翡翠さん、元国王夫妻とケンタッキーに行く――マノン・レスコーが全面的に支援してくれたよ
元国王夫妻はついにチャールストンでの修業時代を終えてケンタッキーへ行きます。
「レンチンて、青水、おまえ.....天晴れだった!」
「あだ名を付ける才能があるのかもしれん。ただし、現実世界では陰キャなのでその才能を生かす機会は一度もなかったがな。」
「たしかに、いかにうまくできたギャグやあだ名でも、それを発する声が暗いと台無しになるな。」
「だから音声以前の文字で表現してるんだよ。」
「音声以前の文字だと?おまえ、そんなものがあるわけない、という突っ込みを期待しているだろうが、女神の目と耳はごまかせんぞ、そんな危ない橋を渡りたいのか?」
「あ、なんでもありません。言い方を間違えただけです。“以前の”を“ではなく”もしくは“の代わりに”に入れ替えてください。」
「ふん、だんだん怪しくなってきたな。“ではなく”と“の代わりに”は同じではないぞ。後ずさりしたつもりが、背後の崖から転落しそうだ。」
「うるさい...」
「は?」
「うるさいうるさいうるさい!メロンパン寄こせ!」
「はいどうぞ!」
「うわ、すっぺー!なんだこれは?」
「健康に良い梅干しパンだよ。」
「うむ、梅干しおにぎりのパンヴァージョンだと思えば食えないこともない。てか、唾液が出るので水いらずで食える。」
「なんだ、私と一緒に水入らずで食べたいのか?うーむ、私は甘やかすのは嫌いだが、たっての青水の願いとあらば、ぼっち憧れの“水入らず”をしてやっても良いぞ。」
「おいしいね、ダーリン♡」
「ふっふっふ、試練ちゃん、今夜は寝かせないよ。」
「な、何だと!」
「はっはっは、はまりおったな!渾身のボケ返しだ!」
「うぐぐ...」
パリジアン・エンジェルズの退店の日も近づいた1791年の春、マノン・レスコーはルイスとメラリ・アンを自室に呼んだ。
「さて、あなたたちも良くやってくれました。英語も、ルイスはいまいちだけど、メアリ・アンはほぼアメリカ人と変わらないわ。漫才のファンもたくさん付いたし、キング、クイーンと慕ってくれる客も増えて、これから新天地でやっていく自信が付いたでしょ。」
「自信はあっても言葉に出さず、立ち振る舞いがそれを物語る、というのがハプスブルク家で学んだ人付き合いのことです。」
「まあ、口は災いの元と言うからな。その点、ぼくは無口だから安全だ。」
「経営者になるのだから無口ではいられませんよ。」
「表にはできるだけ私が出て、彼には生産と研究を頑張ってもらおうと思っています。」
「そうね、それが適材適所というやつよ。ところで、去年のアサシン事件で活躍したルイスのそっくりさん、ガードのレンチンだけど、ケンタッキーに連れて行く気はない?影武者として役立ちそうだし、スイス傭兵部隊に英語を教えながら隊長として指揮を任せてみたら?」
「お許しいただけるなら願ったり叶ったりです。」
「あとね、蒸留酒の醸造には長い時間がかかると思うの。樽に詰めて熟成を待つ時間。10年も無収入ではいられないでしょうから、その間の収入をどうするか考えてみたわ。あのあたりはまだ土地がいっぱい余っているから、ジャガイモとリンゴを作りなさい。リンゴはフランス仕込みのタルト・オ・ポムを作って売れば女性客が殺到するわよ。それからカルヴァドス、香りが素敵なリンゴのブランディー。これもたぶん上流階級に人気が出るわね。ジャガイモは、メアリ・アン、あなたの故郷ではシュナップスを作ってるのではなくって?安くてすぐ作れるから中流以下の層に支持されるわね。それから、これはフランチャイズのお誘いなんだけど、私がやっている羊牧場と羊レストラン、まだケンタッキーには出店していないの。羊からはもちろん羊毛が取れるし、腸は衛生用品の材料になるので、作って売れば公共団体のウケも良くなるわよ。」
「たくさん人を雇い入れなければなりません。」
