翡翠さん、女神がさんざん暴走したあとで、それとは無関係にノヴァーリスを助ける
今回は本編より冒頭会話のほうが長かったかもしれません。一部ご不快に思われた方々がいましたら、女神のせいです。青水は加担していません。
「青水よ、悪かった。私が西部劇って言ったから無理矢理感のある話を作らせた。そもそも有名な西部劇のストーリーを日本人はたいてい知らないから、読者の興味も薄い。今回の失敗は私のせいだ。」
「失敗って言うな。しっかりきれいにまとめたわ。」
「このごろ、困ったときのマーズ・クリスタルパワーに頼ってないか?」
「あ...」
「だいたい土魔法を使うのにわざわざマーズに変身する必要はないだろ。」
「えーと、土魔法は...セーラーサターン?」
「アホか。ほたるちゃんは土魔法なんか使わねえわ。自分が気に入ったコスを翡翠に着せたいだけという極めて邪な欲望が感じられるな。着せ替え人形遊びに興じる変態親父だ。やっただろ、子どものころに従姉妹の家で?リカちゃんのパンツを脱がせただろ?」
「やってねーわ!男子あるあるみたいに言うな!おまえこそいつもいつも無駄なコスプレをここで披露して読者の失笑を買ってるじゃないか。」
「ばーか、あれは需要があるんだよ。女神ファンがじわり増えてるからな。」
「それにしても、今回のミッションで痛感したけど、ネタ切れの可能性が高まるのは、ミッションで介入する物語の知名度が低いせいだな。有名な西洋文学の物語でも、最近はあまり知られていない。フランケンシュタインやドラキュラだって実際に小説を読んだことがある層は限られてしまう。知らない物語に介入されても読者は興味を持てない。」
「そうだな。誰でも知ってるストーリーのリソースはわずかしかないからな。」
「ラノベを読む層には過去の一般文学作品へのオマージュもレフェレンスも期待できない。」
「となると、企画それ自体が行き詰まりか?」
「歴史改変はそれなりに需要があるけど、日本が戦争に負けない世界とか作ったって何も良いことない。戦前戦中の日本なんて、美化したがる阿呆がいるかもしれんが、現代のわれわれにはとても耐えがたいぞ。」
「竹刀で殴られまくる世界。美化したがるネトウヨにぜひ体験させてみたい。これは試練の女神として大好物の状況だ。やっちゃおうかな。」
「っておい、何するつもりだ?スマホなんか取りだして、似合わねえぞ。」
「SNSで勇ましいこと言ってる奴に現実を味合わせてやるんだよ....いた!こいつ、徴兵制を敷いてみんなお国のために戦えって言ってるから、まずはおまえからだ、口だけ勇ましい奴。はっはっは、それ行け!転移っと。」
女神はSNSのネトウヨ国士夢想丸を戦前の陸軍兵舎に転移させた。体力測定の実施中である。上官が竹刀を持って初年兵を怒鳴りつけている。
「貴様!気合いが足りん!ウサギ跳びごときでへばる奴がいるか!皇国の兵士としての自覚はないのかっ!」
容赦なく降り注ぐ竹刀の打擲。ネトウヨは鼻血を出して地面に転がった。
「誰が横になって良いと言ったか!貴様、何だ、その目は。反抗するか!」
「いえ、ウサギ跳びはやったことがないんです。」
「ふざけるなっ!尋常小学校で誰でもするもんだろうが!上官に嘘の申告をするか!」
ビシバシと降り注ぐ打擲。耳の奥がキーンと鳴って意識が遠のく。
「いかんな、このままでは死ぬ。はい、転移!ちっ、全く試練に耐えられなかったじゃないか。ではもう1本行くか。それどれ....、お、こいつだ!教育勅語を復活させて学校の必修科目にしろだと?いいだろう、おまえが学んでこい!はい、当時の中学校へ転移!」
「寝党紆余介!教育勅語を暗唱せよ!」
「あの、すみません。覚えていません。たしか親に孝行とかみんな仲良くとか。スマホ見て良いですか?」
「馬鹿者っ!敵性言語を使うか!」教師の竹刀が唸った。
「あらすじをあやふやに言えとは言っておらん!一字一句違いなく暗唱だ!貴様、畏れ多くも天皇陛下への忠義の気持ちが足りん!校庭をウサギ跳び10周だ!ウサギ跳びしながら暗唱しろ!」
「すみません。ウサギ跳びしながらだと覚えられません。」
