ひるまのよる
おれは人を救いたいと思うことを克服しなくてはならなかった。
大抵の人は口では代わって欲しいだとか、助けて欲しいと言いながら、具体的にどうすればそれを克服出来るのかを筋道を通して説明すると怒り出すのだ。理屈っぽいとか、説教はいらない、とか。
結局のところ、本当は自分でどうにかしたい、その力が欲しい、と望んでいるのだとおれが気付くのには随分な時間がかかった。
だからずっと神様も仏様も、居ないふりをしているのだと、おれはずいぶん長く、気づくことが出来なかった。
*
僕は家出をした。
きっかけはほんのちょっとしたことだった。かばんかけに置くべきかばんを椅子の上に置いたとか、そんなこと。
「ごめん、今しまうよ。」
「今って言いながらすぐ動かない」
お母さんとの会話はたったそれだけだった。でも一事が万事そうだったから。これから先もこうだから。
僕は身動き出来なかった。衝撃を与えたら自分と他の世界との境界が、身体が、崩れてしまいそうな気がしたから。
ぐるぐるぐるぐる、ガラスビンみたいに薄い境界を現実との間に作った体の内側、粘土を薄めたみたいな冷たい黒い何かがかき混ぜられた。飽和して一粒結晶が沈んで行った。
そのフリーズが止んで動いていい、と感じたらあとは自動的だった。意識なんて介在しないみたいに。
まとめてみた荷物は思っていたよりもずっと少なくて、それは軽そうだった。
それを背負ったら、俯いていたばかりの顔がやっと真っ直ぐ前を向くのを感じた。背負う荷物は人に前を向かせる効果があるらしい。
こども部屋から直接外に出られるのは良くない、とかいう何かしらからの教育を受けたお母さんの意見で、僕の部屋に向かう階段はリビングダイニングの片隅にある。素直に出ていけば当然、今しがた別れたばかりのお母さんと顔をあわせることになる。
だけどダイニングが空になればすぐに判るのもその造りの特徴で、音を立てないように扉を開いて息を殺し目をつぶった。
お母さんの足音。スリッパをはいて、いつもためらいなく床を踏む音。何にも遠慮しない音。自分の城で歩く王様の音。それがすうっと遠ざかっていく。
それを確かめたら階段を降りて、台所を抜けて、さっきの椅子の隣を抜けて、廊下を歩き、玄関へ。
僕は見とがめられることもなく外へ出ることが出来た。
見とがめられたとしても、それを家出と直結させることはお母さんには出来ないことだっただろう。
完璧に無罪のお母さん。いつだってアリエナイのは僕でシンジラレナイのは僕で、それに沿って笑ってちょっと行ってきますと意思を押し込めて笑えばすんなり行く。
それはちょっとしたコツで簡単なことだったけど、それよりは見とがめられないタイミングを見つける方が単純で一般的で省力的でつまりは楽だった。
家に居る間は無意識で詰めていた息が家を出た途端に軽くなる。行く宛もないのに。
目先のあてがない人間が吹きだまるのは無料の光源があって、何も訊かれないけれど一人きりにはならない街中だ。僕も、例に漏れずに街に出た。
バスには乗らず、電車まで歩いて。夜は黒々と道を隠して闇にやっと慣れた頃にまた明かりが僕の目を乱した。電車のソファですら優しく感じるのはとりあえず目的があるけれど何もしなくていい、これからの僕に得難いだろうと感じる時間だったからかもしれない。
電車は地下駅へ、それは平日の夜らしく帰るための人とやっと仕事から解放されて遊びに行く大人ばかりで僕は一人浮わついた気分を味わった。地上の、お店が並ぶ街並みの方はお金の無い僕なんて用がないのに。明かりもついたまま、エアコンもついたまま。身綺麗にさえしていれば許容される。
許容される。目下僕に必要なものはそれっぽっちの言葉で語れるのに、実現するのはとてつもなく難しく思える、自分の意思の外の何かだった。
僕は特別何かを伝えるのが下手だったろうか。僕は並外れて人の気分を感じ取るのが下手だったろうか。僕は奇異なまでに誰かを排斥したろうか。
僕はこの世にたった一人、お母さんってひとの考えどおりに感じ、考え、動くことが出来ないために、居るところに困っていた。
