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第20話。フオン。

読んでいただきありがとうございます。


 お姉さんが戻ってくるまで店番やらことねの魔術品を作りながらで時間を過ごす。

 メレスさんが一度戻ってきたが、今度は別件で納品をお願いしたため工房は俺一人。

 こういうとき少し寂しいとか実は思ったりもするんだが。


「お前授業中のはずじゃないのか?」


「いや、使いを頼まれてさ」


 良いのか悪いのか、大抵忙しくなり始めると誰かが訪れる。せめて暇なときに来てくれれば良いものを、とも思うがそんなのを察知する術もない。

 その来訪者にほれ、と包みを渡される。それはずっしりと重く、若干温かい。


「で、中身なんだ? 嫌な予感しかしないんだが」


「半分は大丈夫なはずだ。半分は。……じゃ、俺はもう戻るな」


「待てよ。においで何かわかった。お前も一緒に犠牲になろうじゃないか、トール」


 逃げようとする来訪者、トールの首筋をしっかりと捕まえる。

 脳が理解するのを阻害しているが、おそらくこれは何かしらの料理だ。

 ……プラスとマイナスって例えそれが同じだけの力を持っていても時にはマイナスが凌駕するんだろうな。


「いや、俺は戻ってスコットを面倒看なきゃいけないんだよ。俺まで倒れたら誰がスコット看るんだよ」


「俺は仕事中だよっ! しかも俺一人だし、お前はスコットと一緒に倒れてろ!」


 おそらく、マイナスの方向に働いているものはソフィアのケッサク、だろう。傑作ではなく血窄だの決炸だのいうおぞましい物質Xだ。もちろん劇物指定されている。

 そんな物を食う勇気は俺にはない。たとえ『状態異常無効』があろうとそういったものすら関係なくおぞましいものはあるんだ。


「……それはソラの分だ。俺のも、あるんだ」


 重々しい一言だった。死を覚悟した、だが全てを容認した、そんな声だ。


「そこまでなっているなら、あえて俺は決断しよう。……俺は喰わない」


 前それで酷い目に遭ったことは忘れてはいない。むしろ喰わなきゃいけない理由はほぼない。

 というよりもスコットが倒れた時点で諦めろよ、ソフィア。


「いやいや、俺だって倒れるのは嫌だぞ? けど、食べないとどうなるかお前も分かるだろ」


「俺は仕事が忙しいって言ってんだろ? 今日中に仕上げなきゃいけない仕事だってあるんだ。無理言うな」


 何もないのであれば付き合わなくもないかもしれないがどうだろう、いや無理か。

 冗談半分で付き合えるレベルでないのは間違いない。


「ソフィアにはそう説明しておく。で、置いては行くぞ。処分はソラに任せた」


 疲れたような表情でトールが去っていく。理不尽な、とも思うがこれもある種ではソフィアのため。

 ソフィアは味音痴だ。味が分からないわけじゃない。何を食べても美味しく感じる。

 それはそれで羨ましい体質なのかもしれないが、作る分には別。

 味見をしても自分にとっては美味しいのだが、それが周りにとって美味しいのかそうでないのかが分からない。

 だからそれを理解するために料理をする。自分の美味しいと思ったものを共感してもらうため。

 だから俺たちがそれを食べ、理解する。ああ、これはだめだ、と。


 これ以上考えてむやみに心をすり減らすのは得策じゃない。

 ただそれを追い払うように仕事に集中する。物体Xは隔離しておいた。あの臭いが近くにあるだけでも気が滅入るからだ。

 ことねに渡す分の魔術品は既に出来ている。オウラに渡したものは無骨なものだったがこっちは華奢、というか繊細なデザインに仕上がっている。

 デザインを決める最中で長く身に着けるならある程度凝ったものが良いと言っていたためで、その上で負担を軽くするような工夫もいくつか取り入れた。

 こういったことを普段からしているから俺の評価というのが良く分からないことになっているのかもしれない。


 客足も一旦途絶え、ようやく食事にありつけた。昼の時間は過ぎているが客商売である以上致し方ない。

 包みに入っていた半分をありがたくいただき、半分を一口含んだだけで後は焼却処分した。

 もちろん炉やかまどの火なんて使えない。魔法で灰にした。酷いとは思うが味はもっと酷かった。案外、ソフィアはこういったものを食べ続けた結果、おかしな舌になったのかもしれない。

