翡翠さんはジョージア州ロスアラモス国立研究所とベルリンの日本大使館へ行った。
翡翠さんまずは外国で日本降伏の障害になるかもしれないことを排除ですね。分身はこういうときに役に立ちます。
「青水よ、翡翠は今までにないくらい苦労しているじゃないか。これからどうするつもりなんだ?」
「軍部の徹底抗戦派を排除した上で講和派をまとめ上げて降伏へ持って行く、これが基本ルートなんだけど、そう簡単には行くはずがない。」
「そうだよ。事実上のヘゲモニーを持っている軍部の徹底抗戦派を排除なんかできるのか?主流派だぞ。」
「そこなんだよな。主流派が瓦解するように持って行くのは本当に難しい。特に日本人のメンタリティーはそういうのを受け入れにくい。」
「であろう?会社のようなふつうの組織でもそうなんだから、戦時中の軍隊となると手の付けようがないのではないか?」
「ジョーカーの天皇カードをどこで使うか、それがとても難しい。安易に使えば、一挙に逆転で非国民の国賊扱いで処刑だ。」
「仲間を、支持者を増やすしかないだろう。民主主義国家じゃなくてもそれはとても大事。おまえもふだんの行動で孤独に突き進むの、やめたほうが良いぞ。」
「えーと、友だち100人いるから大丈夫、心配しないで。」
「ふ、虚勢を張りおって...」
翡翠はアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモスに転移した。
「ドクター・オッペンハイマー、少しお話よろしいでしょうか?」
「君はジャーナリストか?この研究所は取材禁止だ。帰りたまえ。」
「マンハッタン計画の進捗は...」
「君、その名前をどこで知った?」
「有名ですからね、20世紀後半以降では。」
「何?アナクロニズムか?いや、スパイだな!」
「いえ、私、実は時空を超えて未来から、21世紀から来ました。でもそんなことはどうでも良いんです。オッペンハイマー博士、日本はそろそろ全面降伏します。そうなると原爆投下の大義面分がなくなります。アメリカにとってそれは、歴史上初めて核兵器による大量殺戮をした国という黒い刻印を返上できることを意味します。しかし、あなたもご存じのように、軍部には、せっかく巨額の資金を投入して手に入れた兵器を実戦投入してアメリカの威信を世界に知らしめたいと考える人もいるでしょう。その方々がどのような動きをするか、あなたは先をお読みになれますか?」
「いいえ、皆目見当が付きません。」
「カーチス・ルメイ中将などは政府に働きかけて日本の降伏を受け入れないように画策するのではないでしょうか。特にトルーマン大統領に働きかけると思われます。せっかくの実戦投入のチャンスです。これを華々しく爆発させればアメリカの威厳はと恐怖は世界中に拡散されます。そんな素晴らしい計画、潰されてたまるものか、と考えるのではないでしょうか。」
「それは...それは考えられないと一笑に付したい気持ちはありますが、可能性から排除できないというのが現状です。」
「なので、私からのお願いです。日本の降伏を素直に受け入れるよう、議会の人々に影響力を行使していただけないでしょうか。現代の戦争は殲滅戦ではありません。奪われる命の数は少ないほうが良い。これはアメリカの国益にもポジティヴに作用するはずです。」
「私としても、あんな兵器が実際に使われる未来を見たくはありません。日本が早期に降伏するなら、アメリカにとって何のデメリットもありません。私に同意してくれる友人はたくさんいるでしょう。ありがとう、未来からの使者!」
翡翠はオッペンハイマーの目の前で分身を収束した。これで「未来からの探訪者」という設定は完全に説得力を得た。
「陛下!」
「なんだ、またおまえか。霊獣とはいえぶしつけにもほどがあるぞ。」
「緊急の要件です!」
「何だ、申してみよ。」
「日本がドイツより先に降伏した場合、ドイツ在住の邦人がドイツ人に殺される可能性があります。」
「なんだと!」
「裏切り者とみなされ各地で摘発され司直の手に渡されることもなく私刑で虐殺されるでしょう。」
「いやしくも同盟国として協力してきたのだぞ。」
「だからこそです。降伏すれば連合国側に参入されます。放置しておくとは思えません。」
「ではどうする?」
「陛下のお言葉があればドイツの日本大使館が動けます。ご一筆を!」
「あいわかった。そなたへの全権委任状をしたためよう。」
翡翠分身はベルリンへ現れた。
「カイザーリッヒ・ヤパーニッシェ・ボートシャフト。ここですね。」
「あなたは?」
「天皇陛下の勅命を受けた御巫翡翠です。これを...」
「なんと、畏れ多くも陛下の御印が...」
「事態は急を要します。いますぐ在独邦人、オーストリアを含めてです、同胞をスイスへ逃がしてください。日本はドイツより先に降伏します。このままだと日本人は敵性外国人として摘発されます。」
「了解しました。陛下の勅命なら最優先事項です。スイスとの連絡も含め、すべてお任せください。在独日本大使館の総力を挙げて同胞の命、誰1人として奪わせはしません。」
「Ich bedanke mich, Herr Botschafter!」
ドイツの大使館で用いた天皇陛下の勅旨は、写真複写だけ残し、原本は持ち帰った。これでさまざまな場所で天皇の全権委任を受けた者として活動できるが、しかし慎重に行動しなければならない。軍部は必ずしも天皇の命令を聞くとは思えなかったからである。そのため、まず文民統制の道筋を作りたいところだが、この時代、それは非常に難しい。それに、天皇が降伏に同意したという事実、これは最後の最後まで隠し通さないと、天皇陛下ご自身の身に危険が及ぶ可能性もある。
「まずは首相ですね。首相にはすべてを話しましょう。そして軍部への対応について慎重に計画を練ることにしましょう。とはいえタイムリミットが迫っています。あと10日、沖縄戦が始まる前に何としても降伏を実現しないと。」
次回はいよいよ内閣と軍部への働きかけです。少しでも間違うと殺されてしまう危険なミッション。翡翠さん、怪我しないでくださいね。