翡翠、インゴルシュタットに現れる
今度はインゴルシュタットですか。バイエルン州の町でアウディの本社があり、歴史ある工科大学もあります。ジュネーヴで生まれ育ったヴィクター・フランケンシュタインはこの町の大学に留学します。
「なんだ、青水よ、らしくないエンディングじゃの?」
「俺だってこういうのも書けるんだよ。」
「ムーンレイスの登場はなしか。」
「面倒くさそうだからな、素直に帰ってもらう。星間戦争に発展したらえらいことだ。日本だけの問題ではすまない。」
「そもそもかぐや姫はなぜ月から地球へ流刑になったんだ?」
「あの自己愛的人格障害女のことだから、太陽系規模で配信ライバーやって何か炎上させたとか?」
「うむ、あり得そうじゃ。」
「でもあのかぐや、原作では帝にすごいプレゼントを渡してお別れしたんだぜ。」
「ほう、興味深いな。何じゃ?」
「科学技術レベルが数千年規模で進んでいる月で作られた不老不死の薬。」
「マジか!で、帝はどうした?それを使って令和までずっと天皇を続け...てはおらんよな。」
「帝は現世における不老不死のデメリットを理解していたのだろう。部下に命じて日本で一番高い山に捨てさせた。」
「それが...不死の山で富士の山ってか?どこまでダジャレが好きなんだ、この物語は!」
「たぶん日本文化って半分はダジャレでできているのかも。」
「うわ、笑えない。もうかぐや姫の話は腹一杯だ。次はどこに介入するのだ?」
「19世紀初頭のイギリス、ではなくてその作品世界、スイス、ドイツ、イギリス、北極。」
「あれか、メアリー・シェリーのフランケンシュタイン!」
「その通り。あれもなかなかに胸くそだ。」
「怪物のビジュアルがか?」
「そういうビジュアルに作り上げたフランケンシュタインが、というか、フランケンシュタインにそうさせた作者もだが。」
「では介入の目的は、怪物のビジュアルを美しく仕上げろ、か?」
「その通り!しかも今回は、翡翠に物語の概要をあらかじめ知らせてある。最初から問題解決に直行できる。長い物語なので錯綜したシークエンスで迷子になるわけにはいかないからな。」
「フランケンシュタイン=怪物だと思ってる層、まだいるのではないか?読者の半分くらい。」
「まさか!あまり読者をなめないほうが良いぞ、女神。東宝怪獣映画じゃないのだから、怪物の名前がフランケンシュタインだと思っている層は、20世紀半ばのユニヴァーサル映画のファンという特殊な方々だけだ。ボリス・カーロフに魅了されたクラシック・ホラーの愛好者というニッチな層。」
「そんなものかの?」
「そんなものだよ。20世紀末から21世紀にかけても、あの怪物と創造者のフランケンシュタインが登場する映画が多数作られている。」
「では安心して翡翠を派遣しよう。今回は私も翡翠の求めに従って転移に協力しよう。」
翡翠は19世紀初頭のインゴルシュタットへ現れた。
「さて、この大学でヴィクターは死体集めを始めるのですね。死体を継ぎ接ぎして人造人間を作るというアイディアを断念させない限り、この物語の悲劇は止めようがありません。議論で始めますか?形而上学的議論になります。私の専門である哲学的自然学と密接に関係しているので完膚なきまで叩きのめすこともできますが、それでは彼は育たない。さて、どうしたものか?ひとまず言葉を交わしておきましょう...おっと、西洋に派遣されるときの汎用衣装、修道女姿で来てしまいましたが、科学を志す方にこの姿は刺さりませんね。着替えてから大学へ行ってみましょう。」
「ムッシュー・フランケンシュタイン!私の名前はヤーディア、ヤーディア・ミカナーギです。母国語のフランス語の名前がよろしければジャディーと読んでくださってもかまいません。万象の形而上学的連関を対象とする哲学的自然学を研究しています。」
