翡翠さん、すごい昔のデンマークなのに古英語の世界へ飛ばされる
なんだか得体の知らない世界に転移させられちゃいました。
「おい、青水。何か、いつもの翡翠と雰囲気が違ってなかったか?」
「前半は救済者としての良いお姉さん、でも後半は闇を抱えて呻吟する爆薬庫のような女。」
「よほどイヤだったんだろうな、あのウジウジ感。」
「まあ時代が違うから価値観も違うわけで、翡翠もあんなだけど今時の子なわけよ。」
「バンドでギタボするくらいだからな。しかも分身のメンバーが不出来だと有無を言わさず収束して新しいのを出してた。たしか、『人文知』のエピソード57『"The Jade"――翡翠の本気』だ。あれ、本気バンドのリアルみたいでマジ怖かった。」
「次は翡翠さんの持ち味をしっかり引き出せるようなミッションを考えてあげないと。」
「翡翠はたしか『Vampire Queen』で初登場したんだよな。」
「そうだ。日本で平安のころから魔を祓う役目を果たしてきた一族の末裔。」
「ならドラキュラでも討伐させたら良いんじゃないか?」
「それはもう『織田家のアナザー・ジャパン』で討伐済みなんだよ。」
「そうか。カーミラはもう解決済みだし、それ以外のヴァンパイアは知名度が低い。討伐できる魔族って、知名度を考えるとあまりいないな。」
「討伐から探すと行き詰まるぞ。胸くそから探せ。」
「じゃあ...ゼットン!」
「おい、ふざけてんのか!怪獣に勝てるわけがないだろうが。」
「じゃあドラゴンとか。」
「まあ、それなら『人文知』で何度か勝ってるし。」
「なら転移させちゃうよ。」
「ちょ、おい、まだ行き先を決めてないだろうが。」
「ここは6世紀のデンマークあたりですか。荒涼としてますね。あっちにお城のような砦のような建物があります。行ってみましょう。」
「砦と言いましたが、これは宮殿ですね。中に人がたくさんいて宴を開いています。飲めや歌えの大騒ぎ、さすがヴァイキングを生み出した土壌だけのことはあって、そのご先祖様たちもなかなか無骨でやんちゃな方々ばかり。」
「おい、ねえちゃん、こっち来て酌をしろや!」
「えっと...私はこれで...」
「おい、逃げんな!おーい、皆の衆、女が逃げるぞ!」
「ちっ、最初から厄介ですね。ここはひとつ分身を放って切り抜けましょう。」
翡翠が分身を召喚しようとしたその瞬間、男たちの断末魔の声が響き渡った。何やら青黒い魔物が次々と男たちを屠っている。阿鼻叫喚、この世の地獄。翡翠は観察のため、とりあえず結界を張った。魔物は戦士たちを引きちぎり、かぶりつき、容赦なく咀嚼して腹の中に収めていった。肉の咀嚼音、骨の粉砕音があたりに轟き、生き残った者たちも恐怖のために動くことはできず、怯えながら惨殺されるのを待つしかなかった。
「大気よ、轟き震いて雷球と成れ!急々如律令!」
翡翠の術で空気がプラズマ化し、宙空にまばゆい光と威圧的な音を発生させた。触れればただでは済まないことを魔物は本能的に察知し、ゆっくりとその場を離れて立ち去った。生き残った戦士たちはフラフラと立ち上がり、急激に勢いを減じて行く光球と翡翠を交互に見た。
「あなたは?」
「ただの通りすがりの女です。あまりにも恐ろしい光景に遭遇したので、必死で神に祈っただけです。私が何かをなしたわけではありません。偉大な神のお力が魔物を追いやったのでしょう。」
奥の間から身分が高そうな男が近づいて来た。足下に散らばる部下たちの死体を見て戦慄に震えながら翡翠に言った。
「あなたは神の使徒なのですか?」
「いいえ、本当に何も知らないただの女です。恐ろしさのあまり神に祈っただけです。」
「そうですか。だとしても魔物は立ち去りました。ともに神に感謝の祈りを捧げましょう。こちらへおいでください。私はこの地を治める王、フロスガールです。」
翡翠はフロスガール王に促されるまま、宮殿の奥にある祭壇の間に赴き、見よう見まねでこの土地の神に祈りを捧げた。フロスガール王は居並ぶ家来たちに心配そうに告げた。
