第39話。フオンii
一旦地下に置いておいた流星を集めた飛翔剣を回収すると、サンパーニャへと向かう。
魔術工房に武具の類を置くわけにもいかないから、厳重に封印した上で、だが。
といっても隔離まではできないため、一時的にマスター権を俺だけにしてそれ以外のセカンダリレジストリの存在を許容しない、だけだが。
ひとまずの剣以外にも、念のための保険として持ち込んだ魔術品をさりげなくサンパーニャに設置し、幾つかを売り物とは分けておく。
今のお姉さんなら売り物とそうでないもの区別は勿論つくんだろうが、物がモノだけに見られた時が面倒だからだ。
魔術品も幾つか置いているから、そっちはお姉さんの判断で売ってもいい。
「そういえば、ソラくんは新しいお店で魔術品は扱うの?」
「そっちは完全に錬金術師の店だから、ポーションは多少扱っても魔術品は取り扱わないよ。場合によっては、特定の相手には卸さざるを得ないだろうけど」
「あ、姫さまとかかな。ソラくん、姫さまと仲いいもんね」
仲が良い、んだろうか? その辺りは良く分からないんだが、後援者とか、支援者というよりもしっくりと来る気はする。
「マイアは、その、仲は悪くはないとは思うんだけど。厄介なことを持ってきさえしなければ」
「それじゃ姫さまがいつも厄介ごと持ってくるみたいだよ」
苦笑するお姉さんだが、大抵あいつから持ち込まれた案件は厄介ごとばかりだ。厄介ごとがたまにあるくらいなら日常のスパイスになる、と前に聞いたことがあるが、そういう意味では前世も含め、日常が厄介ごとの宝庫だった俺にとっては単なる日常そのものでしかない、んだが多いことの意味はやはり分からない。
「そこについては何も言わないよ。それよりも、あいつ、いつになったら来るんだ?」
一応、約束の3日は経った。冒険者という職業柄、複数の武器は持っているはずだが、メインウェポンとなるものをいつまでも放置はしておかないだろう。
と、同時に今の状況で俺に長時間会って説教もされたくないだろうから、閉店間際に来ると思ってはいるんだが。
「今日は予約の受け渡し分もないし、多分そんなに忙しくないから、お使い頼んでいいかな?」
そういってお姉さんに渡されたのは、ギルドに提出する書類だ。ギルドと言っても、鍛冶師ギルドではなく商業ギルドに提出する税関連のものだが。
「いいけど、後日の説明は店主からする必要があるから、その時は俺は行けないからね?」
「う、うん。わ、分かってるよ? ……同席してもらえると嬉しいけど」
サンパーニャの売り上げ報告に行くついでに、俺の分も済ませておくか。
所属するギルド毎に売り上げなどを納める必要があるが、ギルド毎にその代わりになるものはある。
鍛冶師ギルドであれば武具や魔術品がそれにあたるし、錬金術ギルドではクリスタルに納品した素材類が代わりになる。
そのため、商業ギルドでも交易品なんかが代わりにはなるんだが、現金を納めた方がよっぽど効率がいい。
ある種では、商人らしいといえば商人らしいんだろうが。
それで訪れた商業ギルドは活気があり、交易商人や行商人が多いのか、見知らぬ商人たちが一瞬俺を見てそのまま興味を失い視線を逸らす。
といっても、知り合いの商人には探るように見られるし、それに気づいた幾人かに窺うような視線を向けられるが、無視だ。
何かを売りに来たわけでも、特許の申請をしに来たわけでもないんだから。
「納税だけ、なんですけれど?」
「……ギルド長の指示ですので、暫くお待ちいただけますようお願いします」
受付に並んだ瞬間、受付嬢に拉致され、個室に案内された。
おかしい。俺はたまに便利グッズを卸しに来るだけの単なる魔術職人で商人としてはギルド長に呼ばれるようなことは何もしていないはずだ。
そもそも商業ギルドのギルド長にはこれまであったことないし。
「あなたが、かの鍛冶師殿で?」
「かの、というのが何を指し示すかは分かりかねますが、納税に来た鍛冶師ではありますね」
やってきたギルド長は、意外というと失礼なんだろうが、女性だ。年齢は、……母よりは上かもしれないが、鍛冶師ギルド長よりは下、位か?
ギルド長というよりも、何というか経理担当といった方が正しそうなきっちりとした雰囲気を出し、油断なく俺を見るのは、何か警戒でもされているんだろうか?