 だからといってそれを食べるほど俺は優しくはなれない。それはスコットに譲ろう。

 メレスさんが戻ってくる前に処分できたのは良いことだろう。これは耐性がない人には危険すぎる。


「ソラくん、ただいま」


「思ったよりも早かったね。お疲れ、お姉さん」


 と、何故かメレスさんではなくお姉さんが戻ってきた。


「うん。何だか途中で話が変な方向に行っちゃってね。お父さんがもうここは良いから戻りなさいって言ってくれたから」


「そっか。メレスさん見なかった? 他の工房に納品する商品あったから届けてもらったんだけどまだ戻ってないんだよな」


「お母さん? ううん、見てないけど……何時(いつ)の話?」


 お姉さんは不安そうな表情を浮かべ俺に聞いてくる。先に俺が今居る場所を確認するべきだったな。まだ誘拐されたときのことを忘れられるわけもないのに。


「少し前だよ。もしかしたら話し込んでるのかもしれないし、ちょっと行ってくる。お姉さんは店番お願い」


「う、うん。……ちゃんと帰ってきてね?」


「ああ。そんな顔しなくてもちゃんと戻ってくるよ。じゃ、行ってきます」


 本当ならお姉さんと一緒に行くべきなのだろうけれど、店のこともある。

 お姉さんのことは気になるが、『気配探索』を起動させると店を後にした。



 メレスさんの気配を辿り、着いたのは納品先の工房。

 それはいいとして、何故店の片づけを手伝っているんだ?


「メレスさん、どうしたんですか?」


「あ、ソラくん。ちょうど良いところに来てくれたわ。手伝ってくれるかしら?」


「すいません。状況がうまくつかめないんですが、どういうことでしょうか?」


「他の工房からの納品がちょうど重なったみたいで、片付けないと支障があるみたいなの。

 今日は他の人もいないみたいだから、私が手伝っていたんだけど少し量が多いのよね」


 奥で黙々と工房主が片づけをしているが、他の工房の人間に手伝わせるなよ。


「エキャロットさん、俺も手伝います」


 といっても既に手伝ってしまっている。これならさっさと終わらせた方が建設的だろう。


「す、すまないねぇ。後もう少しで終わるから、申し訳ないんだけど」


「困ったときはお互い様と言いますから。じゃ、どこをどうしたらいいですか?」


「そ、そうだね。じゃ、じゃああっちの箱を少しだけ奥にずらしてもらえるかな」


 この工房は取り扱う商品が端材が多く箱は多いが一つ一つはそれほど重くない。

 とはいえ、その分量を扱うためサンパーニャより広いはずなんだが足の踏み場もないほど荷物で溢れている。

 これでも最大10人同時で動くこともあるというんだから驚きだ。

 そういった面ではサンパーニャは恵まれているほうなんだろうか?


 片付けも最低限が済み、受け渡しが終了するとメレスさんと共に工房を後にする。


「ごめんなさい。もう少し早く戻るつもりだったんだけど、エキャロットさんも忙しそうだったから」


「いえ、謝られることはないですよ。ただ、少し遅かったので様子を見に来ただけですから」


 帰り道、メレスさんに話を聞きながら歩く。

 といっても先ほどのことから特に進展はないんだが。

 進展はないが、メレスさんの話は続く。雑談だったり仕事の話だったり家族の話だったり脈略はないが次々と話が出てきては変わる。

 俺はただ聞いて頷くしか出来ないがそれでもメレスさんは満足なのかにこやかに話を続ける。

 そういえば俺の母親、この場合は前世でのといえばいいか。もとにかく話が、というか話すのが好きな人だったような気がする。

 相手が聞いているかどうかよりも自分が話したいことを話し、頷いていれば満足していた人だったから内容自体はあまり覚えていないんだが。

 親のことを思い出すのも久しぶりだ。今まではそう意識することもなかったのに。

 特にこの数年は顔も声も曖昧で、思い出すのも苦労する。だから渚のことも最初ははっきりとは分からなかったのか?