「あなたが研究対象の名前はとても心引かれます。万象、形而上学、それはこのインゴルシュタット大学で探しても求め得ぬもののように感じられます。そうした概念なしに人間の生死について語ることはできません。私はプロメテウスが人間に火をもたらしたように、神が独占している生命の秘密を解き明かしたい。」
「なるほど、秘密を解き明かして、その生命を自分で創造しようとしてるのですね?」
「しっ!そんな大それたことを大きな声で言わないでください。ここでは人目に付きます。私の部屋へ行きましょう。」
ヴィクターの部屋にはさまざまな動物の四肢や臓器が集められ、ホルマリンの臭いが充満していた。翡翠は軽い立ちくらみを感じながらも、質問を続けた。
「ここに集められた死体を結合して新たな生命を作ろうとなさっている?」
「その通りです。すでに下等哺乳類までは成功しました。発表すれば学界の注目を集めるでしょう.しかし同時に、宗教界、あるいは薄っぺらい道徳哲学からの批判は免れません。」
「なるほど。そしてあなたの欲望のその先にあるのは、人間の創造、違いますか?」
ヴィクターは答える代わりに翡翠に大判の紙に細かく書き込まれた設計図を見せた。人体の各部位が示され、特に四肢の結合部と神経系についての記述が詳しい。
「なるほど、すでにここまで考えていらっしゃるのですね。ですが...あなたのやり方で作り上げられた疑似生命体があなたの意に本当に適うものになると思ってらっしゃるのですか?」
「どういうことでしょう?」
「人間は美的存在、感性的存在です。理屈で納得する前に、突きつけられた五感への印象が敵意と適意を決めます。」
ヴィクターは腕組みして考え込んでいる。
「言葉で説明してもわかりませんね。あなた自身があなたの被造物を前にしたときの感情をご覧に入れましょう。ほんの一瞬、私に付いてきてください。」
翡翠はヴィクターを伴って部屋の外に出て、小声で女神に呼びかけた。三ヶ月先のこの部屋の前に転移させてくれるように。
「ここは?」
「はい、あなたの部屋です。この中にあなたが作った被造物がいます。でも、それを見る前に、それを作り上げた直後のあなたの言葉、あなたが手記にしたためた言葉を読んでください。
『この惨事に際して私の感情をどう表現すればよいのか? あるいは、これほどまでに苦心と注意を払って形作ろうとした、あの哀れな存在をどう描写すればよいのか?彼の四肢は均整が取れており、私は美しいとされる顔立ちを選んだはずだった。 美しい――そう、なんということだ、神よ!彼の黄色い皮膚は、下にある筋肉や動脈の構造をかろうじて覆っているだけだった。 髪は艶やかな黒で、流れるように長く、 歯は真珠のように白かった。 しかし、これらの豊かな特徴は、 水気を帯びた目――それは、くすんだ白の眼窩とほぼ同じ色に見える―― そして、しぼんだ肌、真っ直ぐな黒い唇と、 恐ろしいまでの対照をなしていた。』
そしてそれを元に描いた絵がこれです。
いかがですか?美しいですか?美しいとされる顔を選んだ結果がこれです。理屈で自分を納得させられますか?」
ヴィクターは後ずさりし、それから自室へ飛び込み、そして真っ青な顔で飛び出してきた。
「この対面があなたの悲劇の始まりです。私はそれを回避させたい。仕組みを説明することはできませんが、私は時空を超えた次元にあなたを連れて行けます。そこでさまざまなものを見聞きすれば、あなたの悲劇は防げるかも知れません。どうします?付いてきますか?」
「お願いします。様々な知見を得て、この怪物を作る未来を変えたい。」
フランケンシュタインを巡る物語は少し長くなるので、オープニングは簡潔に済ませました。女神が全面協力するので、翡翠はヴィクターを連れて様々なところに顔を出しますよ。お楽しみに。