翡翠さん、母の葬儀を終えたヒトラーと現代芸術の使命について語り合う
ヒトラー、ハハキトクで故郷に帰ります。
「青水よ、ヒトラーは無事に画家への道を歩み始めたようだな。」
「アポリネールにピカソを紹介してもらったのが良かった。無名時代のピカソが洗濯船という安下宿で描いていた絵が将来は1枚何億円にもなるというのだから、ベルエポックのパリには夢があるね。」
「ベルエポックって何だ?」
「そのままの意味だよ。美しい時代、世紀末から第1次大戦までの時期だ。」
「パリはイケイケだったんだな。万博もやったしエッフェル塔も建った。ガス灯に代わって電灯も町を明るく照らし、光の都 と呼ばれるようになった。電飾広告が考案されたのもこのころだ。まさに大都市。カフェも夜までやっているし、ムーラン・ルージュのような華やかなキャバレーもある。そりゃオーストリアでくすぶっていたときと気持ちも思想も変わってくるな。」
「翡翠もそういえば初登場はこの時代だった。ヴァンパイアクイーンでな。場所はパリではなくてロンドンだったが。」
「翡翠のビジュアルはどうやってできたんだ?」
「ジェミニが“かわいい巫女さん、写実”というシンプルなプロンプトで奇跡の一枚を描いてくれた。」
「では私のビジュアルは?」
「Soraが“ニヘラニヘラ笑う女神”で描いてくれた。これまた奇跡の一枚だ。」
「なんで”崇高な威厳をたたえた美しい女神“にしなかったんだ?」
「だって『巫女とサキュバスと異世界と、そして人文知は役立たず』の冒頭で、理不尽に異世界に召喚されてしまったプリモと対話する役だから、必然的にそうなるだろ。」
「ちっ、まあ良いわ。この青髪とナイスボディは気に入ってるからな。それに戦闘モードになるとかっこいいし。」
「それは良かった。だけどもう戦闘はするなよ。」
「いや、ストレス発散にときどき戦わせろ。」
「じゃあ白亜紀に転移してティラノザウルスと一騎打ちしてこい。東宝怪獣映画でも良いぞ。」
「サイズが違いすぎる!仮面ライダーがゴジラと戦えるわけがないだろうが。」
「いや、女神なら自在に巨大化できるのかなと思って。」
「あ、なるほど!チェンジ・ビッグガッデス!....って、巨大化したら服が破れるわ!」
「破れて全裸になっても、おまえの身体はマネキンみたいなものだから恥ずかしいパーツがないだろ。」
「マネキン言うな!ギリシャ彫刻みたいなものだ。理想美だ。」
「へいへい。」
「巨大化して服が破れてイヤ~ンになってしまう美少女モノってあるのか?」
「同人誌系にはありそうだが、通常の作品ではその物理法則が無視されている。けしからん。文科省やPTAが抗議すべきだ。」
「全裸巨大美女にして子どもに見せろと?アホか!」
1911年、アンデパンダン展に向けて作品を製作中のヒトラーの元にウィーンの妹から電報が届いた。「ハハキトク、スグキテ。」ヒトラーは青ざめて旅支度をし、パリ北駅からウィーン行きの特急列車に乗り込んだ。
「パウラ!母さんは?!」
「もうすぐ息を引き取るとお医者様が。神父様が終油の儀式のために来てくださいました。」
ヒトラーは母の病室に入ると彼女の手を取った。
「お母さん!アドルフです!」
「おお、アドルフ、会いに来てくれたんだね...。」
「お母さん、ぼくはパリでしっかり画家の修業をしていますよ。」
「良かった、本当に良かった。元気そうで何よりだ。これで安心して...」
母は目を閉じた。神父が駆け寄り終油の儀式をした。これで迷わず天国へ召される。医師が脈を診た。そして数分後に臨終を告げた。ヒトラーと妹は母の亡骸にすがって嗚咽を漏らした。それからヒトラーは医師と神父に丁重な感謝の意を告げ、葬儀の手続きについて相談した。母の遺体は故郷のリンツに移送され、2日後に教会で簡単な葬儀が行われた。葬儀にはヒトラーのかつての学友たちも来てくれた。
「アドルフ、ご愁傷様だ。」
「母さんは静かに逝かれたのか?」
「ああ、とても満足そうな顔で眠るように息を引き取った。最後に会って手を取ることができて良かった」