 少し、寒気がする。


「ソラくん、どうしたの。もう着いたわよ?」


「えっ……? あ、いえ。少し考え事をしていただけです」


 考え込んでいる間にサンパーニャに戻っていたらしい。

 考え込むのはよそう。気になるところではあるが、今は変に焦らないほうが良いだろう。



「もう、お母さん遅いよっ!」


「ごめんなさい。思ったよりも時間がかかったの。ソラくんも、改めてごめんなさいね」


 困ったような表情で謝罪するメレスさんと不貞腐ったようなお姉さん。

 いや、不貞腐ったというかどこか機嫌が悪そうというか。


「ミランダ、何かあったの?」


「ソラくん、お客さん」


 客がいるならせめてもう少し機嫌よくして欲しいと思うが、今それを言うのは危険だろう。客相手でそんなにお姉さんが不機嫌になるというのは引っ掛かるがトールでも来たのだろうか? 何故か未だにお姉さんはトール相手であれば不機嫌になる。特に何かを買うわけでもないため客とは言い辛いが。けれど、ならなおさら客相手で不機嫌になることはないだろうに。


「了解。……ん? オウラだけで来たのか?」


「荷物あったカら、途中マデ。コトね、フキゲン」


 来ている客はオウラ。魔術品を取りに来ると言う約束だったためそれには問題はないんだが、何故お姉さんはあんなに不機嫌なんだ?

 それに、ことねも不機嫌というのは一体何があったんだろうか。


「微調整できてないし、一度は来て付け心地試してもらわないといけないんだが。下手なもの渡して信用落とすわけにもいかないし」


 サンパーニャの掲げる理念はいつの間にか『個別対応』が加わっていた。既製品の販売だけではなくセミオーダーから完全オーダーメイドまでこなす独自路線を開拓する魔術工房。今ではそんな扱いがされている。

 元々魔術品自体ある程度安価ではあるが、作れる人間が限られている。安価にするため既製品の販売がどうしても主になる。

 最初からセミオーダーか既存品の販売であれば構わないんだが、今回はことねに合わせた完全オーダーメイドの一品だ。

 そのために最終の調整が欠かせないと説明もしていたんだが。


「また来ル。そう、イッてた」


「いや、それじゃだめだ。そうやって渡して何かトラブルに遭った後じゃ遅いだろ。ことねにそう伝えてくれ。あるいは来なければ俺が出向く」


 金銭を貰う以上半端なことは出来ない。必要であれば出向いてその場での調整だって行う。今はもうそんな立場にいるわけなんだし。


「ワかった。伝エる。ソラ、コれ。ヤクそくのモの」


 と足元においてあった麻らしきもので作られた布袋を渡された。約束というと、前に言っていた珍しい食品のことか?


「ありがとな。で、これは一体、何……だ?」


 袋いっぱいに詰められていたのは見覚えのある淡褐色の粒。俺の記憶が正しければこれに該当するのは一つしかないんだが。


「おコめ、食感あマりヨクない、珍しい」


「いや、精米しない米は糠臭いし口当たりもきついだろ。で、これはどれだけ作られてるんだ?」


 問題はそこだ。このままでも栽培は出来るだろうが土壌の改良や水田の開墾、水辺の整理などしなきゃいけないことは山ほどある。

 精米自体はどうとでもなる。むしろどうとでもする。精米機を作ってやる。それよりも米を安定供給できれば俺の長年の夢がようやくかなう。

 米を食べるということはナギに貰ったおにぎりによって完成したが、食べたいものは山ほどある。力の入れる場所が違う気もするが、まあそれはそれだろう。


「量、イっぱい。伝統、イロいろ、場所。料理、少なイ」


「それなりに必要な説明に関してはちゃんとしたほうが良いと俺は思うぞ?」


「難シい、ケどベンキョウひつヨウ」


 勤勉なのは良いことだ。本当に必要な場面では翻訳の魔術品を使っているそうだから問題はないと判断したんだろう。

 俺も最初はいろいろ試行錯誤しながらオウラと話したため、言葉足らずでも何とか理解が可能になった。


「ま、俺も試してみるよ。けど、ちゃんとことねを連れて来るか俺が行くか決めてくれ。必要だから急がせたんだろ?」


 ことねのことより正直米を調理したくて仕方ないがそれはそれ。むしろ料理にかまけて本業をおざなりにするのは問題でしかない。

 そんなわけで俺としては必要なものに関してはとっとと済ませたい。俺に見えないところで何か相談をしているお姉さんとメレスさんのことも気になるし。


「わカった。コとねを連れてキてみる」


 何故か拳を握り意気込むオウラ。そこまでしなければことねを連れ出すのは大変なのだろうか?

 がんばれ、と言葉を投げかけると勢い良く走っていった。

 元気なのは良いんだが、あれでも王女だよな?


