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第14話。怪しげな噂と生える気持ち。

読んでいただきありがとうございます。

 サンパーニャを出た頃には既に周囲は暗い。

 その事実に気付いた時点で帰りたくなったが、それはそれ。


 魔術品の相場を調べるために『変化』をし、工房を回ってみることにした。

 そういえば当然のように工房で売ることを考えていたが、仲買というか仲介業者などはいないのだろうか?

 職人が販売を得意とするとは思えない。苦手ではないかもしれないが、本職に比べるとどうしても見劣りするだろう。

 得意としなければならないのはどちらかといえば売り子の方だ。

 目的を持って訪れるであろう店舗に比べ、呼び込みをしなければならない露店はある程度口が上手く回らないと販売できないだろう。

 そういう意味でも露店を経験したことは良いことだ。思った以上にその効果は高そうだ。



 そんなわけで工房を何箇所か回った結果、ある程度の相場の把握とおかしな話を聞いた。

 この数日、高品質の魔術品が持ち込みされているそうだ。

 それは工房に限らず、露店も巡っているらしく、幾つかのアクセ売りなどからも同じような話を聞くことが出来た。

 何故そんな話を聞くことが出来たかといえば、俺が胡散臭かったから、だそうだ。

 非常に失礼な話だが、町でもちょっとした噂になっているらしく不審な男が町をうろついているから俺もそれに関係しているのかと疑われていたようだ。

 それなら横のつながりでサンパーニャに回って来ても良いのだが、実ははぶられているのだろうか?


 少しその辺を確かめるため、変化を解きおやっさんの工房へ足を運ぶ事にした。



「怪しげな男が魔術品を売りまわってるって話だろ? うちにも来たが、追い払っちまったぞ。

 その内鍛冶師ギルドからも正式に通達が回るだろうが、買い取らん方がいいだろうな」


「高品質だって聞いたんですが、そんなに良いものだったんですか?」


 来たというなら男のことはともかく、それがどれだけの物かはわかるだろう。


「ああ。お前さんにこそ及ばんが、あれはそれなりに良い腕を持った職人が作ったもんだろうな。

 だからこそ、ああいうきな臭い男がそれを持っていること自体がおかしい。本人は知り合いの職人に作ってもらったといっていたが、身分を証明するものもないしその職人の銘も刻まれていやしねえ。

 出来上がりを盗み取ったのか、刻ませなかったのか、あるいは単に刻まなかったのかは分からんが、腑に落ちんかったからな」


 ということは一般的には流通しない程度にはいいもの、ということだろうか?

 おやっさんが俺をどのくらいの職人と思っているか未だにはかりかねない。

 交流もまだ少ないので、それはおいおい知っていけば良いとは思っているのだが。


「ちなみに、その男の人相覚えてますか? サンパーニャに来たとき対応しなければならないので」


「ああ。そうだな、ミランダにも教えてやってくれ」



 男の人相は細かいことは分からなかったが、フードを目深に被り、右頬に大きな傷が残り、口周りは髭を生やし、随分とかすれた声で話す小男だそうだ。

 ベディのおやっさんに礼をすると、急いでサンパーニャに戻ることにした。

 それなりに時間がかかったし、お姉さんには話しておかないと不安だ。




「お姉さん、ただいまっ」


「あ、ソラくん。お帰り、なさい」


 ばつが悪そうにお姉さんは視線をそらす。

 まだ気にしているのだろうか?


「お姉さん。話しておきたいことがあるんだけど、まだ平気?」


「う、うん。大丈夫だよ。どう、したのかな」


 妙にお姉さんが緊張している。どうかしたのだろうか?


「この数日、妙な男がこの町で魔術品を売ろうとしてるらしいから、来ても買い取らないようにね。工房の中にいれば安全だから、毅然とした態度で」


「えっ? あ、うん。分かったよ」


 何故かほっとしたように息を吐くお姉さん。一体どうしたのだろうか?


「どうかした? さっきから何か様子、おかしいけど」


「その、ソラくん怒ってもう戻ってこないんじゃないかって、思って」


 完全に俺から視線を逸らし、ばつの悪そうな表情を隠さないお姉さん。


「呆れたけど別に怒ってないよ。お姉さんがそうしたのも俺にも原因があるんだろ? なら別に怒るほどのものでもないと思うけど」


 怒りたかった気持ちというか、少し寂しくなったというのは事実だが。

 とはいえ、散々俺は俺の目的があると言っている以上それを怒る権利は俺にはないと思うし。


「うん、ごめんね」


 しゅんとしたままのお姉さん。しゅんとしたままなのは可愛いと思うが、今はおいておこう。


「さて。今日はもう遅い。そろそろ上がろう?」


「え? あ、うん。もう遅いからね。ソラくん先あがっていいよ」


「今日はお姉さんも。焦るのはよくない。気持ちはわかるけど、今は我慢して」


 首をかしげ、良く分からないというお姉さんの表情。


「いつも俺より遅くまで残って、朝も早くから出て。ろくに寝てないんだろ?」


 俺の問いかけに途端に汗が流れてくるお姉さん。分かりやすすぎるだろ、幾ら何でも。

 正直何をどう焦っているのかは分からないが、急ぎすぎていると思う。


「送ってくから、今日は早く帰ること。あと、お姉さんがどうしてあんなことを言い始めたかは、明日追求させてもらうからそのつもりで。いい?」


 たとえどんなにお姉さんがたんじゅ、もとい素直でもあそこまで頑なになるのは別の理由もあるんだろう。

 俺を心配してくれて、という意思はあるんだろうがどこかそれだけでは弱い。

 顔を青くしてるのがその良い証拠だ。


「で、でもね? ソラくんも早く帰らないとご家族が心配してるんじゃないかなって」


「この状況がばれた方が怒られるよ。ほら、準備して」


 何故か恐る恐るといった感じで反論する言葉を笑みで封殺する。

 俺は鞄と外套を回収する。外套はまだ生乾きだが仕方ない。

 お姉さんのであろう、引っ掛かっている外套を渡すと、諦めたのか渋々帰り支度を始めた。


 準備が終わると、ランプを持ち、店の施錠を確認すると歩き出す。

 チラチラと店を気にするの感心もできるが、良いこととは思わない。


「お姉さん、普段店から帰るときどうしてる? 何処か寄ったりしてる?」


「あ、うん。ご飯を買ったりしてるけど、どうして?」


「そうしてると思ったから。中央広場の屋台で?」


「うん。最近は色々と屋台を巡ってるの。だから先に帰って良いよ? 私、いつも時間かかってるから」


 と、ランプを奪うように俺から取って、中央広場に向かって走っていくお姉さん。何か怪しいが、追求はしないでおこう。今言っても恐らくはぐらかされるか、逃げられる気がする。