清潔で高性能で最新鋭で完璧で、休まらない。
時計のある小さな広場が交差点に備えられている。待ち合わせをするためにあるのかと思うくらいに誰かが誰かを待っていた。それが今、ここ、僕には痛かった。 それでもゆったり座れるだけでそこは魅惑的だった。
なにしろ僕は疲れていた。朝起きて、電車に乗って、何かしら情報を詰め込んで、帰ってくるのに。帰ってきて自分を押し込めるのに。ただ飛び出してくることに。
リュックサックを下ろして膝に置き抱き締めて顎を預けた。そうするとどっと、何年間の、細かな行き違いで安らぐ場所が無かった、その疲れが襲う。目を閉じると後は坂を転がるように、何らの抵抗もなく眠りに落ちてしまった。こんなことが出来るのは日本だけだなって、薄く頭の裏で考えながら。
*
石のベンチに私と同じ年頃の男の子が座ったまま寝ていた。私はっていうとこれから楽しくもない塾のとてつもなく嫌いな数学の授業だったから足はのろのろ、後ろ髪引かれまくりで彼を見ていた。いいな寝たいなって思いは強い。
通り掛かってから振り向いてまで、相手は寝てるんだから気づかれもしないし、気づかれたからといって目があえば背中を向けちゃえばそれでいい。
そんな気やすさでじっと見ていたら、彼の首筋にするん、と空中から溶け出たみたいに白黒の生き物が巻き付いて口先を彼の耳に突っ込んでいる。歩くのを忘れて見入っていたら背中にお年寄りがぶつかってきた。
「すみません」
「ああ、ごめんねお嬢ちゃん」
背の低いお婆ちゃんに頭が見えるくらい頭を下げ、頭を上げたらすぐに彼をまた見た。まだ居る。もう塾に行く気は失せていた。何せちょっと地味とはいえ初めての超常現象。
白黒の生き物は何か食べてるみたいだった。頭全体が少し動いている。
「よし」
拳を作り、一人気合いをいれて彼に近づいてゆく。近づいて行った途端に彼の頭がバッグの上から落ちた。
「んあ、れ……」
彼がその生き物と目を合わせたと思うと小さく彼が声をあげて、白黒のはびくんと表面にさざなみを立てて驚き彼の肩から宙へと離れるとあっさりと消えてしまった。
後に残されたのは男の子と私だけ。気づけば私は手を伸ばせば彼に触れるくらいに近づいていていた。
思わず私はとりつくろうように彼に話しかける。
「今なんか、肩んとこ居たよねぇっ?」
「え……えっと? うん。、マレーバク、っていうの?」
「マレーバク?」
「うん白黒の。……は、夢なのか。……というか、今の、夢?」
「なんか白黒のなら夢じゃなくて居たってば」
色めきたって主張してしまう。制カバンを肘にかけ両手を拳にしてまるで台を叩くみたいにして振り回す。
男の子は目を細めてこっちを見ている。
「信じてないでしょ!」
白黒いのと目を合わせたのは自分の癖に、という軽い苛立ちとホントは何かの見間違いだったら、という恥ずかしさで頬に朱を上らせる。
「僕が信じるとか信じないとかの前に君、誰。知り合いだっけ」
「…初めまして」
「あ、どうも」
唇を尖らせてうなるように告げると男の子は頭を下げる。
「君のその制服誓華だよね。名前聞いていい?」
「東雲野よる」
「東雲の夜?」
「違くて。東雲野、よる」
彼に向かって大仏みたいに立てた掌にゆっくり字を書いてみせる。
「火野重祢」
「かさね。…火野って呼んだ方がいい?」
気にいったから、思わず笑って呼んだ。それから、思い直して表情を整えて問いかける。
「いいよかさねで。よるはなんか、はっきりしてるんだな」
やっと笑った重祢は困ったように眉が垂れていてなんとなく落ち着かなくさせる。足踏みし首を下げて彼を見る。にらむって時々言われる目付き、多分。
「なにそれ。なんかだって。はっきりしなぁい。……私の言ってること、少しは信じる気になった?」
「……君が言ってるのは夢じゃなくて、僕が見た貘は夢なんだろうね」
冷静に、落ち着いた様子で言った重祢の顔は心の透けてこない不思議な笑顔だった。重祢のが年上みたいでまた落ち着かない。でもあえて年は聞かなかった。年上だとそれだけで負ける気がしたから。
