翡翠さん、ヒトラー兄妹とともにオリエントエクスプレスでウィーンへ向かう
パリからウィーンへオリエントエクスプレス、乗っているのはみなお金持ち。さぞ気持ちが良いでしょうね。日本人で乗った人もいるのかな。でも自分がその立場になったら、いくらお金を持っていても東洋人でビジュアルが目立つから居心地が悪いことがあるかも。社交室というワゴンも付いているのですが、話の輪に入っていける自信がない。
「いや、ホントだよ、翡翠、人は見かけによらないの代表だよ。」
「うむ、あのビジュアルであの働き。ギャップに萌える。」
「ズルいな。私なんか見かけがパーフェクトだからパーフェクトな活躍をしても誰も褒めてくれない。」
「おまえのはパーフェクトな活躍ではなくて人外パワーのごり押しだ。神だから不老不死なんだろ?ドラゴンのブレスを浴びても、迫撃砲で撃たれても無傷なんだろ?そんなもん、誰も興味がねえわ。」
「傷つけば良いのか?なあ、傷ついて血を流せば喜んでもらえるのか?」
「おい、また変なことを考えているんじゃあるまいな?」
「どやっ!」
「どやって、おまえそれ全部返り血じゃないか。1滴も血を流していませんよね。ていうか血も涙もありませんよね。だって女神だから。そして、何、その絵の中のドヤ顔。ほれ、血だぞ、どうだ、血だぞ、って。血液提供者の魔物がかわいそうだわ。」
「だってしょうがないだろ。女神なんだから体液的なものは持ち合わせていないクリーンな身体だ。滅菌仕様で安心安全。穢れを知らぬ万年乙女。赤ちゃんが舐めても大丈夫だよ。」
「うるせえ、滅菌マネキン女!有機体でないなら味もへったくれもないわ。作者特権でこうしてくれる!」
「ム~~ンンン!」
「ふっふっふ、減らず口もたたけまい。」
「(モドセ!コノバチアタリガ!モドサヌナラコノママココロノナカニアツヲカケツヅケテヤル!)」
「ちっ!」
「ふう、女神像になんかしやがって。まるで死者の石像ではないか。」
「ギリシャの神々はみんな大理石像だろ。神話となって人間の物語の中で生きている。」
「私は生きて動いて試練を課す現役女神だ。いっしょにするな!」
「現役女神...なんだかイヤらしい響きだ。どれ、イメージクリエーターにこの概念を描かせてみるか。ほれ、ポン!」
「はーっはっはっは、何このムキムキ女!おまえのビジュアル、これからこれに変えようか?」
「やめてくれ!かわいげの欠片もないわ!ますます翡翠との差が開く。」
「現役女神なんて生々しい言葉を繰り出すからだよ。翡翠と競う合おうなんて思わずにおとなしく女神ポジションに満足してろ。ダ女神。」
「アー、その言葉使うな。アクアより1000倍マシだわ。」
「だがアクアより1000分の1しか人気がない。なにせあっちのビジュアルはアイドル系だからな。中の人も人気声優だし。」
「...に見てろ...」
「は?」
「今に見てろ!必ずギャフンと言わせてやる!」
「はっはっっは、そんな意気込みすんなよ。今すぐ言ってやるよ。ギャフン!ギャフ~ン!」
オリエントエクスプレスはパリ東駅を出発して終着駅はイスタンブールである。途中駅は路線によっていろいろだが、たいていミュンヘンやウィーンやブダペストには停車する。パリを夕方に出発して、ウィーンは翌日の夕方、ほぼ24時間の旅となる。パウラは興奮が隠しきれない。
「楽しみだわ。ウィーンに行くのも楽しみだけど、オリエントエクスプレス、一度乗ってみたかったんです。」
「晩ご飯を食べて、ゆっくりベッドで眠ったら、もうミュンヘンあたりに着いていますよ。ウィーンへは夕方に着くでしょう。
「一流ホテル並みのホスピタリティなんでしょ?」
「はい、運賃もとても高いので、富裕層向けのサービスです。一等個室寝台しかないんですよ。」