 そこまでするつもりはない。多少暗い道だが俺には関係ない。

 にしても、明日はどれだけ作れるだろうか。『熾天使の祝福・模造品』に関しては2本予約が入っている。あれは正直手作りにするには面倒なのだが、大量増産しなければ良いだけの話だ。

 予約に関しては今後日付を区切るか? まあ、それも相談すればいいか。


 ちなみに、村長たちは明日も泊まるそうだ。持ってきたものは今日ほとんど売れたそうだが、買い物がまだ残っているらしい。

 俺が帰ってきた頃には酔っ払いまくって絡んでくるだけだったからさっさと逃げ出した。



「さて。昨日の話の続きと行こうか?」


 思ったとおり既にいたお姉さんにそう宣言してみた。


「ま、まあまあ。仕事もあるんだし、ひと段落してからでいいんじゃないかな?」


 黙って首を振る。同時に口元だけ笑って見せるのがポイントだ。


「うぅ……少しだけ時間貰っていいかな」


「分かったよ。じゃ、お茶でも淹れてるから」


 俺が思ったよりも複雑な事情があるのか? 良く分からないが、まあ話してくれるのならそれで構わない。

 お茶を淹れ、ゆっくりと飲んでいると少しぼんやりとしてくる。眠くはないのだが少しまどろむ様な感じといえば良いのだろうか。

 少し疲れもあるんだろう。とはいえ、まだ週も中盤。ペースを考えて仕事をしないとまずいか。

 そんな俺の姿を見て決心したのだろうか、ぽつぽつとお姉さんが語り始める。


 お姉さんの友人、リオナというのだそうだがその友人は魔法学校に通っている商人の娘らしい。

 その友人が休みの日になると度々お姉さんの家にやってくるのだが、暫くは試験や何やらでこれなかったそうだ。

 それで話をしている間に自分でも現状を纏め始めたらしく、ふつふつと不安と申し訳なさが沸いてきたらしい。

 今更という気もするんだが、同時に余裕が出てきた証なんだろうとも思う。

 お姉さんはようやくがむしゃらに走ってきた足を止め、後ろを振り返った。

 というか、もっと慎重に歩いて欲しいんだが。


 俺もそうだから強く指摘は出来ないんだが。

 出来ないんだが、突っ込み所が満載だった。いや、在ったことも無い人を否定するつもりも非難するつもりもないんだが。ないん、だが。


「お姉さん。うん、反省してる気持ちとかは分かった。けど、少し視野を広く持って欲しい」


 その友達が何歳か知らないが、同世代らしいその女性にお姉さんはずっと主導権を握られっぱなしなのだそうだ。

 そこは別に良い。お姉さんの友人関係に文句なんて無いわけだし。

 ただ、店のことまであれこれ口を出すのは勘弁して欲しい。

 お姉さんの口ぶりからその友人が心配をしているのは分かるが、遊びでもない。

 どうやっているかというのをアドバイスするのであれば構わないが、ただどうすればいい、こうすればいいというのを実際にしていないことを押し付けられるのは違うだろう。


 というのを伝えた。

 話を聞く限りではその友人は商売をしたことはないようだ。

 確かに他からの意見も大切だし、尊重するべき点もあるだろうがそれはそれ、これはこれ。


「う、うん。頑張ってみるね」


「じゃ、俺は作業してるから再度改善案を提出すること。期限は今日中で」



 ハンマーを振るい、形を整え、さらに熱を加え、切り取り、さらに成形をしていく。

 『熾天使の祝福・模造品』に関してはそういった手間がかかる。それならピンクシルバーのバンドルの方が作るのは楽なのだが、楽な分時間もかからないため後回しできる。

 大まかな成形をしたものを2本作ると、今度は冷えるのを待つ。どちらも変更はないが、プレゼント用だと言っていたので調整できるよう余裕を持って作る。

 本来なら本人に来て貰って最初に必要なデータを取ったうえで作りたい。それでも出来上がった後に微調整は必要なのだが。


 色々書いてはぐしゃぐしゃと紙を丸めるお姉さんはまるで締め切りに追われる作家みたいだ。

 俺には経験が無いが、うんうん唸っている姿は少し微笑ましい。

 とはいえ。お姉さんは今焦っているんだろう。今しなければいけないことと、出来ること。

 それがお姉さんの中ではぶつかり合い、優先順位がつけられないのだろう。

 何処かで暫く休みを取ったほうが良いのか? 1週間くらいは休みを取って色々と調べる必要はありそうだ。

 何とかそれくらいであれば休んでも問題ないだろう。活動資金としては足りないが、自転車操業にならない程度の運営は出来る。


 だが、どうやって促したものか。

 というか、情報が集まらない以上どう動いたものか。

 冒険者ギルドからの情報も来ていないし、自衛団からも特にない。

 今町で出ているあの怪しげな小男が怪しいが確証を得ない。お姉さんを危険な目に合わせるつもりは無いのでそっちに近づくつもりは無いんだが。

 最悪俺が動けば良いか。問題はご両親の姿を全く知らないところだが。



 今日はそれ以上に何かがあるわけでもなく。

 お姉さんからの改善案も出たがまだ余裕が足りなさそうなので俺の考えを書いて返す。

 しょんぼりしていたが、大人しく見ているし色々考えているようだ。

 『熾天使の祝福・模造品』の最終形成も済ませ、こちらは売るまで保管するだけだ。


 お姉さんに早く帰るように伝え、夕方にはサンパーニャを出た。

 夕食の手伝いと村長に伝えることがあるからだ。夕食の前に帰りつかないと恐らく昨日のように飲みすぎるだろう。

 というか、酒もただではないはずなんだが。自分たちの自費であれば問題ないんだが。



「村長。次来るときには幾つかパン作りの一式を持ってきて欲しいです」


「おお? ソラ坊、どうしたんだ、急に」


 客間でがやがやと寛いでいた村長に声をかける。要件だけを先に言うのはいつものことだ。

 むしろ挨拶をすると何故か怒る。良く分からないが、そこそこの年数話している相手だ。構わないだろう。


「町では貴族にしか流れていないので、平民が食べられない。村長が商人とだけ取引をするのなら仕方ないけど、幾つかの商店か食堂に卸してくれれば嬉しいです」


 村に来ている彼らが貴族御用達であるかどうかは未だに分からないが、それだと『ユグドラシルの葉先』なんて小さな村とやりとりはしないだろう。

 村の民芸品や狩猟で得られるものに関してはほとんど平民用の商品だ。

 恐らく現状は儲けられるからこそ、パンのセットを貴族など相手に売っているに過ぎないのだろう。