「間に合って良かったな。パリは遠いから。」
「ああ、オリエント・エクスプレスで丸1日かかったが、寝台列車なので旅程は快適だった。」
「何かおまえ、パリに染まって雰囲気が変わったな。フランス人みたいだぞ。ムーラン・ルージュとかに行ってるのか?」
「いやいや、そういう享楽的な場所に足を踏み入れたことはない。訪問先は美術館か美術アカデミーぐらいなものだ。モンパルナスやモンマルトルのブラスリーでたまに芸術家たちと会食することはあるが。」
「パリも良いだろうが、プロイセンもフランスに戦争で勝ってドイツ帝国を興してから、活気があるぞ。われらがオーストリアも同じドイツ語を話す同じ民族としてドイツ帝国に参加すべきだとみんなが言っている。」
「そうか、民族主義の高まりか。」
「あまり興味がないようだな。」
「そうだな、今は民族を意識することはめったにない。人間一般を考えることが多い。世界が人間にはどのように見えるか。自然と人間の関係。愛という感情。」
「ゲルマン民族の末裔であるという誇りはなくしたのか?民族の繁栄のために国を大きくするという気持ちはないのか?」
「申し訳ないがヨーロッパ人という意識しかない。」
「貴様、裏切り者か!」
ヒトラーは1分後に意識を取り戻した。旧友の鉄拳が顔面を強打して気絶したのだった。頬が痛い。ヒトラーは実家に戻ると、妹と今後のことについて話し合った。
「これからどうするんだ?」
「ウィーンで服飾の仕事をしたい。母の看病をしながらこつこつ自宅で服を作ってきたけれど、自由になったので有名なオートクチュールの店に弟子入りして本格的に始めたい。」
「そうか。頑張れ。これ、少ないけど当座の資金に使ってくれ。それからこの家を売却してその金も全部パウラが使ってくれ。美術も服飾も美しいものをこの手で作り出す仕事だ。誇りを持って精進してくれ。」
「ありがとう、兄さん。私、頑張る。」
パリに戻ったヒトラーを翡翠が迎え、モンパルナスのブラスリーで遅めの夕食をともにした。
「お母様のお葬式は無事に済まされたのですね。」
「はい、静かな旅立ちでした。自分も最後を迎えることになったらあのように息を引き取りたいと思いました。」
「静かな死、それは普遍的な人間の願いかもしれません。」
「はい、そして暴力による殺戮はその対極に位置するので、普遍的に忌避されるものだと考えられます。」
「そうですね、そういった思いもまた絵の主題に結実するかもしれません。目に見えないものを見えるように描く、これは古典主義の芸術観では考えられないことでしょうが、新しい時代の芸術家にとっては使命になるでしょう。詩と哲学の中にイメージを探す。意識してみてください。」
「わかりました。安らかな死と暴力的な殺戮の対比、イメージが浮かびそうな気がします。挑戦してみたいと思います。」
ヒトラーは3ヶ月後に迫ったアンデパンダン展の締め切りに向けて、自宅アトリエで絵の構想を考え、何枚もデッサンや習作を描いては破り、苦吟していた。どうしても具象からの飛翔ができない。ピカソの絵を考えながら描いたらピカソの盗作のようになってしまった。
規則を作り出す才能が天才だ。超現実、アポリネールが言っていた。現実を超えたところにある見えない世界を表現する。見えない世界、例えば感情。見えないけれど確実に存在はしている。希求と忌避、見えない2つの感情。ヒトラーは頭を抱え、少し頭を冷やすために夜のリュクサンブール公園に出かけた。空を見上げたら満天の星空だった。星座には詳しくないが、星と星を結びつけると何かの絵になる。実際は絵になっていないのだが、人間の想像力はそこに絵を作り出せる。見えないものが見えてしまう。ヒトラーが何かヒントを掴んだような気がして自室に戻った。
見えないけれど存在するものを絵で表現する、言うのは簡単だけど、大変な作業です。AIに描かせてみたけど、とってつけたような絵しかできませんでした。やはり芸術家はAIで置き換えることはできないようです。