翡翠さん、森の湖の畔でウンディーネに会う
「ウンディーネ」、これはぼくが初めて全編を通してドイツ語で読み切った記念すべき物語です。エンディングで涙が流れたので、作品に感動よりも、ああ、ぼくも外国語を読んで泣けるようになったと変な感動を覚えた記憶があります。
「青水よ、人魚姫を2種類助けられて良かったな。」
「次も似たような案件に行くぞ。」
「他にも人魚っていたっけ?」
「人魚ではないが水の精霊だ。」
「ウンディーネか?」
「そう、アンデルセンも『人魚姫』の執筆において影響を受けたという、ドイツロマン派の作家フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケーの代表作『ウンディーネ』に介入する。」
「名前が長い。そして途中からフランス人みたいになっているが。」
「フケーはユグノーの家系だから先祖はフランス人だ。本当は名前がもっと長い。カタカナで書くのが大変なのでアルファベットをそのまま指先からポンと出すと、Friedrich Heinrich Karl Baron de la Motte Fouqué バロンが入っている貴族で、名付け親はあのフリードリヒ大王だ。貴顕なのである。なにせ祖父は将軍だったからな。その縁で早くから軍に入隊し、そこそこ昇進した。だが妻との離婚をきっかけに除隊し、それからは小説家として生きて行く。日本では『ウンディーネ』だけ知られてるけれど、全集は本棚2列を占領するくらいの分量だ。」
「このフケーとやら、アルファベットで書くとキーボード切り替えが必要になる面倒くさい奴。先祖がフランス人だからアクサンテギュが入っている。」
「うむ、だが仕方がない。アクサンテギュを使わないと“カフェ”も書けないからな。」
「ウンディーネってどんな話だっけ?ラスト場面でみんな号泣すると聞くが。」
「簡単に言うと、騎士が森の水辺の家に泊めてもらったら洪水で帰れなくなる。その洪水は、この家に住むウンディーネという少女が騎士を帰したくなくて起こしたもの。少女は水の精だと明かした上で騎士に告白。騎士は、あまり深く考えずに萌え心だけで結婚。町に帰ると婚約者が待っていたが修羅場にはならず。婚約者は領主の養子で森の漁師の実子。ウンディーネはそれを知っていたので婚約者に告げた。両親に会えることを喜ぶかと思いきや、婚約者は激怒。領主の娘だったのに漁師の娘に格下げが受け入れられない。だがこの振る舞いが領主の怒りを買い、婚約者は追い出され行き場を失う。ここで後の悲劇発動のスイッチ。騎士は婚約者、もう婚約者ではないし、名前を書こう、ベルタルダを家に住まわせる。で、なんだっけかな、水の精の掟というものがあって、水の上で叱りつけると水の精は水の中に消えてしまうというのと、水の精と結婚してから別の女と結婚すると水の精はその男を殺さなければならない。というわけでエンディングだ。」
「簡単にかいつまみすぎてよくわからんが、ウンディーネと騎士フルトブラントとベルタルダの3人が主要登場人物だな?」
「もうひとり、ウンディーネの叔父キューレボルンがいる。こいつはウンディーネが人間と結婚したことが気に入らないのでいろいろ邪魔をしに来る。」
「よし、この女神様が解決策を考えた。初手でフルトブラントを殺せ。それで万事解決だ。」
「おまえなあ...人の心がないのか?あ、あるはずないわ。人外だった。」
「おい、女神を人外と呼ぶな。かりにも神だぞ。」
「来ましたね。ここが物語の発端の場所、森の湖ですか。たしか最初から話はねじれていて、漁師夫妻の娘が失踪、そしてまるでその代わりのように幼女ウンディーネが漁師夫妻の元に来たのでした。娘交換ですね。水の精の一族が仕組んだのでしょうか?まあ、そこまで遡っても仕方がないので、まずはウンディーネの本心を訊きましょう。」
ウンディーネは湖岸に佇み、物思いに耽っていた。
「ウンディーネ、こんにちは、はじめまして。」
「こんにちは。あなたはどなた?」
「私はヤーディア、魔女です。」
「あまり魔女らしく見えませんが。」
「バレると異端審問にかけられたりいろいろ面倒ですからね。」
「私に何の用なのかしら?」
「ウンディーネは騎士フルトブラントを愛してますね?」
「そうよ、もう少しでプロポーズしてくれるわ。」
「人間は短命ですよ。」
「かまわない。彼が生きている間は思い切り愛してあげる。幸せにしてあげる。」
「彼が死んだら?」
「水辺にお墓を作っていつでも会いに行く。」
「あなたは次の恋を見つけないの?」
「わからない。そんなことわかる人なんかいない。でも...お墓には通い続ける。彼に会えるから。」
「あなたの気持ちは良くわかりました。お幸せに。」
「次は騎士フルトブラントです。どの恰好で行くのが正解なのでしょう?やはり道を開くには賢者ですね。それもゲームの賢者ではなくまともな賢者。」
「騎士フルトブラント、私は旅の賢者ヤーディアです。いくつかお尋ねしたいことがあります。」
「何でしょう、賢者ヤーディア。」
「あなたは水の精ウンディーネとの結婚を考えていますね?」
「はい、彼女は人間ではありませんが、その心は純粋です。悪意の欠片も見当たりません。」
「人間でないことによる制限もあります。ご存じですか?」
「何でしょう?」
「ひとつ、水の上で彼女を叱ってはいけない。このルールを破れば彼女は水に戻ってあなたの元から消え去ります。彼女はエレメンタルガイスト、その本性は水です。ふたつ、彼女と一度結婚したからには、二度と別の女と結婚してはなりません。それはすれば彼女はあなたを殺さなければならない。これは水の精の掟です。」
「私は騎士、約束を違えることは決してありません。清らかに添い遂げて見せましょう。」
「あなたの許嫁、ベルタルダはどうするんですか?」
「彼女には事情を話して私を諦めてもらいます。彼女は美しい、きっと求婚者が押し寄せることでしょう。」
「彼女を城に迎え入れ、ウンディーネとともに3人で暮らすのは?」
「そんな不埒な三角関係を神がお許しになるはずはない。それは絶対にありません。」
「わかりました。お幸せな結婚をお祈りします。」
「なんかノリでウンディーネには魔女、フルトブラントには賢者と自己紹介してしまいました。あとでその齟齬を追求されたら....まあDQゲーマーでない限り魔女と賢者の区別はたいした問題ではないでしょう。次はトラブルメーカーのベルタルダですね。何とか2人の邪魔をしないで静かに退場してもらわないと。そして最大の懸念材料はウンディーネの叔父キューレボルン。その実力は計り知れないので、できるだけ直接対決は避けたいものです。ともかく宮廷都市へ先回りしましょう。」
「出でよ月煌!」
「どうした翡翠?我に何を望むか?」
「ベルタルダの画像を撮って保存してください。できるだけ見た目が良いものを。それを....ふふふ、マッチングアプリがないのでやり方が思いつきませんが、周辺の青年貴族たちにばらまいてもらいたいのです。できますか?」
「我ひとりでは難しい.分身をあと3体所望する。」
「わかりました。出でよ月煌3体!」
「その画像とともに、ベルタルダという姫が来月城から放逐されて苦境に陥るというビラもばらまいてください。これで白馬に乗った王子様が集まってくるはずです。」
「了解した。安心して待つが良い。」
翡翠の「白馬の王子」大作戦。いつもは嫌っている王子様を都合良く集めて使おうだなんて、いやむしろ清々しく翡翠さんらしい。