翡翠さん、火星に代わって折檻します
巫女さんつながりに気付いてしまいました。
「良かったな、青水。とても綺麗にまとまったじゃないか。」
「空気を読まない長広舌は翡翠の真骨頂だからな。」
「文字もない時代の人間に進化論...だけではなくハラリのサピエンス全史も少し入っていたような。」
「女神らしくない鋭い指摘だな。」
「そこは女神らしいと言え。梅干し突っ込むぞ。」
「えーと、JK隊は、亜依が火、霧江が水、菫玲が土、天華が治癒と光だったな。覚えておかないととっさに出てこない。」
「光は珍しいな。天華以外に使えるのは万能の翡翠以外には天使の2人だけか。」
「で、次の胸くそは何だ?」
「うん、これはネトウヨも大激怒の国辱胸くそだ。」
「は?そんなものあるのか?」
「まあ、ネトウヨは物語にも芸術にも関心がないから大激怒も聞いたことがないけどな。」
「で、なんだ、その国辱案件は?」
「プッチーニの『マダム・バタフライ』だ。」
「ああ、現地妻が捨てられて死ぬやつか。」
「そう。コスプレするなよ。」
「わかってるって。さすがにあれはコスチューム自体が腹立たしい。」
「ではさっそく行ってもらおう。」
「ここは19世紀末の長崎ですね。江戸の鎖国時代にNagasakiとして国外的に有名になりましたが、19世紀末ともなれば、横浜、神戸、門司にその地位を奪われて、国際港としてはそれほど栄えていませんでした。プッチーニの地理感覚はアップデートが遅れていたのでしょう。」
「おっと、ちょっくらごめんよ!」
荷押し車が坂道を下ってきて翡翠にぶつかりそうになった。坂が急なので転がり落ちそうで見ていて危ない。
「下り坂でスピードを出すと危ないですよ。」
「すまねえ。高台の家で結婚式するってんで、運び込む荷物がいっぱいあるんだ。」
「まあ、結婚式ですか。おめでたいですね。」
「アメリカの軍人さんと日本の芸者、いや15歳だっつうからまだ半玉だな。」
「え?まだ子どもじゃないですか。」
「そうなんだけどさ、父様が死んでしまっていろいろ大変なんだと。あっ、下から人がたくさん登ってきたから道ばたに避けたほうが良いぜ。」
着飾った人々が大勢、晴れやかな顔で坂道を登ってくる。おそらく結婚式の参列者なのだろう。道を空けて待っている翡翠に会釈して通って行く。
「あの...結婚式に出られるんですか?」
「ああ、そうだよ。うちらの親戚の子がお金持ちの外人さんと結婚するんだ。」
「どこの国の方?」
「アメリカ海軍の軍人さんだ。結婚してもあまり家にはいられないだろうな。船に乗って海の上にいるのが仕事だからな。」
「結婚しても寂しそうですね。」
「そうだなあ。本当は陸の上で仕事をする日本人の旦那が一番なんだけどな。」
歩きながら話をしていたので、翡翠は高台の家の近くまで来てしまった。縁側から家の中の様子がうかがえる。広間に客が座り、がやがや話をしているようだ。その間を召使いがきびきびと通ってお茶を注いで行く。
「おや、巫女さんじゃないか。ひょっとして祝詞を上げてくれるのかい?」
「いえ、ただの通りすがりです。」
「なーんだ、そうなのかい。」
そのとき速歩で坂を登ってくる若い女が見えた。翡翠を一瞥すると、さして興味もなさそうに家に入ってしまった。そして、そのあとを追うように僧侶が登ってきた。
「待て、この裏切り者が!」
「離してください。私は自分の思いに忠実に行動しただけです。」
「先祖代々の宗教を捨てて外国の宗教に改宗した。これを裏切りと言わずして何とする?」
「あなたが裏切りだと言うならそれでもかまいません。私は彼と同じ神に祈るのです。」
「われら一族に対する裏切りだ。貴様の父親に対してもだ。後悔するなよ!」
僧侶はそう捨て台詞を残して家に入り、親族の者たちに彼女の改宗という裏切りを触れ回った。それを聞いた親族たちは、その場で立ち上がり、結婚式への参加を中止して帰宅したのだった。そして、それと入れ替わるように坂を上がってきたのが2人の西洋人の男性だった。
「ピンカートン、彼女は本気なんだ。泣かせるようなことはするなよ。」
「大丈夫だ。あのたおやかな薄い羽根をぼくが羽ばたかせても泣くことはないさ。」
「アメリカ万歳!」
「アメリカ万歳!そしてぼくの未来の家族に、アメリカ人の妻に乾杯!」
それを聞いて翡翠はピンカートンの前に立ちはだかった。あくまでも冷静に、虚ろな笑みを浮かべながら。
「ちょっとよろしいですか?あなたが先ほど家に入られた女性と結婚する予定の軍人さんですか?」
「そうだよ、キューティー・シュライン・メイデン!」
「それは法に則った結婚ですか?それとも疑似結婚的な身請けですか?」
「そのあたりの違いはわからないな。結婚斡旋人に任せてるからね。どうなんだい、シャープレス?」