「納税に。確かに、あなたもあなたが所属している魔術工房にも納税の義務はございますが、それだけですか?」
「今回は特許の申請もなければ、何かを持ちこんで販売することもありませんよ」
明らかに、ではないが安堵の表情を一瞬浮かべたのは何故だ。俺は一応、今の所商業ギルドを荒らしてはいないというのに。
ポーションの件はおいておいて、だが。
「そう、ですか。時に、あなたが新しく工房を開く、という噂があるようですが」
「工房は開きませんが、錬金術の店を期間限定で借りる予定です。といっても、ほとんどのことはまだ決まっていないためお話しすることも今はありませんが」
そういう意味では早くラインナップは決めてしまわないと。ノルンさんには相談しようと思うが、鍛冶師や錬金術師でないため話しておかしなことがないか、という確認のところが大きい。
「では、その件は分かりました。……そして、あなたも商業ギルドに登録しており、今回の納税で中級ギルド員に昇格します。
既に、鍛冶師ギルドで上級ギルド員のため、商業ギルドでの優先的購入権以外特典はほぼありませんが、少なくともこの支部の最年少昇格者となりますね」
「……わざわざギルド長から直接報告をいただくこともないかと思いますが。
変に商人から目を付けられる必要もないですし、配慮には感謝しますよ」
商業ギルドは物の売買のある意味基本となるためか、他のギルドに比べ区分けが細かい。
いや、細かさで言えば冒険者ギルドの方が細かいらしいんだが、納税額や売買したものの量、金額、あとは貢献度なんかで総合的に判断するらしい。
本命はあくまでも俺が何かしでかさないかの確認と、釘を刺しておきたい、といった所だろうか。
「商人としては、お金を動かせる人を優遇します。それが、やましいことのないものであれば、余計に」
そういって含み笑いをするのは正直止めてほしい。
ちなみに、税がかかるのは全ての売買についてではない。商売として売ったり買ったりするものについては売り上げの報告をする義務があるが、それが売買されたことについて公になることがまずいものについては報告を別に行うことにより、免除される。
勿論それ相応の納税にはならない何か、として納めるためむしろそっちの方が通常は損となる、らしい。
そもそも脱税と等しいため、不正の温床となるはずなんだが、ある程度の金額が動けばそれはある程度は分かるし、脱税をすると追徴の他にも監視や別の処罰が下ったりと面倒なことが多い、らしい。
まあ、そうはいっても割と抜け道はある程度存在するため、その分、納税をしてギルドへの発言力を高めることを優先する商店の方が多いらしいが。
ともあれ、正確に報告しても原則は店の区分や取扱商品などにより税金が決まるため、少なくとも今のところは俺が納めるべき金額は一定なんだが。
「あとは、サンパーニャの分も合わせて。……借りる店については、それぞれの代表者と共にまた。少し、これから用もありますから」
「もし、お時間があればまたお越しください。あなたには、少し聞いてみたいことがあります」
「時間がかかる話でしたら、事前に連絡をいただければ。まあ、悪い話でなければ、ですが」
商人としては特に俺が実力があるわけでもないし、前世でほんの少しだけ得た知識をそういった方面で活かせるとも思えない。
聞きかじりの事が多すぎて、何故そうなるのか。何かトラブルが発生した時どうしたらいいか、といったことが分からないことが致命的なことになりかねないからだ。
家族から高校を出たら進学するにせよ就職するにせよ最低限簿記を取っておくように言われたが、もっと早くに勉強だけでもしておくべきだったか。
出来なかったことを悔やんでも仕方ないため、そういうことについては出来る人に任せよう。
「あ、ソラくん。お帰りなさい。お客さんだよ」
何となくぼんやりとした何かを感じたままサンパーニャに戻ると、苦笑気味のお姉さんに出迎えられた。
「ニール。思ったよりも早かったな」
うろうろと店内の商品を所在なく見ているニールに声をかける。
「ええ。待ってましたよ。えっと、剣はどこに?」
「今持ってくるからちょっと待ってろ。……その後、色々見るからすぐに帰ろうとするなよ?」
明らかに顔が強張るが、知ったことではない。そもそも、書き換える作業やその上でのコーティングなど、やることは少なくない。
機械と違い、その作業は魔力の直接操作による書き換えが必要となるため、あまり人前でしたいことではないんだが、俺が魔術職人や錬金術師として存在している以上、魔力を持ってそれを操作できる、ということはそこまで違和感のあるものではないだろう。
あとは、それなりっぽくそれらしくすれば、何とかなるだろう。多分。
流星を集めた飛翔剣を渡す前に、ナイフと親指大程度の透明な水晶をニールに渡す。
「血液を採ってそれで使用者を登録する。登録作業後に別の血が付いたところで変更はできないから安心しろ」
引き攣った顔をしたニールは放っておいて、登録用に幾つかの道具を用意する。といっても、ビーカーに薬品、攪拌用の細いガラス棒といったもので、さながら実験でもするようなものだが、……実験でも間違っていないか。
ちなみに、お姉さんは俺が剣を取ってきた時点で工房に籠っている。若干目が伏せ気味だったから、嫌な予感でもしたのだろうか。
「え、でも、前はそんなことしなかったじゃないですか?」
「前は前。今は今だ。つーか、それでまた使えなくなる可能性を潰す。いいから、指の先を軽く切る程度でいいからさっさとやれ」
ついでにポーションも水晶の隣に置く。傷を塞ぐようだからそんなに効果は高くない。
