鞍馬山の翡翠――お姉さんは天狗よ、鍛えてあげる
はい、「義経を救え」が始まりました。長くなりそうです。
「かっけー!翡翠さん、ルーブルの屋根で敵の大将を撃破!」青水はビールをあおった。
「酒を飲みながらガキのように反応するんじゃない!」
「あそこはやはり巫女服でチャンバラだよ。」
「そうか?修道女姿のほうが神の意志を伝えるのに適していたのではないのか?」
「いや、あの巫女服、なおかつ重力を無視するような翡翠さんの戦い方、これはもう天使の戦いだよ。15世紀のフランス人にとって、ヒラヒラはためく衣装は天使の羽衣。白と赤のツートンカラーも聖性と盟約の色。」
「ほう、日本や東洋の文化を知らないキリスト教徒にはそう見えるのか。」
「キリスト教において、白は純粋、神聖、真理の象徴。美術作品で天使やキリストの衣はしばしば白いローブとして描かれ、その清らかさや神聖さを示している。袴の赤については、キリスト教の色彩象徴において、殉教者の血、神の愛、聖霊の炎などを意味する。命を賭して戦う崇高な犠牲や情熱を連想させる色だ。そして翡翠さんは、あの恰好じゃないと太刀を振るえない。」
「やはり剣を交えるということに象徴的な意味があったと?」
「その通り。」
「まあ読者もチャンバラがないと満足しないだろうしな。」
「そのと...って、おい、そういう言い方は止めろ!」
「いや、物語は読んでもらって初めて物語だ。おまえ、作者が作品に対して全能の支配権を持っているようなことを言っていたが、この角度からもその世界観は崩れるぞ。」
「うぐぐ...」
「で、次はどうする?」
「女神もだんだんこのゲームにはまってきたな?良し、次も熱い史実介入だ。日本人が何百年も懇願してきた、義経の救済だ。」
「大丈夫か?それけっこう読者の批評レベルが高まる材料だが。」
「ふっふっふ、任せなさい。翡翠さんの巫女装束もピッタリ合致。前回はヨーロッパの悲運の英雄、次は日本の悲運の英雄、良い感じの連続で、読者も大満足だよ。」
「大満足は良いから、あまり飲み過ぎるなよ。」
「うるせえ!今宵は酒だ。シナリオ?明日考える!」
「最低だな、おまえは。それで、義経を無理矢理生存させたら鎌倉幕府はどうなる?歴史改変があまりに過ぎるようだと、AIのガイドラインが許しても私が許さん。」
「そりゃ、日本からトンズラですよ。日本は勝手に戦国までまっしぐらの修羅ルートを突き進んで死屍累々やってろって話さ。こっちは天皇のいない自由な世界でのびのびやらせてもらうよ。」
「まさか中国大陸で南宋と金を相手に無双とかやらかすつもりじゃないだろうな?」
「そんな日の丸大好き発信者のようなアホな世界版図をこの俺が作ろうとするわけないだろ。」
「あ、また一部の読者様が激怒するような台詞を吐きおって。」
「まあ、義経くんがどうなるか、それは翡翠さんにお任せさ。」
翡翠は12世紀の京都、鞍馬山に転移派遣された。
「あら、あの子!」
翡翠の視線の先には木剣を振るって樹木相手に稽古に励む少年の姿があった。牛若丸である。その顔は悲壮感に満ち、この後に待ち受けるであろう困難に立ち向かうように樹木に打ちかかっている。
「打ち込みのとき防御と回避の意識がほとんど感じられません。そのままだと死にますよ。」
「誰だ、おまえは?」
「天狗です。」
「嘘をつけ!どうみても巫女ではないか!」
「そう、でも天狗ということにしておいたほうが良いと思いますよ。」
「なぜだ?」
「巫女に打ち据えられて手も足も出なかったでは、あまりにもかっこ悪いでしょ。」
「打ち据えられるだと?」
「そうです。稽古を付けて差し上げましょう。」
