星と屑
なお、この世界には一つ、暗黙の了解がある。
顔と名前を公にして活動する芸能人や、いわゆる“リアルの有名人”は電脳空間を利用していない。
理由は単純だ。
このSNSでは、フォロワー数やリアクトといった反応が、そのまま“力”として可視化される。
それは裏を返せば――炎上もまた、現実とは比較にならない破壊力を持つということだ。
過去に一度、素顔を公表した著名人がリンクレイヤーに参加し、たった一夜で人格・経歴・私生活のすべてを引き裂かれる事件があった。
炎上は電脳空間に留まらず、現実世界へと連鎖し、最終的にその人物は社会的に“存在できなくなった”。
それ以降、どの芸能事務所も、どの大手企業も、リンクレイヤーの使用を明確に禁じている。
ここは、安全な遊び場ではない。
仮面を被り、
名前を捨て、
それでもなお踏み込む覚悟を持った者だけが立つ場所だ。
リンクレイヤーを使う者たちは皆、
自らの危険を承知の上で、
承認と影響力という“結果”を求めている。
そして、その最前線で秩序を保つのが――正義たち、電脳グリッチ監理局である。
第三話(改稿)
星屑は、まだ“いい人”のつもりらしい
――配信ログ:◼︎◼︎年前/同時接続 38人
『え、あ、こんばんは……えっと、見つけてくれてありがとう! あなたの一番星、星見ミラです』
画質は荒く、アバターの動きもぎこちない。
今より少し幼い声。
『今日は……その、雑談とかしようと思って、えっと……』
コメント欄は静かだ。流れても数秒に一つ程度だが、どれも暖かい雰囲気に包まれている。
《大丈夫だよ》
《声聞けるだけで助かる》
『ありがとう……みんな優しいね』
ミラは、少し笑ってから、こう言った。
『登録者とか、数字とか、正直あんまり自信なくて』
一拍。
『でも、こうやって来てくれる人がいるなら、あたしが頑張る理由になる』
照れたように、誤魔化すように。
『だから……同接少なくても続けていくよ。いつか絶対、本当のキラキラ星になってみせるから』
◆
(ああもう、なんで今これを思い出すのよ……!)
ミラは奥歯を噛みしめた。
目の前には青白い電脳空間。
現在進行形で“観測”されているこの場所に、
過去の自分を無理やり引きずり出される感覚。
正義も、嫌な予感しかしなかった。
「……お膳立ては完璧だな」
原因は一つ。
見られている。
コメントは少ない。
炎上特有の罵声もない。
だが、閲覧数だけが異様な速度で伸びている。
「エゴサしてみたけど、裏の掲示板にあたしの事書かれてた」
「お前もエゴサとかするんだな?」
「当たり前でしょ。インフルエンサー舐めないでよね」
現代SNSで、最も質の悪い空気だ。
『最悪、もう二百万ビュー超えてるんだけど……』
ミラが吐き捨てるように言う。
「静観勢が一番多いな。コメントも荒れてないし、逆にタチが悪い」
暴言や罵詈雑言が目立つなら注目を集める理由になる。しかし、【星屑の王子】が用意したであろうこのフィールドには、独特の雰囲気が存在していた。
好奇と期待に満ち溢れ、ミラ達の登場を待ち望むものだ。
円形ステージの中央。そこに一人、清潔感のある白いスーツに身を包んだアバターが立っている。
過剰な演出はない。
紳士よろしく背筋を伸ばし、ハットで表情を隠した男の頭上には、例のアカウント名が浮かんでいた。
【星屑の王子】
フォロワー数は中堅。
だが引用、閲覧数――“話題性”だけが異様に強い。
(いつから準備していたかは知らないが、ここは既に、奴のペースと言うわけだな)
正義はミラを一瞥する。普段の勝気な表情は影を顰め、頭上の男に視線を結んでいた。