「夢のようだわ。ウィーンのデザイナー仲間に話したらさぞかし羨ましがられるでしょう。」
「そこの売店でパリのお菓子をお土産に買って持って行くと喜ばれますよ。」
「そうですね、見繕ってきます。ついでに車内で食べる分も買ってこよう。」
パウラがその場を離れると、翡翠たちに話しかける声がした。
「おお、ブルジョワはオリエントエクスプレスでご旅行かい?たいしたお大尽だな。」
「あら、トリスタン・ツァラさん、あなたもご旅行なのですか?」
「ああ、貧乏だからこんな豪華な列車には乗れないので、硬い座席に座ってブカレストへ向かう。」
「たしかツァラさんはルーマニア出身でしたね。」
「ああ、ユダヤ系ルーマニア人という二重の烙印を押された身の上さ。あがいてもどうにもならないな。」
「ブカレストへはお仕事で?」
「ふん、革命の準備だ。ダダイスムのような芸術の革命ではないぞ。血が流れ硝煙が漂う革命だ。おまえらブルジョワの贅沢三昧ももうすぐ終わるだろうな。」
「それは穏やかではありませんね。」
「パリにもたくさんの仲間がいる。ロシア帝国を倒した共産主義革命が全ヨーロッパに広がる。」
「あら、そうなったら困ってしまいます。」
「止められないぞ。下部構造が上部構造を規定するんだ。数において圧倒的に多く、生産を担っている労働者階級が団結すれば....」
「そう簡単に一致団結しないと思いますよ。それぞれが自分と家族の小さな幸せのために働いているのが実情でしょうから。」
「そのための意識改革だ。そのためのオルガニザシオンだ。ヨーロッパ中で仲間が着々と準備を進めている。まあ、せいぜい首を洗って待っているんだな。」
「わかりました。首だけでなく身体全部をきれいに洗っておきますね。」
「お、おう、そうしてくれ。ところで、これから列車に乗るのだが、ブカレストに着くのは明後日だ。車内で空腹を満たすために駅で食べ物を買っておきたい。300フラン、カンパしてくれ。」
「はい、どうぞ。300フランなんて中途半端な金額ではなくて500フランどうぞ。私は日本生まれのですが、日本では“腹が減っては戦はできぬ”と言います。たくさんご飯を食べて頑張ってくださいね。」
「す、すまないな。同志的連帯に感謝する。」
ツァラは鼻息荒くその場を立ち去って売店に駆け込んだ。それと入れ替わりにパウラがお菓子の包みをたくさん持って戻ってきた。
「あら、誰かお知り合いの方?」
「前衛芸術家のトリスタン・ツァラさんです。アンドレ・ブルトンさんと前衛芸術の方向性をめぐって論争になり、勝ち負けの問題ではありませんが、前衛芸術家の中心の座から降りたようです。」
「そういえば、ブルトン氏もウィーンへ行く予定ですよね。」ヒトラーが口を開いた。
「はい、ご多忙で、3日後に現地で合流する予定です。」
「そうですか。ではそれまで故郷をしっかり味わうことにしましょう。」
オリエントエクスプレスの食堂車は一流ホテルのレストランに匹敵するほど豪華に設えられていた。パウラはここでも興奮を隠しきれない。
「こんな美味しいディナー、パリやジュネーブでも食べたことがありません。」
「贅沢は極力避けてきたからね。まだ修行中の画家だと思っていたので。」
「いえ、十分に贅沢な暮らしだとは思っていたけど、お金持ちってこんな美味しいものを食べているのね。私も自分の力でお金を稼げるようになったら、お兄さんや翡翠さんを招待したいわ。」
「はっはっは、そのときを楽しみにしているよ。」
ヨーロッパには共産主義革命の脈動が動き始めます。第2コミンテルンだっけかな。調べないで書いているので間違っていたらごめんなさい。ツァラとレーニンは、チューリッヒで近所に住んでいたようですが、付き合いがあったという記録は残っていません。