正論は正しくも強くない
遥か遠くまで広がる、青白い電脳空間。
地平線の概念は曖昧で、代わりに数値と文字列が空気のように漂っている。
断続的に鳴り響く通知音。その中心に、ひときわ悪趣味な存在がそびえ立っていた。
滑稽なほど丸い胴体。
熊のぬいぐるみを思わせるフォルムに、不釣り合いなほど筋骨隆々の手足。
歪に肥大した承認欲求が、そのまま形になったような怪物。
【暗黒茶菓子】
頭上に浮かぶアカウント名。
その下には【フォロワー:4,982】【フォロー:248】という数値が踊っている。
「……随分と趣味の悪いアバターだな」
そこに対峙する男が一人。
黒を基調とした簡素な装備。派手さはない。
だが、その頭上に浮かぶ名前は、この空間ではそれなりに知られていた。
【鉄拳の正義】
電脳グリッチ監理局所属。現場担当。
「えー、こちら電脳監理局。警告だ」
正義は、場違いなほど巨大なメガホン型インターフェースを持ち上げる。
声量はあるが感情は乗っていない。義務感と虚無を織り交ぜた、そんな声だ。
「虚偽情報の拡散、集団扇動、人格攻撃。全部アウトだ。今すぐ行為を停止して、自主的にアカウントを凍結しろ」
暗黒茶菓子は、腹の底から嗤った。
「これはこれは、お勤めご苦労様ですぅ。へへ……税金で飯食ってる連中は、口だけ立派だなぁ?」
「俺は自分の仕事をしているだけだ。お前が大人しく凍結されれば、すぐ終わる」
「せっかくフォロワー増やしたのに、凍結する訳ねぇだろ?」
暗黒茶菓子が腕を振り上げる。
「おい、お前ら! 祭りの時間だぜぇ!」
その瞬間――
周囲の空間から、無数の“言葉”が湧き上がった。
『待ってました』
『正義気取りうぜえ』
『帰れ税金泥棒』
『炎上しろ』
コメント、拡散、引用。
可視化された悪意が質量を持ち、岩石のように鉄拳へと降り注ぐ。
「ちッ……」
鉄拳は身を翻し、紙一重で躱していく。
これでは攻撃に転じる隙がない。
(この空間じゃ、フォロワー数がそのまま戦力だ)
暗黒茶菓子、約五千。
正義は――千五百。
(正面から殴り合うには、分が悪い)
「どうしたぁ!? 正義の鉄拳さんよぉ!!」
巨体が踏み込む。
数値が跳ね上がる。コメントと引用が連鎖し、暗黒茶菓子の身体がさらに肥大する。
――その時だった。
【引用:発生】
鉄拳の視界の端が、強制的に引き裂かれる。
《ねえねえみんな。鉄拳ってば、あたしの応援がないと頑張れないらしいよ?》
甲高く、楽しげな声が電脳空間に響いた。
「……来たか」
正義は小さく舌打ちする。
空間上空に、もう一つの巨大なアバターが投影される。
ネオンカラーの衣装。過剰なエフェクト。
そして、桁違いの数値。
【星見ミラ/フォロワー:3,502,492】
現実世界でもトップクラスの人気を誇るVアイドル。
「……遅いぞ、何やってた」
《はあ? 逆ギレとかまじウザイ。コッチはあんたと違って忙しいのよ。おほんーーではみんな、準備はいい??》
彼女の言葉と同時に、無数のフォロワーが正義の背後に集束する。
光の拳となり、彼のアバターに重なる。
【引用効果:ブースドーー充填完了】
第三者、圧倒的なインフルエンサーの引用による一時的強化。
世間的には“ズル”だが、規約上は問題ない。
「チッ……女の後ろに隠れるのかよ!!」
暗黒茶菓子が吠える。
《は? 何それ。ムカついたんで、あたしの代わりにゲンコツ喰らわせなさい鉄拳》
ミラは笑う。
同時に、数値が弾けた。
暗黒茶菓子の周囲に集まっていた悪意が、制御を失う。
『通報しますた』
『ミラちゃんは俺の嫁』
『お疲れ様wwwwww』
虚偽通報、過剰扇動、規約違反――ログが一斉に可視化された。
「な……なんだお前ら、やめろ、邪魔するなぁ!!」
「――凍結処理、開始」
鉄拳が拳を握る。
そして一閃、拳撃が巨体を貫いた。
【ACCOUNT FREEZE】
暗黒茶菓子の肉体は崩れ落ち、光の粒子となって霧散した。
静寂。
数秒後、正義の視界に通知が溢れ始める。
『やりすぎ?』
『言論弾圧きもちええー』
『力こそ正義ってやつ?』
……案の定だ。
(正しいことをしても、面白くなきゃ目障り……か)
鉄拳は通知を切り、ミラとの個人メッセージを開く。
「俺は離脱する……野次馬の相手は任せたぞ」
『はぁ? 手伝ってあげたのにそれだけ?? ありがとうございましたは? あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た』
「……助かったよ、また頼む」
『分かればよろしい♪ じゃあまたあとでねー』
「……ああ」
◆
現実世界。
正義の鉄拳、改め【飯島正義】は項垂れたまま、出勤ゲートをくぐった。
「……お、おはよう、ございます」
デスクから小さく挨拶が投げられる。
分厚い眼鏡に重い前髪、ボサボサのロングヘアーの女性、【三ヶ島星羅】がぎこちない笑顔を作っていた。
「おはよう」
「お、おおおはようございまひゅ!」
「……あれから首尾はどうだ?」
「えっと、順調……ですね。暗黒茶菓子のアカウントも無事に凍結できました」
「そりゃ良かった」
「あの……飯島さん、コーヒー飲みます?」
「頼む」
ぱたぱたと逃げるように去っていく後ろ姿を見て、正義は慌ただしい一日の始まりを実感した。
ここは、電脳グリッチ監理局。
システムの“不具合”――グリッチとなった人間を監視し、是正する組織。
正義は、その最前線に立つ管理者の一人だ。
だがこの世界では、
正しさは力にならない。
面白い者が強く、
愚直なだけの正義は、燃やされる。
彼は今日もまた、次の炎上通知を開いた。