「で、お姉さんはさっきまで何に不機嫌だったんだよ」


「う、うん。ちょっとね。わ、私予約入ってる分作らなきゃいけないから」


 ばつの悪そうな表情をしてお姉さんが作業場から顔を出すとまた引っ込め仕事を始める。

 一体何があったというのだろうか。


「ソラくんもそろそろお仕事しないといけないんじゃないかしら? 私が店番しておくから、ね」


 仕事は元々するつもりだったが、苦笑混じりに言うメレスさんに急かされる様に作業場へ促される。

 これはお姉さんと話せということだろうか?



 しなければいけなさそうなことがあるときに限って仕事が捗る。普段も別に遅延などはしていないけれど。

 テスト前の部屋の掃除みたいなものだろうか? いや、仕事がメインだからこの場合は逆になるのか?


「それで、付け心地は? 負担がないよう作ってはみたんだが」


「ええ。重くもないし痛くもないわ。それに綺麗だし、気に入ったわ」


 そういってことねはぎこちなく笑う。


「少しそのまま待っていてくれ。オウラが戻ってきていないし、暫く付けてみなきゃ本当に合うかどうかも分からないからな」


 オウラはさっきことねを連れて来てそのままどこかに行ってしまった。礼儀正しいオウラにしては珍しいことだが、不満げな表情をしているお姉さんと何か関係でもあるんだろうか。


「えっ? あ、そうね。なら少し店の中を見ても良いかしら」


「ああ。ドアの向こう以外ならな。あっちは作業場だから少し危ない。あと、薬品類にも気をつけてくれ」


 それ以外はお姉さんが一人でやっていた頃と違い魔術品が主だ。持ったりするだけで怪我をするようなものは基本的にはない。

 渚は迷わず薬品類に近づいたから注意したが、ことねは流石に大丈夫だろう。見ていれば危険も察知は出来るだろうし。


「そう、ありがとう」


 そう俺の視線から逃げるようにことねは席を立ち、店内を見回る。

 というか、ことねは何か妙だ。俺の視線を避けているかと思えばちらちらとこちらを窺う。

 今接客スペースにいるのは俺とメレスさんとことねだけ。そのためその視線は露骨過ぎる。本人はあくまで盗み見をしているつもりなんだろうが。

 別に俺を監視したところで何かがあるわけでもない。それとなくオウラにでも伝えておけば良いだろうから放置する。

 それにしても。ことねは何か武術でもしていたのだろうか? 背筋はまっすぐだし歩き方も癖がない。隙こそあるが一般人のそれとは少し違うようにも思える。

 俺が何かをしていたというわけではなく、元クランメンバーの自称『忍者』の立ち振る舞いに似ているだけなんだが。

 何故あのクランに入ったかすら不明なニンジャマスターはともかくとしても、20そこらの女が出せるものではない独特の空気を持ったそれ。多少警戒すべきなのだろうか?

 もしものときがあれば面倒なだけなのでそれはないことを願うだけだけれど。

 勇者の力がどれだけかも不明だ。……渚を相手にしてみるか? あいつ相手だったら多少無理をしても構わないだろうし。


「鍛冶屋さん、これは一体何?」


 ことねが陳列している符を一つ手に取り、そう俺に問いかける。あまり興味があるようには見えないが。


「それは簡易の防御陣を張る符だよ。3回は使えるが、緊急用だな。……使ったら購入したものとみなすからな」


 符は詠唱術や魔法陣と違い魔具のような特殊なものを必要とせず、魔力すら必要ない。

 その分発動やオンオフの機能すら簡易で条件さえ合えば意思に関係なく発動する。

 ことねが発動条件を知っているかどうかは不明だが、先に釘を刺しておくことはすべきだろう。


「そう。これは私にも使えるのかしら?」


「ああ、使えるよ。ただ、それだけでも銀貨2枚。安くはないぞ?」


 本来ならもっと安いはずなんだが、これに関しては機能を追加しすぎたため符の中でも高価なものになっている。

 他の取り扱っているところで買えば精々銅貨40~50枚といったところだろう。

 ポーションなどの値下げには成功したものの他の商品は若干安いか高いかどちらかの二極化が進みつつある。全てを安くするつもりはないんだが、『魔術工房』の一般化を目指している俺としては気にかかるところではある。


