翡翠さん、ロールスロイスでヒトラーをチューリヒに連れて行く
財団から翡翠さんが一時金を受け取るとき、現代の米ドルのレートで考えてしまったので、第1次大戦時に換算するととんでもない天文学的な金額になっていることに気づきました。気付いたのではなくて、冒頭の青水がAIに尋ねた結果判明したのですが。まあ、起こったことは仕方がない。ロールスロイスでも別荘でも好き放題買える富裕巫女の誕生です。
「青水よ、スイスでドライブだってよ。翡翠、調子に乗ってないか?」
「まあ良いじゃないか。大西洋を股にかける敏腕エージェントの仕事をしてるんだ。少しくらい格好つけてもバチは当たらん。」
「だってあいつ、元々は巫女だぞ。巫女にドライブって....」
「そういえば巫女だったな。このごろしばらく巫女服を着ていないし、御幣も取り出さないので忘れていた。」
「第1次世界大戦のころの自家用車ってどのくらい贅沢なんだ?」
「さすがにそれはAIに訊かないとわからないな。最近は反省して言葉遣いがまともになったソフ子に訊いてみるか。どれどれ......いただきました。まず戦時体制のフランスでは民間の自動車は軍に徴集されて民間での使用は不可能。スイスでは金さえ出せば買えた。1万スイスフランくらいで中級車。労働者の平均年収は1500~2000スイスフランだから5~10年分だな。今の日本に換算すると、5000万円~1億円くらい。不動産並みだ。翡翠は財団から10万ドルをもらったから、50万スイスフランを超える。余裕で自動車が買えてしまう。」
「ロールスロイスが買えるじゃないか。」
「買えるね。スーパー巫女だね。」
「くそー、私こそスーパー女神なのに。良し、次こそ翡翠の代わりに私が出撃して大活躍を...」
「やめれ!読者のブーイングが聞こえるわ。」
「さあ着きましたよ、ヒトラーさん。ここがスイス第一の都市チューリヒです。産業と金融の中心ですね。」
裕福な町ではあるが、新車のロールスロイスから降り立った2人を見て多くの人が立ち止まった。ガヤガヤと言葉を交わしている。
「ちょっと待ってくださいね。さすがにこんな高級品をここに放置するわけにはいきません。ガードを配備します。」
翡翠はヒトラーから離れた場所で軽武装した分身壱を召喚した。
「はい、車の見張りは彼女に任せて、目的地へ急ぎましょう。シュピーゲルガッセのキャバレー・ヴォルテールです。」
「こんばんは、エミーさんはいますか?ジェイディです。お友だちの画家を連れてやってきました。」
「おお、ジェイディか。来てくれたんだね。入ってくれ。友だちを紹介するよ。私のパートナーのフーゴー・バルだ。その隣がトリスタン・ツァラ。どちらも詩人だ。」
「初めまして。アドルフ・ヒトラー、画家をやっています。」
「ふん、君のことは知っているよ。最初のころはアポリネールを介してピカソやブラックに近づいたそうじゃないか。そのあと独自のスタイルを求めて苦吟し、デコンステラシオンという様式にたどり着いた。一見すると前衛的抽象画だが、洗練されていてリビングルームにもフィットするということで、ニューヨークの俗物たちに大人気。ずいぶんと儲かったそうだね。」
「思いも寄らなかった成り行きに過ぎません。」
「ふん、どうだかね。まあ、絵画は売れるに超したことはない。買ってもらえなければ絵描きは飢えて死ぬしかないのだから。」
「はい、ありがたいことです。」
「ただ、君は不安にならないのか?売れるということは凡俗の趣味に適合したということだ。阿呆に理解されたということでもある。」
「いえ、こちらから適合しようという意図はありませんので、すべては偶然の結果です。」
「まあ何とでも言えるだろう。どうだい、富裕層のヒトラーくん、腹ぺこの赤貧芸術家のわれわれに高級レストランからのケータリングとシャンパンと赤白ワイン、さらにコニャックを驕ってくれないか?」
「新しい芸術の潮流に触れることができたお礼なのでよろこんで。」
「よし、そうこなくちゃな。」
「ダダイズムの詩とはどんなものなのです?」
「もはや芸術であることを拒否した詩だ。秩序や常識、さらには文法や統語法、正書法も破壊して、没入の心地よさを徹底的に拒否する。」
「だとすると、知らない外国語のように聞こえるというわけですか?」
「そうだ。アルファベットのつながりが恣意的に歪められ、あり得ない言葉に変形される。それがダダだ。」
翡翠がそこで袋を取りだして言った。
「ちょっとよろしいですか?ここにアルファベットの積み木が100個ぐらい入っています。これをシャッフルして、無造作に一握り取りだして並べる。すると一見すると言葉のような塊ができますが、言葉ではない。読もうとしても読めないものもある。このようにして文字を取りだして並べたものをダダイスムの詩と呼んでも良いのでしょうか?」
「ふん、ブルジョワの浅知恵が思いつきそうな反論だな。主観の思考を通さない文字の羅列が詩になるわけがないだろう。私はこれしかないという必然に従って文字を選び結合している。同じはずがない。」
「失礼いたしました。確かに浅知恵でしたね。詩は理解しましたが、ダダイスムの絵画はどのようなものなのでしょう?」
「絵画の概念を根底から覆す。紙片を振りまいて落ちた形を作品とするとか。」
「それってさっきのアルファベットのシャッフル作戦と似ていませんか?」
「うるさい!どうやるかではなく誰がやるかが大事なんだよ!便器にサインしただけで作品にしたやつもいたな。」
「つまり誰が一番最初に誰もやらなかったことをやれば良いと?」
「まあそうだ。」
「美はもう邪魔なのですね?」
「当然だ。この戦争の現実を前にして美は欺瞞だ。」
ヒトラーは黙って聞いていた。反論しても仕方がないと瞬時に理解した。レマン湖の畔で静かに絵を描く生活をしていたら、無駄な論争に口を突っ込む気力が失せてしまった。これが金持ち喧嘩せずという境地なのだろうか。冷笑的な笑顔にならないように極力気をつけながら、ヒトラーはミネラルウォーターでダダイストたちの饗宴に付き合った。これは前衛芸術の過渡期に過ぎないのかもしれない。この混沌の先にまた新しい局面が開かれると信じよう。戦争の狂気が過ぎ去れば、人々はまた冷静になるだろう。
ダダイスムから第1次世界大戦後にシュルレアリスムが分出するのですが、ヒトラーはどう動くのでしょう。