翡翠さん、賢者としてハムレットに助言する
ハムレットは超有名戯曲なので、有名な台詞もてんこ盛りですね。とても拾いきれません。
「なあ、青水、翡翠がしれっと難しいことを言ってたぞ。」
「ああ、あの台詞は原作でポローニアスが言うんだ。狂気の中にmethodがあるってな。で、この言葉はギリシャ語起源で、meto“~に沿って”とhodos“道”が結合して、その道に沿って歩けば目的地に到達する。プラトンもアリストテレスも真理に到達するための道をあらかじめ設定したってことだな。」
「つまりハムレットは狂気を演じながら着々とその先の目的へ近づいて行くというわけか。」
「そういうこと。ただし、原作ではそう上手く行かなくて、悲劇になってしまうのだが。」
「だから翡翠が調律するんだな。おお、本来の翡翠の仕事ではないか。」
「そうなんだよ。ただ精密に作り込まれた名作だから、介入の機会を見つけるのが難しい。」
「私が直接乗り込もうか?水戸黄門のように、女神の前にみんなひれ伏せ、と。」
「あんた、それはただのストーリー・クラッシャーだから。」
「ところで、前回のエピソードで翡翠の挿絵が一枚もなかったな。」
「あー、あれはOpenAIのSoraがバグって使えなくなっていた。」
「何?許せんな。カネ返せ!」
「ちょっと、女神のくせにセコい台詞はやめなさい。」
「だって私の唯一の楽しみであるコスプレが...」
「あんた、いつの間にコスプレが唯一の楽しみになってたんだ?」
「あわわ、いや...唯一ではないぞ。梅干しをつけ込むとか...」
「梅干しをつけ込む女神なんて聞いたことがないわ。いや、逆に新しいからもっとやれ。乳首に梅干し付けたユニフォームとかどうだ?ぷふ、想像したら笑いが止まらん。」
「ほれ、笑う門には梅干し来る!」
「うわっ、てめえ!」
「大口開けたらいつでもポンだ。油断大敵、クエン酸と塩分もね!」
オフィーリアが取り乱して父親ポローニアスのもとに駆けてくる。
「お父様!ハムレット様のご様子が!」
「どうした、我が娘よ?」
「突然部屋に入ってきたかと思うと私の手を取り、それからのけぞって倒れるぎりぎりののところで軽業師のように止まって私の顔をじっと見据えたのです。まるで地獄を見てきたかのようなお顔でした。そして、しばらく私を見つめたあとで、何も言わずに立ち去ったのです。」
「正気の沙汰ではないな。その前に何かなかったのか?諍いとか?」
「いいえ。ただ、お父様の言いつけ通りにお手紙はお返しし、道行きのお誘いもお断りしてきました。」
「そうか、それだ。恋煩いというやつだ。娘の貞操を心配するあまり、恋路を邪魔してしまったのが徒になった。オフィーリア、これから王様の元へ行って一部始終を報告しなければならぬ。お叱りは受けようが、この悲しみをこのままにしておくことはできぬ。」
玉座の間では使者がノルウェイ王家からの親書を携えて王と謁見していた。先代ハムレット王が先代ノルウェイ王と一騎打ちの決闘で手に入れた領地をめぐっての紛争についてであった。交渉が上手く行ったようなので王は上機嫌だ。
「おう、ポローニアスか。今吉報を受け取ったところだ。」
「おめでとうございます。私からも、それと比べればささやかではありますが、良い報せがあります。」
「何じゃ、申してみよ。馳走のあとのデザートは格別じゃ。」
「ハムレット様はどうやら娘のオフィーリアに懸想しておられる模様です。これが娘が受け取った手紙です。感情の昂ぶりが文章の組み立てを壊す勢いです。娘には、若気の昂ぶりで貞操をなくすことがないよう、付き合いを禁じて参りました。身分違いの恋は悲劇に終わると。しかし、叶わぬ恋は狂気の引き鉄。ハムレット様の振る舞いは日ごとに常軌を逸し始め、今ではまともな会話も成り立たぬほどに。」