嫌そうな表情を隠さないままニールはナイフで指先を軽く切り、滲んだ血を水晶に落とす。
その血は、垂れずに水晶の中に吸い込まれ、少しずつ中で広がっていく。
全体にそれが行き届く前に、薬品を入れたビーカーに水晶を落とし、攪拌する。
と、いうのが見せているものだが、実際は若干異なる。
血液を水晶の中に仕込んだ検査用の薬品が分解し、分析していく。そこに含まれる情報、主に塩基配列やアミノ酸配列、つまり遺伝子データの解析なんだが、使う情報としてはそのうちの一部のもののみだ。
それで登録したデータを水晶に固定化させると、水晶が薄くだが、透明から青へと変わっていく。
完全に色が変わったのを確認すると、薬品を布でぬぐい、流星を集めた飛翔剣の鍔を外す。
そこには水晶を埋め込むための穴が存在し、作った水晶を取り付け、また鍔を戻す。
一連の作業としては、水晶を加えただけ、だが流星を集めた飛翔剣自体に細工をし、水晶自体が鍵となり登録者以外では動作しないように変更をした。
元々の使用者登録も改めて書き換え、その上でこの水晶の登録者情報と共有したからひとまずは、大丈夫だろう。
それでも繰り返すようであれば、原因を確認するためのログを取れるようにしたし、その時考えればいい。
「前のと長さと重心は変えていない。切れ味を少し増したのと、試しに自動復元を付けてみた。とはいっても、刃毀れが若干回復する程度で刀身が折れたら回復できないから、過信するな。
固有スキルの【流星の夜】は使用回数は一応増やしてるが、威力が増してるわけじゃないから、使い時の目安は対して変わらん。
つーか、俺が貸し出してるんだから、何かあったら早く持ってこいよ?」
「ほ、本当はすぐに持っていきたかったんですけど、ソラさん、色々忙しいって聞いてたもので」
「俺が町を離れてるとき以外は大丈夫だ。それとも、お前は俺が自分の作った武具を放置するとでも思ってんのか?」
今の所、武具で商売をするつもりはないし、恐らく大々的に始めようとするとストップがかかるだろう。
あくまでも俺は現状魔術職人であり錬金術師のため、武具を作らせようとする人間は限られているんだが。
「ソラさんの腕を疑うことはないんですけど、魔術職人で、鍛冶師ギルドの上級職人に武具の点検って、中々依頼できないと思うんですけど」
「俺も新規で作っていないから、作れと言われたところで断るが、メンテはするさ。修復不可能にまで壊したら、次はないが」
どうしても命のやり取りをする以上、武器が破損することはあるだろう。その上で、自分や誰かを助けるために破損したのであれば仕方ない。ただ、する必要もないような無理をした結果、破損したのであれば武器を預ける意味もない。
それが、単なる道具だとわかってはいても。
ニールを送り出した後、何となく手持無沙汰になったため、お茶にすることにした。
「なんだか、ソラくんとゆっくりするの久しぶりだよね」
「この頃、忙しかったからね。一息つきたい所だけど、もうしばらくは難しいかな。むしろ、お姉さんはどうだった?」
「どう、って。そうだね、ソラくんがいなかったから、忙しかったよ。お父さんにもお母さんにも手伝ってもらったから何とかなったんだけど。
でも、何とかなったから」
苦笑するお姉さんは若干楽しそうに、ただそれでも情けなさそうに笑う。
「魔術工房であることを認知してもらうために、割とハイペースで商品の受託をしてたから、これまでと同じペースでする必要はないとは思うんだけど」
「うん、お父さんにも言われたし、私も思うんだけど。もうちょっとだけ、頑張ってみようかなって」
「そっか。俺も、手伝えることは手伝うよ。少なくとも、この店にいる限りはさ」
共同で店を借りる、とは言っているが対外的にも俺が店を持った、という目で見られ、なし崩し的に弟子を取らされる羽目になる可能性が正直高いが、俺の真似をして俺の出来ることが誰かに出来るとは全く思えない。
ギルド長も俺が見習いを見る過程でそれは分かってはいると、思うんだが。というか、度々言っていることだが。
「いっそのこと、ソラくんが別に店を借りるなら私もソラくんに直接教えてほしいかな、なんて。見せてもらったものでもいっぱい勉強になったけど」
「お姉さんはこの店の主で、見習いじゃないんだし、俺が教えるべきじゃないよ。というべきなんだろうけど、状況次第、かな。
あとは、厄介ごとが来なきゃ、だけど」
と、店のドアが開く。お姉さんがびくっと肩を震わせるが、タイミングが良すぎたか。
「ソラ、いマ、平気?」
「おう。ことねの事か?」
「ウウン。でも、ソラに相談。チョっと、付いてきて、欲しい」
珍しく、お付きを従えたオウラが訪れた。といっても、お付きのメイドにマイアやらから貸し与えられた騎士だが。
「……ここではなく付いてきてほしいとは珍しいな。じゃ、ちょっと行ってくるから時間になったら閉めておいてもらっていいかな?」
「うん。えっと、姫さま。うちのソラくん、あまり連れまわさないでくださいね?」
マイアの時は硬くなることが多いお姉さんだが、最近オウラには慣れてきたのか、軽くオウラに釘をさす。
といっても、あまり遅くならないように、といった程度なんだろうけど。
想定通り、出た途端待っていた馬車に乗り込み、貴族街にまで移動する。
「それで? 俺はどういった立場で呼ばれたんだ? 鍛冶師か? 魔術職人か? それとも、友人としてか? そもそも、学校は平気なのか?」
「本来ナラ、友人とシて招きたかッタ。学校は、今日休ンダ」
俺に視線を向けないまま重々しくため息をつく。思った以上に厄介ごとなんだろうか?
