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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

才能【腐敗】の菜園師、辺境で毒キノコを育てていたら死者たちの聖女になる。

作者: 櫻まど花
掲載日:2026/02/09

「あら、また目が増えてる。最高よ、毒キノコちゃんたち。かわいくて食べちゃいたいくらいだわ」


 ベルガモットは鼻歌を歌いながら、真っ黒な指先で地面を優しく撫でた。彼女の指が触れた場所からは闇を零したような黒い波紋が広がり、瑞々しいはずの土がカサカサと乾いた音を立てる。

 そこから生え出すのは人間たちの村なら悲鳴が上がるような、けれどベルガモットにとっては最高に可愛い収穫物たちである。


 数ヶ月前、ベルガモットは「自分探しの旅」という名の円満な家出を決行した。十八歳の誕生日に精霊から授かった能力は、触れるもの全ての生命のページを強制的にめくり、最後の章へと連れて行ってしまう、菜園師の家系としては致命的な才能だったのだ。


「ベルガモット、無理しなくていいんだよ。お前の力だって、いつか……ええと、枯れ葉の標本作りに役立つかもしれないし!」


 パパはそう言って励ましてくれたが、彼が差し出した励ましの花束は、ベルガモットが受け取った瞬間にチリチリと焼けたドクロのドライフラワーに変わった。

 ママが持たせてくれたハニー・ベルガモット・タルトもそうだ。村の境界線にある渦巻き模様の丘で最後の思い出にと取り出した頃には、サクサクの生地は枯れ葉のような食感になり、上に乗っていたベルガモットの果実は小さくて可愛らしいドクロに姿を変えていた。


 ベルガモットはポロポロ涙をこぼした。けれど、それすら地面に落ちると黒い染みになった。


「わたしの涙まで、何もかも腐らせてしまうのね。……黒インクみたいで便利だわ。お手紙書けるかしら」


 彼女はトランク一つで捻じれた木々に囲まれた森へと足を踏み入れ、今は誰が使っていたか知らない古民家を勝手に借りて暮らしている。

 周囲には畑の残骸があって、野生化したトマトやにんじんが残っていたけれど、彼女が「お腹が空いたわ」と触れた瞬間に、全部が腐り落ちてしまった。


「あらまあ……」


 普通の人間なら絶望するところだが、ベルガモットは違った。


「全部しおれてくれたのね。手間が省けて助かるわ!」


 彼女は頑張って地面を耕し、村の人たちが持たせてくれた種を蒔いてみた。パパの指先のように瑞々しく育てることはできないけれど、彼女なりにせっせと世話をしてみたのだ。

 すると生えてきたのは、牙を生やして笑うナスにコウモリの羽をパタパタさせる紫のカボチャ。そして彼女が最も気に入っているのは、触れると一瞬で黒く萎れ、その葉脈が精巧な黒レースの模様を浮かび上がらせる終末のベルガモット・ハーブであった。


「またお水を腐らせちゃった。でもあなたたち、こういう味わい深いのが好きよね」


 彼女がジョウロを傾けると、透明な水はドロドロとした不気味な紫色の液体に変わる。それを浴びたカボチャたちは「キィーヒッヒッ」と風もないのに楽しそうに揺れ、地面からは目玉のような模様のキノコがポコポコと顔を出した。


「ねえ、カボチャ一号。昨日の夜、屋根裏でネズミたちが合唱コンクールをしてたのよ。あの子たちソプラノは上手いんだけど、リズム感が少し鼻につくわよね」


 話しかけられた一番大きなカボチャは、うねったヘタをピクピクと動かした。


「さ、左様ですか……。我らとしては、食害される前に彼らが自重することを祈るばかりで……」


「あら、そんな弱気でどうするのよ。いっそあなたがパーカッションになって、素敵なユニットを組む?」


「……それは、その、想定外のキャリアですね……キヒッ」


 カボチャたちは時々、彼女のあまりに突き抜けた提案に返事に困って沈黙する。けれどベルガモットは気にしない。彼女にとって彼らは最高の話し相手だし、この捻じれた森での暮らしはそれなりに愉快なものだった。


