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タエナバ  作者: 立田
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3

 黒臣が赤臣に飛び掛かりました。

 まさに一閃。それだけで赤臣の片翅がもぎ取られます。

 臣たちの闘いに技巧などありません。ただぶつかりあい、一方がもう一方を圧倒し凌駕する。

 わたくしは放り込まれた養殖槽の底に立ち、重く硬く巨大な二つの塊が繰り返し相手に体当たりをするのを見ていました。びりびりと空気が揺れ、かたかたと機具が鳴りました。わたくしに処置を施そうとしていた者たちは巻き込まれるのをおそれ、既に散り散りに逃げだしていました。

 黒臣がわたくしをここに閉じ込めたのは安全のためでしょうけれど、わたくしは歯痒かった。あなたに逢いたかった。もしもわたくしに黒とは云わずとも黄臣ほどの力があれば、わたくしと外を隔てる壁をよじ登ることもできたでしょうに。ただ無力さを噛みしめながら漫然と助けを待つのではなく、わたくし自身であなたを迎えに行けたでしょうに。あなたが一度そうしてくれたように。

 わたくしはずっと思っていたの。あなたの主であることを、この栄えある地位を、わたくしの手で勝ち取っていればよかったのに。わたくしの名にかけて、誇りにかけて、わたくしがあなたを自分の手で勝ち得ていたら、あなたに少しでも釣り合っていたでしょうに。

 そう、わたくしはずっと悔しかったの。あなたはこの世のものとは思えぬほどうつくしい。動きは軽やかでなめらか、そして影のように速く。黒く艶やかな躰は闇のようで、わたくしを支える手は力強く。それなのに、わたくしはあなたに釣り合わなかったから。

 わたくしは出来損ないの主でした。本来、求婚者のために飼育されていた黒臣を横奪した仮の主。だからこそ、わたくしはあなたにひときわ心を傾けたの。たとえ己が顛倒てんとうしても、比類ないほどおろかだと蔑まれてもかまわなかったわ。その様子があまりにもおもてだっていたものだから、臣に心酔するなどわたくしは出来損ないだという者もいました。女王という名の道化、何人もの覇王を生み出した血族の恥晒しだと。

 他の誰が何を思おうが、蔑もうがわたくしは構いませんでした。でもあなたにだけは一片の曇りもない主でいたかったのです。わたくしを構成するものはいつのまにかあなたへの望みだけになっていて、あなたにはわたくしの良い部分だけを知ってほしかったの。わたくしがあなたの本来の主でないこと。あなたがわたくし以外の誰かのためのものだったなんて決して知ってほしくはなかったのです。

 赤臣は黄臣より強く、黒臣は赤臣より強い。だからこそわたくしの祖父はわたくしに黒臣を付けてくれたのです。当初予定されていた赤臣の代わりに。

 そして、それゆえに、わたくしの代わりに赤臣の主となった最後の求婚者はわたくしを憎み、欲したのです。

 けれど、目の前の闘いでは、黒臣は赤臣に押されがちでした。黒臣は目覚めたばかりで、しかも痩せ細っていたから。

 わたくしは息を詰め、下腹部に刺さったままだった管を引き抜きました。肉が裂ける音がして、ひきずり出された管にはわたくしの躰の一片がぬらぬらと光っていました。

 黒臣の勢いがいや増したのは匂いを嗅ぎつけたからでしょう。長く続いた絶食の後では、気が違うほどの誘惑だったのかもしれません。

 狂ったように暴れる黒臣に赤臣が劣勢になるのを見届けてわたくしは壁にもたれました。わたくしにとっては耐え難い痛みではなかったのですけれど。始終襲われる吐血と発作で、痛みには慣れているのです。

 ただ早く終わることを願っていました。あなたがまたわたくしを助け出す前に。

 あなたはわたくしの弱いところ、あなたなくしては生きていけないところを知っているけれど、わたくしはまだあなたから隠そうとするものがたくさんあるの。わたくしにも時々わからなくなるの。わたくしの独占欲は恥じるべきものなの? わたくしはわたくしの望みを恥じているの? 

