ホワイトデーに逝ったうさぎ
うさぎを飼っていた。
もうかれこれ9年間も一緒だった。
けれど、私が中1の頃のある日、
うさぎは突然逝ってしまった。
その日は、世の中ではホワイトデーと呼ばれる日。
ホワイトデー当日の夕方すぎ、
うさぎがケージから脱走しているのに気がついた。
家中を探しても見つからなかった。
家族は、家の外へ行ってしまったんだろうと、
悲しげな表情で諦めていた。
そして、翌日の朝のこと。
落としたペンを拾おうとして、
自分のベッドの下を覗き込んだとき、
息絶えたうさぎの姿を発見した。
死後硬直の具合からして、
脱走してすぐに私のベッドの下で息絶えたとわかった。
私は、心から自分を責めた。
自分のベッドの真下にいたのに、
そんな暗い隙間に1晩いたことを気づけなかった。
そんな私を励ます友の言葉も、
追い討ちにしかならなかった。
「身代わりになってくれたのかもよ?
ほら、交通事故に合いそうになって、
家に帰ったらペットが死んでたとか、あるじゃん」
もし、仮にそうだったとしても、嬉しくない。
自分の命が、誰かの命とひきかえに助かるなんて、
嬉しいわけがない。
私はずっと、自分を責め続けていた。
けれど、ある日、不思議なことが起こった。
誰もいない教室で誰かの気配を感じたり、
いわゆる霊感体質と呼ばれる体質になってしまった。
はっきりと顔は見えないけれども、
古い服を来た人や、グロテスクな外見の人を何人も見た。
すっかり1人で居ることが怖くなった頃、
やむをえなく1人で自室にいると、
どこからかうさぎが走ってくる気配を感じた。
一瞬だけハッキリと見えたその姿は、
ホワイトデーの日に逝ってしまったうさぎだった。
一瞬しか見えなかったけれど、
色々な思いが頭の中に直接流れ込んだ。
うさぎからの感謝の気持ちが、感じられた。
そして、自分を責めないで、と言われた気がした。
その日を境に、霊感体質ではなくなった。
元の、霊など分からない状態に戻った。
それから少しして、心に余裕が出来てから
私は考えて、こう結論を出した。
期間限定の霊感体質は、うさぎと会うために
必要だったからだと思う。
逝ってしまった、うさぎの霊を見るために、
その副作用で怖いものまで見えてしまったのだろう。
私とうさぎの、互いに会いたい気持ちが重なって、
少しだけ会うために、霊感がついたのかもしれない。
そして、うさぎは私に伝えたいことを伝えたから、
霊感はなくなり、また元に戻ったのだろう。
その後、うさぎはおろか、霊やおばけの気配すらも
感じることが出来なくなった私。
けれど、この不思議な体験は、ずっと心に残っている。
そして、毎年ホワイトデーになると、
またいつか会えるようにと、
天に向かって祈るのであった。