「……オウラ姫におねだりしたら買ってもらえるかしら? それで鍛冶屋さん、これはもういいの?」


「それだけ動き回れば大丈夫だろ。後はもっと長い時間つけるか激しい運動をするかはここじゃ試せないけど、現状緩くもきつくもなきゃ大丈夫だよ。もしきついようだったらその時はまた来てくれ」


「ええ。初めて着けるのにまるでずっと使ってきたものみたいね」


 そういってことねは笑う。特に不要な余分もなさそうだし壊れるようなことでもない限り暫くは平気だろう。

 どの道使っていけばメンテが必要になる可能性が高いんだし。


「それは何より。にしてもオウラのやつどうしたんだ? やけに戻ってくるのが遅いな」


「そうね。姫が戻ってくるまでどうしようかな」


 何故そう楽しそうなんだ。というか順応しすぎている気がするんだが。

 不思議なやつだと思う。だからこそ一歩引いて接する必要がありそうだ。信用は出来ても信頼は出来ないといったところか。


「町をぶらつく、わけにも行かないだろう? 寮に戻るなら送るぞ」


 オウラはマイアと違い学校の寮に住んでいて、ことねとは今一緒の部屋で生活しているそうだ。

 といっても他の生徒とは流石に扱いが違うらしいが。それも当然といえば当然か。

 寮にはオウラやリオナを訪ねるため何度か出向いたことがある。寮の入り口までは出入りは自由だ。その先は入ったことはないけれど。


「いえ、気持ちだけいただいておくわ。勝手に戻るわけにも行かないし、姫もきっとすぐ戻ってくるでしょう」


 色々と気になるが首を突っ込むと泥沼に陥りそうだ。だからといってここに何時(いつ)までも置いておくのも問題だろう。


「外ならそれでも構わないんだが。まあ、邪魔だけはしないでくれ」


「可愛い顔して言うことはきついのね、本当に」


 うんざりするような表情で俺を見るな。というかほっとけ。



 ことねが暇そうに椅子に座っている最中、幸いにも他の客は来なかった。

 客が来ないこと自体は決してよくないんだが、相変わらず黒いローブを身に纏ったその姿は怪しいことこの上ない。

 オウラに言い含められているのか、何か思うところがあるのか、それともこの状況を楽しんでいるのかは分からないがことねはフードだけ外しぼんやりと店内を眺めている。ローブの下がどういった服装なのかは分からない。安っぽい生地のフードが見え隠れしているからパーカーでも着ているのか?

 服を調達するにしてももう暫くかかるんだろう。渚もことねも他の人たちに比べ背は大きい。いや、同じくらいの背の人はいるが仮にも勇者に変な格好はさせられないだろう。


「ソラくん。ちょっといいかな?」


「ん。じゃ、奥で?」


 半分ほど暇を持て余しかけているタイミングでお姉さんに呼ばれる。接客スペースではメレスさんが本を読みながらカウンターに座っているし問題はないだろう。

 ことねも暇そうにはしているが、俺が構わないといけないほど子供でもないだろうし。


「で、今日はどうしたのさ」


「オウラ様やあの人が悪いってわけじゃないんだけど。あの人を見てると何だかもやもやするんだよ」


 お姉さんはやはりどこか不機嫌そうにそういう。ただ、悪くないという言い方自体何かひっかかる。

 お姉さん自身に特に変化はないはずなんだが、まるでそうであることが正しいかのようにことねを嫌悪しているように見える。

 お姉さんの言うもやもやが一体何かが分からない以上どうとも出来ないんだが、どうするべきか。

 単なる個々人の主義主張や生理的な問題でもないだろうし、そうであるようには見えない。

 つまり良く分からない状態というべきか。それが酷くなるようであれば理由を探る必要がありそうだ。


「だからといって顔に出して良い理由にはならないよ。工房の職人って言ったって客商売には違いないんだからさ」


 おやっさんのようなキャラ付けというとおかしいが、ああいうカテゴリに収まれるならそれで構わないと思うがそうでない場合は少しは愛想くらい振りまくべきだろう。


「分かってるつもりなんだけどね。でも、あの人は少し時間がかかりそうかも」


 普段は明るく人によって態度を変えることのないお姉さんのことだ。何か思わぬところであるのかもしれない。

 オウラやマイアに関してはあくまで立場による苦手意識だけだろうし。

 最初は勇者ということで常連のことを思い出し気にしていたのかとも思ったが、そもそもことねが勇者だということは伝えていない。

 渚でも同じようになるのかも知れない。確認したほうが良いのだろうか?