「少なくとも、武具の提供と街道整備に使う水晶の提供は許可を取る必要があるからな? あと、前も言ったけど、ゴーレムもな」
「その辺りハマイア姫にモ聞いてル。錬金術師としテ、薬を作ってほシイ」
錬金術師としての、ね。薬品を扱うという意味では確かに錬金術師が向いている薬は多いんだが、秘薬や霊薬、禁薬など、あるいは賢者の石を用いた不老不死の宝薬など錬金術自体の最終目的を関するものもあるが、少なくとも賢者の石を持っていると伝えたことはないから、それはないだろう。
「秘薬『フィリルクラーレル』を、作れル?」
……聞いたことのない薬品の名称が出てきたのは、俺が単に知らないだけなのか、それともオウラの言った名称が異なるのか、どちらか。
「聞いたことない薬だな。レシピがあれば、作れる可能性はあるが。なくても、効果が分かれば代用品の手配は出来るかもしれないぞ」
「そウ……。効果ハ、……そう、効果は非常に単純。強い毒に対する無害化。通常の毒消しの、何倍。もしかしたら、何十倍かもしれないけれど。
あなたの効果ポーションも試したけれど、効かなかった。それよりも、強いものはある?」
「毒、か。症状によって効くものが変わるからな。何の毒だ? かかったのは? 今の状況は?」
「見た方が、早い。……でも、見ても、決して驚かないで」
何にどう驚くのか、というかそういう状況の相手がすぐ近くにいるのに警告も出ていないのか。
ただ、普段は使わない『翻訳』の腕輪を使ってまで説明する、ということが事の重大さを表しているんだろうけれど。
「状況によってはマイアに報告するぞ? ……まあ、驚かないように努めるさ」
毒にある状況で驚く、となると毒が全身に回って皮膚が、とかということだろうか。……グロ耐性はあまりないが、『冷静沈着に』を使えば少なくとも表面上は反応はしない、だろう。
一応、オウラは学校の寮と、それとは別に貴族街にも住まいを構えているらしい。通常、貴族でも寮に入った場合は貴族街に居住地を設けられないが、国外の王族ともなると母国からの遣いや身の回りの世話をする使用人などがいるため、寮ではスペースが物理的に足りないそうだ。
そんなオウラに与えられている屋敷、そのさらに地下。
「魔法陣と符による結界で外と内側を隔離してる、か」
「そう。少しの時間、であれば何とか大丈夫。でも、長時間は誰も、彼女の側に居られない」
「……ひとまず、消耗品なら大丈夫か。気休めにしかならない可能性はあるが、飲んでここで待機しててくれ。で、俺1人で会うわけにもいかないだろうから、だれか人を付けてくれ」
霊薬『エリクシア』を飲ませたオウラにつけられたのは、何度か俺もあったことのあるオウラのメイド、確か名前はセリムだったか? 恐々とした表情を隠さないまま、少し俺の後を離れて続く。
この屋敷の地下室に入ったのは初めてだったが、一直線の廊下に重々しい扉があるだけで場所を間違えようがない。
ただ、近づく度にどんどんと澱んでいく空気と、鼻に来る臭いが警告を俺に告げる。これはただ事ではない、んだろう。
セリムにも霊薬を飲ませると、一呼吸し『冷静沈着に』を使用して扉を開ける。
「確か、あなたはフェネジア、でしたか。ご無沙汰しています。……そのままで結構です。ただ、薬を届けにきましたので、可能であれば上半身を起こせますか?」
弱弱しく、上半身をわずかに動かそうとしているところを軽く静止する。
上半身を起こすほどの体力はない。そして、ほとんど全身が動いておらず、むしろ条件反射で動いただけに見えるため意識も混濁している可能性が高い、か。
「エリクシアでは若干の改善はするかもしれないが、快方へは難しい。か。
詮索しない、とオウラを信じるか」
そもそも、この人はオウラの乳母、側使えの筆頭のはずだ。それがどうして、こんな状態になっているのか。
ともかく。妥協や様子見ではなく、確実に効果を及ぼすものとなると、俺が今作れるものとしては1つしかない。
賢者の石を使って精製する霊薬『エリクサー』改だ。
エリクサーは今更説明する必要がないくらいに有名すぎる錬金術の最終目的の1つであり、人類が未だ到達していないと言われる極地のものの1つ、不老不死を実現させる秘薬、だと言われているのだが、俺の作るエリクサーに不老不死の効果はない。
ただ、その代わりカスタマイズにカスタマイズを重ねた結果、死亡以外の効果を消す、という代物が生まれた。