翡翠は足下の木の枝を拾って牛若丸に対峙した。牛若丸は木剣を構えて翡翠に打ちかかった。女になめられてたまるかという勢いで叩き込まれた一撃を翡翠は難なくかわし、その脚を払った。脚を払われて転倒した牛若丸に翡翠は木の枝を突きつけ、言った。
「さっきも言ったように、攻撃の際は常に回避と防御を同時に意識してください。でないとカウンタターで即死です。」
「家運多?家運が多すぎて死ぬと?」
「悪うございました。たしかにあなたの場合、家運の問題は複雑ですが、今の問題はそれではありません。敵があなたの一撃を回避して反撃を繰り出したとき、あなたはなすすべもなく斬られてしまうということです。まずは防御と回避の練習をします。私が軽く打ち込みますから、防御と回避を試みてください。」
翡翠の軽い連続攻撃は、ほとんど回避も防御もされずに牛若丸の身体に擦り傷や痣を残していった。
「痛そうですね。はい、ヒール!」
「あ、傷が消えた。」
「天狗ですからね、こういうこともできるのです。では次、私がゆっくり攻撃しますから、それをすべて跳躍で回避してください。すべて凪払いで攻撃します。」
翡翠の攻撃は、最初は牛若丸の胴や臑を捉えて彼を転ばせたが、やがてすり抜けられる確率が増えて、牛若丸は回避のあとの攻撃姿勢を習得した。
「なかなか良い筋です。あなたは跳躍の才能があります。これは戦闘において重要な利点となります。敵の攻撃が当たらないだけではなく、敵は一撃ごとに疲労を蓄積します。見せてあげましょう。10分間、本気で打ち込んでください。」
牛若丸は翡翠に打ち込んだが、翡翠はまるで重力を知らない天女のようにヒラヒラと宙を舞い、5分も経たないうちに牛若丸の息が上がった。
「どうですか?攻撃をかわされると疲労は何倍にも膨れ上がるのです。重力が何かご存じですか?」
「知らぬ。重みの力、上から下へ。」
「そうです。上から下へ常に力が加わる。高いところから落下するとその力の結果はとてつもなく大きなものになります。この重力を自分の味方にできれば、たとえ相手が強大な力を持っていても倒すことができます。私はこれから毎日ここへ来てあなたの稽古の相手をしましょう。このことは他言無用です。鞍馬山で何をしているのか訊かれたら、天狗に稽古を付けてもらっていると言ってください。それは、あながち間違いではありません。」
京都、五条大橋。翡翠は物陰から様子をうかがっていた。あれだけ稽古を付けてやった弟子の少年が不覚を取るとは思えなかったが、いざというときは介入しなければならない。牛若丸が橋を渡る。前方から見上げるほどの大男がやってきた。どうやら僧兵らしい。鬼に金棒と言うが、大人の背丈ほどもある重そうな金棒を持っている。
「そこの小僧、刀をおいて帰れ。この橋を刀を持って渡ることは許さん。」
「ほう、でかいな。だが重そうだ。重力との日々の格闘、ご苦労様だ。」
「何をわけのわからぬことを言う。抵抗するなら肉塊になるぞ。」
「ほう、ならば試してみるか?」
「きっさまー!」
巨漢の鉄棒が風車のように回りながら牛若丸を粉砕しようと迫る。だが牛若丸は橋の欄干を器用に利用して跳躍と着地を繰り返し、巨漢の攻撃を翻弄する。攻撃を回避されるたびに巨漢の疲労が溜まり、巨漢はついには橋の上に倒れ込み、過呼吸気味に息が切れた。
「重力を甘く見るからそうなる。」
立ち去ろうとする牛若丸を巨漢は呼び止めた。
「お、お待ちください!それがし、武蔵坊弁慶という僧兵崩れ。なにとぞお名前を!」
「姓は源氏、だが幼少の身ゆえ今は牛若丸だ。」
「牛若丸様、どうかそれがしを子分、いや家来にしてくだされ!」
「うん、時が来たらな。今はまだ幼少の身、そなたのような大男を家来として連れ歩くのは悪目立ちが過ぎる。」
微妙にオネショタ風味を醸しながら義経救済物語が始まりました。あと数回続くと思います。