「来てくれてありがとう、ミラ」
穏やかな声。
敵意も無く、責める気も無く、という体裁らしい。
『ねえ、用件は?』
ミラは短く問う。
「怒らないでよ。今日は話がしたいだけなんだ」
白々しい言い回しだが、彼とミラの数回の会話で閲覧数は劇的に伸びた。
バーチャルアイドルとして名を馳せた星見ミラ。
そんな彼女が個人と接触するーーーー数字を引き上げる要因として、これ以上の話題性は無い。
もちろん普段は絶対に行わない行為だが、公の場に引き摺り出されようとも、ミラには星屑の王子を無視できない理由があった。
「覚えてる? 君のフォロワーがまだ百五十人くらいだった頃」
ミラの動きが、一瞬止まる。
「六月二十日の深夜の雑談配信。同接が少なくて、謝ってた日だね」
二人の頭上に過去ログが展開される。さっきミラの脳内でフラッシュバックした配信だ。
「“数字より、ちゃんと見てくれる人がいればいい”。君はそう言ってたよね」
閲覧数が、静かに跳ねる。
「だから応援した」
「拡散もした」
「切り抜きも作った」
「炎上しそうな時は、黙って荒らしの通報もした」
ミラは沈黙を続ける。
「全部、君のためだった」
空気が、重くなる。
「でもさ」
星屑の王子は、困ったように微笑んだ。
「最近の君は……変わった」
過去と現在の発言ログ。
文章には赤線、比較、切り取りが羅列され、星屑の王子の声も震えを増した。
「炎上しても“仕方ない”で済ませる。アンチを“話題性”で処理する。今の君は、あの頃とは全然違う人間になってしまった」
そして――視線は正義へ向けられた。
「管理者となり、立場が代わり、君は遠くへ行ってしまった」
『……違う』
「違わない、事実だ」
穏やかな断定。
「僕は君を叩きたいわけじゃない。あの頃の心を取り戻して欲しいんだ」
胸に手を当てる。
「投稿のコメントにだって一つ一つ応えてたよね? 切り抜きだって引用してくれた。でも今の君は全てが当たり前になってしまった。もう僕達、ファンの気持ちは届いていない」
『……違う』
「君は……文字通り、僕達には手の届かない、星のような存在になったんだ」
閲覧数が跳ね上がる。
コメントはない。
だが“納得した気配”がある。まさに同調圧力と呼ぶに相応しい。
「ねえ、話を聞いて」
「いいや、もうその段階じゃない」
一瞬、星屑の王子の表情が揺れる。
「僕は決めたんだ。君という輝きを失った星はーーーー壊すしかないとね!!」
「な、なんだ?」
正義は足元の揺れを察知し、星屑の王子を見上げる。身体を包む白いスーツは黒く染まり始め、怪しげな影を滲ませて膝をついた。
「僕が星を砕いて……また一からピカピカにするんだ」
「おいミラ、なんかアイツやばいぞ!」
「…………」
「ミラ! ちッ……しょうがねぇ!」
言葉を失うミラを置いて、正義は勢いよく地を蹴った。
空中で星屑の王子を捉えると、落下の勢いを乗せて拳を振り下ろす。
「悪く思うなよ!」
ゴウ!
烈風が巻き起こり、正義の拳には確かな感触が有った。
やったか? ーーーーと拳を緩めた刹那、激しい衝撃が正義を襲った。
「がはッ!?」
「正義!」
ミラは我に返ると、吹き飛ばされた正義に駆け寄る。
「……いってえな。相変わらず、電脳世界なのに痛みがあるの意味分からねえ」
体勢を立て直す。
しかし、二人の目の前には星屑の王子の姿は無かった。
代わりに、全身を溶解させたような泥の塊が、不規則な震えを帯びて蠢いている。
「なッ……」
「これ、もしかして……星屑の、王子?」
「み……ラ、ミラ……あああああああ!!」
異形と化した男の雄叫びと共に、サーバーの閲覧数は急速に跳ね上がった。