 パン、いや小麦粉を使ったレシピを幾つか村に出せばそれだけでもそこそこの商売になるはずだ。

 後は口コミを利用すれば恐らくは他の商人なども買い付けに来る、はず。

 鍛冶師などに持ち込んで作らせる商人も出てくるだろうが、料理は別だ。

 登録することも出来ないし、製法は最初は真似できないだろう。

 それが簡易的になり別物になるか、あるいは幅が広がるかは分からないが、一石を投じることになるだろう。

 儲けることすら正直そこまで興味はないし、一度手を離れたものだが今の現状に満足することは出来ない。

 そんなわけで俺ができることは融通の利く範囲で何処までできるか、村長たちの善意に拠る行動だがそうするしかないだろう。


「ああ。最近若干売れ行きが減っているからな。次回これ以上減るようなら、俺たちも多少個々の金額は落ちても数を増やす方法を考えなきゃならんところだった。その時はお前のコネも借りるだろうよ」


「はい。お願いします」


 頭を下げる。言質は取れたし、暫くは動かないがどうにかなるだろう。

 あとはそれまでに何処までコネを広げられるか。少なくとも1月は猶予がある。なら、手段は幾らでもあるか。


 というわけで、話をして夕食を作る手伝いをする。

 料理は、特に新作もなくスープとパンとサラダだけだ。

 あとはつまみに魚を蒸したもの。

 作るには仕込みの時間が必要だが、休みの日以外はそんなものだ。

 パンで思い出したが、パン粉を使った料理も良いかもしれない。もしかしたら既にあるのかもしれないが。


 とはいえ、型を使って焼いた食パンは何故か受け、作り方を聞いてきた。

 パニーニ(らしきもの。ドゥガとか言ってたが恐らくはパニーニのことだろう)とは違い、そのままでも食べられるし色々乗せたり塗ったり出来るのが面白いらしい。

 切る幅によって食感が若干変わることもいいらしい。これだとハンバーガーとかも教えたらうけるかもしれない。


 食事もそこそこに終わらせ、地下に降りる。

 今回は館の防犯用の魔法陣を仕掛けているところではなく、俺の工房の予定の場所だ。

 とりあえず不要なアイテムをその部屋においていく。

 鉱石や宝石、あるいは薬草などだ。

 残しておくのはファルシオンと魔具用の属性石と緊急用のポーションのみ。

 あとは魔術品などあれば嬉しいのだが、それはどうにかしよう。

 母にもう使用できないと言っている魔術品を譲り受けて耐久度の回復でもしてみるか?

 それはまた今度でいいか。今はこの部屋をどれだけ改造するか。今は人払いと入室の制限だけ。

 部屋の防音、多重の防壁、後は俺以外の各種使用制限等、やれることは多いのだが魔法陣の書き換えは大変だ。

 まずは壁の防火対策と通風の調整。それだけでも結構な時間がかかる。

 疲れていることもあるが、神経を使う。

 こんなことをしている場合でもないんだが、何となく落ち着かない。



 疲れ切って、けど何とか部屋にまで戻り眠りにつく。

 時間があれば別のことで疲れる。むしろ夜までサンパーニャにいるより疲れている気がする。

 本末転倒な気はするが、やらなきゃいけないことは多い。

 使命も野望もないんだが、したいことはいくつかある。

 とはいえ、好奇心で突っ走ることも多い。何処かで自制も必要だろう。


 顔を冷たい井戸水で洗い、眠気を何とか飛ばすと朝ごはんを食べサンパーニャへ。

 この数日ご飯が戦場のような様相を呈しているが、それだけ料理が美味しいという証拠だ。

 最初に自分の分は確保しているからそれに巻き込まれることもないし、流石に子供のご飯を奪うような大人はいない。俺はゆっくりとしたものだ。


「おはよう、お姉さん」


「うん。おはよう、ソラくん」


 いつも通りの挨拶で始まる1日。お姉さんの挨拶もいつも通りだ。

 表面上は少なくともいつも通り。少し心配はあるが、俺がかけられる言葉が見つからない。


 結局、それも遠慮なのか逃避しているだけなのか分からないが、答えは出ない。

 ぐちゃぐちゃした頭のまま、仕事をする。

 それでも手は動く。あくまで複雑なものは昨日作り終えた。後は素材の違いのあるペンダントとピンクシルバーのバングルだけだ。

 ならできる部分に関してはさっさとしてしまおう。


 出来上がったものはタグをつけどんどん保管していく。

 無意識の内に魔力を籠めないようにだけ気をつければ大して作るのは難しくない。

 とはいえ、疲れるため休み休みだが。ポーションの疲労回復はあまり使わないようにしている。

 あれは疲労回復もしてくれるが、あまり多用すると中毒になりそうだ。あと何処まで器用さでカバー出来るかの確認の意味もある。

 これは恐らく1ヶ月程度は続けないと効果は分からないだろう。

 まあ、鍛造はともかく魔術品やアクセに関しては大して疲れない。休みを入れながらであれば何とかなるだろう。



 結局、出来上がったのは夕方。

 出来上がりを確認してその日はすぐに上がることにした。

 お姉さんは何かを言いたがっていたが、聞いても答えは濁された。どうしたいのだろうか? 言ってくれなければ分からないのに。




 その後、露店を開いても買い物をしても、また店で何かを作っても、話はするものの、何かを言いたそうな表情をして、黙り込む。

 具合が悪いのかとも心配したが、それは否定しちゃんと食べていると言って笑う。

 奇妙な違和感というか、妙な焦燥感を味わう中、話が上がったのは週の5日目、休みの前の日だった。


「ねえ、ソラくん。明日、外に出ない?」


「えっ? あ、ああ。大丈夫だけど、どうかした?」


「ソラくんこっちに引っ越してきて暫く経つけど町の外に出たことある?」


「いや、まだかな。引っ越すときとその前に馬車で往復しただけだけど」


 俺の行動範囲は狭い。村にいるときは近くの森と、往復に半日もかからない森を行き来するだけ。

 こっちに来てからというもの、町から出たことすらない。1日しか休みがないなら野宿もし辛いから出ようと思わなかったし、遭難の経験はあってもモンスターや獣が出るような場所でのキャンプなんてしたことがあるはずもない。

 だからまだ休みはほとんどないこともあり、町の外に出たことはない。


「そっか。じゃあ、良い場所あるから案内するよ」


「いいけど、お姉さん平気?」


 この数日俺といることが辛そうに見える。休みの日まで俺と一緒にいるのは苦痛じゃないのか?


