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努々わすることなかれ

これは違う。


四本足で僕は思った。そう、僕の姿が出てきて欲しかった貘のものになっていた。

 僕の形をした石膏像の耳に舌を突っ込んで、そこから夢を食べていた。しゅるしゅる舌を口に戻して満腹感に目を閉じた。

いい匂い。

明らかに鼓膜を突き破って中に、それどころか脳ミソの襞に舌を絡めている感じがした。

 それでも貘の身には違和感なく、それはそんなものであるらしかった。

 するすると舌を抜き取っているとかたわらに長身の影がさした。口を閉じて振りあおぐ。

 そこには和装の下にボタンシャツを着てハンチングを被った、見たことのない男の人が立っていた。大正昭和の格好。僕らの父親、にしては少し若いくらいの世代に見える。ぎゅうっと寄って不審そうに垂れ曲がった眉。ひん曲がった唇。

「おや、人間が貘になる夢を?」

 僕は答えられずに僕の彫像の上で右往左往した。声の出し方がわからなくて頭のてっぺんに登ってしまい、覗きこんでくる相手の顔を腰がひけたまま見つめる。

見つめる先で、すうっとぎょろぎょろした目が細められる。リュックサックみたいに背負うひものついた木箱を下ろした。一枚上下にスライドする板を男の人が上げるとその中には小さな引き出しがいくつもいくつもあって、それを指が迷いなく開いた。立方体が整列しておさまっている薬箪笥というやつだった。

「どれ、ひとつサービスだ」

 彼は片頬に皺を刻みながら笑って僕の前にコーティングされた青の色紙に包まれた粉薬をひらつかせる。その大きくてゴツゴツした手で開いて中身が出るように。

 口にするかたっぷり十呼吸は躊躇ってからぺろ、と先ほどは耳の中に差し込んでいた舌を伸ばす。こくんと喉を上下させると手足の先から人間に、僕に戻っていく。

 ぐにゃぐにゃ歪んだ境目を壊さないようにゆっくり僕の彫像から降りて彫像と同じ姿になるように座った。男の人はそれにそろえて身体を屈ませる。薬を全部舐めてしまうと彫像からはいくらか小さな僕が出来上がる。

「……ありがとうゴザイマシタ」

「と、まぁこのような解姿薬やその他取り揃えている。努々屋だ、宜しくご贔屓の程を」

「はぁ」

「何やら半端な儀式をしたものだねぇ? 姿を移すというのはね、君、記憶からでは魂が取れんのだよ。だからして、魂の蔵、枕にそれを入れても彼方の魂はやって来ない」

 顎を指先で挟んで彼はやっぱり片方だけ頬を歪めて笑う。やせていて声を大きく使う人によくあるきたえられた頬肉だった。

「その場で見つめながら描いたものか写真だよ、君」

 顔のつくりをじっと見ていた僕は彼の滑らかな言葉の半分も理解出来なかった。じっと聞いていてもわかったかどうかはわからなかいけれど。

 時代錯誤なスタイルに、不思議な薬に、早口で滑らかに出てくる不思議な言葉。正直僕はのまれてしまって疑問に思うことも出来ていない。

「ゆめゆめ屋?」

 かろうじて彼が名乗った言葉を繰り返し、口にすることで飲み込んだ。

「努々屋にございます。お客さま」

 大仰にハンチングを取り胸元に置き、頭を下げて見せた彼を見つめて膝を揃え手をその上に置く。

「火野重祢です」

「とかく夢とは自由にならぬもの、努々お忘れなきよう。夢に関するお薬のご用命は私努々屋に。」

 歌うように言ってにんまり笑い、僕の隣に座る努々屋。僕はサービスだと言った彼の言葉を思い返して顔を上げる。

「僕、お金持ってないです」

「お金は必要ない。記憶して貰うことが重要なんだ。君の心の一部を開けて貰い私のものとして休む場所を貰う。心の一部と言ってもいつも眠っている余剰の範囲で構わないのだ」

「……それは、僕に恩を売って、僕が貴方をよく思えば居場所が出来て。それが報酬になるってことですか」

「そうだ」

僕は思わず笑って軽く首を傾げ、少しの親しみから、前に上体だけを近づけて彼を見上げる。

「それ、ボランティアですよね」

 努々屋は僕に向かって一本指を立てて更にこちらとの距離をつぶしてくる。

「いいや。正当な取引というのは厚意やお互いの信頼というのがないと成り立たない。そして私は恩を売っているのだから君は恩を買うことになる。お金や痛みでなくても私には価値のあるものが手に入るのだからボランティアではない」