「さて、おしゃべりはこれくらいにしましょう。今日はごちそうの日よ」


 ベルガモットはひときわ不気味に笑う毒キノコを数個カゴに放り込んだ。行き先は森の奥にある、鏡のように静かな湖である。


 湖畔に着くと彼女は一切の迷いなく、毒キノコを次々と水面へ投げ込んだ。


「さあお魚さんたち。最高にドラマチックな眠りをプレゼントするわ。真っ白な目をして浮き上がってくる姿、とっても楽しみにしてるから」


 しばらくすると湖底からボコボコと毒々しい泡が立ち、目論見通り魚たちが腹を見せてプカプカと浮き上がってくる。普通の漁よりずっと効率的で、何より死に際が美しい。


「うふふ、大漁だわ。今日のディナーは白身魚の腐敗蒸し……いえ、超熟成グリルにしましょう」


 ベルガモットが意気揚々と魚を回収しようとした、その時だった。


「……あ、ああ……なんという、慈悲深い光景だ……」


 背後の茂みからガサガサと枯れ葉を散らして、一人の紳士が現れた。ボロボロの礼服で片方の目玉はなく、肌は青白く、剥き出しの関節からは銀細工のような骨が覗いている。

 完璧なまでの死者の紳士は、湖面に浮かぶ毒に当たって死んだ魚を、恋人を見つめるような熱烈な瞳で見つめていた。


「お嬢さん。失礼だが、今あなたが撒いたその……芳醇な毒を、私にも分けてはいただけないだろうか? 私の喉は瑞々しい生を受け付けない。だがそのキノコからは、夢にまで見た至福の終焉の香りがする……!」


「あら……お腹が空いているんですか。ええ、どうぞ。もうお魚さんたちがちゃんと毒味してくれましたし、安心して召し上がってくださいね。みんな、とっても静かに浮かんできたんですもの。きっと苦しまないで終われた証拠よ」


 紳士は震える手で毒キノコを受け取ると、祈るように目を閉じてそれを口に運ぶ。カチリ、と顎の骨が鳴って、彼の濁った瞳がカッと見開かれた。


「お、おお……!  なんという芳醇な絶望……これほど鮮度の高い死は初めてだ!」


 紳士はあまりの感動に自分の右腕を引っこ抜いて天に掲げ、歓喜の舞を踊り始めた。ベルガモットはそれを見て、「あら、腕が取れるほど美味しいなんて光栄だわ」とパチパチと拍手を送る。


 意気投合した二人は、彼──セバスチャンと名乗った紳士の案内で、死者たちの集まる庭園、ネクロ・ガーデンへと向かうことになった。


 そこは捻じれた鉄柵に囲まれた、灰色の霧が漂う奇妙に美しい場所であった。歪んだアイアン調のテーブルセット、色褪せたストライプのパラソル。

 そこでは着飾ったゾンビの貴婦人や、透き通った幽霊の紳士たちが、それはそれはお上品にお茶会を開いている。しかしその実態はあまりにも涙ぐましいものだった。


「ああ、見てください、聖女様。あちらのテーブルを」


 セバスチャンが指し示した先では、一人の貴婦人がフォークで何かを突っついて溜息をついていた。


「……もう三ヶ月も経つのに。このベリーパイ、まだ腐り切っていないわ。これじゃ酸っぱすぎて、喉が焼けてしまうわよ」


 別のテーブルでは紳士がカップを覗き込み、肩を落としている。


「この紅茶もまだ淹れてから二週間だ。埃の積もり方が甘い……。我々が求めているのは、もっとこう、喉に絡みつくような歴史の重みなのだが」


 死者たちの食卓は、常に時間のジレンマに苛まれていた。ケーキを作っても地下室で三ヶ月放置してカビを育てなければ、彼らの繊細な胃袋には刺激が強すぎる。紅茶にしても、数週間放置して埃が沈殿するのを待たねばならない。

 難点は食べたい時に食べたいものが食べられないこと。そして待ちすぎると今度は食材が土に還ってしまうという、シビアすぎるタイミング管理だった。


「今日どうしてもパイが食べたくなっても我慢し、結局食べられるのは半年前の自分からの届け物……。私たちは常に空腹のタイムラグと戦っているのです」


「あら……みなさん、ずいぶん気の長いお茶会をなさっているのね」


 セバスチャンの悲痛な訴えを聞き、ベルガモットは「うーん」と首を傾けた。彼女は貴婦人のテーブルに歩み寄ると、三ヶ月放置されて中途半端に萎びたパイに、指先でチョン、と触れてみる。


 その瞬間、パイは音を立てて真っ黒に熟成した。生地の層はまるで古文書の頁のようにカサカサに乾き、上に乗っていたベリーは一瞬にして小さなドクロの果実へと変貌を遂げたのだ。