「うん。私から誘ってるんだから。じゃあ、明日の朝、中央広場でいいかな?」


「朝から、ってどれくらいの時間出る予定? あまり時間かかるようなら弁当用意するけど」


「それも私から用意するから平気。だから、ソラくんは心配しないで」


 前の悪夢が蘇るが、流石にもう同じことはないだろう。黒かったら食べなければ良いんだし。


「分かった。じゃあ、外に出る用の準備だけしておくから」


「うん。じゃあ、私は準備あるからソラくんはもうあがっていいよ。今日はもうすること終わってるでしょ?」


 確かにすることはほとんどない。予約分も作り終わったし、ポーションも十分残っている。


「お姉さんが遅くまで残らないなら」


「大丈夫だよっ! いいから、ソラくんはもう上がって?」


「分かった。じゃあ、お言葉に甘えて先に上がらせて貰うよ」


 最後に念のためアクセの状態だけ確認する。中々の出来になったと思う。

 前に渡した分も好評だったし、今のところ調整もその場だったり次の露店時に調整するよう話が決まっている。

 これなら露店でのアクセも上手く行きそうだし、引いては魔術工房ももう少ししたら店舗での運営も再開できるかもしれない。

 時間はかかりそうだけど、何とかなれば良いと思う。




 次の日、朝といっても具体的な時間の指定が無かったため、いつもサンパーニャに行く時間に、露店を出す場所に出てみた。

 流石にこの時間では露店を出している人はおらず、出勤途中らしき人がぽつぽつ見えるだけだ。

 ちなみに、俺は外に出るということなので大丈夫だとは思うが念のためポーションとファルシオンを装備している。

 ポーションはいつも使っているカバンに2本、余った革で作った簡易のポーションバッグに3本。後はアイテムボックスに5本ほど入れているがこちらは使うことはないだろう。

 ファルシオンは無理やりベルトに固定していて不自然だがないよりはましだ。何処に行くかは知らないが、お姉さんが危ない場所に行きたがるとも思えない。あくまで念のため、だ。

 後は錆びたナイフを腰に括りつけている。

 まあ、草を刈る程度にしか役に立たないだろうが、ないよりはましだろう。


 時々見覚えのある人が露店を開かないのか、と聞いてくるので今日は休みだと答え、見送る。

 それが何度かあり、1時間ほどしてようやくお姉さんがやってくる。


「ごめん、待ったよね? リオナが時間かかちゃって。ほら、リオナ! 急いでよ」


 そう言ってお姉さんが呼びかけるのは優雅に、といえば聞こえは良いがゆっくりとやってくる少女、だろうか。その姿がある。


 リオナといえば、確かお姉さんの友人で商人の娘だったか。何で一緒にいるんだ?


「お姉さん、今日は出かけるんだよな? 町の外まで」


「あ、うん。そうだよ、とっておきの場所があるから、そこまで案内してあげる」


 となるとピクニックか何かということだろうか。まあ、仕事の話でないとは思ったんだが。


「そっか。じゃあ、今日はリオナさん、だっけ? あの人と一緒に出かけるってこと?」


 頷くお姉さん。ということならちゃんと話してくれればよかったのに。


「そう。このあたしと出かけられるんだから、感謝しなさいよ」


 びし、と持っている扇子だろうか? 黒くて長めのものを俺に突き出す少女。

 何というか、偉そうだな、おい。


「あ、はぁ。ええと、俺はソラって言います、よろしく」


 とりあえず頭を下げる。

 その少女は俺より身長が高く、俺の周囲ではソフィア位か? そのくらいの身長はありそうだ。

 金髪はゆるくカーブを描き、腰の辺りまで伸ばされており、眼も同様の色で強く猛禽類のような雄雄しさがある。

 服は外に出るためか、シンプルなブラウスとスカートだが、これは黒く染められているようで生地もよさそうだ。

 服がドレスでもっと装飾過多なら何処かの我侭な姫とも見えそうな少女は贔屓目に見ても10歳前後にしか見えない。


 ただ、学生ということは魔法学校の入学年齢の下限が10歳のため11歳が限度。そのくらいか?

 いや、ただお姉さんと同年代ということは最低でも15歳位ということか? 見えないが、俺も人のことは言えない。そういったこともあるんだろう。


「ええ。素直でよろしい。ミランダ、行くわよ」


 堂々とした振る舞いのまま少女は先ほどよりも速い足取りで門へと進んでいく。

 お姉さんも慌てたようについていく様は何故か妙にしっくりとくる。2人の立場はきっと、ずっと前に決まっておりそのままなんだろう。

 俺は苦笑し、2人の後についていく。

 時折俺のほうを見ながらこそこそ喋っているのは若干気になったが、女性同士の話し合いに男が口を出すと碌なことにならない。

 遠くから見守る程度がいいだろう。



「3人だけで出かけるのか? 最近はモンスターも活性化してきてるし、あまり遠くまで行くなよ?」


「はいっ! 近くまでなので大丈夫だと思います」


「そうか。まあ、町からだいぶ離れた場所から森でしか今は確認されていないそうだから大丈夫だとは思うんだが、無理はしないようにな」


 出入り口で警備をしていたジールにお姉さんが少しだけ緊張したような表情で答える。

 モンスターの活性化はやはり魔王が原因なんだろうか? 魔王が今どんな状態になっているかは分からないが、そのものの噂は立っていない以上まだ前兆に過ぎないのだろうか?