「ふざけるな!兵隊さんは大変な訓練に耐えて国力の増加に寄与しているというのに、貴様はウサギ跳びと教育勅語の暗唱と一度にできないというのか!精神がたるんでいる。精神を注入してやろう。そこになおれ!打ち付けられても倒れることは許さん。さあ、歯を食いしばれ!」
「あーあ、情けないな。このままだと死ぬから、はい転移っと。」
「なあ、もう勘弁してやれよ。現代人にはきつすぎだって。」
「偉そうに言ってる奴らへの当然の試練だ。だって私、試練の女神なんだもん。」
「何が、試練の女神なんだもん(てへぺろ)だよ。遊んでいるだけじゃねーか。」
「いや、私の試練はな、“遊びでやってるんじゃないんだよーっ!”。」
「そこでカミーユかよっ!ということで、話は戻るが、次は何やるかね?」
「ジャン・ヴァルジャンも『織田家のアナザー・ジャパン』で助けちゃってるな。」
「困ったな...ノヴァーリスでも助けるか?」
「え?あの夭逝の詩人?」
「うん、結核で死んだ。恋人に移された。」
「私が行こうか?」
「ダメだ。おまえは助ける過程で大切なものをいっぱい壊しそうだ。翡翠に行ってもらう。」
1795年、ドイツ東部のテューリンゲン、翡翠はグリューニンゲン城の前に立った。城と言っても3階建ての大きめな館のようなものだ。当主はヨハン・ルドルフ・フォン・ロッケンティーン大佐。ここでノヴァーリスと呼ばれる詩人フリードリヒ・フォン・ハルデンベルクが大佐の養女、彼の妻の連れ子のゾフィー・フォン・キューンと婚約する。
「婚約を止めることはできそうにありませんね。ゾフィーの発病を止めることも難しそうですが、とりあえず悪あがきぐらいはしてみましょうか。」
翡翠は月煌を召喚した。
「我に何を望むか?」
「この城に住むゾフィーという女の子、母が再婚したせいか、ちょっとやさぐれてタバコを吸ったりお酒を飲んだりしているの。そのせいで結核にかかるんだけど、説得しに行ってくれるかしら。」
「そういう子どもに説得は効かないと思うがやれるだけやってみよう。」
「あら、青いピカピカの狐さん!」
「我は狐ではない。高位の幻獣である。貴様に重大な忠告がある。今すぐタバコをやめろ。そして頻繁に部屋を換気して空気を清浄に保て。部屋を定期的に消毒して健康を害する微生物やウイルスを絶滅させろ。毎日散歩をして外気に触れろ。さもないと伝染病にかかるぞ。」
「できるだけきれいな空気を吸えってことね。善処します。」
「貴様はまだ子どもなのに大人の男に恋をしておるな。」
「気に入られてしまっただけですわ。詩人だから妙なことをいっぱい言うので面白いけど。」
「子どもでいる自分に不満なのだな。親が再婚したから。」
「子どもではいられなくなりましたの。居場所を失いましたから。」
「それで新たな居場所が欲しくなった。」
「否定はしませんわ。」
「というわけで、話すだけ話してきたが、改善するかどうかの確証はない。」
「ご苦労様。収束します。あら、あちらから馬に乗ってきた大柄な方は...」
「こんにちは、お嬢様。こちらのお城にご用でしょうか?」
「いいえ、たまたま散歩の途中です、フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク様。」
「私の名をご存じと?」
「ノヴァーリス様とお呼びしたほうが良かったでしょうか?」
「あなたはどなたです?」
「私はヤーディア、旅する賢者です。あなたにひとつだけ忠告させてください。病人には近づかないこと。空気感染や接触感染があります。たとえその相手が愛する人だとしてもです。」
「愛する人が死の病に侵されているのなら、私も同じ病を分かち合って死にましょう。」
「それは本意ではありませんね?言葉が音楽のように定められた旋律を奏でた結果でしょう。和音の欠けたパーツを埋めるように。でも、あなたの詩は不協和音も許容するのではないのですか?」
「突然の詩の形而上学に面食らうばかりです。」
「まあ良いでしょう。あなたは子どもと言っても良い年齢の少女と婚約するつもりですね?」
「私の精神に自由という翼を授ける女神だからです。」
「女神というのは往々にして困難の元になりますが...またお目にかかりましょう。」