勿論通常のエリクサーを精製することは可能なんだが、その場合、極稀に本当に不老不死の効力を持つものが精製されるらしい、という噂が『レジェンド』内にあり、それを服用したNPCが実際に存在していた。
むしろ、不老不死ではあるが、傷つきもするし呪われもしていたため、そういったデメリットが敢えて付与されていたのかもしれない。
それはともかく。エリクサー改にもデメリットが存在する。20日の筋力低下と10日の魔法スキル使用禁止、また2時間の自然治癒無効、というゲームをするには割と厳しいものだ。
それを差し引いても、というか少なくとも自然治癒ではなくポーションなどの薬品での回復は可能だし、それ以外の部分は戦闘職以外なら問題にはならないだろう。
それでもイオンに使用させていないのは、賢者の石を使用することによる中毒を恐れて、だ。
賢者の石には不老不死を実現させるだけの大きな力が宿っており、ほんの一滴そのまま服用するだけでも俺どころか前衛職が瀕死になった所から全快できるぐらいの回復量を誇る。
だが、それを何度か摂取するとキャラデータに対しての異常、例えば石化や異常復元による外観データの変異などのバグ、ではない仕様としての副作用が発生する可能性が高まる。
そんな運営からも過剰使用禁止、同一サーバー内での存在数上限の設定など割ととんでもない効果を及ぼしていた賢者の石だが、エリクサー改にし、服用する対象が『瀕死』であった場合はそのデメリットは発動しない。
だからこそイオンには使えなかったが、彼女には一刻も早く服用させる必要がある。
「術式、『秘隠法印』展開。法印:霊薬―――生成」
錬金術の最終目的だけのことはある。エフェクトが、派手なのも、きっとその一因、なんだろう。
禁忌薬・ライラの霧隠れを作成した時の術式では花冠、つまり花を模したものだったが、賢者の石は、いわば懐中時計の機構に似ている、と言えばいいか。
歯車がかみ合うように賢者の石が変形し、崩れていく。
それは今度は砂時計のように、落ち、積み重なり、堆積し、オイル時計のように静かに沈殿していく。
そして出来上がった液体をビーカーで受けるんだが、その間、事前に指示を受けているのか、それとも驚きで固まっているのか、セリムの動きはない。
フェネジアが、薬のほとんどを零してはしまったが、わずかにでも飲んだことに軽く息を吐く。
その効果は劇的だ。『冷静沈着に』を使い続けていたが、それはもう使わなくても平気だろう。
それは、寝台に落ちる緑色の鱗や青黒い流れ落ちていく体液がそれを示している。
「セリム。近くに誰か控えさせているだろう? 恐らく、問題はないだろうが念のため俺も、あんたも含め検査後、オウラを呼んでくれ。
あと、着替えも。……悪いが、俺の分も用意して、確実に焼却処分をしてくれ。少しでも毒が街中に広がるようなら、一気に感染する可能性もあるから、必ず。な」
彼女を蝕んでいた物は、呪いと毒の混合。体液を腐らせ、それが表皮を侵蝕しながら変異させていく。
さながら人ではない何かに変貌させるそれは『ディルキリウスの死鱗』と呼ばれたものとよく似ている。
といっても、クエスト中に出てきた名称だけで実際の罹患者の存在は見たことはないが。
そして、それと同じであるのならば、鱗や体液にも毒が含まれ、それは蒸発し空気感染を起こす。
それと同じであれば強力な感染力を持っているわけではないが、累積した状態でいつ発症するか、どう変異するか分からない以上、取れる対処を取らない理由はない。発症前からフェネジアが使っていた服や寝台、世話をしたあるいは長時間触れあっていた相手のその時身に着けていた衣服などの焼却処分、また出来る限りの消毒などやることは多い。
あと、オウラに対しても確認すべきことは山ほどある。
少なくとも、それがどれだけ危険だったのかを認識しているのか、そしてそれを誰が持ち込んだ物なのか。
何よりも、異変が発生する前に、外部へ出ているか、を。
「この一件は、ひとまず俺の権限で部外秘にする。だが、報告は幾つかにする必要がある。場合によっては、国外への退去命令が出るかもな」
話を聞いた限り、病気らしきものにかかっていたことと、ある程度話している悪寒や倦怠感を感じるようになり、もしもの事を考え隔離していたが、性質の悪い流行病かなにか位の認識だったそうだ。
「……そう、ね。此処は私たちの暮らす国ではない。私も、私に付く者も移動制限がかかっている。ただ、私の身の回りをするフェネジアは別。住宅街や職人街には出ていないけれど、此処と、寮は別。ほとんどは人と言葉を交わすこともなかったし、調子が悪くなってすぐに外に出さないようにしていたけれど、もしかしたら、誰かが、かかっているかもしれない」