 まあ、現れてもいないものに対して警戒もしようが無いし、誰に言っても信じてもらえないだろう。

 といっても、魔王と戦うために俺は転生したわけじゃないし、そもそも神が生み出したものだ。俺がどうこうできるような存在じゃないだろう。



 お姉さんに連れられてきたのは、草原。それも、高いススキのような草が生い茂る場所だ。

 前の世界では既にビジョンやVRでしか見れないものだったが、何処か懐かしい。

 不思議と安らげる。そんな場所だ。


「お姉さんが言ってたとっておきの場所ってここのこと?」


「ええ。あたしのお気に入りの場所よ。感謝なさい」


 自信気に笑うのはやはりお姉さんではなく少女の方だ。

 つまり、ここを元々見つけたのは少女の方でお姉さんは俺にそれをおすそ分けしてくれたということか。


「ああ。凄い、こんなところ見れると思わなかった」


 日の光に反射され、風が吹けばなびくその姿はまるで黄金のカーペットのようなそれは見ていて飽きない。

 夕方になればきっとまた違う色を見せてくれるんだろう。

 深く呼吸をすると、土や草の匂いでいっぱいになる。土や木の香りは何度も味わったが、こんな景色に出会えるとは思わなかった。


「でも、何でこんなところ案内してくれたんだ? 良い場所だけど、それなら秘密にしておきたいんじゃないのか?」


 お姉さんが自分で見つけたならともかく、どうやら少女のほうにも話をしているみたいだし、何となく腑に落ちない。


「ソラくん、何かこのごろイライラしてたみたいだから。ずっと仕事してくれてたし、町の外にも出たことなさそうだったから良かったらと思って」


 お姉さんは笑ってそういう。俺はそんなにイライラしているように見えたんだろうか?

 何か漠然としたもやもやした気持ちはあったが、イライラはしていなかったと思うんだが。


「俺は自分で選んで手伝ってるんだから、いいよ。そりゃありがたいけどさ」


「そ。まあいいわ。それより、少しのんびりしましょう? 私も朝から準備したから少し疲れたわ」


「うん。リオナ頑張ってくれたもんね。私も久しぶりにここに来たから、少しのんびりしようかな」


 そう2人はススキの生えていない、地面に草が生えている場所を選んで座り込む。

 俺もそれに習い、近くに座る。そのまま仰向けに寝転がれば、空は青く、雲がのんびりと流れている様子が良く分かる。

 青空は何処までも果てしなく続くようで、きっと数百km程度先には漆黒の宇宙が広がっているんだろう。

 それが不思議だが何となく面白い。前の世界と違い、環境汚染のほとんど無いようなこの世界ではこの澄んだ空と空気が当然なのかもしれないが、俺にとっては素晴らしいものだと思う。


 最近疲れていたこともあり、ただぼんやりと空を眺める。

 穏やかな風に吹かれ、まるで世界とは切り離されたような感覚が俺を包む。

 目を閉じれば世界は内側に。流れを感じるまま、ただ揺らめく穂のように。

 ただ、今はそれに抱かれてただ、眠ることにしよう。




 と、本当に寝るわけにも行かず目を開いてみると何故か日は随分と高くなっている。

 移動に時間が多少は取られてはいたが、それでも寝転がった時よりも日は高い。

 軽く目を閉じただけだと思っていたのだが、実際は寝てしまったらしい。

 上半身を起こし、両腕を大きく伸ばすと思い切り息を吐く。


 そういえばお姉さんたちは近くにいたはずだが今は姿が見えない。何処に行ったんだろうか?

 立ち上がると、軽く周囲を見回すとススキの中に動く姿が2つ。どうやら散歩中らしい。

 荷物も置いてあるし、暫くしたら戻ってくるだろう。




「おはよ、ソラくん。良く眠ってたね」


「ああ。おはよう、悪い疲れてたみたいだ」


「本当ね。随分と良いご身分で」


 ボーっとしながら待っているとようやく2人が戻ってきた。

 リオナは何をそんなにイラついているのだろうか。

 というか、俺がそこまでイラつかれる理由はないはずだが。


「リオナ、ソラくん疲れてるみたいだから今日は、ね?」


「そうね。あたしも別にわざわざそんなことに休日を使いたくないもの。いいわ」


 俺に投げかけられる視線はやけに冷たい。

 初対面のはずだが、どれだけ俺は嫌われているんだ?


「それよりさ、ご飯にしようよ。リオナ、準備しよう?」


「ええ。そうね」



 お姉さんとリオナは俺を点として三角になるようにすわり、その中心に布と包みを置く。

 後は革の水筒とコップが3つ。包みの中身は、白っぽい何か、だ。

 パンのように見えなくもないものが3つ、ただ置かれている。いや、それだと何が何やらさっぱりだが。

 けれど、本当に白い塊らしきものが3つ分あるだけ。表面は滑らかなのでパンのようにも見えるが、なんと言えば良いのだろうか。

 角のない直方体? サイコロのようなものがただ置かれているだけ。しかも大きさが俺の掌サイズという中途半端ぶり。


「ええと。これは?」


 せっかく作ってもらったものだから食べようとは思うのだが、もしかしたら俺が知らないだけで食べ物ではないかもしれないし、見た目からするとそのままかぶりつくかちぎって食べるかしか選択肢がなさそうなものだがもしかしたら違う作法があるのかもしれない。


「ゾットラグルのグレーチェだよ。えっと、知らない?」


「ゾットラグルは知ってるけど、グレーチェは知らない」


 ゾットラグルは鹿のような動物で父が何度か狩って来たものを食べたことがある。

 つまり、肉を使った何かだとは思うのだが。白い塊で包んだものなんだろうけど、この白い塊が謎過ぎる。


「グレーチェはね、紙で包んで蒸したもの、だよ。ほら、これをこうやって解くと、お肉が出てくるの」


 お姉さんは適当なところを爪で引っかくと一部がはがれ、それをどんどんはがしていく。

 そこの中からは良く焼けたであろうこんがりとした肉が出てくる。何故白い紙に覆われているのに中はこんな焼き色がついているんだ?


「そ、そっか。いや、俺あまりこっちの料理知らなくてさ。思わず紙ごと食べるところだったよ」


 乾いた笑いしか出ないのは仕方ないだろう。本当に村ではこんな料理出てきたことが無いんだ。

 同じ国の中で、しかもそんなに離れていない場所なのに何故こうも知らない料理が多いんだ?


「残念。これは隣国の料理よ。本当に知らないのね」


 リオナはつまらなさそうにそういうと、自身も紙の塊を取って、剥いでいく。


「えっと、食事これだけ?」


 量としては肉単体と考えると少なくない量だが、これだとバランスが悪すぎるだろう。

 ゾットラグルはどちらかといえば硬い肉だから噛み応えはあるにしても、だ。


「用意してもらったものに文句を言うつもりかしら?」


「や、そういうわけじゃないけど。まあ仕方ない。ありがたくいただくよ」


 俺も手に取り、紙を剥いで中の肉を噛んでみる。思ったよりも肉汁が多く、火の通り具合もいい。

 とはいえ、間違って紙ごと食べそうになるし、途中であふれ出た肉汁で紙どころから手すら油でギトギトになるわ、最終的には油を食べているのか肉を食べているのか分からないほど油が出ている。紙が多少は油を吸ってくれてはいるものの、あまり効果はなさそうだ。


「えと、美味しかったよ。ありがとう」


 何とか完食した頃には油で胃が荒れそうな位、油を摂った気がする。

 これなら切るか油を取りながら焼いたほうが良さそうだ。このままだと紙の意図も分からないし。


「じゃ、感謝の印を出しなさい」


 急に何を言い出すのだろうか?


