怒りの理由
翌日、起床した空は身体中を襲う激痛に悩まされていた。
「っ!痛てて。これは普段から多少体を動かしといた方がいいかもな」
久しく、運動という運動を行っていなかった空は、昨日の戦闘で全身筋肉痛になってしまっていたのだ。
常人では有り得ない速さで動き回っていたのだからそれも仕方のない事かもしれないが、あの短時間でまさか筋肉痛になるとは思っていなかった。
自分の体の鈍り具合に落胆しながらも、朝の準備を始める為になんとか起き上がろうとして、
コンコンッ
「ちょっといいかな?入るよ。」
突然、聞こえてきた自室のドアをノックする音と、続いて男の声に空は首を傾げる。
ここ数年の間、自分の部屋に入ってくる人は居なかった。一体誰が何の用で訪ねてきたのか。
「お早う、兄さん。朝早くに悪いね。」
扉の向こうから現れたのは双子の弟、海だった。
「お前に話し掛けられるなんて、何年振りだろうな・・・。 何か用か?」
ニコニコ微笑みながら朝の挨拶をしてくる海に対して、いつも通りの無表情で返す空。
とても数年振りの兄弟の会話だとは思えない程、普段通りの態度で話始める二人。
「いや、ちょっとね。昨日、部屋の窓から見えててね、家の前で綾香と喋ってたみたいだけど、どんな話をしてたのかな~って思って。」
「特にコレといって特別な会話はしてないぞ。そんな事の為に朝早くから俺の所に来たのか?」
昨日の会話を聞かれていたら少し面倒だな、と内心で毒づく空だったが、
「あの後兄さんが家に入ってから、綾香、泣いてたんだ。勿論直ぐ側に行って聞いてみたんだけど教えてくれなくてね。じゃあ兄さんに聞いてみよう、と思って 。」
綾香が泣いていた事は意外だが、会話の内容自体は聞かれていなかったようで安緒する。
「あんなに気の強い綾香を泣かすなんて、お前、綾香に何言ったの?」
ところが、いきなり笑みが消え怒気の籠った声になり口調も変わった海に対して若干戸惑うが、
「・・・最近、あいつが矢鱈と話し掛けてきてたからな、あんまり俺に関わるなって言っといたんだよ。」
特に良い言い訳を思い付けず、本当の事を言う。
「ホントにそれだけ?・・・そんな事で綾香が泣くなんて思えないんだけど」
「本当だよ」
かなり大まかだが、本当の事だ。嘘は吐いていない。
「まぁ、それがホントだったとして、兄さんは綾香が好意で話し掛けてたのにそれを踏みにじったって事だよね?何様のつもり?」
「何様もクソもないだろ・・・。今まで会うたびに嫌味を言われてただけだったのに、いきなり馴れ馴れしくなったら鬱陶しく思うだろ?」
事実、今まで話しても一言二言だった綾香が、あまり知られたくない事に関して追及してくるのは多少鬱陶しかった。
だが、空のその悪びれない態度に海は沸点を越えてしまい、怒鳴り付ける。
「・・・よくも、よくもそんな事が言えるな!あの時、あの事故の後、お前が落ちぶれて皆が離れていく中で、綾香はっ!綾香だけは、最後までお前の側に居てくれただろ!そんな綾香に対して・・・、お前どれだけ腐ってんだよ!」
確かにあの事故の後、周りに壁を作ったのは空だった。
その理由は生きる事が辛くなったから。
だがそれだけでは無かった。
空が心の奥底で、本当に恐れていたもう一つの理由。
それは、自分が、自分の大切な人達の"害"になってしまう事。
自分の力は、周りを容易く傷つける。脅かす。不安にさせる。
それを回避する為に、辛かったが、周りの人々と距離を置いた。
そんな空の心情を知らず勝手な事を言ってくる弟に対して、理不尽と分かっていても怒りの感情が沸いてくる。
「・・・俺が最低の奴だって事は理解してる。だけど何も知らないお前にそこまで言われると流石に腹が立つな。」
「っ!?」
威圧
空から発せられる圧力に、海は有無を言わさずに黙らされてしまう。
思わず膝を屈してしまいそうになる程の重圧になんとか耐えている海に対して、更に言葉を続ける空。
「お前らは、分かってないんだよ。俺がお前らを寄せ付けなくなった理由を・・・。本当の事を知れば遅かれ早かれ俺から離れていった筈だ。・・・達哉みたいにな。」
突き刺さる様な冷たい視線。
海の体はまるで呼吸の仕方を忘れてしまったかの様に息が重くなっていく。
視界が白く霞み始めて、もう少しで意識が飛ぶ、そう思った瞬間、
「だからお前も、もう俺に関わるな。綾香にもお前から言っとけ。今まで通りの関係なら何も問題無いからな。・・・さぁ、話はこれで終わりだ。学校に遅れるから早く部屋から出てけ」
部屋の中を支配していた圧力が四散する。
海は止まっていた呼吸を急いで再開し、荒い息遣いながらも最後に疑問を投げ掛ける。
「ッハァ、ハー、た、達哉は、達哉が引っ越して行ったのは、ハー、兄さんに、関係あるのか?」
「言っただろ?話はこれで終わりだって。出ていけ」
必死の問い掛けはしかし、冷たい視線と言葉に打ち切られてしまう。
先程のプレッシャーにはもう耐えられないと思ったのか、何も言わずに部屋を後にする海だった。
(・・・達哉か。アイツは今、どうしてるんだろうな・・・)
久し振りに口にした懐かしい名前に、思わず昔を思い出し、感慨に耽ってしまう空だったーー