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翡翠さん、ニューヨークへ行ったり、スイスへ行くことになったり

お久しぶりです。お久しぶり過ぎるかもしれません。アンデパンダン展への出展からの話になります。

「青水よ、ちっとも新規投稿をしないではないか。」


「ちょっと本業が忙しくなってね。」


「忙中閑ありというではないか。隙間時間というものがあるだろ。」


「うん、だから書くよ、これから。まあ、待ってる読者もあまりいないだろうけど。」


「ストーリーの行き詰まりに悩んでいるのか?」


「いや、ロードマップはもうできている。」


「しかし、ナチズムの創始者になるはずだった男がそういった思想にまるで目もくれないなんてことになるものなのか?」


「まだ画家になろうと模索していたころだったから、憧れの画家になれば芸術家の苦悩との格闘で手一杯になる。美術や文学や音楽なんてものは、平和な環境でしか活動し得ないものだ。銃弾が飛び交う中で創作活動なんてできないだろ。」


「まあ、たしかに。」


「そろそろ欧州も戦場になるな。」


「気苦労が絶えないな、20世紀前半は。」


「戦火が近づく淀んだ空気の中で、なぜか新しい芸術が芽吹く。不思議だな。」


「死ぬ前に子種を残したいと性愛が盛んになるようなものか。」


「言い得て妙かもしれない。第1次世界大戦前夜のベルエポック、第2次世界大戦前夜のヴァイマル共和国、芸術の花が咲いた。」







 アンデパンダン展の出展締め切りが近づいたころ、翡翠はヒトラーの自宅を訪ねた。


「ヒトラーさん、展覧会に出す絵はもうできましたか?」


「はい、星空を見て着想を得ました。星座を星々に解体して見るのです。星座は星々を集めてまとめたもの、Constellation です。そのまとまりをはずしてみると個々の星々に戻ります。それぞれに個別の色彩と陰影を与えると、まとまりが作り上げていた具象がいったん崩れますが、観察者の想像力はそこに何らかのまとまりを作り上げようとします。抽象の先に浮かび上がる空想です。私はこれをデコンステラシオン(deconstellation)と名付けました。」


「見せていただいてもよろしいですか?」


「はい、これです。」


挿絵(By みてみん)


「なかなか前衛的ですね。」


「母が満足そうな顔で息を引き取ったので、死後の安寧を考えました。」


「アンデパンダン展はこれで勝負をかけるのですね?」


「はい、他者の評価がどうなるのかとても興味があります。」


「いままでのどの様式にも類似のものがないので、興味は持ってもらえるでしょう。この絵の良い点は、前衛的ではあるものの、インテリアとしての装飾性も高いことです。ふつうにリビングに飾っても違和感はありません。住人の美的センスとインテリジェンスのアピールになります。入賞しなくても、画廊に置いてもらえれば、買い手は現れますよ。」


「この5年間、芸術のことだけを考えて生きてきました。そんな生活を送ることができたのもあなたの財団のおかげです。」


「財団はあなたが結果を出してくれるのを待っているのです。画家として一人前になったら、財団のために作品を提供してください。財団にとっては、単なる慈善的支援ではなくて投資なのですから。」


「精進します。投資が成功するように誠心誠意努めます。」




 アンデパンダン展でヒトラーの絵は審査員特別賞を得た。荒削りだが、絵画の新しい可能性を開くものだと評価された。いくつかの画廊から声がかかり、作品を置いてもらえることになった。翡翠が言ったように、前衛絵画ではあるがインテリアのまとまりを破壊するものではなく、住人のセンスを感じさせる装飾性を発揮するので商業絵画として人気が出た。ヒトラーは画家として十分食べていけるランクに到達したのである。翡翠の求めに応じて、ヒトラーはアメリカの財団に送る大作を描き上げた。それを持って翡翠はニューヨークへ飛んだ。ロスチャイルド財団ニューヨーク支部で芸術家支援事業の成果を報告するためである。



「支援対象のヒトラー氏ですが、パリでアンデパンダン展の審査員特別賞をもらい、複数の画廊から声もかかりました。こちらが彼の最新作で、財団への贈呈品です。」


「おお、これは前衛的であるのに激しい刺激や挑発を感じさせない作品ですね。アメリカの家庭のインテリアにも馴染みそうです。」


「はい、彼の作品は前衛的であるにもかかわらず、自己主張が強すぎて環境を壊す類いの絵ではないのが特徴です。しかしその中で、現実の再構築が表現されているのが特徴です。星座の解体と再構成、彼はそれをデコンステラシオンと呼んでいます。」


「ニューヨークの画廊にも置いてみましょう。彼にお伝えください。おそらく彼が想像するよりずっと高い値が付くと思いますよ。」



 ヒトラーの画家生活が順調に軌道に乗ったころ、バルカン半島に火種がくすぶり始めた。このまま第1次大戦をパリで迎えると、ヒトラーの生活は一変してしまう。翡翠はヒトラーの自宅を訪ねた。


「ヒトラーさん、多くは語ることができませんが、パリを離れなければなりません。」


「どこへ行くのですか?」


「スイスです。スイスの自然に触れて、新たな絵のヒントを見つけてください。」


「このままパリにいるとどうなるのです?」


「あなたがオーストリア人であるという現実が突きつけられます。それ以上のことは言えませんが、ともかくスイスへ行きましょう。ここで築き上げたパリとの関係を考えれば、行き先はジュネーブということになるでしょう。でもあなたはドイツ語もできる、いえ元々はドイツ語が母語なので、バーゼルやチューリッヒという選択肢もあります。」


「ひょっとして戦争でも始まるのですか?」


「予言者ではないので、その可能性が高いとしか言えません。」


「もしオーストリアが参戦すると、私は徴兵されることになります。」


「このままパリに留まれば敵性国民として拘束、オーストリアに帰れば徴兵されて戦地へ送られる。どちらもあまり歓迎すべき事態ではありません。絵筆を握ることができなくなるからです。」


「たしかにそうですが、義務を果たさずに逃げ出した男として糾弾されないでしょうか?」


「あなたには芸術家の責務があるのです。絵を描き続けなければならないのです。」


「わかりました。スイスへ参りましょう。妹も呼び寄せたい。」


「ならばバーゼルが良いでしょう。ドイツ語地区で、ジュネーブにも近い。」


「震源はバルカン半島ですね?」


「なぜそう思われました?」


「これでもオーストリア人ですからね、ハプスブルク家の二重帝国とセルビアの民族問題に火種があるくらいのことは存じております。」


「火種が燃えるだけで済むなら良いのですが、ヨーロッパ各国は条約の網の目で危ない綱渡りをしなければなりません。それが導火線となってあちこちで火がおこります。」


スイスへ行くのです。戦争を逃れてたくさんの芸術家がスイスへやってくるのです。

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