「近隣の都市、インディアナポリスやシンシナティの新聞で募集をかければ結構集まるわ。羊関係についてはうちのスタッフを5人出向させましょう。
「何から何までありがとう!」
元国王夫妻は翡翠を伴って、チャールストンから約千キロ離れたルイヴィルへやってきた。馬車に揺られる40日の旅で、ルイスとメアリ・アンはアメリカの広大さを実感した。周りを見渡しても地平線しか目に入らない。この大きな国で新しい仕事を始めると思うと、宮廷では味わったことがない生の実感がこみ上げてきた。ルイヴィルに到着すると、翡翠が手配した高台の館に落ち着き、とりあえず生活するための道具類をそろえた。それほどの大都市ではないので満足できる買物はできなかったが、生活が落ち着いたら徐々に揃えるのも楽しいと思えた。
「私はまずフランス菓子を提供する店舗を探します。パリの革命騒ぎのときジャディーの提案で市民に振る舞った“ブリオッシュ・ド・レーヌ”は大好評で、あれのおかげで女たちのヴェルサイユ大行進のときも、ギリで人気が地に落ちずに済みましたもの、縁起の良い食べ物です。それとリンゴのタルトなどフルーツタルトをいろいろと。この土地で取れる果物でいろいろ試してみたいわ。」
「ぼくは工場に行って生産ラインをどう構築するか考えるよ。ウィスキーが熟成するまでは、シュナップスとカルヴァドスを作って売らなければならない。それから原料を栽培する農地も見に行かなければ。そうだ、まず移動用の馬を買わなくちゃ。メアリ・アン、君は乗馬というわけに行かないので、御者と馬車を用意しよう。やることが山積みだ。」
「警備のスイス傭兵隊とレンチンが到着するのは1週間後だから気をつけてね。いちおう保安官と商工会議所には何を置いてもまず最初に挨拶に行きましょう。そう、今から。」
翡翠は5体の通常式神を放って町の地理を調べさせた。報告を総合すれば町の詳細な地図ができあがる。辻馬車が到着したとき、元国王夫婦は町の地理を把握していた。商工会議所では議長が満面の笑みで出迎えた。
「こんにちは、ルイス・バーボンとメアリ・アン・バーボンです。今日からこの町に住むことになりました。よろしくお願いします。」
「バーボンさんですか。縁起が良い名前ですね。そしてルイスさん、あなたのファーストネームはもっと縁起が良い。なにせこの町の名前の起源がルイ16世ですからね。そういえばお顔も似てらっしゃるような。」
「はっはっは、実はチャールストンの”Parisian Angels”でスタッフとして働いていまして、元国王夫妻風の夫婦漫才でウケていたんですよ。」
「バーボンさん、ルイヴィルにようこそ!大歓迎です!」
次に夫妻と翡翠は保安官を訪ねた。
「こんにちは、保安官殿。新しく越してきたバーボン夫妻です。夫がルイス、妻がメアリ・アンです。フランスからの移民なので、まだ英語は完璧ではありませんが、頑張って地域に溶け込むつもりです。」
「いえいえ、メアリ・アンさん、あなたの英語は完璧ですよ。ゲルマンの香りがする伝統的な英語の発音だ。私はドイツ系なのでわかるんですよ。あなたもドイツ系ですね?」
「あら、わかっちゃいました?Ich war Maria=Antonia als ich geboren wurde. フランス人の夫に嫁いで、ずっとフランスで暮らしていましたの。でも...革命が起こっていろいろと住みづらくなったので、思い切って合衆国に来ましたのよ。」
「ルイヴィルは、チャールストンほどではありませんが、治安が良い町です。何かお困りのことがあったら、いつでもお知らせください。」
「保安官にそう言っていただけて安心しました。いちおう事業を展開する予定なので、セキュリティガードを配置するつもりです。何かありましたらよろしくお願いします。」
きょうはこれといって面白いイベントもありませんでした。でもリアリティをある程度担保しようとすると、こういう地味な記述も必要になるんですよね。アニメならカットですね。