「あの魔物はカインの末裔グレンデル。今は立ち去っただけです。またいつ襲ってきてもおかしくはありません。われわれだけではあの魔物に勝つのは難しいでしょう。隣国の勇者ベオウルフに来てもらいましょう。彼なら...彼になら、この難局を任せられると思います。勇者が到着したら、皆その指示に従うように。」
数日後に勇者ベオウルフが14名の従者を伴って宮殿へやってきた。まだ10代の紅顔の美少年だった。彼はフロスガール王に言った。
「この宮殿で私たちはグレンデルを迎え撃ちます。王とご家族、およびご家来衆は、危険ですのでこの場を離れ、どこか別の場所でお待ちください。」
「私は残ります。」翡翠は表情を変えずに言った。「勇者を見守るように神が命じています。」
プラズマの奇跡を知っている王がこの提案に同意したので、ベオウルフは渋々翡翠の残留を認めた。そして2日経過した。地を揺らすような咆哮とともにグレンデルが来襲した。ベオウルフと従者たちは武器を手にしてグレンデルに立ち向かった。翡翠は結界を張って様子をうかがった。1人、また1人と従者たちが攻撃を受けて倒れた。翡翠は密かに治癒魔法を唱えて回復させた。いつまでも減らないベオウルフ側の攻撃力にグレンデルは明らかに動揺を示した。勇者はその隙を逃さなかった。ベオウルフの鋭い一閃がグレンデルの片腕を切り落とし、どす黒い血を吹き出しながら怪物はもだえ苦しんだ。それをチャンスと見て従者たちは総攻撃をかけ、ベオウルフは瀕死の状態で逃げ出した。
「やった!」
従者たちは悦び鬨の声を上げた。だが誰ひとり、戦闘中に治癒を受けたことに気付いた者はいなかった。ただひとり勇者ベオウルフを除いて。勇者は人気のないところで翡翠に話しかけた。
「あなたはいったい...?」
「私はただの...」
「ならばそれでかまいません。ただの治癒魔法を唱えられるだけのあなたのお名前は?」
「ヤーディアです。」
「ヤーディアさん、あなたは次にグレンデルの母親が襲ってきたときもそばにいて見守るおつもりですか?」
「神が夢の中でそうお望みでしたから。」
「わかりました。あなたは不思議な方です。大丈夫だと思いますが、くれぐれもご用心を。」
再び2日が経過した。外から魔物の来襲の音がする。悲しみと怒りが混じり合った咆哮が聞こえる。グレンデルの母親だった。息子グレンデルより一回り大きい。力も強いだろう。迂闊に攻撃を仕掛ければ、カウンターで致命傷を浴びかねない。メスなのでエレさんのヴァイタルアブソーブも効かないわ、と翡翠は思った。勇者ベオウルフも母グレンデルの危険性をすぐに察知し、迂闊に近寄らないようにと従者たちに指示を出した。間合いを計り牽制し合う勇者たちと魔物。これでは埒があかない。
フロスガール王が家臣たちと参戦してくれた。圧倒的な数の優位を前にしてグレンデル母はその場から逃走したが、ベオウルフと従者たちは放置せずに追撃を始めた。グレンデルの巣は湖の底の洞窟にあった。ベオウルフは従者を残して単身船で湖上に出た。するとグレンデル母が水中から姿を現し、ベオウルフを掴んで水中に引きずり込んだ。このままではマズいと案じた翡翠は、女神回線を開いて水中活動のスキルを持つエラとメロの転移を要請した。
一方グレンデル母に湖底洞窟に連れ込まれたベオウルフは、激しい戦闘を繰り広げていた。ベオウルフは故郷のライバル騎士から受け取った秘剣フルンティングを振るって戦っていたが、その刃はグレンデル母の硬い皮膚を貫くことはできず、苦戦を強いられていた。そこにエラとメロが現れた。
「あらあら、なんだか負けてるわよ。」
「メスだからヴァイタルアブソーブできないよ。」
状況を把握したエラとメロは、とりあえず何か武器はないかと探してみると、この部屋に宝箱があり、何やら魔剣らしき一振りが見つかった。
「これを持って勇者を陸上まで連れて行きましょ。」
「ここじゃ不利だもんね。」
2人は魔剣と勇者を抱えて陸上の翡翠たちの元へ戻った。
「ベオウルフ」は英文学の古典ということになっています。ぼくも、名前からこれって人狼の話かなと勘違いして古くさい研究書を買ったことがあるのですが...はい、当然ですが行方不明です。