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庇護者を失くし、覇王の後を継いだ我が君のもとには、目的を異にする来客が次々と訪れた。私という黒臣を従える女王を襲撃しようという無謀な者もいたし、番に立候補する者もいた。
私は前者に対応し、我が君が後者に対応する際は我が君の傍に控えていた。我が君はどの相手にも色良い返事を返さなかったが、そのうちついに一名と対話の場を設けざるを得なくなった。何せか弱い我が君よりも、一族の後ろ盾を得ている指導者が強引に訪ねてきたのである。
指導者とは我が君の又々従兄であった。王系の傍流の傍流の出だが、現存している主族の全員が程度の差はあれど王系に属している以上、流れる旧祖の血の濃さにさしたる意味はなくなっているのだと我が君は言った。だが、我が君こそが直系であり黒臣の主である。
私は政事となると、我が君に私の守護が及ばないことを忌々しく思った。数日来の熱がやっと下がったばかりの我が君を病床から担ぎ出す求婚者が憎かった。我が君は寝付いていた間にまた痩せ細り、抱き上げた体は記憶より遥かに軽かったのだ。
「お会いできて光栄だよ、幽邃にて黒を御す白の女王 」 求婚者が我が君の名を続けて諳んじたのに、私の目前が真っ赤に染まる。我が君の名は六十七文字、最も長く貴い呼称であり、誰もその名を口にすることは許されぬ。我が君を明らかに愚弄されて動いた私を、白くかぼそい姿が制した。
「今日は婚姻を申し込まれにいらっしゃったのでは」
「そうだよ、君にとっても悪い話じゃないでしょう」 なんせ僕からの停戦申込みなんだから。求婚者は傲慢に答えた。我が君の制止さえなければ、 私は無礼な相手の息の根を止めていただろう。主族の慣習を教え込まれた私ではあるが、複雑すぎてとても理解できたとはいえなかった。どうせ殺し合うのならば、嫌いな相手はさっさと殺し、好きな相手と子を成せばよいではないか。
主の一族はお互いを排斥しあう衝動に抗がえず、隙あらば同族内で殺しあう種族である。けれど彼らの殺戮は生存可能性と力量比較のうえに成り立っている。そのうえ幾つもの例外が設けられていた。
代表的なものを挙げよう。
臣のまだ付かない幼生に手は出さない。
己の番は殺さない。少なくとも子を成すまでは。
確かにそのような計算がなければ、主族は数世代前に滅びていただろう。そもそも私達従族のように多産ではないうえ、生まれてくる幼生の大半が虚弱なのだ。皮肉なことながら虚弱の最たるものともいえる我が君が、卵宮を持つ最後の一名なのだった。
「現存している一族のうち君の血筋は最上だし、僕はもっとも強靱だ。僕と君の間に生まれる子らの生存可能性が一番高い」
「わたくしは、子は産めないでしょう」
「卵素を提供してくれるだけでいいよ」
「それなのに番として扱うと?」
「君は黒臣の主だからね」
我が君は当初、求婚者の権力に屈して話合いに応じたのだったが、彼の言葉には興味を惹かれたようだった。互いを殺戮する衝動に忠実すぎるほど忠実な主族の中で、彼は珍しい存在といえただろう。
「造反だよ、女王」 求婚者は窓の傍へと我が君を誘った。求婚者の従者である赤臣は、王との謁見の儀礼に従って扉の向うの次の間に控えていた。 それでもなお私は我が君の横に控え、我が君が彼に近づいて指し示された光景を眺めるのに付き従った。
通常であれば、真下の耕地では、従族のうち臣に選抜されなかった者が主族の食糧を集めるために酷使されていただろう。数日の間に景色は変貌していた。作物は引き抜かれ、畝は壊され、用水路は涸れていた。従族を統率する主族の姿はない。ただ従族だけがどこからともなく続々と集って塚を厚く包囲していた。不穏な雰囲気が群衆の間に漂っているのが上層からでも見て取れた。
「君が安穏と寝ている間に騒乱があった。一回目のは辛うじて抑え込んだけど今こんな感じ。蹴散らしても蹴散らしても戻ってくる」 まあしばらくは持ちこたえられると思うけど。求婚者は我が君の手を取った。一瞬私は牙を剥こうとしたが、殺意がなかったため踏み止まった。
