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タエナバ  作者: 立田
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 あれは学舎の最後の一日でした。わたくしたち幼生が一堂に集められ、真綿に包まれるように保護された時代の終わり。

 わたくしたち一族は少子化のせいでめっきり数を減らしていたけれど、まだ同世代の者が数名揃っていました。塚の中でもっとも安全な暖かく湿った洞室にわたくしたちは集められ思い思いの格好でくつろいでいました。下位の系から選ばれた導師がわたくしたちの歴史や習わし、そして臣について教えてくれていました。

 たとえ肩を並べて同じ言葉に聞き入ったとしても、学舎が終われば、次に互いが対面するときは闘いになるのだとわたくしたちは徐々に気づかされてゆきました。隣で褪めた黄色の臣にだらしなくもたれ掛かる幼生も、元気がよすぎて注意を受ける赤臣の主であるわたくしの又々従兄も、己の敵になるのです。そして彼らを根気よく注意する、わたくしたちが知るべき事柄をやさしく説明する導師ですら。

 わたくしたちはそういう一族でした。高度な知能やら文化と自身をたたえる一方で、同族殺しの衝動にかれた哀れな種。累々と積みあがった死骸を爪先で踏みつけて、危うい均衡のもと滅びを待っていたのです。自らの血族の命を奪い、狭い地底の箱庭をまるで輝かしい王国のように偽って。信用できるのは血も体もまるで交わることのない、姿形も遠くかけ離れた種族のみ。それも自分たちが選別し、交配を重ね、己の使役する目的のために作り出した従者だけ。

 わたくしたちは滅びゆくものが吐き出した最後の息吹でした。かつては臣が入りきらないほど幼生で埋め尽くされた部屋も、いまとなっては中央でわずか数名が導師を囲むだけ。

 臣たちは静かに眠らされていました。もし教師が衝動に駆られた際には分泌物を感知して即座に臨戦態勢に入れるように、教師とは管で繋がれていたけれど。

 わたくしは臣というものをよく知らないまま、黒く大きな塊と化したあなたにぴったりと寄り添っていました。祖父はわたくしを可愛がってくれていたけれど、わたくしは昔からあなたの傍がいちばん好きだったの。

 わたくしはまだあなたの食餌についても知りませんでした。わたくしを構成するものについても知らなかったのです。それを教えられたのも学舎でのこと。頭、胸、腹、外殻、髄、脚、手、眼、口、臓、気管、雌であれば卵素らんその入った卵宮らんきゅう、雄であれば精宮せいきゅう精素せいそ、そして頸元の泌腺ひせんから排出される泌素ひそ。最後のひとつが臣達の糧でした。

 それまでは世話役が幼生から搾素さくそして臣に与えていてくれたのだと導師は言いました。幼生の発育に影響しない量を、それぞれの主として刷り込むのに必要な限度で。でもこれからはわたくしたち自身が、己の臣に泌素を与えなければならないとわたくしたちは教わりました。臣達は主族の躰の一部であれば、ある程度は摂取することができるけれど、臣を管理しうるのは泌素の量しかないと。そして、泌素を与えないと臣は狂うのだと。

 次は臣への食餌の与え方を実践します。

 導師が言ったのを合図に、わたくしたちは部屋からそれぞれ退出していきました。いえ、しようとしました。導師が、あなたを起こそうとするわたくしを制止し、残るように指示したのです。

「六十七文字の末の姫」 導師はわたくしの幼少時代の異名を呼びました。

 主族の中では、王系に近いほど長い名を持っているのです。導師はたしか二十文字程度だったでしょうか。己の名より長い者の名を呼ぶことは不敬にあたるため、わたくしたち生徒には皆異名がつけられていました。

「僭越ながら……あなたには本来、赤臣があてがわれるはずだったというのをご存知ですか」

 わたくしはかぶりを振りました。導師は溜息をつきました。

「そうなのです。覇王がどうしても、と強奪したので……いえ、そんな話をしようとしていたわけではありません」

 できることなら、わたくしはもっとくわしく聞きたかった。あなたが私のところに来た顛末を。けれど導師の浮かべた表情があまりに真剣だったので、わたくしは押し黙っていました。

「泌素は生まれたときから躰に一定量しかないということをお話ししたのをおぼえていらっしゃいましたか」

「卵素と同じですね、おぼえています」

 よく聞いていらっしゃいました。導師はわたくしを褒めました。

「ただ、卵素がなくなっても死にませんが、泌素は使い切ると死ぬのです」

 黒臣は確かに最強の従者ですが、その分与えなければならない泌素も大量です。赤臣の何十倍もの泌素を一度に食べるのですから。

「……世話役が測定したところ、貴方の泌素は黒臣を使役するには到底足りないという結果がでました。貴方に負担が大きすぎます。使い続ければ余命は他の者の三分の一以下になってしまう」