「いい所に収まったみたいに……」
「ごめん、何かいけなかった?」
「いけなくないです。私が見たのその白黒だし、重祢寝てたし」
「うん、良かった」
今度は安心したのが透けた普通の笑顔で、つられて頬をゆるめ笑ってしまう。
重祢は私を落ち着かない気持ちにさせるけれど、それはそう悪い感じじゃなかった。気恥ずかしい、くすぐったい、普段にはちょっと無い感じ。白黒いのが関係なくてもちょっと重祢に興味が出た。だから全く興味が出ない塾の数学は忘れて彼の隣に座る。彼と同じように膝の上に鞄を置いてそこに頬を乗せて彼を見る。
「重祢、今からヒマ?」
「今から? ヒマっていうか……困ってる。家出したんだけど、行くとこ、ないから」
「……ッえ」
重祢の言葉に心底びっくりして瞬く。家出って頭染めたり制服改造したりするヤンチャさん達のすることだと思ってたから。それに、冷静そうな受け答えをする重祢が何の計画もなく出てきたことにも驚いた。
「困ってるのは泊まるところ?」
「そうだけど、それだけじゃない。でも話すと凄く長くて面白くない話になるから話したくない」
「じゃあ訊かない。けど、泊まるところ、考えよっか」
笑って頷いた私を今度は彼が黙ってじっと見返してくる。視線に少し目を伏せるとあまりに長い沈黙に私がとりつくろって笑うはめになる。
「私なんか変なこと言った?」
「……その、一緒に泊まる気なのかって」
「んな訳ないじゃん!」
「だから、びっくりしたんだよ。自分のことみたいに言うからさ」
「う。だって……重祢は困ってるんでしょ。じゃあ私がしっかりしなきゃ。私んちはきっとお母さんが重祢んちに連絡しちゃうと思うんだよね。よく聞くのはネットで一晩泊めてくれる人を探すのと、ネットカフェ。……ホテルとか危ないと思うんだ。警察に通報されて補導されちゃうかも」
私はイタズラの計画を立てる程度の気分で言ったけれど最後に目に見えるくらい重祢が震えたのがわかって、初めて私にも彼が普通にしているけれど、家出しちゃうような何かを抱えているんだって実感する。
今は家に居られないから出て来たんだって実感する。
全然知らない人だった彼が通り過ぎるだけだった私の中に入ってきた瞬間があるとしたらこの時だって思った。
「うん、重祢。大丈夫」
大丈夫なことなんて多分何にもなかったけど、そう言って笑ってあげるしか今の私に出来ることが無かった。それが苦しかった。そおっと手に触って握る。それから一生懸命考える。
私の部屋に入れてあげることさえ出来れば、休む場所は確保してあげられる。今日一日をとりあえずしのいで、方法を少しずつ考えよう。
重祢は震えが止むと息をしているのか確かめたくなるくらいに静かだった。瞬きをする以外は体は動かさないし、話しかけないと話さない。話す言葉も少なめで、少しだけ唇を持ち上げた笑顔から大きく表情を変えない。そこに居るのに何故だか消えてしまいそうだった。
私が手に触りたくなったのは彼が消え失せてしまいそうで不安になったから。彼が入って来たように彼に入っていきたかったから。
「重祢。うちおいで。なんとか内緒で入れたげる」
それは多分良くないこと。帰るように言うのが本当だと思う。
「……いいの?」
重祢が細い細い声で呟くように言った。いいわけない。いいわけがなかった。 だってきっと重祢を待ってて今も探してる人が居る。私はいつだって温かいご飯を作っててくれるお母さんに隠し事をすることになる。良くないことだらけで、でも、重祢をこのまま帰す気持ちにはならなかった。どうしても。
*
よるはその名前に反して素晴らしく眩しかった。目を閉じても彼女の輪郭が残像で残るくらい。僕は羽虫みたいにその光に逆らえないで、結局彼女に母親を裏切らせた。
「こどもの頃ね、従兄弟が登ってたから登れると思う」
そう言って彼女が示したルートは柵から物置小屋の屋根、屋根から母家一階の屋根へ、屋根から窓へのものだった。二階の窓が開いていなければ入れないものではあるのだけれど、まるで空き巣だ。