「……!!」


 庭園にいた全ての死者たちが、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。貴婦人が震える手でその一切れを口に運ぶ。


「……あ、甘い……! 完熟を通り越し、もはや輪廻転生すら諦めた、究極のデッド・ベリー味だわ!」


 死者たちが椅子をなぎ倒し、ベルガモットの周りに殺到した。


「聖女様! 私のこの、瑞々しすぎて喉を通らないスコーンも腐らせてください!」


「こっちの淹れたてコーヒーも、何十年も放置された泥水のようにしてちょうだい!」


 死者たちの切実な叫びに、ベルガモットは「ええ、いいですよ。おやすい御用だわ」と、次々に差し出されるお皿に指先で触れていった。

 チョン、と触れるたびに、スコーンは瞬時に水分を失って美しいセピア色の岩石へと変わり、コーヒーの表面には理想的な埃の膜が張り、カップの縁には芸術的な錆の花が咲く。

 庭園のあちこちで「おおお……!」「なんて慈悲深い……!」という、骨が軋むような歓喜の声が上がった。


「……わたし、ただ触っただけよ?」


 ベルガモットはそんな光景を眺めながら、首をこてんと傾けて不思議そうに呟いた。人間の村で失敗ばかりしていた時と同じ「またなんかやっちゃいました?」という表情だったが、内心では心臓がトクトクと跳ねていた。


「ありがとう」なんて、この能力を持ってから初めて言われたのだ。しかも、こんなに大勢に。


 本当ならその場でスキップをして、ゾンビたちとダンスを踊りたいくらいだった。けれどここで満面の笑みを浮かべるのはなんだか恥ずかしい。彼女は意外と、自分の感情をどう扱えばいいか分からない繊細な年頃の女の子だったのだ。


「もう……みんな大げさなんだから!」


 ベルガモットはわざとぶっきらぼうに言い放ち、指先についた年代物の埃を払うふりをした。


 セバスチャンはそんな彼女の様子を眺めながらホッコリと微笑んでいた。彼は人間として天寿を全うし、死者となってからも数百年を過ごしてきた、いわば人生と死生の大ベテランである。

 わずか十八年しか生きていない少女が、喜びを隠そうとして必死に尖らせている口元のいじらしさなんて、すべてお見通しだった。


「おやおや。聖女様、そんなに怒らないでください。我々にとっては、その指先が動くたびに歴史の歯車が回っているようなものですからな」


 それからというもの、森の奥の古民家は死者たちの間で奇跡の店として知れ渡るようになった。メニューはどれも、人間の村なら衛兵が飛んでくるようなものばかり。

 鼻に抜ける数百年分の埃の香りがたまらないヴィンテージ紅茶。ベルガモットが表面を撫でるだけで、一瞬にして完璧な青カビの宇宙が広がるブルーチーズ。


「聖女様、今日の骨灰煮出しスープも、アクが凝固していて最高です!」


「こちらのカサカサのドクロビスケットも、湿気が一切なくて素晴らしいわ!」


 店は大繁盛だった。照れ屋なベルガモットは相変わらず「そんなの、ずっと放置しておけばそのうちなるじゃない」と素っ気ない態度を崩さなかったが、差し出される代価──呪われたコインや、アンティークの装飾品──を受け取る指先は、以前よりもずっと生き生きとしていた。


 カボチャたちも、ゾンビのお客が連れてくるペットのスケルトンドッグとすっかり意気投合している。骨だけの犬がカボチャの周りをパタパタと走り回り、カボチャはそれを見て楽しそうにヘタを振る。


 かつて人間の村で、パパやママの瑞々しい菜園の隣で肩身の狭い思いをしていた彼女は、もうどこにもいない。涙が地面を黒く汚すのを見て、「わたしは何もかも腐らせてしまう」と絶望したことも今は遠い昔のようだ。


「……まあ、悪い生活じゃないわね。パパ、ママ、わたしは元気でやっているわ」


 彼女が触れて、朽ちて、形を変えたその先にある、悍ましくも愛おしい終末の姿。それを奇跡と呼んで喜んでくれる死者たちに囲まれて、ベルガモットは初めて、自分の指先を心の底から好きになれた。

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― 新着の感想 ―
ダークファンタジーが( ノ^ω^)ノめっちゃ可愛く癖になる♡♡♡
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