「ふむ、その思いが本気ならば、恋が成就するように手を貸してやるのが親の務め。それであやつの振る舞いが正常に戻るのであれば。」
城門前の広場でハムレットに2人の若者が声をかけた。
「ハムレット様!お久しゅう!」
「おお、ギルデンスターン!ローゼンクランツ!戻っていたのか?」
「はい、先ほど戻りました。大学が休みになりましたので。」
「大学か、大学は幸せだ。王宮は牢獄だがな。」
「何をおっしゃる!将来の国を背負われる方の言葉とも思えません。」
城門の外から笛や太鼓の音が聞こえる。
「あれは?」
「ハムレット様、あれは途中で追い抜いてきましたが、旅役者の一座です。」
「おお、それは好都合...いや、楽しみだ。」
「演劇はお好きですか?」
「世界を現実以上に正しく映し出せるからな。」
ロビーでハムレットは旅役者たちを迎えていた。
「エルシノアへようこそ!心から歓迎するぞ!」
「はは、痛み入ります。」
「そう硬くなるな。辺境の城だ、娯楽が何もない。みんな楽しみにしている。十二分に歓迎するよう臣下たちに言いつけてある。旅の疲れを取り、腹を満たし、酒で渇きを癒やすが良い。」
「出し物はどのようなものをご希望で?悲劇、喜劇、悲喜劇、なんでもできますが。」
「そうだな、『ゴンザゴ殺し』はできるか?」
「はい、レパートリーの一つです。」
「ならばそれを頼む。そして、あとで伝えるが、15行ほど台詞を加えて欲しいのだ。できるか?」
「はい、問題ありません。」
「よし、期待してるぞ。」
ポローニアスと王がロビーで話し合っている。
「王様、オフィーリアを呼びにやりました。もうすぐここへ来ます。」
「わしもハムレットを呼びにやった。ここでオフィーリアと偶然のように出会うことになる。」
「私たちは物陰に隠れて様子を見ましょう。」
「うむ、あの狂気が本物か、見せかけか、突き止めてやろうぞ。」
ハムレットがやってきて、壁の鏡を見ている。
「生きるか死ぬか、それが...」
「それが問題ではございません、ハムレット様。」
「おお、賢者ジェイディではないか。」
「こちらへ。」翡翠はハムレットの手を取ってその場から離れた。
「どうした、ジェイディ。」
「しっ!あそこは監視されています。中庭へ。」
「それが問題でないとするならば、何が問題なのだ?」
「まず生死を天秤にかける選択がそもそも間違っています。死は宿命として受け入れざるを得ないもの。主体的に選択するものではありません。選択それ自体が不成立なのですが、もちろん生きることしか選べません。生きて為すべき事を為す。そのための助言なら惜しむつもりはありません。」
「これからあのロビーでオフィーリアと出会うことになる。どう振る舞えば良い?監視されているのだろう?」
「はい。監視されているので狂気を演じ続ける必要はあります。その狂気が無害であるように振る舞う必要があります。そして...狂気の振る舞いであってもオフィーリア様を傷つけることはあってはなりません。尼寺へ行け、そうおっしゃるつもりなのでしょうが、それは悪手。修道院がサンクチュアリーとして機能する確証はありませんし、ご自分との結婚の可能性を打ち砕く最後通牒になってしまいます。」
「では何と言うべきか?」
「この苦しみから解き放つ魔法の薬を作ってくれ、つまり魔法使いか賢者として研究に勤しんでくれ、と頼むのがよろしいかと。研究所へ行け、ですね。」
「どう思われるだろうか?」
「一瞬あっけにとられるでしょうが、一縷の望みをそこに見いだして研究を始めるでしょう。そして監視している王は、あまりにも突飛な話を切り出すので狂気を疑うことはないでしょう。」
「わかった。そうしよう。」
翡翠さんらしい。まだ中世の残り香が漂っているエリザベス朝で、「魔女になれ」はかなりタブーかも知れませんが、知ったことじゃねえっす。