「リ、リオナッ! 何を言い始めるの?」


 焦ったようなお姉さん。まあ、急に感謝の印を差し出せなんていわれても俺も特に持っていないし。

 仕方ない。ここは様子を窺ってみるか。


「ええと。何か欲しいものでもある? まだ給料とか入ってないから金銭は難しいけど」


 まあ、不当な要求なら拒否すれば良いだろうし妥当だと思うならそれを用意することはできるだろう。

 どうしようもないときは仕方ない。諦めよう。


「聞いてた通り。あんた、最低ね」


 嫌悪の表情を隠さず、リオナは俺に向かってそう言葉を吐き棄てた。

 何で本当に初対面の人間にここまで言われなきゃならないんだ?


「聞いてた話がどうかは知らないけど、そう思うならそうなんだろ」


 だが、それを俺が受け止める必要があるのだろうか。別にリオナに嫌われたところで何のデメリットがある。

 無理に好いて貰う必要はない。万人受けするつもりすらないんだ。ここで俺が嫌われたところでサンパーニャに影響はない。

 街中であればもう少し穏便に済ませるだろうが、此処でどう言われても痛くもない。

 というか、俺が此処まで言われる理由なんてない。


「さっきから、何よ! 自分は関係ない、自分は興味ない、どうでもいい、そんな顔してあんた何様のつもりよ!」


「勝手に横から口出しだけして運営方針すらぶれさせる人にそんな事言われてもね」


 といっても、此処まで喧嘩すればお姉さんとの関係もガタガタだろうな。

 長年の友人と束の間のバイト、どちらを優先させるかなんて分かりきっているだろう。


「あんたの言う方針って何よ! あんただけが得する話? そんなのを方針なんていうわけがない」


「なら、あれでどうやって稼ぐんだ? お姉さんから見せられたものだと破綻は間違いないぞ。それとも、その分買取でもするのか?」


 日々ギリギリのスケジュールなのは正直今も変わらない。だが、具体的な方針さえ打ち出さず机上の理論だけで商売が成り立つと思っているのだろうか。

 というか、俺の利益なんてほぼないに等しいんだが。


「あんたがいなくたって、あたしがどうにでもする! 関係ないって顔しながら手を出してくるやつなんかに任せられないっ」


「だから、どうしたいんだって。どうにでもする、なんてどうにでも出来るやつ以外口にできるはずがない。あんた何が出来る? 自分の力で、何を準備できるんだ?」


「もう、2人とも止めよ? 町に戻ればご飯だってあるんだし、私も足りなかったからさ。ね、リオナ。リオナも本当はまだ食べたいでしょ?」


「ミランダは黙ってて! こんな、人を見れないやつにあなたを任せられない!」


「といわれてもさ。感情論だけで生きていけるほど世界は甘くないだろ? 任せられないなら実際どうするのか教えてくれ」


 正直面倒になってきた。俺も一応頑張ってるつもりなんだけどな。


「あんたは生きようとしていない。あんたの目はミランダすら見ていない。あたしのことなんて見ようともしていないでしょ。そんなやつに、何ができるって言うのよ」


「生きようとしていない、か」


 確かにそうかもしれない。俺は確かに此処で生きているが、此処で生活できているかは分からない。

 それが暫く続いている苛立ちの理由かもしれない。世界の形を変えても、記憶と姿は変わらなかった。

 それも言い訳か。俺は、死んだあの時から何処かで自分が生きていることの意味を見失っているのかもしれない。

 元々あるかどうかも分からないが、出来る力は貰っている。なら、それに意味を見出すこともできるかもしれない。


 にしても、俺も一度訓練でもした方が良いのか?