 わたくしはうつむきました。「なぜ覇王はこんなことを……」という導師の声が聞こえました。いまになって思ってみると、わたくしのことを心配してくれた、あなた以外の唯一の存在かもしれません。覇王は、わたくしを可愛がってくれたけれど、思いやってはくれなかったのですから。

 今代の覇王はわたくしの祖父でした。王のなかでも特に優れた者は覇王と呼ばれ、同族たちの畏敬を一身に集めます。あまりにも力が強大だから闘いを挑む者もいないのです。たとえ、覇王が常軌を逸したとの評判があっても。

 いいえ、噂ではなく本当に狂っていたの、己が孫を慈しんでいたのだから。

 覇王ではないわたくしは、幼生だったから襲撃こそされなかったけれど、風当りは日に日に強くなっていました。又々従兄がわたくしに冷たく当たるようになっていたわけも、やっとわかりました。

 血縁でも殺し合うわたくしたちに例外はなく、子であっても成長後は敵となります。わたくしたちは子を成しても、己が生み出した者の顔すら見ません。

 覇王も自分に立ち向かった己の子をなぶり殺していた。それなのに、その子であるわたくしを一転愛玩したのです。黒臣を与え、他の幼生とは引き離して己と同居させていたのです。

 わたくしが理解力を身に着けてからは、学舎から帰ってきたわたくしに色々なことを教えてくれました。王専用の緊急艇の隠し場所、主を失った従者を保存する方法、従族すべての指揮系統を奪い取り数秒間は己の従者とできる韻律。性急に注ぎこまれる知識にわたくしは不安になりました。

 そしてその不安は的中したのです。

 あの日、導師と別れ、あなたを起こしたわたくしは重い心を抱えて帰りました。あなたを手放したくなかったけれど、あの頃はまだ怖いものがたくさんあって、祖父も己の死もその中にあったのです。

 そんなわたくしが王の間に入った途端、一陣の風が襲い掛かってきました。突き飛ばされたわたくしの目前で、あなたと祖父の黒臣が激突しました。わたくしは混乱して祖父を探しました。祖父は、いつもの定位置でつまらなそうにこちらを見ていました。その瞬間、わかりました。祖父に助けを求めても無駄だということが。

 わたくしは必死で王韻律を祖父の黒臣に送り込みました。右の蟀谷こめかみの上、あなたに韻律を送るために埋め込まれた器官が焼けつくように熱くなりました。ついで、頭が割れるほどの痛み。

 祖父の黒臣が動きを止めたのも、同じ痛みに襲われたからかもしれません。

 そして、その一瞬であなたは標的を祖父に摩り替えた。急に方向転換しても勢いを失わない鋭い打撃が祖父を襲いました。祖父は胴体を斜めに断たれても声を発さなかった。己の血塗れの躰に深々と刺さるあなたの腕を見下ろしたとき、わずかに面白がっているような表情を浮かべただけでした。

 今ならわかるのです。助けを求めようとしたわたくしを眺めていた祖父のあの眼。なににも関心がない、石のような眼。祖父は、覇王は、自らを斃す敵を作り出そうとしていたのでしょう。きっと、生きることにいていたのです。孫でなくてもよかったし、勝敗にも関心を持っていなかったようでした。わたくしが勝てばんだ生に終止符が打てる。わたくしが負ければ新しい暇つぶしを探せる。たぶん、もっと強敵を作り出そうとしたことでしょう。

 近づいてみて、わたくしは祖父の黒臣が仮死状態にあることに気がつきました。きっと祖父は泌素を極限まで与えていなかったのです。単純に祖父にはもう泌素がなかったのかもしれないし、生死を賭けるための一環かもしれなかった。だからこそわたくしたちは生き延びられたのです。食餌を与えたこともない主と、闘いに不慣れな従者が。

 うるさいと思ったのは、わたくし自身の呼吸音でした。緊張の糸が切れて、わたくしは二つの躰の間に座りこみました。体のどこもかしこもがほてり、眼が潤みます。蟀谷の痛みは刺されるものよりも脈打つものになっていました。

 目を閉ざした先の闇に、先の見えない未来に、怯えるわたくしにひんやりとした手が差し伸べられました。あなたの手は無骨な見かけにそぐわず、わたくしの頬をやさしく滑り、たどりついて頸の後ろを支えてわたくしの顔を上げさせました。

 わたくしはあなたの口が近づいてくるのを、息をひそめて待っていました。それまで体験したことはなかったけれど、なにが起ころうとするのか知っていたのです。あたたかい闇のような翅にすっぽりと包まれ、このまま誰の目にも触れないように隠していてほしいと思いました。そして、ついにあなたが泌素を喉を鳴らしながら飲み込みはじめると、背筋が甘くおののきました。もっと、もっと欲しがってほしかった。

 それがわたくしの命を縮める行為であっても、あなたが求めてくれているというだけでわたくしは幸せでした。狂った血筋の果てに、いつ掻き消えてもおかしくない灯を貧弱な躰に点し、祖父をその場で殺したばかりだったというのに。

 こうして、わたくしは王の位を継いだのです。




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