「お姉さんはカリカリしないように気を付ければ良いよ。俺もサポート出来る部分はするからさ。

 俺はそろそろ戻るから。何かあったら呼んで」


「うん。あ、これからお茶淹れるから後で持っていくね」


 それに頷くと接客スペースに戻る。と、暇を持て余したのかメレスさんとことねが何やら話をしている。

 というか話し合えるのであればさっきの時点でそうしていて欲しかったんだが。

 ちなみに話の内容は俺には過激だったため全てシャットアウトしている。スルースキルは絶賛上昇中だ。……これで入ってきた客が引いて逃げなきゃ良いんだが。


 そんなわけで逃避の意味も兼ねて2人とは少し離れた場所で符の作成を行うことにする。

 こっちは家で作っているのとはまた別のサンパーニャ用のものであり、ことねが手にしたものとは別のもっと廉価なものだ。

 符の作り方は簡単といえば簡単で、意味の通る言葉を書いた紙を特殊な溶液の中に浸すだけ。

 紙に溶液が染み込み、文字に吸収される。それを条件を揃え発動することにより自然の中にある魔力を呼び水として符の力が発動する。少し前までよく行っていた露店用の防犯符もそれを応用したものが使われている。

 つまり溶液の用意と文章さえ書ければ誰でも作れるお手軽魔術だ。それを魔術ギルドが魔術として存在しながら魔術として認めていないことの一端でもあるらしい。

 といってもいくつか制限があるらしく鍛冶師が作ることはあまりない、そうだ。

 俺も量を作れるわけではないためサンパーニャに置いてある符はおまけ程度だし、お姉さんやジェシィさんはそもそも符を作れないため必然と優先順位は低くなる。

 そのためこうやって時間が空いたときちまちまと文字を書き、ある程度まとまったら溶液に浸すようにしている。

 端からみたら書き取りをしているようにしか見えないのが最大の弱点だというのが問題としてあるんだが。

 書き取りをしているとまるで児童にでも戻ったみたいだ。年齢的にはそうなんだけれど、渚のこともあり少しクるものがある。



 音を完全にシャットアウトし、黙々と符を作っていると目の前に人の気配を感じ、顔を上げる。


「ん。ようやく戻ってきたか。遅かったな?」


「少シ、忙しイ。ソラ、コれ」


 視線の先に居たオウラは少しだけ疲れているらしくいつも以上に言葉少なに俺に小袋を押し付けてくる。


「分かったから押し付けるな。で、こんなには受け取らないっつの」


 この姫の金銭感覚はどうなっているんだろうか。前の金貨30枚も多いが今回はもっとだ。


「ソラ、つド払エ、言ッタ」


「いや、そりゃそうだが。あのな、オウラ。ここは取れる相手から際限なく取るような商売してないんだよ。儲けを出すのは当然だけれどそれを追求することを求めているわけじゃない。そう工房主からも言われてるんでね」


 と他国の王族に話してもあまり効果はないんだろうが、それはそれ。

 渋るオウラに一度全て返却した上で正規料金+αを貰って終わらせる。急ぎの仕事だとしてもこれくらいだろう。


「じゃ、また何かあったら来てくれ」


「こトね、早クイく」


 オウラは来たときと同様慌しく去っていく。やはり何かあったんだろう。

 ことねに関することの可能性が高いがそれなら何故ここに置いていったんだ?