「リオナ。魔具、持ってきているか?」


「はぁっ? あんたいきなり何を……」


「囲まれ始めている。持っていないなら邪魔だ、町まで逃げろ」


 スキルウィンドが勝手に開き、危険を知らせている。即座に展開した『気配探知』によると、数は8。敵は、ハウンドウルフ。

 嗅覚、知覚ともに優れた群れで狩りを行うソロでは中級者向けの相手、と。

 1人だと殺さずに相手をするのは無理だが、切り抜けることはできるだろう。


 だが、お姉さんも特に武器を持っていないし、リオナが魔具を使えないのであれば戦力に数えられない。

 そうなると弱点が増えるだけだ。


「確かに囲まれてるっ! 銀色の、狼? あんなの、魔具があっても敵わないわよっ!」


「で。持ってきてるのか? 持ってきてないのか? 悪い、包囲が終わる前に答えてくれ」


 挿してあったファルシオンを抜く。実戦は初めてだが、やらなきゃ負ける。相手も俺を警戒してなのかじりじりと包囲網を固めている。

 死なない覚悟程度なら出来てる。お姉さんとリオナを引かせるなら此処が最後だろう。


「持ってきてないわよっ! こんなところにまでモンスターなんて出たなんて聞いたことないわ!」


「ソラくん! 急いで逃げよう? 後は自衛団の人に任せようよ」


「こいつらの足にお姉さんがかなうものでもないから、ちょっと難しい。俺が足止めして距離を稼ぐから、先に逃げてくれ」


 こいつらは俺が知るものと同じものであれば足も速い。ハウンド(追跡)とはよく言ったものだ。

 しかも狩猟ターゲットをネチネチと攻撃する嫌らしさも兼ね備えてる面倒なやつだ。


「子供を残して行けるわけないでしょう! あなたも逃げるのよ!」


「包囲が完了する。一方を突破するから、その方向に逃げてくれ。説教なら後で好きなだけ言えば良い。今は逃げるのが優先だ」


 本気で逃げてしまいたいんだが、1人で逃げ出すわけには当然行かない。

 さて、損な役回りだな。


「くっ……! 分かったわ。ミランダ、逃げるわよ」


「う、うん!」


 敵を警戒するので一杯だからお姉さんの様子は窺えないが、緊張しているみたいだな。

 こけなきゃ良いんだが。

 そんな心配をしながらも、剣を正眼に構え、敵を迎え撃つ準備は整う。


 ススキに覆われている場所から銀色が音を立てて出てくる。ここで飛び出してりゃ、勝負ついたのかもしれないんだがな。


「じゃ、行くぞ。『スイングスラッシュ』!」


 剣が一瞬だけ光り輝き、水平になぎ払うとそれは敵をなぎ払う衝撃波となる。

 言葉とともに発動したそれは、正面、町側に続く方向を塞いでいる2匹の狼の頭半分を切裂き、背後のススキすら切断していく。


「い、いくよ! ミランダ!」


 一瞬それに戸惑ったものの、リオナはお姉さんの手を引っ張り、切断されたススキを目印にするかのように走っていく。

 追おうとするウルフは、俺がそいつの前に飛び出し注意を逸らす。


 こいつらは元々狩りやすい相手として、複数より単独を好むはずだ。

 逃げたものは後で追える。今の狩りの標的は俺になっている、ようには見える。


 さて、身体は鈍い。手足は短いからリーチも短い。だが、目ではこいつら程度なら追える。何処までいけるか、試してみるか!



 咆哮搏撃(ほうこうはくげき)、背後からというのに律儀に吼えて襲い掛かってくる狼に振り向きを利用して刃を振りぬく!

 ぐしゃり、と肉と骨を打ち絶つ嫌な感覚を味わいながら、3匹目の狼の首の半分以上を斬る。

 と、同時に嫌な予感がし、そのまま狼に体当たりをす……


「いってえな! 獣風情が!」


 さらに背後から襲い掛かってきた狼の爪が俺の右足に掠り、それですら俺の皮膚を切裂くくらいの力はあるようだ。

 急いで剣を戻すと、再度飛びかかろうとする狼の脳天目掛け、剣を突き落とす!


 正直、ダメージ自体は全体量に比べ大したことはないはずなんだが、出血がやばい。というか今まともに考えられているだけでもおかしいくらいだ。

 表面に溢れ出る血に吐き気を覚えながら、ポーションを取り出し、飲み干す。

 といっても、やっぱ単なる特製ポーションだと血を止めるくらいしかならないか。いや、止めてくれるだけでもマシ、か。

 ちっ。包帯か何か位持ってくるべきだったか。どうせ今は使えないが。

 後は効力である追加回復(チャージ)に期待するしかないか。


 残りは4匹。半分やられたことで警戒しているらしい。

 距離は微妙に離れていて、1匹を集中的に倒そうとすると他が妨害してくる可能性が高い。

 となると、一撃必殺か範囲攻撃、か。


「とはいえ、回復するまで足はろくに動きそうにないし、詠唱術は出来る限り使いたくないし、符なんて持ってすらないし。困ったものだな」


 だが、負ける気はしない。どうせなら、もう少し準備をしておきたかったが、こんなのは想定外だ。

 想定外だが、そんな物すら、今は気にならない。


 俺を取り囲む狼たちは徐々にその範囲を狭める。一気に襲い掛かるつもりか?

 まあ、そっちの方が正直助かる。


「でもな、バカの一つ覚えみたく吼えりゃいいもんじゃねえよ!」


 吼え立て四方から飛び掛ってくる敵の動きを読み、回避する。

 まずは右半回転、それから左側半身へ飛び掛ってくる狼の顔に合わせ刃を振り下ろし、右へ斬り上げる!

 正面から飛び込んでくるものには刃を振り下ろし、背を向け着地した最後の一匹を串刺しにした。




 とりあえず、襲い掛かってきた奴等は全部片付けたものの、その分場は凄惨だ。

 血の臭いは酷いし、斬ったり突いたりで色々なものがぐちゃぐちゃのめちゃめちゃだ。

 最後の動きで足の怪我は開いたし、本気で吐きそうだ。というか、ダメっす。




 出せるものは出しきった後、ここに留まっても何の意味もないため剣を杖代わりに歩く。ポーションを追加で飲んだが胃は受け付けてくれず、あまり効果はないみたいだ。

 後で焼却か埋めるかないと血の匂いで他の獣やモンスターが寄ってきそうだ。時間はそれなりに経っているし、きっと誰かが応援くらい来てくれるだろう。

 というか、傷がずきずきと痛む。効果があるか分からないが、やってみるかしかないか。

 飲めないなら直接かけて効果を現してやる! ポーションを傷口にぶっかける、とその途端に激しい激痛が襲う。

 表面が焼けるような痛み。ざくざくと突き刺さるようなこの痛みはむしろ悪化してるんじゃないかとすら思う。

 その痛みでふらつくが、剣を持っているから倒れるのも危ない。地面に剣を刺し、それにすがるようにして我慢する。


 と、何人かの走ってくる姿。どうやら町の自衛団のようだが、来るのが少し遅くないか?


「おい! 大丈夫かっ?!」


「何と、かっ。向こうに、モンスターの、死骸があるからっ、後は、頼み……」




 目が覚めると、そこは見慣れぬ景色が広がっていた。

 薄暗い天井、外は闇が広がり、部屋の中は良く分からない。

 恐らく、激痛と気が緩んだことで気絶でもしたんだろう。

 我ながら情けない。これでやつらが共鳴咆哮(ハウリング)でもされたらまずかっただろう。

 ハウンドウルフは群れ単位で行動するが、時折他の群れとも行動を共にする。

 その場合、ピンチになると他のグループに咆哮で呼びかけ、それに応じ狩りに参戦する。

 つまり、増援を呼ばれることになる。

 そうすると単純に戦力は一気に増え、疲労した後だと簡単にやられてしまうこともある。

 今回は正直ラッキーだったとしか言えないだろう。流石に迂闊すぎた。


 と、痛みが止んでいることに気付く。触ってみても痛くないし、足を曲げても多少の違和感はあるものの歩くことに支障はなさそうだ。

 寝ていたベッドから降りると、改めて自分の姿を確認する。

 傷はないみたいだが、服がボロボロだ。流石に掠りもしたし、痕が残らないだけ上出来だろう。

 後は、ポーションや鞄、ファルシオンの類が一切ない。部屋にでも置いてあるのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。


 というか、やっちまった。スキルはファルシオンのものしか使っていないが、どれも鑑定されるとまずいものばかりだ。

 それ以前の問題としてあれを8匹倒せるレベルの人間がどれだけいることか。恐らく5人でも重傷者が出る可能性が高い。10人はいないと安全に倒すことは難しいだろう。この場合の安全、というのは軽傷だけで済むという意味で、無傷という意味ではない。

 俺の主な傷は右足のみ。しかもそれも既に治っているわけで、どう考えてもおかしいだろう。

 ポーションに関しては幾らでも説明は出来る。けど、ファルシオンと俺の戦闘技能はまずいだろ。

 こうやっていても仕方ない。とりあえず状況の確認だけでもしに行くか。



 ドアを開けると、仄暗いが蝋燭が灯ってあり、一瞬その明るさに目が眩む。

 が、すぐに慣れるとそこには見慣れた人が数人、椅子に座っている。


「ソラっ! もう平気なのかい?!」


 と駆け寄ってくるのは父だ。


「ん。この通り」


 右足を叩いて健在ッぷりをアピールしてみる。

 と、強く抱き締められる。前にも同じようなことがあった気がするが、というか以前より痛い気がするのですが、父上?!