「長時間対応したような相手はいるか? あと、不審な相手に会ったといったことは言っていたか?」
「……フェネジアは私を不安にさせるようなことは、言わないわ。だからこそ、話が聞けるようになったら、ちゃんと話を聞く」
「見た限り、あれは長時間接触をしてなきゃ大丈夫なんだろうが、その長時間、がどれくらいかが状況による、んだよな。
俺はマイアの所に行く。俺1人でいくから、ここで待っててくれ。あと、この屋敷でフェネジアに接触した相手はこれを飲ませろ。
一滴残らず、飲みきるように。いいな?」
「私たちは、恩人に対し礼ではなく仇を返すような無様はしない。私が、させない。だから、信用してほしい」
「オウラのことは信頼してるさ。だが、徹底させてくれ。後、これで2セイラほど地下を封印してくれ。どんなことがあろうと、誰も入らないようにな?」
「分かった。あなたに感謝を。私は、私たちは、あなたへの――」
「友人が困っていたから少し手を貸しただけだ。ま、何か俺が困ってたらそれとなく力を貸す位にしておいてくれ。
にしても、服、どうにかならないのか?」
持ってきていた鞄も含め全て焼却するため、借りた服は襟の短いシャツに短いズボンに全身を覆う薄い貫頭衣のような外套だ。
動き辛いといったことはないんだが、光沢があったり、シャツやズボンに使われている素材はしっかりとしていて明らかに平民が着るようなランクの服装ではないだろう?
「あなたに合う大きさがこれしかなかったから。国に戻れば、私のお古位ならあるかもしれないけど」
「何で俺が、お前の、お古を、着る必要があるんだ? 冗談を言えるくらいの方がいいんだろうが、そういう冗談は好きじゃないって何度か言ってるだろ?」
「コトネが、困った時にそう言っておけば、ソラとは何とかなるからと」
「……あいつ、いつか痛い目に遭わせてやる」
むしろ、言ってくるタイミングが若干おかしい気がするんだが、俺の気のせいだろうか。
「つまり、この町に病気やそれに類似するような何かが潜伏している可能性がある、ということか」
「ああ。広域感染なんてなった日には、笑えないどころかこの町の人口が一気に減る、だけじゃないな。
他の国から来ている貴族も少なくない。国際問題にも発達する可能性もあるな」
「問題だけではなく、戦争や侵略の火種にもなりかねないか。食い止める方法はあるか?」
「いくつか、な。一番簡単な方法としては、この町の魔法陣に干渉することだが」
マイアに睨まれるが、一番楽な方法は魔法陣に干渉し、潜在的罹患者と呪いを分析、エリクサー改の効果をピンポイントで発動させることなんだが、魔法陣に干渉できるのはそれに対しマスター権を持つ者なんだが、……マスター権を本来なら持っているはずなのは町長や各ギルド、特に魔術師ギルドのギルド長、つまりあの爺さん辺りなんだろう。
マスター権という設定項目自体は存在するんだが、それが空欄になっている、というか俺を設定できる。いや、していないんだが。
百歩譲って、俺も仮にとはいえ錬金術師ギルドのギルド長代行だ。ただ、マスター権がそもそも何に付与されているか。
わかってはいることなんだが、この町の占有権、支配権の付属品に過ぎない。……支配ってなんだ、と思うんだが、『レジェンド』ではそれを持つと言われていたのはNPCとGMだけだったはずだ。
俺はNPCではないし、GMでもない。といっても、プレイヤーもいないためいい加減比べるのもおかしいというのは分かってはいるんだが。
まあ、それは最終手段として、現実的な方法としては、フェネジアが通ったであろう場所に消毒液よろしく効果ポーションをぶちまけることなんだが、人にぶっかけるには少々効果がありすぎる可能性が高い。
それに仮名『ディルキリウスの死鱗』が発症したのであればそれはすぐにわかるだろうし話は広がるだろう。
そういった意味では、あくまでもそうなった時の予防策であり、次善策にはなるんだが。
「お主はどれだけの霊薬を保持しているんだ?」
「材料さえあれば、幾らでも。それよりも、感染源を見つける必要がある。じゃなきゃ、いたちごっこだ」
ぶっかけるのは効果ポーションではなく霊薬『エリクシア』だ。
賢者の石を不特定多数の目があるような場所で練成するわけにはいかないし、出所、というか材料を探られたら面倒すぎる。