「領事館で書類を調べないと即答できかねます。」シャープレスは流れる汗を拭きながら小声で答えた。
「そうですか。ではいずれお邪魔するかも知れません。では、失礼。」
翡翠はその場を離れて、長崎市役所へ向かった。
「ちょっと伺いたいことがあります。外国人に日本人女性を紹介して結婚までアレンジする結婚斡旋人という仕事がありますね。そこでの結婚とは法に基づいた結婚なのか、それとも芸者の身請けのようなものなのか教えていただけませんか?」
「どちらのケースもありますね。こちらに婚姻届を出す場合と、内縁関係に留まる場合と。」
「そうですか。ありがとうございました。」
翡翠は赤い柱が立つ中華街を経て思案橋へやってきた。ここは花街の丸山へ通じる橋である。ここで男たちが、花街へ行くべきかどうか悩んだので思案橋という。翡翠は橋を渡って料理屋の店員に道を聞いて芸者の置屋へやってきた。
「こんにちは。」
「おや、巫女さんが芸者になりたいのかい?」
「いえ、蝶々さんという女の子のことを聞きたくて。」
「ああ、蝶々はそのまま芸者になっていれば売れっ子になったんだが、半玉のまま外人さんと結婚するといって出て行ってしまったよ。もったいないねえ。お母さんに楽をさせてあげられたのに。」
「もし結婚に失敗したら戻ってこれるものなのですか?」
「戻っては来れるけどあまりお奨めしないねえ。他の芸者からいじめられるだろうさ。」
「そうですか。ありがとうございます。」
翡翠は思案橋まで戻ってしばし考えた。このまま正式に結婚させて、そのあとで捨てられるべきか、それとも身請けにとどめて経済的安定を確保させるべきか。“アメリカ人の妻”とたしかにピンカートンは言っていた。将来的に捨てられるのは決定している。だとすれば、どれだけの誠意を相手から引き出せるか、そこがポイントになる。そこまで考えて、翡翠はふと自虐的な笑みを浮かべた。
「私は巫女で処女なのに、何て計算をしているのでしょう?ともかく、アメリカ領事館へ行ってこなければ始まりません。巫女衣装で乗り込むわけにはいきませんね。マーズ・クリスタルパワー・メイクアップ!」
「Hello. I would like to speak to the Consul, Mr. Sharpless.」
「私が領事のシャープレスだが、君は?なぜ英語を?」
「This is to prevent you from making excuses later that the contradiction was due to a linguistic misunderstanding.」
「うぐぐ...What do you want to hear from me as evidence?」
「First, was Butterfly and Pinkerton's marriage legal? Or was it a common-law marriage? Second, is bigamy a criminal offense under the civil code of the United States? Third, is divorce possible without the consent of the other party under the civil code of the United States?」
「1,コモンロー、つまり慣習的な婚姻で法的拘束力はない。2,イエス。3,ノー、だ。」
「Did you tell Madame Butterfly that this marriage was a common-law marriage and not a legal one?」
「No.」
「You should have done that. If you haven't, you should do it right now!」
「OK, I’ll do that right now.」
領事館を飛び出そうとするシャープレスの手を翡翠は捕まえた。
「この契約書をピンカートンに渡してサインさせてください。内縁関係の維持費用の契約書です。かいつまんで内容を言うと、生活費を月200ドル、子どもが生まれた場合、20歳までさらに月100ドル。他にさまざまな細則が定められています。そしてこれはあなたと私の契約書です。今交わした約束が不履行であったとき、アメリカ国民の内縁関係の斡旋に手を貸したことをアメリカ外務省に報告すること。そして、それも不履行である場合、蝶々さんに謝罪一時金1000ドルを支払うこと。さあ、サインしてください。In the name of Mars, I'll chastise you!」
いや、みんなもっと怒って良いと思うよ。何が「あ~る晴れた日に~」だよ、そこしか知らないけど。