翡翠さん、第1次大戦後のパリでヒトラーに芸術界の状況を訊く
1920年だのパリといえば何と言ってもシュルレアリスムですね。ヒトラー氏は上手に立ち回っているようです。
「なあ青水、ダダイストは煮詰まってるんじゃね?」
「パフォーマンスアートだと思えば一定の意味はあるだろうが、ミュージアム向けではないというか、展示したらそれは歴史提示物になるな。」
「妹のヌードを描くってどんな感じだろうな?」
「愛しさが募る...かどうかわからん。状況を想像できない。」
「私のヌードを描かせてやろうか?」
「マネキンにはエロスがない。」
「だからマネキンではなくて理想美だと何度言えば。」
「ジョルジョ・デ・キリコに描いてもらえよ。良い感じになると思うぞ。」
「良し、私の超絶時空転移術で描いてもらってみるか。」
「どうだ?」
「はーっはっはっは!現代日本のチープな意味での“シュール”だな、これは。」
「顔がゲロブスになったのだが。」
「目鼻口があるだけマシだ。キリコの人物はのっぺらぼうだからな。」
「エロスはないのか?」
「足が地面に埋まっているあたりにそこはかとなく。」
「顔がブスなだけではなくて作り物っぽいんだが。」
「うん、たぶんお面だな。キリコはのっぺらぼうが基本だから、それは無理矢理付けたお面だ。左手で顎のところから外そうとしているじゃないか。」
「キリコのサインがあるから価値はあるな。」
「オークションに出したらお縄になるからな。」
第1次世界大戦が終結した。史上初の世界大戦、そして機械文明の圧倒的な発達による武器の殺傷力向上により戦死者の数は1000万人を軽く超え、戦場は地獄絵図となった。戦争終結前に多くの国で革命が起こり、多くの帝国が崩壊した。終戦は新たな激動の時代をもたらした。ヒトラーは、翡翠のすすめでレマン湖畔の生活を畳み、再びパリへ戻った。1920年代のパリをやり過ごすわけにはいかない。この時代の新しい息吹はパリで生まれる。
「ヒトラーさん、パリのご友人たちは無事だったのですか?」
「アポリネールは従軍して頭に重傷を負いました。長くは持たないでしょう。ピカソはスペイン人だったので徴兵はされず制作を続けました。彼の友人のブラックは徴兵され、アポリネールと同じように頭部に怪我を負って失明しかけましたが、療養後に製作を開始しています。キリコはイタリア軍に招集されましたが前線には送られずに病院勤務で無事でした。無事だった者たちも、心理的葛藤や不安を抱えているようです。」
「そうですか、あのアポリネールさんが...」
「シュルレアリスムという言葉を作った人でしたが、その概念が最近注目されています。チューリッヒのダダイストたちがパリへ移り住んで、新しい前衛芸術を模索しているのですが、そこで概念闘争が勃発したようなのです。」
「ああ、あの方々は闘争的ですからね。」
「あの夜にいたトリスタン・ツァラという詩人が、パリでダダイスムの中心人物となりました。多くの前衛芸術家を巻き込んで、反芸術として秩序の破壊を提案したのです。あの狂乱の夜に熱く語られたことです。文芸誌『リテラチュール』の中心人物として多くの支持者を集めました。しかし、その主張には限界がありました。否定と破壊ですから先が見えません。」
「そこで新しい提案が生まれたのですね?」
「はい、アンドレ・ブルトンという精神科医が無意識に着目して理性や論理の彼方にある超現実の探求を提唱したのです。その結果、パリのダダイスムは二つに分裂し、ブルトンは“シュルレアリスム宣言”を発表して、無意識と芸術が通底していることに着目すべきだとしたのです。」
「なるほど、無意識ですか。ヒトラーさんの故郷、オーストリアの精神分析家ジークムント・フロイトの研究対象ですね。」
「はい、ブルトンは元々精神科医なので、当然のようにそこへ行きついたのでしょう。」
「ヒトラーさんはブルトン氏とはもう知り合いなのですか?」
「はい、ダダのイベントに何度か参加したおりに紹介されました。」
「ケータリングで大盤振る舞いした元は取れましたね。」
「はい、芸術家にとって人脈は大切ですから、大盤振る舞いのケータリングぐらいいつでも応じるつもりです。」
「食えない芸術家にお腹いっぱい飲み食いしてもらって、好きなだけ暴言を吐いてもらう。それはこの業界にとって非常に価値あることです。」
「はい、落ち着いて聴いていればたくさんのことを学べますから。」
「あ、そうだ、良いことを思いつきました。ヒトラーさん、久しぶりにオーストリアへ行きませんか?」
「はい、なぜでしょう?」
「ブルトンさんをフロイト博士に引き合わせるのです。きっと喜ばれますよ。」
「ああ、確かに。それは良いアイディアかもしれません。でも私はフロイト博士の知己を得ていません。」
「そこはお任せください。ロスチャイルド財団にはコネがあります。」
「ロスチャイルド財団だったのですか、今までお世話になってきたアメリカの財団というのは?」
「ああ、初めてその名前を明かしましたね。そうです、フランクフルトのロートシルト家が本家で、そこからロンドン、パリ、ナポリと分家を広げて金融ネットワークを構築したロスチャイルド・グループが作った財団です。」
「そのロスチャイルド財団がなぜフロイト博士と結びつくのですか?」
「ユダヤ・コネクションですね。フロイト博士はユダヤ人ですから。」
「なるほど、腑に落ちました。そういうことならぜひブルトン氏をお連れしましょう。実は彼の詩集の挿絵と表紙絵を描く話が持ち上がっているのです。」
「まあ、そういうことならなおさらですね。ウィーンは遠いですが、戦争が終わってオリエンタルエクスプレスも再開していますから、快適な旅ができますよ。せっかくなので妹さんも誘ってあげてください。かつてウィーンでデザイン修行をしていたお店に顔を出すと何か発見があるかもしれません。」
「はい、妹もきっと大喜びするでしょう。何と言っても母国ですからね。」
「ただ注意してください。ヒトラーさんはもう国際的な画家として有名人です。ユダヤマネーでパリへ留学し、戦争を忌避してスイスへ逃げた男として憎しみを抱く人間もいないとは限りません。暴行事件が起こらないように私が警護を務めます。実は私、こう見えても荒事も得意なんですよ。」
「そうなんですか?驚きです。人は見かけによらないものですね。」
オリエントエクスプレスでパリからウィーンへ。最高すぎますね。今はもうサービスが中止されていますけれど、そのうち超富裕層向けに復活するかもしれません。個室寝台一泊二日で70万円とか。うらやまけしからん。