あと、鞄を処分したことにより今手持ちはない。ことになっている。
「後は、街道整備に使う触媒を使っての浄化といった所か。面倒なことにならないように、街道整備の方には組み込んでないが」
あくまでも街道整備はモンスターから身を守り安全に行き来ができるようにしたものであり、一時的にでもそれ以上の何かをしないようにした。
ただでさえ、国の事業のはずなのに間者や間諜などではなく現場の従事者が触媒を盗んで売ろうとする事例が後を絶たないらしい。
そういったことも想定して相当量を用意しているし、売った所で悪用もできないようにはしているんだが。
……権利や利益の独占も甚だしいが、流出した際のデメリットと想定される悪用方法が俺が考えつくものだけでも多すぎる。
一度設置してしまえばそう簡単に外れないようにできるため、場所を考えればメリットも十分出てくるんだろうが。
「あれは設置を任せた魔術師も錬金術師もどうやって作られたか分からないと言っていたが、作れる以上、変更もできる、ということか」
「効果が固定されて変更できないものもあるけどな。ま、とりあえず行ってくる。俺の対処が終わるまで、屋敷から出るなよ?」
「わかっている。ただ、無理はするなよ?」
「ああ。まあ、ギルドに戻って幾つか薬品も持ってくし、万全、に近い準備はするさ」
ある意味では、錬金術師ギルドに居るノルンさんとイオンは俺を除くとこの町で最も病気なんかにはかかり辛い。
ノルンさんはそれに加え呪いに対しても耐性は霊薬の効果で持っているはずだが、イオンは呪いをまだ消している最中、のはずだ。
「ノルンさん。イオンの様子はどうですか?」
「はい。服を、下着と簡易的な衣類であれば身につけられるようになりました。靴や他の外套などはまだ、ですが。お会いになられますか?」
「少し別件で用があるんですけど、少しだけ。……念のため、先にイオンの様子を見て貰えたら助かります」
疲れて寝ている可能性や、着替えをしている、あるいは状況が振り戻っている可能性もある。もし何か粗相をしてしまったら、というかイオンも見られたくないだろうし。
「久しぶり、です。えっと、ソラ、さ…ん?」
「別に敬語を使う必要はないよ。体調、はともかくとして。調子はどうだ?」
「ずっと、部屋に閉じこもっていたから、ちょっと外に、……ううん。平気」
「それは、出来るだけ早めにな。すまないが、荷物を取りに来たから、今日はこれで失礼する」
鞄も含め幾つかの道具を回収すると、触媒を一部回路の修正を施し、符とまとめてアイテムボックスに突っ込む。
それにしても、恐らくあの呪いは自然発生したものではないだろう。誰かが何かの意図をもって、なんだろうが。
「ソラさま。そのお召し物は如何されたのでしょう?」
「理由はあとで説明します。ノルンさんも、俺が戻るまでこの建物から出ないようにしてください。時間は、そうかからないと思いますが」
ただ、場合によっては自重をすべきでもないだろうから、最低限の場所への情報共有は必要。となると、ある程度の高速移動が必要になりそうだが、前考えていた運送方法を試して、みるか。
と、カムフラージュ用の鞄を部屋から持っていこう。
念のため、騎士を引き連れ歩く姿は非常に目立つ。ある意味では示威的な行為になるし、ある意味では目立って炙り出す意味もある。
まあ、それ以上に目立つのは荷物を運搬するためだけに作ったこれ、だろう。
当初は運搬をする本人の移動手段も含め考えていた。
ターレットトラックのようなものから悪路まで対応するキャタピラ付きの台車などなどがそういったものになるんだが、どうせ町中がメインなんだから、人通りで邪魔にならないようにするのであれば、運搬者本人は普通に歩けばいい、と。
そう考えて次に考えたのはドローンや超小型のヘリ、あるいはグライダー、凧なんかも考えてみたが、輸送量や操作方法が今度はネックになる。積載量を犠牲にして取るのであればそれは安全性だろうし。
といっても、やはり移動を妨げないということであれば空を飛ばし、紐か何かを掴んで移動させるのが一番安全だ。
……いい年したおっさんが風船のごとく街中をひもを引っ張って歩き回る姿を想像して即却下したが。
とはいえ、手元、というか手の動きで挙動を制御するというアイデアは有効だろうと思い、それで開発したのが、開発コード『浮遊大陸』その試作品となる、リモートクラウド。つまり遠隔操縦式雲だ。……何かいいコードネームや試作名称が浮かべばよかったんだが、浮かばなかったため仕方ない。というか、残念ながら俺はネーミングセンスはない。これも割と苦肉の策、というかそれでも何とかひねり出したものだし。
