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俺は無口なあの子の笑顔が見たい

作者: イカの塩辛
掲載日:2026/03/14

 四月。

東雲学園の桜は、いつも少しだけ遅れて満開になる。


「はい、席替えというかクラス替えの席はもう決まってるからなー」


担任の声を聞きながら、北条正行はぼんやり黒板を見ていた。


東雲学園。

勉強も部活もそこそこ。強くも弱くもない。

いわゆる――自称進学校。


「……ま、こんなもんか」


高校二年生。

将来の夢もなければ、熱中していることもない。


強いて言えば、ペン回しが少し上手いのと、コーラの味の違いが分かることくらい。


(俺、なにしてんだろ)


そんなことを思いながら、席に座る。


正行の後ろの席には、クラスでも目立つ男子グループが集まっていた。


「おい昨日の配信さー」


「マジそれな」


椅子の向きまで変えて、通路を塞いでだべっている。


(あー…先生来たら怒られるやつ)


そう思ったときだった。


「そこ、どいて」


短い声がした。


振り向くと、小柄な女子が立っていた。


茶髪のショート。

吊り目で、きつそうな顔。


平家依子だった。


男子たちは一瞬黙った。


「……は?」


「通れない」


それだけ。


「ちょっと話してるだけだろ」


「邪魔」


表情はほとんど変わらない。


「……なんだよ感じ悪」


男子たちはぶつぶつ言いながら席に戻った。


依子はそれを確認すると、何も言わず席に着いた。


正行は心の中で思った。


(うわ……)


(絶対合わないタイプだ)



五月。

二年生には職場体験があった。


正行が割り当てられたのは、近くの総合病院だった。


「こんにちはー」


リハビリ室は静かな空気だった。


そこで、正行は一人の女性と話すようになった。


「学生さん?」


「はい、職場体験で」


車椅子に座る女性。

穏やかな笑顔をしていた。


「若いっていいねぇ」


「そんなことないですよ」


何日か通ううちに、自然と会話が増えた。


女性の名前は――平家直美。


ある日、何気なく聞かれた。


「学校どこ?」


「東雲学園です」


「え?」


少し驚いた顔をした。


「うちの娘もそこなの」


「そうなんですか」


「二年生で……依子っていうんだけど」


その瞬間、正行のペンが止まった。


「……え?」


「知ってる?」


正行の脳裏に浮かぶ。


吊り目の、小柄な女子。


「……同じクラスです」


直美は少し笑った。


でも、どこか寂しそうだった。


「そう……」


少し沈黙が流れる。


そして、ぽつりと言った。


「ねぇ」


「はい」


「もし迷惑じゃなかったら……」


「依子と、仲良くしてあげてほしいの」


正行は戸惑った。


「えっと……」


直美は静かに続けた。


「私ね、事故で足が動かなくなってね」


「……」


「依子、中学のとき陸上部でね。走るのが大好きだったの」


正行は黙って聞いていた。


「私、依子の大会を見に行く途中で事故に遭ったの」


「……」


「だからあの子、自分のせいだって思ってる」


直美の声は、優しかった。


「それからね」


「笑わなくなったの」


正行は何も言えなかった。


「無理にとは言わないわ」


「でも……もしよかったら」


その言葉を、正行は断れなかった。



それから正行は、依子を少しだけ見るようになった。


すると、気づいた。


ある日の昼休み。


依子が、後ろの席の男子に言った理由。


「そこ、どいて」


最初はただの無愛想だと思った。


でも違った。


その席に座るはずの女子が、教室の入り口で困っていた。


脚に装具をつけている子だった。


通路が塞がれていたのだ。


依子は、その子のために言ったのだ。


でも――


「ありがとう」


女子が言うと、


「別に」


それだけ。


説明もしない。


愛想もない。


(……言葉足らずすぎだろ)