「ぎ、ぎぶ! い、痛いって!」


 それでも解放される様子は無く、俺からは抜け出せられないためじたばたもがくしかない。


「トニー、そろそろ解放してやれよ」


 苦笑気味に話すのはジールだ。

 いや、話すだけじゃなく手を貸して欲しいんだが。


「ソラくんっ! 何で無茶したの?!」


 ぎゅう、と頬をつねられる。いや、それも痛いんだが。というか捻りを加えないでくれっ!


「本当よ。何を考えているのかしら、あなたは」


 逆の頬をリオナに引っ張られる。こっちは限界を試すと言わんばかりに強く引っ張ってくる。

 しかも小刻みに振動さえ加えるとは何事だっ!

 どっちも痛いっつーの!


「はあえ!」


 口を閉じられないから間抜けな発音にしかならない。とはいえ、意味は伝わったのかさらに引っ張る力が強く……って何でだ!


「ソラくんはいつも無理ばっかりするから少しは反省しなさい」


「そうね。少しは良い目をするようになったけど、まだミランダを任せるわけには行かないわ。だから、反省なさい」


 お姉さんの言葉もリオナの言葉もいまいち意味が分からないが、暫くこの拷問は止むことは無かった。




「頬がちぎれるかと思ったっての。ってか、口の端切れてるし」


 妙に痛むと思って口の端に触れてみると指先がほんのり赤く染まる。幾らなんでもやりすぎだ。


「ソラ。もうあんなことはしないように。いいね?」


「出来る限りは。少なくとも1人で対峙はしたくないね」


 父からの鯖折りからも解放され、身体を解す。

 あの細い身体のどこにあんな力が隠されているのやら。


「当たり前よ! ハウンドウルフに単独で挑むなんて、何を考えてたの!」


「一番生存確率が高い方法を選んだだけだよ。武器持ってるの俺だけだったし。ま、死ぬつもりもないしな」


 笑って見せると、何故かリオナは驚いたような表情をする。


「それでも、手段というものがあるでしょう。すぐ逃げるものかと思っていたら、本当に信じられないわ」


「リオナ、それくらいにしよう? もう帰らないと怒られちゃうよ」


「そ、そうね。あなた、ミランダを悲しませるようなことをしたら許さないわよ!」


 寮の門限だろうか? 最後に言い捨ててリオナは足早に去っていく。出るとき、一瞬目があった気がするが気のせいか?

 室内は薄暗く、外は真っ暗だからよく分からないが。

 というか、俺が目覚めるまで待っていてくれたのだろうか? 律儀なものだ。


「ま、元からそういうつもりは特には無いんだが。お姉さんも、明日から仕事だぞ。早く帰って寝ないと」


 さて、準備は済んでるからいいとして、明日ちゃんと起きられるだろうか。


「ソラくんは明日から暫くお休み!」


「え? いや、明日も露店あるし、やることまだまだあるだろ?」


「いいから私の言うことを聞きなさい! 無理した人にはお仕事をさせてあげません!」


 何という理不尽な。


「いやいや。アイデア浮かんできたばっかだし、今は困るって」


 ポーションのこと、魔術品のこと、魔具のこと。色々あるが、今はやってみたいという気が溢れてる。

 何故かと思うが、結局それは単純なことなんだろう。


「ダメ! 家族を心配させちゃうような子は暫く反省しなさい!」


 それをいわれると弱い。帰るのも少し億劫になりそうだ。


「クリスの説得はソラにお願いするよ。僕は、後で帰るから」


 まさかの丸投げですかっ!? 何故嬉しそうなんだ、父は。

 あれか、この前の丸投げの仕返しか? いや、幾らなんでもそれは大人気なさ過ぎるだろう。


「いやいや、そもそも俺荷物を探さなきゃいけないし!」


「それなら私がサンパーニャに運んだから大丈夫だよ。でも、取りに来ちゃダメだからね」


 お姉さんの表情は満面の笑みだ。満面の笑みのはずなのだが、何故否定できないプレッシャーを感じるんだ?


「……いえす、まむ」


 当然通じるわけも無く、不思議そうに首を傾げられたがそう答えるしか俺には出来なかった。



 それで終わればよかったのだが、当然終わるわけも無く。


 家に帰りつくと、母にじーっと何も言われず睨まれた。

 視線を逸らそうとすると顔を固定されて、睨まれ続ける。

 ひとまずただいま、と言うと叩かれた。次にごめん、というと泣かれた。

 それもずっと無言のままだ。泣き止んでもずっと無言で、何も言ってくれない。

 筆談を試みようとも思ったが母は文字がかけないし、そういうことではないだろう。


 で、とりあえずあれこれ移動するとずっと付いて来て、視線をちらちらと2階に移す母の行動を鑑みるに、一緒に寝る、が正解らしい。

 正直恥ずかしいのでレニを真ん中に据えてみた。

 翌日、1つのベッドに4人も寝ていて寝苦しかったのは当然の結果か。


 ベッドを抜け出して、ふと窓の外を覗き込む。

 いつもより起きるのが遅くなったからだろうか。既に空は青く輝いている。

 足早に館の前を通り過ぎる人、遠くからはわずかにだが聞こえる雑踏の音。

 何も変わらないはずなのに、まるで世界が生まれ変わったような気すらする。


 いつも通りだが、今日は良い日になりそうだ。




もう少しこの話は前に持ってくるべきでしたかね。。

というか描写がぐたぐた過ぎる気が。。。


評価、つっこみ等ありましたらお願いします。


2011/10/2

加筆修正しました。


2011/10/4

誤字の修正をしました。鈴鳴月様ありがとうございます。

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