最終的には移動式研究所でも作りたいところだが。
ともあれ、操縦方法は分かりやすく魔術品としてみた。しかもリモコンっぽく、上下のボタンだけ付け、ボタンを押したときに上がるか下がるか、またリモコンに対し自動追尾するようにしたため、移動を妨げることもない。
試作品だけあって、全長2m、幅1.5m、耐荷重50kgと多少の荷物を運ぶことは出来るし子供位なら運搬は出来そうだが、大量の荷物を運ぶにはまだまだ適さない。
ひとまずの目標は耐荷重50t、全長は10m~15m、幅も10m位のものを目指すか。街中では今の大きさからその倍くらいで耐荷重を5t位までは目標値としておきたいが。
「ソラ殿。そろそろ目的地です」
「はい。……念のため、設置の際は周りを警戒してください。街中で無理をするような勢力はそこまで多くはないと、思いますが」
示威行動をしているため、俺も双炎を背負っているが、街中で抜くことは、恐らくないだろう。慣らしもまだしていないんだし。
リモートクラウドを下降させると搭載している工具に触媒を取り出し、また上昇させる。周囲が遠巻きに俺を指さしながら何か言っているが、無視だ。何人かがため息をつきながらいつもの事だ、なんて言っているが、無視だ、無視。
そんなわけで、大通りの入り口の辺りや門の前など人通りの多い所に設置し5カ所目。あとは2カ所。
と、さっきから上をチラチラと気にしながらついてくる集団がある。ほとんどは野次馬で2カ所も付いてきたら飽きるのか入れ代わり立ち代わり人数の増減がありながらだが、中に3人、1人はずっとついてきて、2人は別々のタイミングで離れてはまた現れる。
職人、であればある程度は分かる。動き、というよりも視線がどこを向いているかで何に関心を持っているかが分かるからだ。
そして見る限りでは、注目しているのは触媒と設置の場面らしい。その辺りは職人も注目するだろうが、設置の行程そのものであり、どういった作業をしているかまでは詳しく観察しているように見えない。
そもそも触媒は錬金術のものだし、リモートクラウドもそうだ。ただ、触媒を動作させるための諸々は魔術品でそれを安定化させるのも場所の配置を決めたのもパレットを経由してのもので、そういった意味では俺以外で正しく利用することはできない、はずなんだが。
だが、悪意や害意を感じるのは気のせいじゃない。あとは、どのタイミングでやってくるか。
と思いきや、何も起こらず作業終了。とはいかず、作業自体は終わったんだが、一番気が抜けた瞬間を狙おうとしたのか、余剰に持っていた触媒と道具を片付けるためリモートクラウドを降ろそうとした所、6人の正体不明が飛び込んできた。
来たんだが、タイミングが遅すぎる。作業が終わった、ということはいつでも効果を発動させることが出来る、ということだ。
これのメインは疫病予防だが、街道整備のためのものをほぼ流用している。
つまり、公称しているのはあくまでも魔物の進入禁止だが、害意や悪意を持つ相手からの攻撃禁止もその中の機能に含まれる、ということだ。
「ソラ殿の予想が当たりましたね! 無効化するぞ!」
ナイフや小さな斧など携帯しやすいものは持っていたようだが、本職の騎士に敵うわけもなく、容易く無効化されていく襲撃者たち。
……武装した騎士を相手にして、本当にそれだけの相手しかいないのか? 『気配探査』を使うが、急に現れた襲撃者たちに逃げ惑う人々はいても、観察しているような相手や追撃するような相手はいなさそうだ。そうなると、これ自体が陽動の可能性が高いが、何に対してのだ?
ひとまず拘束した不審者たちは通常であれば詰所で尋問を受ける、らしいんだが何があるか分からないため別の場所に隔離するよう依頼した。
具体的には、触媒で囲んだ見張り台に、だ。セオリー通りなら不審者は大した情報を持っていない割には面倒なものを持っているんだろうから。
そんなわけで所持品のチェックなども『しすぎないよう』にお願いしたところ、何故か騎士の1人が悪い笑顔を浮かべて頷いた。何か勘違いしているんだろうか。まあ、きっと俺も同じような表情をしているだろうから、構わないんだが。
ある意味で、悪だくみというか、むしろよからぬ企みをしているようにも端から見えそうだ。
人が傷つかないためでもあるから悪だくみではないはず、なんだが。