翡翠さん、小さな胸くそをふたつ解消する
フランケンシュタイン家は「有限責任会社フランケンシュタイン・ロボティックス」になってめでたしめでたし。でも人造人間関連はまだやらなければいけないことがあるそうです。
「青水よ、良かったな、フランケンシュタイン。」
「ああ、本当はもっと長い物語にする予定だったのだが。」
「未来技術をもたらしてロボットを進化させるのか?」
「ああ、だが翡翠はそれを断念した。」
「よくやってくれたよ。それをするとせっかく落ち着いた人間ヴィクター・フランケンシュタインの運命がまたもや数奇なものになってしまう。」
「ああ、結婚して次世代に夢を託す、それで良い。翡翠は良くやった。」
「だが翡翠が行こうとして断念した未来も放置しておこうとは思っていないのだろう?」
「そうだ。だが連続して同じテーマに介入するのもメリハリがないので、ここはひとつ箸休めに、小さな胸くそを晴らしに行こう。」
「何だ?」
「ヘンゼルとグレーテルだ。」
「ああ、あれは最初から最後までかなり胸くそ悪いな。」
「ああ、3段階で胸くそ悪い。まず食い扶持減らしのために親が子どもを森に捨てる。次に、子どもたちは森で老婆を殺害しその金品を奪う。最後に、子どもたちは奪った金品を持って帰宅し、その金を渡して親と和解。」
「最低だな。最初から親が子どもを刺客として放って強盗殺人をさせたと邪推したくなる。」
「そもそもの発端は飢えなのだが、翡翠が食い物を持って行ったところで、この悪の連鎖を根本的に変えることはできそうにない。」
「話自体は2~3ページの超短編なので、またお岩とお菊みたいに午前午後で二本立てにするか?」
「ああ、同じく森の中の出来事、赤ずきんだ。これもなかなかの胸くそ。教訓話と言うことになっているが、論理的に成立しない。親の言いつけを守らないからこうなった、というオチに説得力がない。」
「そうだな。言いつけを守ってもどうせオオカミに食われる。」
「食われたあとで腹を割いて半分消化されてドロドロになった2人を助け出したというのも、絵面が酷すぎる。話を聞いた子どものトラウマになる。」
「そんな描写はなかったと思うが、おまえの妄想力は子どものころからやっかいなおまけ画像を物語に付けていたようだな。」
「ということで、さっそく翡翠さんに行ってもらおう、民話世界。」
翡翠は中世ヨーロッパの森に転移した。民話世界なので中世ヨーロッパという曖昧な時空だ。さて、どうしたものか?この話には悪人しか出てこない。親も悪い、子どもたちも悪い、魔女...とされている老婆も悪い...かもしれない。とりあえず親の話を聞きに行こう。
「こんにちは。私は旅の修道女ヤーディアと申します。家々を訪れて神の加護をお祈りしております。」
「神の加護だ?なら食い物をくださいよ。神にお慈悲があるのなら。」
顔色の悪い母親が出てきて翡翠を睨みつけた。貧すれば貪するの典型のような出で立ちだった。貧すれば貪するって、漢字が似ているというだけの理由でできた言葉か。これは唯一無二ではないだろうか?無理して作れば、未だに末だ。何か哲学っぽいことを言ってるような言ってないような...翡翠は目の前の母親から目をそらしたくて果てのない連想ゲームに入り込んだ。
「ねえ、食べ物くださいよお!」
母親に促されて翡翠は我に返り、鞄から聖餅を出して Corpus Christiと言って母親に渡した。母親は無表情で「アーメン」と言ってそれを受け取りむしゃむしゃ食べた。
「足りないねえ、こんなんじゃさ。肉...持っていそうもないねえ。」
「ご家族は主の平安のうちにお過ごしですか?」
「はん、みんな腹が減って死にそうだわ。ガキどもがないパンをねだるもんでイライラする。」
「では、これはご主人とお子様たちの聖餅です。」
翡翠は聖餅を渡すとすぐさま背中を見せてその場を立ち去った。渡した聖餅が母親に食べられる光景を見たくなかったからである。翡翠はそのまま森の奥深くまで進み、「お菓子の家」として知られる家にたどり着いた。
「ヘンザルとグレーテルは白い小鳥に連れられてこの家にたどり着き、空腹を癒やすためにこの家を囓った。そして有名な問答、『コリコリカリカリ、私の家を囓るのは誰だ?――風だよ、風だよ、空の子どもさ』を経て、お婆さんの家に迎え入れられる。」