 ……いつまでも考えても仕方ない。さっさと割り切るか。

 頭を振り、一度思考を切り替える。何で俺が悩む必要があるのだろうか。

 今は仕事をするべきだ。余計なことに振り回されてる場合じゃない、はず。



 結局集中できないままその日は終わり、次の日を迎えることになった。

 で、気付いたことが1つある。『状態異常耐久』をもってしても風邪を引くことがあるんだということを。

 具体的な風邪の症状が現れ始めたのは家に帰り一息ついたとき。ここ暫くそんなものにかかったこともなく、油断していたからだろうか。

 母曰く、普段通りだったのに急に倒れたから何が起こったのかと思った。だそうだ。

 むしろ俺自身全く前兆すらなかったため少し焦った。というかやばいと思ったときには倒れたんだが。

 そんなわけで今日は休み。風邪を移しても悪いし、この状況で鍛冶仕事をさせるわけにはいかないと反対された。

 ポーションを飲めば治るとも思って飲んでみたが効果は期待できず。

 元々こういった病気に関してはポーションなどは栄養剤程度にしか役立たないそうだ。

 回復の魔術も使ってみたが効果は出ない。風邪以外の何かかとも思ってステータスを見てみたが特にバッドステータスは風邪以外見当たらない。

 というか風邪もバッドステータス扱いならスキルで消えろよと思う。

 思考回路が今のところは正常っぽいのがまだ救いといったところか。

 いや、意識がはっきりしている分何も出来ないのは暇を持て余すだけだ。

 部屋に置いてある本は全て読んだし、だからといって符を作ったりする気分にもならない。

 仕事を休んだからといって家で何かをしようとすること自体間違っているだろうし。


 ぼんやりと天井を眺めるのも飽き、外を眺めるのにも飽き、そろそろ脱出の準備でも始めようと考えているとドアのノック音が部屋に響いた。


「どうぞ、開いてるよ」


 がちゃ、と音が鳴り開いたドアの先には何故かマイア。


「倒れたと聞いたが、大丈夫か?」


「ま、この通り。単なる風邪だよ。で、その話誰から聞いた?」


 幾らなんでも伝達速度が速すぎないか? 今はまだ昼前。昨日の夜からと考えても半日程度しか経っていないのに。


「ああ。ナギサの魔術品を依頼しようとサンパーニャに向かったら教えてもらった。風邪にしては顔色一つ変わっていないが、熱はあるのか?」


 さっき部屋においてある姿見を見たときには顔色の変化はなかった。熱はどうだろうか。体温計などあるわけもないし自分の身体をあちこち触ってみても熱があるようにも思えない。

 ちなみに、少し前に母がやってきて嬉々として俺の世話をしようとしていたが、妙に怪しげな目をしていたので追い出した。


「熱は、高いな。少し汗も掻いている。拭いたほうが良いぞ」


 何故かマイアに額に額をつけられ判断された。こういった場合、額同士ではなく手で額か首筋を触るんじゃないだろうか。


「それは分かったから離れてくれ。移すわけにはいかないだろ」


 俺ですらかかった風邪が面倒な病気を引き起こすとも限らないし、そうでなくともマイアに移すわけにはいかない。


「私なら構わないぞ?」


「俺が構うっての。つーか、学校行けよ」


「今は昼休みを利用して出て来ているだけでそろそろ戻るさ。本当に、ソラになら移されても構わないんだがね?」


 どこか悪戯っぽい笑顔を浮かべようやくマイアの顔が離れる。というか、自分から外そうとしろよ、俺。

 熱で判断能力の一部が落ちているんだろうか?

 決して触れた場所がひんやりしていたからとかいいにお……どうやら判断が上手く出来ていないようだ。


「冗談言ってないで戻れっての。仕事に関しては俺に任せたいなら出来る限り早めにする。で、いいんだろ?」


「結構。私は帰るが無理はするなよ」


 最後に俺の頬を撫でマイアは退室した。妙に優しいのがやけに気にかかるが、これは気にするべきなのだろうか?

 いや、今は体調を治すことに専念するべきか。


 何となく脱走する気もなくなり、部屋においてあるもので暇つぶしをしようと物色する。

 この部屋は元々あったものから変更はほとんどしておらず、いくつか物を入れただけ。

 暇になった時のために敢えて手付かずのままにしていたからこれも良い機会だろう。

 といっても汗を掻いて身体を冷やしすぎるのもよくないだろうから、小さなものをいくつかのみだけれど。

 そんなわけで用意したのは謎の小箱が3つほど。例の如く鍵がかかっており、それの場所は不明だ。

 ただ、同じ種類ではあるが一つは細工箱、鍵穴がないものでおそらく弄っていたら開くようなものだろう。

 ただ、この手のものは一度間違うと面倒なことになったり、最悪中がだめになってしまうものすらある。持ち主であったオーデ氏の性格を考えるとそれはないとは思うけれど。

 とまあ、適当に弄る。上にスライドさせたり出っ張りを押し込んだり、逆に引っ張ったり捻ったりと小さな箱とは思えない動きを見せる。そうして出来上がったのが……何故か鍵状の物体だ。