近づいた距離をわずかに離して、もやもやとしていて晴れか雨か、夜昼さえも明白でない天を仰いだ。顔を首だけ戻して。

「よく、わかりません」

「だが君の支払いは君にとって軽いものか重いものか判断する材料は差し上げた。軽いものと君は感じたようだが」

「あなたのことを憶えていればいいんですよね」

「そう。夢のことであるからそれは難しいことだ。しかし君が許せば私は私の場所を君の中に置いておける。微かであっても、その約束を記憶してくれ」

「…はぁ」

 努々屋の流れるような言葉に気圧されて俯き、曖昧に、だけど一応うなずいた格好になった。夢に出てくるにしては、記憶にもなくて、自分の中のものの発露とも思えなかった。

 自分の発想にしては違和感がありすぎた。

「それで、君は」

「はい」

 自分の中を探るようにしていた僕は引き戻されて背筋を跳ねるように伸ばした。

「何故、貘を夢に呼ぼうとしていたのかね?」

見抜かれたのは努々屋が儀式と呼んだ、よるのおまじないのせいだろうか。改めて問われるとすんなりとは答えられない自分に気づいた。ゆっくりと目をななめに動かして地面を見つめる。自分の足元だけがはっきりしていて、遠くなると細かい部分が消えていく。広場の石だたみ。

「僕に優しくしてくれたコが…僕が夢まで失くしたなんて嫌だ、って言ったから…かな」

「それはどういう理由かね」

不審そうに彼が唇をへの字に曲げる。それを見つめながら、僕は両膝それぞれに手を乗せる。あまり自分の気持ちを言葉にするのは得意じゃない。いつも僕にとって、空気を固体に変えるような不思議な作業だ。

「それが、僕のためになるって気がしたんです」

それでも、彼には伝えようと思う。よるの提案に従ったとほとんど同じ理由で。気持ちが伝わったのか、言葉をそのまま受け止めているのか、努々屋がひとつうなずいてから吐息と共に次の質問を紡ぐ。

「ふむ。貘に夢を食べられたのだね。それで?」

ばらばらでまとまりも筋道もない僕の話を根気よく聞き出そうとしてくれるのが嬉しくて、それを原動力に自分の感じていることを言葉に落とし込んでいく。

「出来たら、返して貰いたい。胸に穴が開いてるみたいで悲しいような、気持ちになるから。……まずは会ってみたいし、話してみたい」

僕にしてみれば随分と頑張れたほうだと思う。けれど努々屋は片眉をひくりと上げてぎょろついた目を大きくした。

「何を食われたのかも分らないのにかね」

「だめ、ですか? あてのないことを望んでるのは、それは、僕もそう、思っています。でも、僕のために願ってくれたことだから」

決心に似た心持ちで貘に会いたいと言ったけれど、呆れられている気がして少し弱い声になる。

「……だめ、というのとは少し違う。それに君の望みはそうあてのないことでもなくなっているのだよ。なにせ君は努々屋を貘の姿になることで、呼び寄せたのだからね。……そうではなく」

 一度区切るように言葉を止めた努々屋が僕の方に、ぐうっと顔を近づける。目を窓に、僕の心を覗くみたいに。

それがどのくらい続いたのかは分らない。緊張と意味を飲み込むので精一杯だった。

 けれど、その言葉の続きは彼の口から出てこなかった。代わりに箱に詰めた薬の包みをひきだしから手渡される。

「君に、そうだね、貘の足跡を見つける目薬を渡しておこう。それから目覚め薬、飛び薬に二つ魂、諸々一組の置き薬だ。使った分だけを教えてくれればいい。……君の空洞は君の世界を作る柱を立てる為の穴かもしれない。その空洞は誰かを入れる為の穴かもしれない。あけておいて良いのではないかね?」