「家の前でごちゃごちゃ独り言を呟いているのは誰だい?」
家の中から老婆が出てきた。民話では紅い目をしていて、良く見えないけれど動物のように嗅覚が発達していて周囲の状況がわかるということになっていた。老婆の目は薄い茶色だった。これは加齢によってメラニン色素が減少し、瞳の色が明るくなった結果だろう。
「私は旅の修道女です。家々を回って神の加護をお祈りしています。」
「おお、そうですか。ご苦労なことです。」
「父と子と精霊の御名において、あなたに平穏と安らぎがあらんことを!」
翡翠は聖水を振りかけ聖餅を老女の口に挿し入れた。そして、どのような反応があるか観察した。老女は静かに「アーメン」とだけ呟いた。魔女であるはずがない。魔女ならそもそも修道女の姿を見た瞬間に何らかの行動を起こしていただろう。聖水と聖餅に耐えられるはずもない。
「よろしかったらお茶でも入れましょうか?」
老女が誘ってくれたが翡翠は丁重に断り、再び森に戻った。さてどうするか?このままではあの善良な老女が無残にも焼き殺されてしまう。それも、無垢な子どもたちの手によって。これを回避するには...これしかない。翡翠は再び木こりの家に行って、ドアを叩いた。
「修道女様か。まだ何か用があるのかい?」
「はい、教区の司教と相談しまして、お宅の子どもたちを修道院で養育することに決めました。子どもに飢餓を経験させるのは神の意志に反します。これは教区の決定なので、要請ではなく命令だとご理解ください。この銀の珠ふたつは、あなたたちが子どもたちの面会に来るための路銀です。お二人を呼んでください。」
母親は食い扶持減らしができる上に銀まで手に入れて上機嫌になり、喜色満面でヘンゼルとグレーテルを連れてきた。二人とも痩せ衰えて目がギラギラしていた。生きるためにはどんな凶行も辞さない、そんな顔をしていた。
「さあ、私と一緒に修道院へ行きますよ。修道院では毎日三回の食事と暖かいベッドが与えられ、読み書きとお祈りを教えてもらえます。」
翡翠は隠し持っていたマシュマロを2人の口に放り込み、手を引いて修道院へ連れて行った。教区長には、森の奥の独居老人のこと、この子どもたちが両親からどのような取り扱いを受けているか、そして場合によっては悲劇的な結果をもたらす可能性あることを説明し、修道院として対応することを約束させた。老婆の元へは定期的に修道士が訪れて様子を見ることになった。
「次は赤ずきんですか。シャルル・ペローのヴァージョンとグリム兄弟のヴァージョン、どちらも赤ずきんが狼に食べられてしまうところまでは共通しています。相違点は、ペローにおいては食べられてそれで終わり、グリム兄弟では食べられたあとでハンターが狼を撃ち殺し、腹を割いて救出でした。どちらにしても狼に食べられるわけですから、狼に対応しましょう。そもそも、ただの狼ではありませんね。人語を話し、策略を講じ、計画を実行する、知性ある存在で狼の姿をしている。つまり魔物です。排除しても問題はないでしょう。戦闘になりますね。このまま修道女姿でも戦えないわけではありませんが、万が一誰かに目撃されたときに問題になります。巫女姿で太刀を振るうのが一番しっくり来るのですが、これもこの世界で人には見せられません。となると...」
「お待ちなさい!」
「Grrrrrr.....」
「獣のふりをしても無駄です。あなたはウェアウルフですね?」
狼は一瞬にして人型に変身した。
「自然界の獣であれば見逃せますが、食人を覚えた魔物とあっては放置できません。」
「そんな細腕で俺を倒せるのか?」
「もちろん。武器は少々心許ないですが、手数で何とかなるでしょう。そのぶんあなたは痛みの回数が増えますが。」
「生意気なっ!」
人狼は牙を剥き出しにして飛びかかってきた。翡翠はひらりと跳躍して人狼の後頭部を蹴り、そしてZの形に背中を切り裂いた。痛みをこらえながら人狼は口を大きく開き、翡翠の首に齧りつこうとした。だが翡翠の剣はその口に深々と突き立てられ喉を貫いた。血を吐きながら転がり回る人狼を追って、翡翠は背中から心臓を一突きして冷静にとどめを刺した。
「物語介入が魔獣退治とは単純すぎましたね。でも、たまには良いでしょう。」
グリムの胸くそ案件、まだまだありそうです。たまに箸休め的にやってみるのも悪くなさそう。