「じゃ、行ってくる」
玄関へ歩いていく小さな背中に少しだけ心細さを覚えて、でも、僕のために僕のことをお母さんに隠したまま二階に行く仕事を抱えているよるの緊張を思う。腹の底に力を入れて二階の窓を見上げる。
深呼吸して光の漏れる窓を見つめながら庭を横切る。窓の中にはお母さんらしい女の人。「ただいま」と声が聞こえて玄関の方を振り向いたのが見えた。窓近くをその隙に横切って奥に行く。
ざ、と引っかけた庭木が揺れたのに心臓が跳ねる。とくとく、とくとく、とくとく、とくとく。耳の中で心臓が激しく鳴った。中を窺うと外をちらりと見るお母さんが見えて慌てて身を縮める。こちらに歩いてくるスリッパのパタ、パタ、という音に心臓は縮みあがって息を吸ったきりになる。窓際の影がこちらを向いた。明かりに慣れた目を細めている。
間もなくまた振り向き、中からよるが呼んでくれたのか行ってしまったのを確かめ、長い長い息をつく。
教えてもらった物置小屋までの道のりを長く感じて、ゆるく踏み出しながら早い息を繰り返す。あまり音を立てる訳にいかなかったけれど足音や足元よりも庭木を引っ掛けたり、置いてあるものを落としたりしないことが重要だった。リュックサックは腹側にかけて上半身に気を使いながら抜けていく。
それからはイメージしやすい。見上げて一度どこに捕まるかどこに足を乗せるか計画する。片足を柵に乗せ片手を物置の壁に置いて登る。屋根が不意に、ぎ、と鳴るのがひどく不安だった。屋根から母家一階の屋根に伝って。移る時に瓦を何度か確かめた。ここからは直接お母さんのいる建物になる。
せっかく出てきたのに下手をして家に返されるのは嫌だった。よるが叱られるのも嫌だった。男の子を誰にも内緒で部屋に入れようとしていたなんて、きっとどう説明したところでどこかを誤解されるだけだから。
絶対にわからないようにしないといけない。足取りも自然と慎重なものになる。ぎゅっと一度手をにぎりしめてからゆっくり開く。
開いてるよ、と報せるように少しだけ窓はずらされ、部屋は真っ暗いまま。少しずつそろそろと開いて窓で靴を脱ぎ、そろえて置いて、きちんと鍵をかける。
振り向いて中を見渡す。こんな風に入ってきたとはいえ、暗い中にベッドや色調の淡い小物を見ると女の子の部屋でひとりになったことが急に意識されて気恥ずかしくなった。
勉強机の棚にさっき彼女が持っていた制鞄があった。その隣に、僕は自分の荷物を置く。
勉強机には型式のあまり新しくないノートパソコンがあって、お気に入りなのだろう猫のシールやキラキラしたもので飾られていた。
あまり色んなものをじろじろ見られたくないだろうし、ベッドは触られたくないだろうし、居どころに困ってしまい、あげく窓下に落ち着いてともかく座る。
そうして動かずに、音をたてずにいたら階下からほんの少しだけ音が聞こえてくる。それはとてもおだやかな優しいもので、僕はひとり密やかに傷に水が滲みるような痛みを胸に覚え、せりあがるものをこらえられずにひと滴ふた滴と涙を落とした。手の甲に丸く盛り上がる。
よるがここに戻ってきて眠るまでに、泣き止まなくてはならない。これ以上、よるの心をわずらわせてはいけない。そう思って止めようとすればするほど、止まらなくて三日月形の涙の跡が袖につく。
そこに、湯気を上げたよるが入ってきてぱちんと電気をつけた。
「……ッ」
どちらもが息を飲んだ。 見てはいけないものを見てしまったみたいに俯いて今入ってきたドアを閉めたよる。部屋着とパジャマの中間みたいな姿だった。もじもじと爪先を踏み変えてから携帯電話を取り出し画面に文字を打って見せてくれる。
階下のお母さんに不審な話し声が聞こえないように、そういう工夫だった。
【大丈夫だよ。今日はもう心配しないで寝ていいから】
僕は彼女の手から携帯電話を借りて文字を綴る。
【うん。ありがとう】
【さっきのさ、白黒いの、なんだったんだろうね】
【寝るとまた出てくるかもね。夢を食べるのが貘だから】