それから正行は、さりげなくフォローするようになった。


「さっきのさ」


「その子座れなかったからだろ?」


依子は一瞬驚いた顔をした。


「……見てたの」


「まぁ」


それだけの会話。


でも少しずつ話すようになった。


「あんたさ」


ある日依子が言った。


「なんで私と話すの」


「え?」


「私、感じ悪いって言われてる」


正行はペンを回しながら言った。


「別に」


「困ってる人ほっとけないんだろ?」


依子は少し黙った。


「……うん」


それが、初めて見た柔らかい表情だった。


それから会話が増えた。


依子は家事が得意だった。


料理の話をしたり、学校のことを話したり。


笑わないけど。


でも――


優しい人だと分かった。


気づいたときには。


正行は思っていた。


(こいつ)


(絶対笑ったら可愛いだろ)


そして、いつしか。


(絶対笑わせたい)


そう思うようになっていた。



ある日。


正行は廊下で声を聞いた。


「北条さ」


「なんで平家とつるんでんの?」


クラスの男子だった。


「感じ悪くね?」


「てか暗いし」


「近づかない方がよくね?」


笑い声が混じる。


正行は角の向こうで立ち止まった。


胸がざわつく。


(俺)


(嫌われるのか)


昔からそうだった。


周りに合わせて生きてきた。


嫌われるのが怖い。


その日から。


正行は依子と距離を置いた。


話さない。


目も合わせない。


依子は何も言わなかった。


でも――


ある日の帰り道。


「北条」


呼び止められた。


依子だった。


夕焼けの校門。


「最近、話さない」


まっすぐな目だった。


正行は視線を逸らした。


「……別に」


「なんかした?」


「してない」


沈黙。


依子は少しだけ俯いた。


「そっか」


それだけ言って、歩き出した。


その背中を見た瞬間。


正行の胸が締めつけられた。


(俺)


(なにやってんだ)


次の日。


正行は病院へ行った。


直美が言った。


「最近依子どう?」


正行は答えられなかった。


そして――


直美が言った。


「依子ね」


「本当はすごく笑う子だったの」


「家でも学校でも」


「でも今は」


少しだけ涙を浮かべた。


「私の前で笑えないの」


「自分が笑うと、私が悲しむと思ってるから」


正行の胸が痛んだ。


その瞬間、決まった。


(俺)


(逃げてる場合じゃない)



放課後。


屋上。


依子が一人でいた。


「平家」


振り向く。


「……北条」


正行は深呼吸した。


「俺さ」


「お前の母さんに会った」


依子の目が揺れた。


「リハビリで」


沈黙。


「……そう」


「聞いた」


「なんで笑わないのか」


依子は俯いた。


「……そう」


俯いたまま、頼子は答える。


「お前」


「自分のせいだと思ってるだろ」


「……」


沈黙が肯定を示していた。


「違う」


依子の肩が震えた。


「違わない」


「私が呼んだから」


「大会見に来てって言ったから」


「だから――」


声が震えた。


「お母さん、走れなくなった」


沈黙。


正行は言った。


「それでも」


「お前の母さん」


「お前に笑ってほしいって言ってた」


依子の目から涙がこぼれた。


「……無理」


「笑えない」


「笑ったら」


「お母さん、悲しむ」


正行は首を振った。


「悲しまない」


「むしろ」


「めちゃくちゃ喜ぶ」


依子は泣いていた。


正行は言った。


「俺さ」


「お前のこと好きだ」


依子が顔を上げた。


「だから」


「笑わせる」


「絶対」


「お前が笑うまで」


「諦めない」


依子は泣きながら言った。


「……無理だよ」


「私、もう」


「笑えない」


正行は言った。


「じゃあ」


「俺が一生かける」


沈黙。


そして。


正行は、いつものようにペンを取り出した。


「見てろ」


高速ペン回し。


さらに空中キャッチ。


失敗。


ペンが顔に直撃した。


「いっっっ!」


沈黙。


そして。


依子の口元が震えた。


「……っ」


肩が揺れる。


涙を流しながら。


依子は――


笑った。


「……なにそれ」


小さな声。


でも確かに笑っていた。


夕焼けの中。


その笑顔を見た瞬間。


正行は思った。


(ああ)


(これだ)


心の底から。


「俺」


「この笑顔守る」


依子は泣きながら笑った。


「……重い」


「うるさい」


正行は笑った。


「一生かける」


空は、綺麗な夕焼けだった。


その日。


北条正行は誓った。


――この笑顔を守るために、生きると。

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