「……じゃあ、どうして、……どうして薬をくれるんですか」

息を途切れさせて唇をかんだ僕を見ると彼は複雑に顔を歪めて、けれどそれは笑顔にも見えた。

「決めるのは君だからだよ。私は薬屋だ。だがね、ただのおっさんとして言いたいと思うこともあるのだ」

 それはどうかすると大人のウソみたいだった.こどもを誤魔化す時にわざと難しく言って反論できなくするやつ。

けれど、努々屋は言うことを聞かせようとするのじゃなくて、決めるのは君だと言った。そして、僕に何か期待するように笑っている。それは本当の僕の決心を確かめるもののようで、もう一度僕は言葉にしたことと自分の感じていることに差がないかを見比べる。それらの間にはあいかわらず透明なものと光の反射くらいに開きがある。でも、きらきらしていることは同じなように、大事なことは捕まえられている気がした。


 自分のために心を割いてくれた人が自分を思って願ってくれたことを自分も願っている。


 それをはっきり握ったら、自然と顔があがった。

「貘を、追いかけてみます。お薬、いただきます」

「そうかね。渡した中に胸の痛みのための痛み止めもあるにはあるが、夢の中でしか効かないでは意味も薄かろう。」

努々屋は考え深い人によくある眉間のしわをゆるめ、よく見ようとして大きく開いた目をやすめるように閉じた。それから、紙を束ねたものと、筆と墨壺が一緒になっているらしいものを出してきて火野重祢様、と太く細く、墨で黄ばんだ紙を埋めていく。

夢食む貘を追う事の為、甲の薬剤一組を置き候、近日の内再び訪問、と紙の地が墨にぬられた部分より多くなるくらいに立派な字だった。黒々と詳細に見える。

「夢の中だけ」

彼の言葉を繰り返す。

「そう、夢の中にしか効果がない。それから」

大事なことを伝えるように言葉を止めて努々屋がこちらを向く。

「用法用量を守って正しくお使いください」

「守らないとどうなるの?」

まるで決まり文句だったけれど僕は目を瞬かせる。受け取った薬は色とりどりにひしめきあっている。

「目が覚めなかったり、眠ることが出来なくなったり、二度と夢を見られなくなったり、魂が変質してほかの生き物になってしまったり、心が約束に縛られたり、などの弊害が起きた例がある」

 うまく想像は出来なかったけれど、心や体に大変なことが起きる、ということだけ印象として残った。唾液を飲んで薬を見つめる目を努々屋に移す。彼の後ろで空が曇りもやもやと蠢くのが一緒に目に入ってくる。

「例がある、ってことはそうなるとは限らないんですよね?」

「現実にも言えることだが、薬というのは大体が毒を調節して使っているものだ。だからね、必ずその調整を無視すれば毒としての性質を露わにする。物事は推し量りきれない様々な原因や条件が噛み合わさって現象する。一度起きたことは原因と条件が揃えば起きる。対して、君の人生はただ一度だ。先例に学ぶのが知恵というものだよ」

 真っ直ぐ逸らされることのない目。よどみのない早口の言葉つき。滑らかすぎるのが胡散臭く思える。彼はこれで随分損をしていると思う。何も要求されていないのに、夢に過ぎない出来事なのに、騙して何かを持って行くんじゃないかと身構えたくなる。そうでなくとも大人が僕らに自主性だとかを押し込めさせていうとおりさせようとしているように感じて、不思議な反発を覚えてしまう。

雲に遮られていても柔らかく回り込んだ光に照らされて顔はよく見える。顔が見えれば見えるほど、内心が見えなくなるようで、僕は目をつぶる。

 この夢は何だろうか。自分の意思が介在する夢。自分の意思を決める夢。

 僕は現実に出来ないことを夢に見ているのだ。父や先生や、大人の男の人に願い望むこと。普段は意識していないこと。

 たぶんきっと。

 そう考えようとしたけれど目を開けて彼を見やれば、やっぱり自分から出てきたものだとは信じられなかった。

誰か知らない人が来て僕のことを騙そうとしている気がする。

僕はこらえ切れずに僅かにふきだし、考えるのをやめた。

「はい。お薬だって思って使います。」

 回り道をしてみても、たどり着くところはあまり変わらない。だから焦らずに回り道をしてもいいし、しなくてもいい。

 見た夢の内容は誰かに現実で話したりしない限り、自分だけの物にしておけるから。けれど、よるには話したい。起きても憶えていたら。

 黙って軽く頷いた努々屋は、少しだけその眉間のしわを増やし、漢字の八みたいに垂れた眉の角度を鋭くする。

「……だがね、君。貘の喰らう夢は悪夢だよ。努々お忘れなきよう。」


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