翡翠はわざとノヴァーリスの目前でその場から消えて帰還した。
「女神様、抗結核薬がない時代、結核はサナトリウムで日光浴と新鮮な空気で安静に過ごして自然治癒を待つしかありませんね。サナトリウムっていつ発明されましたか?」
「19世紀後半です。それ以前は日光浴と新鮮な空気が治癒力を高めるという発想もなかったようです。」
「そうですか。となると、ゾフィーの救済は難しいでしょう。」
「せめて修道院に送って規則正しい生活をさせてみれば?ノヴァーリスとの縁も切れるかもしれないし。」
「わかりました。義父を説得してみましょう。行って参ります。」
「この城は現在、ゾフィー・フォン・キューン看護施設という老人ホームとして使われていてます。ノヴァーリス奉仕団体という公益法人が運営しているのですね。もしゾフィーが死ななかったらどうなったのでしょう?」
「おや、あなたは?」
「初めまして、フォン・ロッケンティーン大佐。私は旅の賢者ヤーディアと申します。ご息女ゾフィー様の健康状態についてお耳に入れたいことがございます。」
「何?ゾフィーの?何でしょう?」
「彼女は今、ご健勝でしょうか?」
「少し咳き込むことがあり、食も細い。あまり健康とは言えません。」
「肺の病気の可能性が高いので療養に出すべきだと思います。空気が清浄な山嶺の修道院に預けて規則正しい生活を営ませ、規則的に外気に触れて日光を浴びることが大切です。このままだと結核に罹患する可能性が非情に高いと思われます。医師に診察させ、しかるべき処置を執ることをお奨めします。夏の間に為すべきことを為せば、命が助かるかもしれません。」
「何と...結核ですか。わかりました。すぐさま医師と相談してしかるべき処置を講じます。」
「神の恩寵がありますように。では、私はこれで。」
翡翠はまたもやわざとらしく大佐の目の前で消えて帰還した。
「女神様。いちおう義父に忠告して転地療養の手配をさせました。」
「発病の記録が11月なので、夏に手配したとして、どうなるかは微妙なところですね。次はノヴァーリスです。馬鹿な行動に出ないよう、釘を刺す必要がありますね。特殊なコスチュームで行ってきますか?」
「賢者と告げてきたので賢者コスで行ってきます。」
テンシュテットの郡役所、ここで当時のノヴァーリスは行政官見習いとして働いていた。詩人で哲学者なので気難しいということもなく、上司のユストとも良好な関係を保っていた。そんなノヴァーリスの前に賢者ヤーディアは突然顕現した。
「あなたはいったいどなたなのです?突然消えたり現れたり、とてもこの世の人間とは思えません。通常の悟性が把握できる世界の限界を超えています。」
「細かいことは気にしなくても良いのです。そんなことより、あなたの婚約者は転地療養に向かいました。Luftveränderungskur 空気を変える療養です。そのうちお手紙が来ると思います。」
「な、何だって!」
「結核の診断が付くでしょう。」
「会いに行かなければ!」
「残酷なようですが、結核は伝染病です。濃厚接触をすれば同じ病気にかかります。あなたは情熱に任せてキスをするでしょう。それで感染して、あなたも同じ病気で死にます。はい、かつてあなたは愚かなことを歌うように語りましたね。愛する者と同じ病で自分も死ぬと。理性の極北でドイツ観念論哲学と格闘したあなたがそんな愚かなことを言う、そのちぐはぐが魅力だなんて思っていないでしょうね。さきほど私は言いました。そのうちお手紙が来ると。ならば、あなたが愛と呼ぶものをすべて手紙に文字でしたためてください。それは必ずや愚かなものになるはずはありません。」
「愛を書く...と?」
「はい、それが詩人であるあなたの使命です。」
フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク、いちおう遠い親戚みたいですよ、あの世界史に出てくるハルデンベルクと。長生きしたらどうなってんでしょうね?鉱山技師という、当時で言えば技官として最先端の役職で頭角を現し、ナポレオンに何を思ったか、アレクサンダー・フォン・フンボルトと仲良くなって理系の世界に大きくシフトしたか、興味深いところではあります。