僕は泣き止むことも出来ていなかったけれど、違う話を探してくれたよるの優しさに笑った顔を見せたかった。涙まみれでとにかく笑って彼女に携帯電話を戻す。
【食べられた?】
僕は差し出された携帯電話の画面と彼女を見比べてから瞬きした。涙が止まる。そういえば何の夢を見たのか全く憶えていない。
【食べられたのかも。何も憶えてない】
【そうなの?そうなるとがぜん何の夢だったのか知りたくならない?】
【うん。なんでだろうね】
よるに言われて改めて自分の内側に気持ちを向けると食べられた夢が何か酷く大切なことだったような、記憶が抜けた空洞がやけに大きいような、不安定な感じがした。
それは単に自分のものを取り戻したい、知りたいという好奇心だけでなくて、寧ろ大きい喪失感。今更ながら震えがきた。どうして今まで平気だったのか。 よるはその僕の変化をじっと見詰めている。
【取り返せたりしないかな?】
【貘の食べた夢を?】
【そう。重祢がまだ何かなくしちゃったなんて、なんか、やだ】
彼女はその画面と一緒に僕の手をまた握り、ぎゅうっと強く握った。
乾いていて、温かい手だった。それと正反対に潤んで宝石みたいにキラキラした目だった。闇に慣れた目に眩しい気がして何度も瞬きする。
赤の他人の僕のことを、どうして彼女がこんなふうに考えてくれるのかがわからなかった。どうすれば彼女が思ってくれたことを受け取ることになるのかも、さっぱりだった。情けないくらいに。
僕は彼女の携帯電話をもてあましている。手の中の、バックライトに包まれた言葉を見つめて、たっぷり時間が過ぎてから文字を迷いながら選ぶ。
【どうしたらいいのかわからないけど、貘、探してみようか。】
【面白そう。重祢の夢が気にいってたらまた来るよ絶対】
彼女の笑みは面白がっているようには見えなかった。転んだこどもが傷口ばかり見ないように何か新しいものを見せるような大人の笑み。眉が垂れて此方をじっと見詰めて、全神経を集中させている。
気になる音を聞きつけた猫みたいだ。
【で、よるが捕まえる?】
【あんなおっきなのを? 犬くらいあったよ?】
【言葉とか、わかるのかな】
【夢を食べるくらいだからきっとわかるよ】
よるが明らかに少し緊張を解いた。それは多分僕の緊張が解けたからだ。恐ろしいくらいに僕の変化を読み取っては同調する。
女の子ってみんなこうなんだろうか。僕は不思議で堪らなくて、彼女が僕に注意を払ったと同じように、心についてる耳やらアンテナやら目やらを改めて彼女に向ける。
【ありがとう】
【何いきなり。いま?】
【うん、いま】
僕は至って真面目だったんだけどよるはそれが面白かったみたいで肩を揺らして声を出さずに笑っている。
【おいでよ。毛布あるから】
彼女が携帯電話を僕の手にに残して立ち上がる。ベッドから敷き布団を床に下ろしたり毛布を分けてくれたり、居心地がいいようにしてくれる。下ろして貰った布団は彼女の細腕に余っているみたいだったから、引き取ってばさ、と拡げてしまう。毛布もにぎったところがひらひら動くだけでちっとも綺麗に拡がっていかない。熱中して眉根は寄り唇が尖っていく。
得意じゃないことに取り組む顔は不思議と内面が露出する。彼女の真剣な顔は彼女の真剣な性質を垣間見せる。
でも彼女が何度目か試した所で僕を見たから、少し笑って手を伸ばす。ばさ、と空気を孕ませて膨らませた毛布を、落下するに任せ整える。
綺麗に出来たら笑い交わしてそれぞれの寝床に入り込む。石鹸みたいな柔らかい匂いがする。
手を伸ばして携帯電話をポケットから彼女へと返した。
【お風呂は明日、どこか探そう。銭湯とか、温泉とか、あるから】
【うん。そんなの久しぶりだな】
こどもの頃は楽しいお風呂に出かけていたこともあったんだけど。そんなことに考えを移していたら、よるが隣でルーズリーフの一枚に可愛らしい白黒の生き物を描き始めた。マレーバク、と言い切るには少し丸っこい、風船みたいなもの。
それを僕の枕代わりのクッションを捲り、下に敷いた。
【枕の下に夢に出てきてほしい人の写真を入れとくと夢に見られるっていうじゃない?】