 裾を生臭い液体が這い上ってきました。それとも濡れそぼっているのは傷から流れ出る血のせいかしら。

 黒臣が私を抱え上げ、わたくしはやっと出ることができました。外の床に下ろされると、周囲の状況がよく見えました。完膚なきまでに壊された赤臣の躰が養殖室の四方八方に飛び散っていました。背後の槽を突き破った顎、天井近くの配管でゆらゆらと揺れる脚。

 塚の中でもここだけは無菌状態が保たれ、最先端の設備が整っていたのに、今では嵐が通り過ぎていったとしてもこんな様にはならないというほど荒れ果てています。ここを元の清潔な状態に戻すにはおびただしい手間と時間がかかることでしょう。もうそうする必要性もないのですが。

 ここで生まれ育つ臣はもういません。仕える主が現れないのですから。わたくしは母にはならないのです。ならないし、なれもしない。決めたことと可能性がめずらしく脚並を揃えています。

 皮肉なものでした、いまとなって。

 もっと前の時点であれば、わたくしがまだ幼生のころであれば、わたくしだって夢を見ていたのです。わたくしとあなたがともに齢を重ねて、若い世代からはもちろん、皆から忘れられるくらい長く、ひっそりと一緒にいられたら素敵だなんて。

 でも、わたくしは連綿と続いた果てに弱りきった血脈の狂い咲き。生きることも、のぞむことも、わたくしの脆い躰を苛みました。ひ弱な外殻に閉じこめられた望みはひとつだけ。それでも、それすら強すぎてわたくしを虐げ続けました。

 わたくしだけではなく、あなたをもろともに薙ぎ倒すような身勝手な想いに、たとえ恋や愛という名を付けたとしても、わたくしはもっと早くに死ぬべきだった。このどうしようもない想いにとどめをさすためにも。わたくし以外の誰かにあなたを取られるくらいなら、己を犠牲にしてもあなたの存在に止めを刺すでしょう。あなたの存在をこれほど惜しんでいるのに。

 わたくしたちは多かれ少なかれだれもが狂っているのです。

 塚の上部で同族が骸を見つけたのでしょう、動揺と騒乱が広がっていくのが感じられます。塚の外では従族が造反を起こしている最中で、それだというのにわたくしは主族の指導者を殺した。すべての怒りはわたくしに向かうでしょう。

 もうすぐ臣の闘いから逃げていた同族たちが戻ってきます。ここにいては屠られるだけ。

 役目を果たしたあなたがこちらにやってくるのを、あなたの存在を近くに感じて、わたくしは微笑みました。

 わたくしはあなたに隠していることがたくさんあるの。たとえば、祖父の黒臣をずっと養殖槽で保存していたことだとか。飢えから狂ったこの黒臣が祖父の血を引くわたくしと祖父を混同していることだとか。

 だから、この黒臣はわたくしの命令を聞いたのだけれど、いまはわたくしを喰らおうとしているの。でもこれだけは本当よ。わたくしはあなただけの主でいたいし、あなたの食欲だけを満たしたい。

 わたくしは扉を開けて荒々しく踏み込んできたあなたに手を伸べました。わたくしの災厄しかもたらさない手を。

 ずっととても近くに、ほかのなによりも近くにいたのに、これまでその距離はずっと遠く、耐えがたいほど遠く、わたくしたちそれぞれの種族の歴史、わたくしたちを構成する素の違い、考えつくかぎりのすべてがわたくしたちを隔てていました。

 でもわたくしにもう怖いものは何もありませんでした。捕食者を飼い慣らしてきた一族の裔たるわたくしは、絶望すら容易く飼い慣らせるの。いえ、これは絶望ですらないの。わたくしの躰に穴が開いていても、そこからわたくしを構成する素がまじりあって流れでていても。わたくしの恋がこのうつくしい生き物を殺しても、わたくしの愛はこの惑星を滅ぼすとしても。あなたさえいれば、わたくしは行き先も生き延びる可能性もなくていい。あなたがわたくしの手をとってくれるなら。さあ、いきましょう。

 狂った黒臣がわたくしを引き寄せ、あなたは腕を振り上げる。



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