「早く手を打たないと押し留められなくなるよ、女王。あいつらがどれだけ短期間に殖えるか知ってる? それに引き替え、僕等の数はどんどん減ってる」
求婚者は朗朗と声を発した。彼は己が言う通り、主族にしては強権な体付きをしていた。黄臣程度を相手にすれば闘っても少しは持ち応えたかもしれない。正直に認めよう、その手が我が君の手を握っているのは私に嫌悪感を催させた。
「旧祖達は時空を自由に翔け、空中に数え切れぬほどの都市を建造したというのに、僕等子孫は土埃の舞う小さな塚にしがみつき、しまいにはかつて完全に隷属させたはずの従族すら恐れている。だけど従族は愚かだよ。僕達は優れた者だけが生き残り、惑星に残された僅かな資源の分配を受ける権利を得る。従族は違う。殖えに殖え、ついには全て根絶やしにするだろう。そうしてこの惑星は滅びるんだ」
我が君が既に求婚者の話に興味を失っているのは明らかだった。同族といえど陰に日向に我が君を貶めつづけてきた者共とその子孫が、滅びるとしても我が君には何ら関係ないことだ。
「卵素については、こんどくわしいお話を聞いてもいいかもしれませんが」 けれど、いまはお引き取りを。我が君が合図したので、私は行動でもって退出を促そうとした。
「そう? それからそろそろ黒臣も交尾させないとね」
我が君は本当におろかであった。そんな言葉に動揺するとは。それでも実際に我が君の心は揺らぎ、そこに隙が生まれた。私がいかに早く動いても間に合わなかった。彼は既に標的との距離を零にしていたのだから。
手に針を撃ち込まれた我が君の呼吸は引き攣り、それは私にも影響した。私の弱点を周到についた作戦だった。主が攻撃を受けると、従者には混乱が生じる。一秒の何十分の一という間だが、相手は至近距離に居たうえ、何百回となく修練を重ねていたのだろう。私が意識する前に、私の頚の繋ぎ目にも針弾が刺さっていた。即効性の薬剤だったのだろう、私は音を立てて昏倒した。この、私が。我が君が私に寄り添おうとして、侵入してきた赤臣に攫われた。求婚者が我が君を痛罵するのが聞こえたが、私は体のどこも動かすことができなかった。
「王がこの有様では我々がかくも悲惨な状況に陥るわけだ。この面汚しが」
何が最強の黒臣だ、我が君の守護だ。こんなにも己が憎かったことはない。私はもがき抗ったが、我が君の声が私を止めた。
「だいじょうぶよ、うごかないで。わたくしはだいじょうぶ」
「そうだな、きっと大丈夫だ。殺しはしない。生かしておくよ、卵素も黒臣の餌も必要だからな」
赤臣の主は私達を嘲笑った。処置室への連行を命じられた赤臣は従順に背を向け、担ぎ上げられた我が君は涙の溜まった眼で私を見た。
私達を隔てる扉が閉まる。昇降機が作動する音がして、私達はついぞなく離れ離れとなった。
襲撃者は私に近づくと、不遜な顔で私を覗きこんだ。
「やっと返ってきたな、僕の黒臣が。精素を採ったら始末しなきゃならないのは残念だが」
怒りが喉を灼いた。一挙動で腕を敵の腹部に突き入れて。他方の手で驚きを表している頭を握り潰し、胴体から引き抜いた。背中まで貫いた腕を一振りすると軟弱な体は二つに裂けた。二つ程度では気が収まらなかった。激情のままに骸を毟り引き千切り肉を断ち数え切れぬほどの欠片にしてやりたかった。
(それを殺してきて)
我が君にそんな命令をさせたこの敵も許せなかったが、何よりもそれを受けた己自身も赦せなかった。最強の黒臣の名は飾りではない、私が薬効の支配下に置かれる時間は極めて短い。であるから、私は赤臣から我が君を奪い返すこともできたのだ。それを、我が君が止めた。王にのみ許される韻律を使って。敵と赤臣に我が君を弑する意志がなかった以上、私は命に従わざるを得なかった。
我が君はいつでも死に囲まれており、まるで磁力が働いているかのようにそれに引き寄せられる。我が君自身がそれにふらふらと近づいてすらいるのだ。私は重々承知していた筈だった。我が君から死を遠ざけ続けるには僅かな失敗も許されない。それなのに私は倒れ、その瞬間に我が君がまた死へと一歩を進めたのだった。私の努力を無にする我が君の望みになど私は頓着しない。私は私の定めを全うするまで。
私は惨状を後にし、我が君の後を追う。