 おそらくだが、これは他の小箱を開けるためのからくり錠なのだろう。紛らわしい。



 酷いオチを見せ付けられそうな気がして鍵を放置して不貞寝する。

 食欲もあまりないし、寝てしまうのが一番だ。その割に暇を持て余して色々と画策していたのは一体なんだったんだろう。


「いい加減寝てくれないとこちらも困るんだけど」


「いきなり現れたな、つーか何で現れた」


 目の前に居るのはロリ神様。寝て、ということはここは夢の中ということだろうか。

 それ以前に勝手に人の夢に登場するな。


「そんな硬いこと、というかどうでも良いことは置いておこう。今は再会を喜ぶべきだと思わないかな」


「全く思わないな。で、何であいつがこっちに居るんだ?」


「つれないね、久しぶりだというのに。まあその方が君らしいけどね。さて、では本題だよ。君の言うとおり向日(ひゅうが)渚と三田村ことねについて当然ながらこちらの世界に来るべきではなかった。一言で言ってしまえば誘拐だね。こちらの神が行った、ね」


 神相手に営利誘拐罪は適用できないだろ。つーか本当に妙なところで俗っぽいな、このロリ神は。


「それで? あんたは俺に接触してどうしようっていうんだ?」


 その返答はない。代わりに分かっているだろうと言わんばかりににやにやと笑うだけ。このやろう。


「渚は帰れるんだろうな?」


 ことねには悪いが優先はあくまで渚。


「今のままでは難しいね。細かいことは省くけど、この召喚は魂と存在を縛るものでその元凶をどうにかしないことには私も干渉できない。

 だからキミが眠るまでこうやって会話すら出来なかったわけだし」


 苦笑交じりで話すロリ神様に緊張感はない。どうでも良いと思っている訳ではないだろうが、どういうつもりだ?


「それ以前に、渚とことねには話したのか?」


「やろうとはしたんだけどね。召喚の制約によって無理だったんだよね。だからといってこの世界の人間に干渉することは出来ない。だから、魂自体は元々私の世界から発生したキミに話すしか手段がないんだよ」


 理屈は分かった。だが、結局何をしに来たんだ。


「2人が帰るための協力。直接表立った行動をする必要はないしそこまで求めない。してくれるのならそれで構わないんだけどね。むしろ積極的に帰る手助けをして欲しいんだけど、どうかな」


「出来る限りはするさ。けど、どうやってことねに説明したものか。むしろそれくらいどうにかしろよ」


 渚にも、どうするべきか。ある程度話すことは構わない。だがあいつの性格上それを受け流すことは出来ないだろうし変な方向に暴走する可能性もある。

 俺自身や周りの保身も考えるとあまり無茶は出来ないし。随時情報を小出しにしていくということでいいか。


「そこは、どうにかしてみるよ。だめだったらキミの身体を少々拝借するだけだから」


 いや、ちょっと待てそれはおかしい。


「神託という手段が使えればいいんだけど、そっちも向こうに乗っ取られてるからね。身体を拝借するときの行動はちゃんと考えてあるから安心して良いよ」


 どうやってもロリ神は引くつもりはないらしい。気持ち、というか立場的なものがあるんだろうがどうも理由を語っていない分何をしたいのかが分からない。


「こっちにもこっちの思惑があるんだよ。それにキミを一枚噛ませたいわけなんだよ。こちらもね」


 そうロリ神は薄く笑う。むしろそういって協力すると思っているんだろうか?


「せざるを得なくなる。とだけ言っておくよ。といっても確定した未来ではないんだけどね」


 半分脅しに聞こえるのは気のせいじゃないだろう。だがそれに乗るかどうかはその時次第、といったところか。

 何よりも状況がわからなすぎてさっぱりだ。もう少し説明を要求する!


「言えることはただ1つ。私は、いや私たちは現状を好ましく思っていない。それだけだよ」


「それで協力しろというのが乱暴だって言ってるんだよ。……まあいい。他に帰れる手段があれば教えてくれ」


「何かわかったらその時はね。じゃあ、期待しているよ」


 その言葉を最後にロリ神の姿が掻き消える。

 にしても本当に何をしに現れたんだ? 今回のことが意図していないこと、ということくらいしか伝わってこなかったんだが。

 まあ、それはもう済んだことだ。今後明らかになることもあるだろうし、事態が進行していけば見えてくることもあるだろう。

 そうなるよう、ロリ神もこっちの神も仕向けてくるはずだろうし。


 それはいいんだが、何で俺の隣に渚が寝てやがるんだ?




期間が開きましたが20話です。

そろそろあとがきもネタがないのでこの辺で。。


評価、つっこみ等ありましたらよろしくお願いします。

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