珍しくも無いのかも知れないけど。
目が合って、にこりと微笑まれたので曖昧に頷く。随分と見目麗しい青年だ。
「……まぁ、友人です」
整った顔立ちに、髪と同じく色素の薄い瞳。それが地なのかどうなのかは知らないけど、その雰囲気は明らかにスタッフさんたちのそれじゃない。多分、翔太と同じモデルさんなんだろう。翔太とはまったく系統が違うけど。何だろう、この妙な色気。いや、男には男の色気ってもんがあるっていうのは分かるんだけど。
「そうだったんだ。意外な接点」
「……はぁ」
別段露出している訳でも無いのに色気のある彼に相槌を打ちかけて、はた、と気付く。今、何かおかしくなかったか。
「……意外な、接点…?」
それだけなら、色々解釈のしようはあるけど。この流れでのそれと、その前に付けられた『そうだったんだ』という言葉。初対面の流れなら普通『そうなんだ』となる筈の所での、その僅かな言葉の違いに私は妙な感じを受けた。まるで、以前にも会ったことがあるような。
私にモデルの知り合いなんてものは………あ、いや、翔太はそうだけど。でもそれ以外に心当たりもコネも無いんだけど…………うん、なんか嫌な予感がするのはナゼ?
「あれ、やっぱり気付いてない?」
私の疑問に、彼は更に笑みを深めて言った。
気付いてない。気付いてないって。待て、なんか嫌な予感しかしないんだけど。
「―――昨日は、変なところ見せちゃってゴメンね?」
「………!」
爽やかな笑みと言うよりかは、妖しい笑みを浮かべて言われたそれに、私は目を見開いた。――――待て、まさかこいつ……!
「……き、のうって……」
「うん、昨日。の、夜」
更に言えば、細い路地で、君が通ろうとした道で、もう一人はスーツを着たおじさん。そう、事も無げに続ける彼に、いよいよ私は顔を引き攣らせるしかなかった。見なかったことにしてた筈の、昨日のアレ。まさかその当事者とか………嘘だろ。………嘘だろ……!?
「……それは、どうも…」
「うん。ビックリしたでしょ。あ、それとも俺のこと女の人だと思ってた?」
その言葉の意味を理解して、私の頬は引き攣りが酷くなった。つまりあれだ、昨日の私の予想は当たっていた訳だ。男同士に見えたのは決して見間違いじゃ無かったと。そんなこと知りたくも無かったわ……!!
だったら悪いことしたかなぁ、なんて付け足す目の前の男の顔に浮かんでいるのは、まるで悪びれない笑み。明らかに口だけだ。
「いや、それは……」
「あれ、気付いてた? わぁ、それはそれで凄いな」
………なんだろう、馬鹿にされてる感じしかしない。
「でも驚いた。また会うなんて」
「……そうですね」
私は会いたくなかったけどな。
凄いねー、と全然思って無さそうな声音で言う彼に、私は内心で溜め息を吐いた。
まさか、まさか気付かれてたとは……。嘘だろマジで…? ていうか、何で会うの何このエンカウント率おかしくない? そもそも何で声掛けてきたし。スルーだろ。そこはスルーだろ馬鹿。三次元ホモは私の中では需要皆無なんだよ! せっかく見なかったことにしてたんだから現実を突き付けるな……!
ぐだぐだとひとしきり胸中で文句を言ってから、視線をずらして翔太がいた方を見る。どうやらちょうど撮影が終わったらしく、挨拶をしている所だった。
「……あ、終わったみたいだね」
私の視線を辿ったのか、この妙な男は同じ方を見てそう言った。
「じゃあ、俺はこれで。またね」
私を見つけたらしい翔太がこちらに寄ってくるのを横目で見て、彼はそう言って去っていった。正直、『また』なんて来なくていいんですが。
「奈楜さん! ごめん、お待たせしましたっ」
「お疲れ様」
去る背中をちらっと見てから、私は翔太に笑いかけた。走り寄って来て目の前で止まる姿は、正しく犬だ。可愛い可愛い。
「一応言われた物持ってきたけど。間に合った?」
「大丈夫です。使うのはこれからなので」
「ん、なら良かった」
宅配物を鞄から取り出して渡すと、ありがとうございますっ、と翔太の顔に花が咲いた。……ああもう、可愛い可愛い。
「? どうかしました? 奈楜さん」
「いや、何でも無い」
思わずよしよし、とその頭を撫でるときょとんとされた。まぁそうだよね。
さすがに同業で知り合いでもありそうな男を指して、相手するのに疲れたからあんたに癒されてる、とは言えないので曖昧に笑って誤魔化す。最後にぽんぽんと頭を軽くたたいて手を離すと、こてん、と翔太の頭が傾いた。何なのお前可愛いなくっそ。
「……よく分かんないけど、まぁいいや。――あ、そう言えば奈楜さん、イオリさんと知り合いだったんですか?」
「イオリさん?」
「七瀬伊織さん。さっき喋ってた人」
「…………」
あの人が仕事以外で女の人と喋ってるのって珍しいんですよねー、という翔太の声は、右から左に流れて行った。……知りたくも無い名前を、知ってしまったよちょっと。
「……いや、ちょっと前に偶然会ったことがあっただけ」
「そうなんですか?」
「そうそう」
「ふぅん…? でも、イオリさん人の顔覚えるの苦手なタイプで有名だから、奈楜さんよっぽど印象に残ってたんですね。何したんですか?」
「してない。何もしてない」
無邪気に聞いてくる年下の少年に、全力で否定を返しておく。してない。本当に何もしてないから私。
「そんなことより、翔太時間いいの? 次あるんでしょ?」
「あ、そうだった。じゃあ、オレそろそろ行きます。どうします? 見学していきます?」
「いや、いいわ。気持ちだけ貰っとく。仕事頑張って」
「はい! じゃあまた!」
文句無しに爽やかに笑って去っていく彼にいってらっしゃいと手を振って、帰宅するために踵を返す。同じ『また』でもこうも印象変わるのね、とどうでもいいことが頭を過った。